最終章:会者定離
今日も変わりなく用意をして仕事へ出かける。
変わらない毎日を送る。はずだった。
仕事が終わり余った魚をもらう事ができた。今日は焼き魚だな、帰りに大根を買っておろしを付けようなどと考えていた。自宅に戻りただいま! と声を掛けるが返事が返ってこない。奈美、寝てるかな? そう思いベットへ行くと奈美がいない。台所にも、二階にもいない。トイレを見て向かいにある風呂場に人影が見える。あわてて風呂のドアを開けるとそこに奈美がいた。
「奈美! 奈美! あああ・・・なんて事を・・・」
奈美は手首を切っていた。
あわてて木谷さんの職場へ連絡を入れる。
「木谷さん! 早く出てくれ・・・あっ木谷さん! 奈美が! 奈美が!」
「ハル君落ち着いて、奈美さんがどうしたんだ」
「奈美が手首を切ってしまった! 俺どうしたらいいのか・・・」
「いますぐ向かうから、まず、切った箇所を止血するんだ、いいね!」
電話はすぐに切れた。
あああ、なんてことだ、奈美が・・・奈美が自殺なんて・・・俺はいったい・・・とにかく奈美の手首に手ぬぐいを強く結び風呂場から担ぎ出す。奈美の体が冷たくなっているのが分かる。かつての記憶がよみがえりパニックを起こしてしまう。気づけば奈美をさすり暖めていた。まるで月音を暖めるかのように。
「奈美! 奈美! 聞こえるか奈美!」
奈美の返事は無い。ぐったりと力なく、体はぐにゃぐにゃだ。すぐに連れ出せるよう玄関に移動しドアを開けっぱなしにする。しばらくすると車が止まった。木谷さんの車だ!
「ハル君、さあ車へ!」
俺はその言葉が言い終わる前に開けられたドアへ奈美を乗せる。
木谷さんが状況から輸血が必要だろうと判断、それが行える近くの病院を目指すことにした。車の中で二人の会話はない。とにかく一刻を争う状態だ。数分で病院へ到着する。木谷さんが案内所で身元説明と措置対応を手早く話し、すぐさま病室へと運ばれていく。ああ、奈美、とにかく助かってくれ! 生きてさえいればそれでいい、頭にあるのはその思いだけだった。
そして二時間後、木谷さんと対応した医者が出てきた。
「ハル君、何とか一命はとりとめた。しかし、目が覚めたときが問題だろう・・・私達ではどうにもならない。ハル君がどうにかする意外手がない。分かるね?」
「はい・・・いつもいつも、本当に申し訳ありません木谷さん。もう・・・木谷さんしか頼れる人がいなくて・・・」
「気にするなハル君、そう気負いするんじゃない、いつでも頼ってくれて構わないんだよ」
「ありがとうございます木谷さん・・・」
翌日、奈美の意識は戻った。しかし天井を見つめるばかりで会話はない。話しかけても何も返ってこなかった。
数日後退院。俺は奈美を連れてタクシーで自宅へ戻る。意識が戻ってから奈美は何も話そうとはしてくれない。死ぬ事ができなかった思いがあるのだろう、かつて俺も自殺を計った事がある。助かった時のなんとも言いがたいあの気持ちは今でも忘れない。あの時は千恵さんの思いが俺を救ってくれた。千恵さんには本当に助けられ今でも感謝している。今度は俺が奈美にそう思ってもらえたらと、しかし俺は知恵さんのように器用ではない。どうしたものか・・・。ただ時間だけが過ぎていく。
「奈美、俺を一人にしないでくれ、死ぬときは一緒だって言ったじゃないか・・・」
俺はそれだけを奈美に伝えた。そして、仕事を辞めた。
