第二十一章:傾慕
それから一年の月日が流れた。
俺はほぼ自分を取り戻しつつある。ただ、あの事は思い出したくない。思い出すと息がうまくできなくなり痙攣が起こる。その度に周りに迷惑を掛けていた。その波はいきなりやってきて突然消えていく。自分ではコントロールできずに悩んでいたが、奈美は気にする必要は無いと俺をなだめてくれる。奈美の家に来てから世話になっている事は頭では分かっていたし感謝もしている。その気持ちを伝えることが何故かできず、気持ちが爆発してしまう事が度々あった。言葉が出ないストレスと気持ちを伝えられないストレス。感謝を伝えたいのにそれが出来ず奈美に当たってしまう。こんな迷惑な男を奈美は受け止めてくれる。俺は申し訳なく居たたまれない気持ちに自己嫌悪に陥る。いつしか、奈美のそばに居る事に罪の意識を持つようになっていた。俺はここにいるべきではない。奈美の幸せを壊しているのは明らかに俺だ。助けてくれた恩をあだで返している。
次の日、奈美が畑仕事から昼頃に帰ってくる。奈美は昼飯を用意して俺に食べさせてくれる。昼食後、奈美に連れられ長門家へ向かう。奈美はいつもと変わらず笑顔で仕事に向かって行った。俺もいつものように居間に座り千恵さんの仕事を眺めていた。
「お母さん、少し二階で休ませてもらいます」
「ん? はいはい、どうぞ、一人で大丈夫?」
「大丈夫です」
「何かあったら呼ぶんだよ」
俺は月世の部屋に行く。部屋は相変わらずあの時のままだ。きちんと掃除もしてある。千恵さんに感謝だな。
月世のタンスの中を物色する「確かここに入ってたはず」あった。腰紐を見つける。イスに上がりその腰紐を天井の梁に結びつけ輪を作る。昨日書いておいた遺書を床に置きもう一度イスに上がる。ふと、机の上には月世の写真が笑顔でこちらを見つめている。不思議ともう涙は出てこない。むしろ二人に会えるうれしさがあった。奈美には本当に世話になった。迷惑ばかり掛けて、八つ当たりしてしまい申し訳ない。幸せになってくれ奈美。長門夫妻にも木谷さんにもお世話になった。みんなありがとう。七組のみんなどうしてるかな・・・。
輪の部分に首を通し外れないよう絞める。イスをけり首に腰紐が食い込む。
「ぐががっががががが・・・ぐ・るじいいいいいががっがが・・・」
ただただ苦しい。しかし、何故だ? 聞いていた状態と違う! 一瞬に逝けると思っていたのだがこんなに長く苦しむものとは知らなかった。
「おおがががががが・・・ぐぐぐぐぐががが・・・・」
いや、おかしい、どう考えてもおかしい、すでに数分経過している。俺は腰紐をつかみ懸垂のように上に持ち上げる。あああ・・・・首吊り一時の休憩だ。少し上に上がり体重が掛かるように紐を離す。
「んんがががっが・・・・うおおおおお・・・」
苦しい! 腕をしたに下げ完全に腰紐と首だけでぶら下がる。すると少しずつ意識が遠のいてきた。やった、ようやく逝ける・・・・。
・ ・・・・・遠くから声が聞こえる・・・。
ハ・・・・・・ル・・・・・・く・・・ん・・・・・・・・・・・。
「ハル君! しっかり! しっかりして!」
誰かが俺の頬をビタビタと叩く。
「え?」
目が覚めた。目の前には千恵さんがいた。
「あ! ハル! よかった・・・・よかった・・・・私どうしようかと」
千恵さんが泣きながら俺に抱きついている。
ああ、俺は・・・死ななかったのか・・・。
自然と涙があふれてくる。本物の死に損ないだ。
千恵さんが深呼吸をし息を整えはじめた。静かに俺が書いた遺書を広げ読み出す。
「ハル君、あなたは大きな勘違いをしてる。月世はあなたを必要としていた。短い人生でもあなたと生きていくことが月世にとって幸せだった。それと同じように、奈美さんはあなたといるだけで幸せなのよ。奈美さんは全てを断ってあなたをずっと待ち続けてきた。二十年もあなたを待っていたの。ようやくあなたと暮らすことができて奈美さんはとても幸せなの。あなたが少しくらいおバカをしても大した障害じゃないのよ・・・分かるでしょ」
その言葉を聞いた俺はまた大きな鳴き声で泣き出す。子供のように。千恵さんになでられながら。
「ハル君、今回ばかりはお父さんに感謝しないとね、普通の人ならすでに死んでる状態よ」
「ごめ・・・んなさい・・・お母さん・・・」
