探偵 山田太郎と記録者 横須賀一の物語

空代

はじまり

「お、店員さん」

 降りかかった声に、横須賀よこすかはじめは顔を上げた。左手側から横須賀の手元をのぞき込む人物を見、やや考えて――先日、本を探しに訪れた客だと思い至る。

 一五〇センチはあるだろうがそれでも小柄な体に大きなサングラスは随分と目立つ。似合う似合わないでは無く、横須賀自身が映り込むほど黒いレンズを室内で見るのは物珍しいのだ。ミラーサングラスという名称まで横須賀は知らなかったが、聞けば納得するだろう作りのレンズは人の顔から多くの表情を奪ってしまう。

 そういう情報を一切遮断するようなサングラスの上に見えるのは少し眉尻があがった特徴的な凜々しい細い眉と、きっちりと撫でつけられたオールバック。たった一度しか見ていないが、声を掛けられたときと今目の前にいる人物の背格好が服装含めて同じだとわかる程度には印象的な人物だ。声を掛けられたのだし間違ってはいないだろう、と判断し、横須賀は座ったまま頭を下げた。

「こんにちは」

 相手が話しかけてきたとはいえ、ここは図書館内だ。そのため横須賀は周りに迷惑がかかっていないかきょろきょろと見渡した後、声量を落としてとりあえずという体で挨拶をした。サングラスの人物は、相も変わらず横から見下ろすようにして横須賀を眺めている。

 猫背の横須賀と違い伸びた背筋と同じように芯が通ったような指には一冊のメモ帳。逆の左手には本が三冊。

「捜し物ですか」

「あー、おう。司書に聞いたんだがあるはずって言った後見つからねぇんだ。変なとこに紛れてるだろうからしばらく待ってくれって言われてな。めんどくせーから別のとこで探そうかと」

「何の本でしょうか」

 サングラスの人物の言葉に、生気のない横須賀の瞳がほんの少しだけ好奇心で煌めいた。それを見返すサングラスの奥は変わらず見えない。眉が少しだけ動いたように見えなくも無いが、横須賀が理解するにはあまりに些細だった。代わりに人物の感情を伝えるのはよく見える口角で、口角が片方だけ持ち上がる。

「変な伝承の本さ。民話のコーナー無し、地域のコーナーにも無し」

 その人物は本を全て右手で抱え直すと、左手で横須賀にメモを見せた。抱え直された本の背表紙とメモを見比べ、ややあって横須賀は立ち上がる。

 机に広げていた用紙をファイルに仕舞い、二冊の本は重ねて席の隅に置く。白い大きな肩掛け鞄にファイルを仕舞うと、横須賀はサングラスの人物を見下ろした。

 小柄な人物と違い一九四ほどある横須賀が立ち上がると二人の距離は大きく開いたが、猫背で下がり眉の横須賀はサングラスの人物より随分と低姿勢に見える。

「その本なら、宗教のコーナーかもしれませんね。ご案内いたします」

「ほう」

 店でもないのに丁寧な言葉遣いで横須賀が返すのは、年齢差だけでもないだろう。対してサングラスの人物の返事は短い物で、親切に対して遠慮する色を一切持たない。当然というような態度を気にすること無く横須賀は鞄を肩にかけると、するすると本棚の隙間を歩いた。

 図書館は基本的にコーナーで種類が分かるようになっており、初めて訪れてもある程度歩けばわかるようになっている。それでも横須賀の歩調はスムーズで、視線の動きも意味を持っているように感じられた。目的の棚に行く途中で何度か動く視線、棚にたどり着いた後もするすると進む歩みはサングラスの人物とも見つけられなかった司書のものとも違う。

 横須賀が立ち止まり、棚に向き直る。それから指で本の背表紙をなぞるように手を動かすと、横須賀は一番上の本棚から一冊の本を抜き取った。

「こちらでよろしいでしょうか」

「おう。すげーな店員さん」

「以前見かけて、コードが違うな、って思ってたんです。タイトルは覚えられてませんでしたが……。その時は本を抱えてたのでそのまま通り過ぎてしまったんですけど、きちんと司書の方にお伝えすべきでしたね。申し訳ありません」