食事や風呂、トイレなどの介護をこなし。食材の買出し意外はほぼ奈美のそばを離れずにいた。何もないときも添い寝をし奈美から離れない。買い物も数十分で帰ってこれるよう近場で済ます。横に伏せていると奈美が頭をなでてくれる。何も言わず無言で会話はない。
夜は奈美の隣に布団を敷いて寝る。寝てる間にまた自殺をされては困るので刃物は全て隠してある。それでも寝るのが怖い。たまに奈美にひっぱられ一緒に布団に入ることもあった。そんな時は全力で愛し愛される。
奈美に俺の気持ちは届いているのだろうか、言葉で伝えることの難しさ、態度で示す難しさ。本心を伝えることがどれだけ難しいことなのか、あらためて考えさせられる。
「奈美、明日・・・海に行こうか」
奈美は無言でうなずき、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。俺も満面の笑顔で返す。
海に出発するのは午後三時頃、奈美を結ぶロープもしっかりした長めの物を持つ、奈美が離れたら大変だ。
俺は学生の頃に着ていたワイシャツとスラックスを出す。ワイシャツには月音が書いてくれたハルの文字。首には月音のネックレスと奈美が作ってくれた小瓶。
奈美の服装はよそ行きの一番良い服を着せた。ちゃんと化粧もしてボサボサの髪もブローして伸ばす。今日の奈美の表情は今までで一番と言えるほどの明るさを見せている。それを見れた俺の気持ちも晴れやかだ。
出発の時間になり奈美を抱え濃厚な口付けをする。自分と奈美をロープでしっかり結びバイクに乗り込む。海へ向けて出発だ。いつもの海ではなく二時間くらい掛けて少し遠出をする。途中、早めに食事を済ませる予定だ。
料亭「すぎむら」今日はここに予約を入れておいたのだ。ここは有名なお店らしく前々から噂を聞いてる。俺がバイトしていた所で一番うまいと言われているくらいだから間違いないだろう。
玄関までの距離が長い。暖簾をくぐり玄関のドアに手を掛けると中から誰かがドアを開けてくれた。
「いらっしゃいませ」
「予約していた山来です」
「ようこそおいでくださいました。どうぞお上がりくださいさませ」
女将なのだろうか、それにしては若いようにも見える。彼女に連れられ二階の階段を上る。
「今日は何かのお祝いごとでございますか?」
「ま、そんなとこですかね。滅多にこのような立派なお店にはこれませんからね、今日は特別です」
「立派かどうかはさておき、お褒めいただき誠に光栄でございます」
「一つ席の事でご確認させていただきたいのですが宜しいでしょうか?」
「はい、電話で言った通りですが何か問題でも?」
「この度ご用意しました椿の間でございますが、お座敷となっております。当方、テーブル席もご用意することができますがいかがいたしましょう?」
「ああ、そうですね・・・はい、そのまま座敷でお願いします。せっかくなので和を堪能させてください」
「承りました。それではどうぞお入りください」
部屋の中は政治家でもいそうな雰囲気があった。お願いした通り席が並べてある。奥の障子は開けてあり薄暗くなった外が覗く、空には月が上がっており遠くに海が見える。最高のロケーションだな。夕方なので完全に暗くなるにはまだ時間が掛かりそうだ。
ふと奈美の顔を覗くと緊張している風に見える。
「奈美、こういう所初めて?」
奈美はうなずいて見せた。
「俺も初めて」
いたずらな顔で笑ってみせると奈美も笑顔を見せてくれた。少しは緊張がとれたかな?
