1-2)依頼人

「山田さん、今よろしいでしょうか」

「なんだ?」

 横須賀の言葉に、雑誌から目を離さないまま山田が問いかける。横須賀はそんな山田をじっと見ている。サングラスではあるがゴーグルのようにきっちり顔を覆ったそれを、山田はいつも外すことがない。室内室外問わずどころか、本を読んでいようが夜だろうが、だ。

 だから視線が合うかどうかは、山田の顔の動きでしか横須賀にはわからない。

「お客様がいらっしゃるならお茶などが必要かと思いまして……伺ってなかったので教えていただいても宜しいでしょうか」

「あ? あー……別にいいだろンなもん」

 顔を上げた山田が、めんどくさそうに言い放つ。事務所に客が来るのだったら必要だと思うのだが、言い切られて少しだけ横須賀は困ったように視線を動かした。

 給湯室があるのは知っている。ただ、そこに何があるかまでは知らない。

「そもそも豆どころか茶葉すらねーよここ。気になるなら水出せ水。コップはガラスのやつが一応ある」

「わかりました、有り難うございます」

 ひとまず頭を下げて横須賀は給湯室に行った。給湯室と行っても山田の台所のような場所なのだろう。倉庫とは違ってきっちりと片づいていて衛生的なのは意外だったが、おかげでグラスを探すのに手間は掛からなかった。とはいっても、いつ使ったのかわからないので簡単にスポンジで洗うことにする。

 もう、季節は夏だ。水だけというのもあれだから洗い始める前に製氷室を開いて確認して――何もなかったので結局それ以上は諦めた。スポンジに洗剤を垂らして泡立てる。

 グラスを拭いたところで、インターフォンが響く。横須賀が給湯室から顔を出すと、山田は座ったままだった。

「あ、出ますね」

「いい。てめーは客が座って三分たったら水運ぶなりなんなりしてこっちこい。こっちきたら俺が何か言わない限り動くな」

「……? はい、わかりました」

「てめえは黙って突っ立って見てろ。それがてめえの仕事だ。邪魔だけはすんなよ」

「はい」

 横須賀が時計を確認してから給湯室に引っ込むと、インターフォン越しに山田が客に入室を促す。する事がないので中の様子を伺うように聞き耳をすると、コツコツと足音が響いた。ヒールの音からしておそらく女性。少し神経質に床を叩くような音ではあるが、焦っている様子はなさそうである。

 あまりグラスに水を多く入れすぎない方がよさそうだろう。そんなことを思いながら横須賀は時計を見る。おそらくまだ客は座っていない。

「本日約束していただいた赤月ですが」

「話を聞きます。座ってください」

 横須賀の予想通り、女性の声だった。山田の言葉に靴の音が再度響いて、止まる。

 三分。内心で呟いて、横須賀は時計の針を見続ける。

 十四秒、声はなかった。赤月が訝しげにあのと声を漏らしたとき、ようやっと山田が声を出す。

「あの、具体的に用件を言ってもらえますかね?」

「え、あ、はい。こちらを見ていただきたいのですが」

 ほんの少し靴が床をする音。客用の椅子は低いから、少し身じろぐだけで音がでる。それと紙かなにかのすれる音。差し出しただけなのだろう、取り出すような音は続かない。

「薬を、探してほしいのです」

「薬」

 山田が抑揚のない声で赤月の言葉を繰り返す。はい、と返す赤月の声は静かだが妙に悲しげな色がある。

「息子が病気で、――手の施しようがない、と言われました」

「手の施しようがない、ですか」

 は、とこぼれるため息。山田はそれに倣うように、抑揚のない声だが赤月の声と同じ程度の声量で小さく返す。

「はい。ですがたった一人の息子です。信じたくありません。様々な病院に行きましたが、しかしそれでも無理と言われ……先日、もしかしたら効くかもしれないと、そういう薬の話を伺いました」