 深々、と横須賀が頭を下げると、失笑が返った。顔を上げた横須賀は不思議そうに首を傾げ、しかし笑っている、という事実にへらりと笑う。

「いやなに、助かった。……店員さん、さっき書いてたのは履歴書だろ?」

「あ、はい」

「俺のトコにこねえか?」

「はい?」

 きょとり、と横須賀が瞬く。目の前の人物は愉快げに見えた。上から見てもサングラスはまるでゴーグルのように顔を覆っていて、なんとか見えかけた小さい隙間の奥は暗くて分からない。ぱちり、ぱちり、と理解できず横須賀はただ見返している。

 サングラスの人物が本を押し付けるように横須賀に差し出し、横須賀は反射で受け取った。礼も言わないままサングラスの人物が左手を自身のズボンに添えた。そのまま後ろポケットから取り出したのは一枚の名刺。

 横須賀がまたぱちり、ぱちり、と瞬くと、ぐ、っとズボンに圧が入る。ジーンズのポケットはあまり口が大きくないのだが、その尻ポケットに無理矢理なにかがねじ込まれたのだ。

「明日十九時、履歴書はさっき書いてたのそのままでいい。判子も持ってこいよ」

「へ、え、え?」

「まってんぜ店員さん」

 名刺をねじ込みきると、サングラスの人物はパチンとポケットを叩いた。びくりと強ばった横須賀に、愉快そうな笑いが落ちる。なにを、と理解するより早く、サングラスの人物は先程無理矢理押し付けた本を奪い返すようにしてひっつかんだ。

「じゃあ、明日な」

 サングラスの人物はそれだけ言うと上機嫌で立ち去った。明日。どう返せば良いかもわからず、そもそも返す相手も立ち去った故にどうしようもできない横須賀は、酷く困惑したままねじ込まれた名刺を取り出した。しわの寄った名刺を丁寧にのばせば、探偵、という文字がある。

「探偵、山田やまだ太郎たろう……?」

 それが横須賀と山田のはじまり、だった。


 * * *


「おう、ちゃんと来たな」

「はい、あの、でも俺」

「とっとと座れ」

「……はい、失礼します」

 大きな体を小さく縮こまらせた横須賀は、山田の言葉を受け素直に従った。事務所自体は小さな一室のようだ。おそらく客用のソファに座りながら、横須賀はどうにも落ち着かない心地できょときょととあたりを見渡す。

「履歴書」

「あ、はいこちらです……え、っと、じゃなくて、俺」

「あ?」

 サングラス越しに山田が凄み返す。びくり、と横須賀は体をさらに縮こまらせ、しかしそれでも、という様子で山田を見返した。

「申し訳ありません、お時間いただいて失礼なのですが、俺探偵なんて」

「誰がテメェに探偵やれなんて言ったんだよ」

 苛立ちを隠さない声が続く。横須賀は別段、怒られること自体には怯えない。怒らせてしまう、ということに怯えるのだ。だから酷く申し訳なさそうにしながら、言葉を探している。

 山田はそんな横須賀の様子にはかけらも興味ないのか、履歴書にざっと目を通してあっさりと封筒にしまった。手の中でぱたぱたと団扇のように仰ぐ様は、雇い主としては好ましくない姿だろう。

「パートはいつやめられる」

「あの、」

「『ご利用くださいましてありがとうございます』、だろ。金払って利用してやるんだ、感謝されていいくらいだぜ?」

 山田が口角をつり上げて、喉の奥で笑う。横須賀は自身の右手を左手で撫で、包むように握りしめた。

「あんなテンプレみたいな文章、心の底から言える人間なんて初めて見たね。アンタの本質はそういうトコだろ。俺がうまく使ってやる。アンタは使われるだけでいい」

 横須賀の生気のない瞳が、山田を縋るように、しかし縋るには力が少しばかり足りない色で見返す。

 山田はくつくつと笑って履歴書の入った封筒を横須賀の目の前に投げて寄越した。机の上から横須賀の体の前にはみ出すぎりぎりのところで、封筒は止まる。

「アンタがあの時書いてた履歴書も、読んでた本も統一感がねぇな。事務ってだけで仕事選んでんだろ? 司書の資格がある見てぇだが、それを使う気はない、と。どーせそのツラの就職浪人、今勉強している資格が手に入っても実績ねえから落とされる。書類選考で落ちるだろその死んだ顔どーにかしねえと。なあ?」