千恵さんはまるで子供を抱きかかえるように俺を抱いて背中をさすってくれている。母に抱かれるってこんな安心するものなんだな・・・。
「迷惑ばかりかけて、馬鹿な息子で、本当にごめんなさい」
「あなたはまだ本調子に戻っていないだけなの、一人で悩まないで、私でよければ相談にのるから。時間の経過であなたの不安定さは解消される。辛いかもしれないけど、もう少しがんばって! 今日の事は誰にも話さないでおくわね」
「ありがとうございます。お母さん」
千恵さんは何事もなかったような笑顔をみせてくれた。
夕方、奈美が迎えにきた。真っ赤に充血した俺の目を見て千恵さんの様子を伺っている。
「大丈夫よ、少し子供に戻っちゃっただけなの」
千恵さんはそう言って奈美に笑ってみせた。奈美も分かったような顔で笑顔を返している。母は偉大だ。今回ほどそう思ったことは無い。
「お母さん、今日もありがとうございました。失礼します」
奈美はそう言って俺の頭に手をあて一緒に頭を下げた。まるで悪さをして一緒に謝りに来た親子のように。
それから数ヵ月が経過、たまに過呼吸を起こす事もあったが、精神状態はほぼ改善され投薬も終了していた。月音の事は度々話していた内容を奈美から木谷、長門両夫妻へ説明してもらっている。俺から一度に説明することは今でも出来そうになかったからだ。
先日、木谷さん同行で精神科を受診後、車の中である物を渡された。それは俺が月音の養育費として振り込んでいた通帳と印鑑だった。木谷さんは俺が十四年間振り込み続けたお金をそのまま使わずにとってあったのだ。月音の将来の為にとってあったそうだが、俺の話を聞き使う当てが無くなったので持ってきたらしい。俺は木谷さんへお世話になったお礼として受け取ってくれと話したが受け取ってはくれなかった。それをありがたく受け取り、これからの生活費にあてることにした。結局、月音の為に使う事ができなかったのが心残りではあるが今更どうしようもない。
あらかた良くなった俺はたまに外に出るようにしていた。メガネをかけ、マスクをし、近所の目を盗むように外出する。ここら辺で俺の顔は子供の頃から知られている。変わらないこの姿を見られたらまずい事になり兼ねない。そこら辺は細心の注意を計り奈美に迷惑を掛けないようにしているつもりだ。そして、非常に気になっていること、全てが奈美におんぶに抱っこ状態であることだ。生活費も入れずに全てが奈美の労力で賄われている。とりあえず家事は全てこなそうと考えているが、木谷さんから受け取った通帳からしばらく生活費を入れ、いずれは俺も働きに出ようと。しかしここら辺で働くことはできない。以前のように三年おきに移動する生活を奈美に押し付ける事もできない。いずれにせよ、一度奈美と話し合う必要がある。
夜、食事、が終わってから奈美と今後について話合うことにした。
「奈美、今後について話があるんだけどいいかな?」
「どうした? 何か不便なことでもあった? あったら直すから言って」
「何も不自由なことなんてないよ、むしろ良くしてもらって感謝してる。ただ・・・」
「ただ?」
「奈美にばかり世話になっていられない、俺も生活費をどうにかしたいと考えている。でもこの姿じゃここら辺での仕事はほぼ無理に近い。そこで、以前もやっていた季節労働で働きに行きたいと考えている。半年から一年ほど働いて、数ヶ月戻ってきて奈美と暮らし、また違う工場へ行くという感じがベストかなって考えているんだけど、どうかな?」
奈美はしばらく黙り込んでしまった。何か良くない事を言ってしまったのだろうか? 奈美は不安げな表情で話しはじめた。
「私は反対・・・ハルと離れたくない。私が働くから、ハルは家にいてほしい」
「奈美・・・・・そう思ってくれるのはうれしいけど・・奈美にだけ負担を掛けるわけにはい・・」
言いかけて奈美が口をはさむ。
「嫌、私はそんな長い時間離れるなんて嫌! お願い、ハルはここにいて! 私と一緒に・・」
「ここから毎朝どこかへ通うのは近所の目もあるから難しい、だから季節労働がいいと思って・・・引越しは奈美も嫌だと思うし・・・」
「お父さんが残してくれた家と畑は守っていきたいの、わがままばかり言ってごめんなさい」
奈美は少し怒ったような表情でいる。
「あのさ、奈美、朝四時頃に起きて畑仕事して、今ではスーパーで働く時間も増やしているし、それが毎日続くのって相当きついと思うんだ。もう少し休んでほしい。その負担を俺にさせてほしいんだけど、ダメかな?」