「先日ですか」

 山田の声は単調だが、音量だけは赤月の声に倣ったままだった。希望が本当に大事だったのか、少しずつ赤月の声が大きくなり、山田の声も大きくなる。そしてそれにつられて赤月がさらに感情を込めて言葉を続ける。

「ええ。ようやく見つけた希望です。ですからこちらでその薬を探していただきたいのです」

「ようやく見つけた希望! そりゃすばらしいですね。ですから先日話を聞いてすぐ、こちらに依頼にきたと」

「はい、その通りです」

 山田の声が、それまでで一等大きく、そして先ほどまでの抑揚のなさとは打って変わって芝居じみた調子で高らかになる。それから笑いを含んだ声で赤月に声をかけると、赤月は神妙に頷いた。

「なるほどなるほど、よおくわかりました」

 くつくつと喉で笑うさまが見えるようだ。赤月の靴が床を擦る。

「では、依頼を受けていただけるのですね。私の大事なあの子は」

「失礼します」

 給湯室に扉はない。だから壁を使ってノックを四回。話し中ではあったがきっかり三分経ったので、横須賀は中に入った。

 赤月が驚いたように横須賀の方を向いている。山田は赤月を見ている。

「お水をどうぞ」

「あ、ああ、有り難うございます」

 左手側からグラスを置いた横須賀に気を使ってか、赤月は右手にある鞄と一緒に少しだけ右側に席をずれた。山田は身じろぎしないどころかグラスも見ない。

 机の上には綺麗な封筒がひとつあり、おそらくそれが赤月が先ほど提示しただろうものだと推測できた。

「このでかいのは俺の補佐です。一緒に話を聞かせてもらいますね」

「あ、はい。……よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 横須賀は頭を下げ、ソファの横で立ちすくむ。なにか命令がない限り動くな、と言われているため山田の横に座ることは出来ない。というより客用の長椅子と違い、その正面にある椅子は山田一人分だ。座る場所自体が無いし命令もないので、横須賀はお盆を持ったまま見下ろすようにして赤月に視線をやる。

「依頼を受ける前に、いくつか聞かせてもらいたいことがあります」

「はい」

「薬はどちらで聞いたのですか」

「先日、病院から出るところを呼び止められまして。その方が言っていました」

「なにか身元の分かる物は」

「話だけでなにも」

「どんな奴です?」

「すらりとした綺麗な方でした。外国の方でしょうか、モデルのように整った顔をされてまして――」

 二人のやりとりを聞きながら、横須賀は赤月を見る。メモをとりたいがとれないのでもどかしい。しかしもどかしくとも、とれと言われていないのだからおそらくとってはいけないのだろう。

 多分横須賀がこの場所にいるのは話を聞くためというより、見るためだ。山田はその大きなサングラスが理由かどうかはわからないが、あまり見ることは得意じゃない、らしい。整理の時も、見つけるのがお前の仕事だ、と横須賀は言われていた。

 改めて見ると、赤月は随分と身だしなみに気を使う女性のようだ。肩胛骨にかかる長さの赤茶色の髪は自然な色というよりは染めているようだが、痛んだ様子はない。おそらくふれればするりと通るだろう柔らかい髪の毛先はゆるく巻きが掛かっており、サイドの髪はいたずらに顔に掛からないように編み込んで後ろで結ばれている。この中で一番背が高い――といってもそもそも横須賀は190を越えているのでこの中でなくてもどこでも随分高い方であるが――横須賀だけが立って座ったままの二人を見下ろしているので、その編み込んだ髪を結ぶ髪飾りが青と白のストライプであることは分かった。

 前髪は眉より少し長くしたものを、おそらくワックスかなにかで流しているのだろう。向かって左側の髪はサイドの髪と一緒に編み込まれおでこがでているが、真ん中より少し右側の髪は斜めに流れて表情を作っている。横須賀のように分け目を作っても両サイドが少し眉尻にかかるような髪型とは違いきっちりとしていて、形のよい眉は隠れることがない。