 山田の言葉を聞きながら、横須賀の視線が落ちる。それでも山田は同情するような色をひとかけらも見せない。

「ここだってその気が無くても面接練習に使ってやるくらいの胆力なきゃお前みたいのはやってけねえよ。つーか探偵事務所ってだけで拒否るとかアホか。仕事内容聞けってんだ、なあ」

 言葉は返らない。山田は足を組み手を組んで、うつむく横須賀を覗き込むように体を机にもたれかけさせた。

「俺はアンタを資料係として雇いたい」

 ゆるり、と横須賀が顔を上げる。

「アンタみてぇのに事務なんてもったいねえな。アホがさせることだ。俺は調べ物はからきしで、事件だって必要ないと判断すれば頭から消していく。知識が多いから整理しねーともったいねぇんだ。だから、アンタには補佐を頼みたい」

「しりょうがかり、として」

 ひとつ遅れて横須賀が復唱する。山田が大仰に頷いた。

「自分の家でもねぇのに分類違うだけで覚えているような無駄な頭してんなら向いてんだろ。まだまだアンタは経験が足りねえが……そうだな、アンタにはワトスン程度にはなってもらおうと思う。この事務所にいれば、それくらいには成長できるだろうよ」

「わとすん」

 横須賀がまた復唱する。それが非常に愉快だったのか、山田は「はは、」と声を上げて笑った。

「そうだ、ワトスンだ! 光栄に思え!! この探偵の元で、テメェはワトスンになれる。俺はホームズのように気まぐれに事件を解決するだろう、テメェはそれを特等席で見る権利を得るんだ。愚図のようなテメェを、この探偵様が使ってやる」

 不遜で、尊大で、そして酷く相手をバカにした言葉だ。怒ってその場を立ち去るのが正しいだろう。

 しかし横須賀は、自分自身が愚鈍であることに気づいている人間だった。

「本気で嫌なら、優しい優しい俺が選択肢をやろうじゃねえか」

 ゆらゆらと揺れる視線が、山田を映す。山田はその黒点のように小さな瞳の中で、愉快そうに笑っている。

 それから少し腰を上げると、山田は先ほど横須賀の前に落とした封筒を横須賀の体の前まで押しつける。浮かした腰を深くソファにかけ直し、体を尊大に反らして口元を引き結んだ山田は真っ直ぐ横須賀を見上げた。

 横須賀が、おそるおそる封筒を手にする。

「破れ」

 山田の声が横須賀の体を縛る。びくりと強ばらせ、横須賀は視線すら動かせない。

「雇われたくないなら、破れ。そうしたら、無かったことにしてやる」

 横須賀は紙を破るということに抵抗がある。それは無かったことにする行為だと、わかっているからだ。いやしかし、履歴書に書かれた彼などなんの意味があるのだろうか。横須賀自体に横須賀は意味を見いだせない。なら横須賀を物語るそれを、破り捨てても問題ないだろう。

 それでも横須賀は、手を伸ばせなかった。資料に触れることも出来ず、山田を伺い見る。

「破らねえのか?」

 くつり、と引き結んでいた口角を山田は持ち上げた。横須賀はじっと山田を見ている。山田のサングラスは山田を見せずに横須賀の不安げな顔を見せる。

 横須賀は膝の上で拳を作り、曲がっていた背筋を伸ばした。

「……よおし、それでいい」

 山田が穏やかな声で頷く。それから口元に手を当て、くつくつと喉を鳴らす。

「デカいの、アンタを俺が使ってやる。アンタは使われればいい。求められた結果に答えればいい。簡単だろう? それで金が貰えるんだ。ほら」

 山田がもう一枚紙を投げて寄越した。そちらを、横須賀は手に取る。

「判子わすれてねえだろうな」

「……はい」

「じゃあ、テメェの愚図ついた頭でもするべき事はわかるな?」

 山田が笑う。横須賀は紙を破れない。

 選択肢はひとつしか、無かった。




(序「はじまり」 了)

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