「もう少し、私にがんばらせて。全然辛くないし、きつくも無いから」
何を言っても今は聞いてくれそうにない。しばらく沈黙が流れる。
「そうか・・・分かった。先日、木谷さんから俺が月音の為に十四年振込み続けた通帳を預かってさ、もう使う当がなくなったから木谷さんが俺に返してくれたんだ。これをしばらく生活費の足しにしてくれないかな?」
「ありがとう。足りない場合は声を掛けるね」
「いや、そうじゃなくて、毎月の足しに使ってほしいと思って」
「ハル」
「ん?」
「私、やっとハルをつかまえたの。ハルがここにいてくれるだけで幸せ、だからハルと少しでも一緒に暮らしたい。もう二度と離れたくないの、ハルに尽くしたい、お願い! 私のわがままを聞いてください! もう・・・待ちくたびれたの・・・お願い・・・」
そこには二十年間待ち続け、疲れた女の姿があった。
その姿に待たせてしまった罪悪感と途轍もない愛しさがこみ上げ、思わず奈美を強く抱きしめた。奈美は驚いた表情で硬くなっている。やがて力が抜け柔らかい奈美の体を感じ始めた。俺は更に奈美を引き寄せ強く抱きしめた。やがて俺の背中にも奈美の腕が回るのが分かった。顔を覗きこむと奈美は恥ずかしそうに顔を赤く染めている。
「あまり見ないで、もうおばさんなんだから」
「俺も奈美と同じ年齢だよ、こう見えておじさんなんだけど」
「うん・・・分かってはいるんだけど、ついハルの変わらない若さに自信がなくなっちゃって」
「俺は四歳の奈美も見てきたし、十歳の奈美も見てるし、十七歳の奈美も見てきた。ちゃんとあの頃の奈美を知ってる。見かけなんて気にするな奈美。俺は今の奈美が好きだ」
「ハル、ありがとう。私、待ってて良かった。まさか本当に報われるなんて思いもしな・・・んん・・」
奈美が話す途中で俺は奈美に濃厚な口づけをする。そして奈美を抱え布団へ移動する。俺は服を脱ぎ裸になる。すると奈美は不思議そうに俺の体を探るように触れ、全身を嘗め回すようにじっくり観察する。肌の質感まで見ている様子だ。
「なんで・・体も顔も・・・あの時のままだわ・・・きれい」
奈美は恍惚とした表情を浮かべ見つめている。俺は奈美の衣類へ手を掛ける。すると奈美は明かりを消せと目で訴える。俺は蛍光灯を消し、代わりに机のライトを点ける。奈美はそれも消せと目配せするが無視して服を脱がす。奈美は自分が年をとり老けたことをかなり気にしている様子だった。そんな心配をよそに奈美の体はとても綺麗で色っぽい大人の女性へと変わっていた。
「奈美」
「何何? やっぱり老けた? 汚くてごめんね」
「違う、すごい色っぽい、あの頃より全然いいよ」
「え? うそばっかり、励ましてくれるの?」
「違うって、奈美、もっと自分に自信をもて、奈美は綺麗だ」
「ありがとうハル、うれしい」
それから奈美を体力の限り抱いた。三回も。奈美は疲れきった表情をしている。やはり俺は中身も若さを保っているようだ。全てにおいて十七歳のまま体が維持されている。しかし、長く生きている知識と経験則はきちんと身についている。まるで若いのに年寄りのような存在という感じだ。
俺達は心地よい疲れを残しそのまま眠ってしまった。次の日、奈美は腰がガクガクで立てないと仕事を休んでしまった。申し訳ない。今度から控え目にしなければと自分に言い聞かせる。抑えられるだろうか・・・。
あれから奈美のおかげで毎日が幸せで夢のように安定した生活が送れている。奈美は相変わらず仕事に熱心で休まず働いている。冬季は畑が休みなのでバイトをフルタイムに切り替えて。しかし週一~二回は必ず休みをもらうようにお願いし、生活費の不足分は俺の貯金から少しずつ出していた。奈美の為なら全て出しも構わないのだが奈美が何かあった場合の為にできるだけ使わないようにしたいという意向があった。
日々変化に富んだ毎日が送れているわけではない、ただいつもの日常を送っているだけ。俺は朝食を用意し二人で食べ、奈美を送り出し掃除洗濯、一人で昼食をとり、午後はまったりと過ごし、奈美の帰りに合わせて夕食の準備とお風呂の準備だ。そう、主婦ならぬ主夫をやっている。俺の体が原因の為に奈美一人に労働をさせてしまい心苦しい、俺自身は家事が得意なのでなんの苦痛もなかった。