誰もいないことを確認し奈美にキスをする。すると奈美は驚いた表情でこんな所でやめなさい! と言いそうな表情をしている。しかし、すぐに笑顔に戻る。そうこうしていると料理が運ばれてきたようだ。
トントン「失礼します」
先ほどの女将らしき人とは違う女性達が料理を運んできた。一人が残り襖の前に座り料理の説明を始める。何やら説明いただいたがよく理解はできなかった。魚の名前も聞いたことがない名前だった。早速奈美と料理をいただくことにする。奈美は利き手である右手が使えない。俺が全て奈美に食べさせてあげる。襖の前に座っている女性がその様子を見て、その為に席を並べたのか、というような顔をしている。
出された料理は二口ほどで食べてしまえる量、男なら一口という少ない量が大きい皿の真ん中に申し訳無さそうに並んでいる。しかし味は格別だった。噂どおりだと思わず頷いてしまう。俺のような味覚音痴ですらそう思えるという事はよほどの料理なのだろう。料理をする者としてこれは是非とも知りたいなと思ってみたり。奈美はうまさに目を見開いている。その表情がかわいくて思わずほっぺにキスをしてしまった。あ・・・人がいたんだよ忘れてた。いつもの家にいる感覚でやってしまった。
ふと襖の方を隣を見ると驚いた表情の顔が「私は見ていませんよ」とでも言いそうな感じでぷいっと目を逸らす。それが面白くて思わず俺は吹いてしまう。すると恥ずかしそうに女性が話しかけてきた。
「あの~・・・大変ぶしつけなご質問なのですが、お二人はどのようなご関係なのですか?」
ま、本来お客様に聞くような質問でないと思うが俺達は寛大だ。答えてあげよう。
「夫婦です」
彼女はへ? という表情で固まっている。
その表情が見たくて言ったのはこの私ですがね。
「さ、左様でございましたか。突然のご質問大変失礼致しました。お詫び申し上げます」
彼女は焦ったように土下座をしている。分かりますよ、俺でもきっと気になって気になって聞いちゃうと思いますから。それが普通の人の反応でしょ。隣で奈美は苦笑いをしているのが気になるところだ。俺としては奈美にも夫婦として堂々としてもらいたい。
一品目を食べ終わり次の料理が出てくる。またそれを奈美の口に運びいちゃいちゃと食べさせる。その雰囲気からは介護という風景は見て取れないはずだ。親子ほど年が離れたカップルがいちゃいちゃと食べさせている。そのショックの方が大きい。奈美自身も単にいちゃいちゃしている、そう感じてくれると俺としては成功と言える。
左手は奈美の腰へ手を回し、体を密着させ右手で料理を奈美の口へ運ぶ。無論、奈美の左手は普通に動くのだがあえて使わせない。担当の女性も慣れてきたのか次々と食器を下げて次の料理を運んでくる。相変わらず皿に占める料理の面積は一割から二割程度。しかし出てくる数が結構な量だ。
このお店が世間で受けている秘密はそこにある。料亭でお腹が膨れるのだからそりゃ満足するだろう。貧乏人でもこれだけ食べられれば多少高くても払ったかいがあるってものだ。
全ての料理が終わり奈美もお腹がいっぱいの様子だ。その表情から満足感が得られたとすぐ分かった。すると奈美が俺の耳元で小声でささやく。
「ハル、ありがと」
そして俺の耳たぶをかじる。
「ひぇ!」
思わずビックリしてしまった。その顔を見て奈美は吹き出している。良かった・・・笑顔だ。
帰り際、最初に出てきた女将らしき人が見送りに出てきた。
「お料理の方はご満足いただけましたでしょうか?」
「はい、こんなにおいしいならもっと早くに来るべきでした。今日はご馳走様でした」
「是非またご夫婦でおいでください」
そう言って女将は指をついて頭をさげていた。はは、さすがだね~。
外に出るとすでに夜もふけていた。しかし月明かりに照らされ歩くことに支障はない。俺達二人は海へとバイクを走らせる。途中で用意していた分厚い郵便物をポストへ入れていく。あて先は木谷さんだ。
目的の海は料亭から更に一時間ほどで到着する。すでに時間は夜の八時を過ぎている。まるで空の切れ目からひょっこり顔を出しているような月がこちらを覗いている。月明かりで辺りは何となく見えているが海は真っ黒だ。
真っ黒な液体に月明かりが反射して白く映る。先が見えない砂浜へ腰を下ろす。奈美を座らせ持ってきたブランケットで後ろから奈美を包み込む。更に後ろから奈美を抱える。奈美の暖かさに妙に安心感があった。
「奈美、ずっと俺の事を好きでいてくれてありがとう。この先もずっと一緒に」
「私ね、月世さんより幸せかもしれない。だってハルを独り占めできたから」
「ああ、そう思ってくれるなら嬉しいよ」
「奈美、ありがとう」
「ハル、ありがとう」
俺達は本当のありがとうをお互いに伝えた。
俺は奈美の正面に移動し奈美と自分の体をしっかりと、二度と外れないようにロープで縛った。奈美を正面から抱え海へと歩きだす。
「私、幸せ」
奈美の右腕はまるで何事も無かったように強く俺を抱きしめている。
黒い海に映る白く輝く道は、俺達と永遠に続いていくかのように道を示していた。
完
月読み 山咲ゆう @zakiyama-yu
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