 それ故にひどく悲しそうにさがった眉や、平時ならおそらくもっと溌剌としているだろうに悲しげにゆがんだ瞳の目尻に浮かぶ涙は決して隠れることなく、憐憫を誘うようでもあった。つるりとした白いおでこ、それから悲しみで赤くなった頬。すっと通った鼻筋はおでこと同じく白い。今は右手に隠れてしまっている嗚咽を漏らす唇はピンクがかった赤。おそらくそれにはなんだかややこしい名前がたくさんあるだろうが、横須賀はそういったことにはてんで疎く違いがわからないので真っ赤ではなくかといって暗すぎるわけでもないほんのりピンク、くらいしか読みとれない。

 手は細くて長い指。マニキュアはほんのりつけていると分かる程度の桜色。女性らしい手、としてあげられるイメージに随分近いと言える。

 ほっそりとした首筋のラインから下を見る。襟元は女性の着る服によくあるデザインで、少し空いていて鎖骨が見える。その上には小指の爪ほどの小さな緑の石。石の周りには銀の飾り枠があり、そこから細い銀のチェーンがつながって、首元を飾っている。

 きっちりとアイロンの効いた薄い青と白のストライプシャツは長袖より少し短い。七分袖だっけ、と横須賀は考えるが、正直半袖より長く長袖より短いものは全部七分袖かなとか考える程度のざっくりとした知識だ。細い左手首を、細いピンク色のベルトが飾っている。内側に文字盤を向けているのかベルトしか見えないが、アクセサリーにしては飾りがなさすぎるので間違いではないと思われる。大腿部の上に置かれた左手は拳を作っており、ベルトのバックルはテーブルと拳の影でわからない。ベルトはきっちりとラインを作る黒。ズボンは白色で、Gパンではなく伸縮しやすいタイプのようだ。

 赤月が座ってる状態で読みとれるのはそれくらいだ。上から見ているとはいえ、足下まではわからない。赤月の持ってきた鞄は細いベルトのショルダーバッグで、色ははっきりとした赤色。悲しみにうかぶ涙を拭うためにハンカチを取り出したものの、小さなサイドのポケットから取り出したので鞄の中は見えなかった。

 山田に賢明に語りかける赤月をゆっくりと観察した横須賀は、今度はちらりと山田を見た。山田は横須賀と違って随分小さく150センチある程度の身長で、座っている状態だがおそらく赤月より小さい。山田との差をざっとみても、赤月は160はあるだろう。

 ワックスできっちりと撫でつけたオールバックの下の眉はほとんど動かない。ゴーグル型のサングラスで目元がわからないのも相まって、口元だけが表情を伝えている。大きく持ち上げられる口角とは反対に、顎は小さい。その下の細い首と、一応程度にアイロンが掛かった襟に、白いシャツの下から透けて見えるのはベストの黒色。赤いネクタイはすらりとした首元を苦しめない程度に締まっている。