休みの日には二人で数時間離れた町でデート、たまに足を伸ばし温泉に一泊したり、思えば俺にとっても初めての経験ができていた。しかしこんななりの二人、周りは好機の目で俺たちを見ている。ママにべったりな息子とでも思われているのか、それとも、パトロンとでも思われているのか、どちらにせよどう思われようが知ったこっちゃない。俺達はそれで幸せだったから。
ある日のこと、俺達は夕食を済ませ奈美はのんびりとくつろぐいつもの時間。俺は食器洗いとその日最後の家事をこなしていた。いつもならテレビでもみて笑い声がしてくるのだが妙に静かだ。俺は何故か気になり洗い物を途中で見に行く。すると、そこには月のトップのあのネックレスをつけて鏡を見る奈美がいた。
「奈美!」
俺は怒り口調で叫び奈美の首からネックレスを取り上げる。
「ごめんなさい! 勝手に出したりして・・・・」
奈美は驚きとまさかそんなに怒るとは思わなかったという表情でこわばっている。
「あああ・・ごめん奈美・・・つい怒鳴ってしまって」
「ううん、私が勝手に開けたりして、ごめんなさい。木谷さんが届けてくれたハルの荷物の中に綺麗な宝石箱が・・・何が入ってるのか気になってしまってつい、ごめんなさい」
奈美は頭をさげている。
「これは・・・月世に贈ったプレゼントなんだ。その後、月音に母親の形見として渡した。でも、これをつけた二人とも、もうこの世にはいない。奈美にはそうならないでほしいから、俺がちゃんと奈美だけの為に用意するよ。これは着けない方がいい・・・」
「ハル・・・ありがとう。でも大丈夫、私はもう少しで四十よ! 私はまだまだ死んだりしない、おばあちゃんになってもハルのそばにいるの、あ、でも迷惑なら言ってね、邪魔はしないから」
「邪魔なわけないだろ、俺たちは死ぬまで一緒じゃないのか?」
「もう~ハル大好き!」
奈美は俺に飛びついてくる。以前は遠慮していたのか恥ずかしかったからか、あまり甘えるような事が少なかった。今はとても甘え上手になっていた。何歳になっても奈美はいつまでもあの時の奈美だ。俺をいつも助けてくれてずっと好きでいてくれるヒーロー。俺はまた抱きかかえ布団に連れ込む。奈美も手際よく服を脱ぎ始める。ああ、ちゃんと一回に抑えなければと自分に言い聞かせる。
七月十日、奈美、四十歳の誕生日がやってきた。
俺は予め隣町のケーキ屋へ予約と奈美へのプレゼントを頼んでおいた。奈美が帰る前に取りに行き、内緒で驚かせようと計画している。奈美は自分の誕生日のことを何も言ってこない。忘れているのか? それとも試しているのか? 奈美のことだ、きっと年齢を重ねるのが嫌なのかもしれない。俺からすれば皆と一緒に老いることができない辛さは何とも言いがたいものなのだが・・・。今回の誕生日は俺も一つのけじめをつけようと意気込んでいる。人生において二度目の節目となるように。
奈美がいつものように帰ってくる。俺は奈美の手を引いてテーブルの前に座らせた。
「あ、ちゃんと覚えてたんだ」
奈美はうれしそうにニコッと俺に笑いかける。
予め用意しておいた四本のローソクに火をつけテーブルに運んできた。照明を消してへたくそなハピバースデイトゥーユーと歌う。奈美は満面の笑みでケーキを見つめ、ローソクの火を消すタイミングをうかがっていた。そして歌い終わり拍手と同時にローソクの炎へ息を吹きかけ消す。それを見計らいもう一度部屋の明かりをつけた。奈美は恥ずかしそうに笑顔を見せている。俺は後ろに回していた手を奈美の前に差し出し小さな箱を開けて見せた。奈美は驚いて手を口に当てている。そう、俺は結婚指輪を用意してきた。
「奈美、俺と結婚してくれるか?」
「当たり前じゃない」
俺は小さなリングを手に取り奈美の左中指に通す。奈美も大きな方のリングを俺の中指に通す。
「奈美、この先ずっと、どんなことがあっても一緒に暮らし続けよう」
「うん、ありがとう。ハルも私から離れないでね」
「ああ、もちろん。死ぬときは一緒だ」
書類上の結婚はできないが俺にとって確かに結婚だ。奈美と一生夫婦で過ごし、そして、一緒に死ぬことを俺はこの時すでに望んでいた。終われない人生はいらない、今度は愛する人と人生を共にする。そう心に決めている。
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