 ふ、と、山田がこちらを見たような気がして横須賀は視線を逸らした。赤月をもう一度見る。山田が小さく笑ったような空気を揺らす音がした。

「では、依頼を引き受けましょう」

「ありがとうございます……!」

 話は随分あっさりと終わったようだ。山田の言葉に赤月が感極まったように頭を下げる。それから書類の記入を促し前金を受け取ると、山田は横須賀を見上げる。

「外までお見送りしろ」

「あ、はい」

 持ったままだったお盆を慌てて給湯室に戻し、それから赤月の側に行く。横から赤月を見下ろすと、山田が赤月に横須賀を示した。

「今日は車ですか?」

「いえ、電車です」

「そうですか。ではそこの男に駅まで送らせます」

「え」

 赤月が驚いたように声を漏らす。駅まで。せいぜい事務所の入り口までと思っていたので少し横須賀も驚いたように山田を見た。

「あいにく車は今ないのですが、まあ図体だけが取り柄のような男です。昼間とは言え女性を一人で行かせるわけはいかないでしょう」

「いえ、ですがお手数をお掛けしますし」

「気にしないでください。おい、きっちり仕事しろよ」

「は、はい。よろしくお願いします、赤月さん」

 慌てて頭を下げると、赤月は観念したのか困ったような色を隠さずに息をつき、立ち上がった。

「ではお言葉に甘えますね」

「ああ、なにか頼みだとか思い出したこととかあったらそいつに言ってやってください。メモをとらせて、一語一句間違えずこちらに伝達させますので」

「わかりました。では失礼します」

 赤月が山田に頭を下げる、その後ろ姿を見る。深く丁寧なお辞儀だ。髪に隠れて、首筋はみえない。黄色い靴は細いヒール。内側にかかった靴減りが見えるが、それは本当に多少だ。色合いから見ても新しいほうだとわかる。

 赤月が振り返る。さらり、と髪が揺れる。

「では、駅までよろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします」

 先に歩き出した赤月を横須賀が慌てて追い、事務所の扉を支え開く。扉を押さえる横須賀の隣を赤月が通り抜ける。身長はヒールが無くてもさきほど予測したとおりおそらく160はある。横須賀と違って背筋はまっすぐ伸びている。通り抜ける際に甘い香りがしたのは、おそらく香水だろうか。ふわりと香る程度で、すぐそこに人がいると分かるような強い付け方でない。品がいいと言うべきなのだろうか。その香りを求めるならおそらくもっと近づかなければならない、そういう誘うような微かな香り。

 甘い香りは、フルーティーといえるだろう。しかし何の香りだろうか。その一歩の答えには距離があり、横須賀はすん、と鼻を鳴らした。香りはおそらく首筋からで、そこに無遠慮に近づくなど他人である横須賀には出来ない。

「今日はこのままお帰りですか?」

 事務所の外に出て、先をいく赤月に少し大股で近づく。赤月と車道の間のスペースに割って入り並び歩くと、赤月は視線を斜め左下に動かした。

「ええ、そうですね」

 会話はそこで途切れる。右肩に下げていたショルダーバッグを、横須賀を気遣ったのか赤月は左肩に持ち帰る。しかし視線は合わない。

 横須賀は右手を自身の首後ろに当て、とんとんと叩いた後再びおろした。

「今日はご用事の後こちらにきたのでしょうか?」

「いいえ」

 きっぱりとした否定。横須賀の元々情けない眉が、さらに下がる。

 赤月の視線は前を向いており、横須賀とは相変わらずかち合わない。横須賀は歩幅があるので苦ではないが、赤月の歩く早さは女性にしては随分と足早で駅まではすぐにつきそうだ。

「なにかお聞きしたいこととか、伝えておきたいことがあればお気軽にお申し付けくださいね」

 それだけ言うと、ほんの少しだけ歩く速度を緩める。隣ではなく右斜め後ろに。時々、甘い香りが風に運ばれる。

「……薬」

「はい」

 小さな呟きに、横須賀が相づちを返す。斜め後ろからよくよく見ると、赤月の耳にはピアス跡がある。今日はしていないだけのようで、塞がっている様子はない。

「見つかったらすぐにご連絡お願いします」

「はい、そのようにお伝えしておきます」

 会話はそれで終わりだった。横須賀がメモを取るのを見もせず、赤月は進む。駅へは本当に短時間でついた。

「では、こちらで」

「あ、改札までお見送りします」

 慌てたように横須賀が言うと、いぶかしがるように赤月が見返す。困った顔で横須賀が笑えば、赤月は深く深く息を吐いた。

「……お手数お掛けします」

 赤月が電車の切符を買い、改札を抜けるのを見送る。赤月が改札の向こうで一度だけ振り返り、横須賀は頭を下げた。

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