第十七章:先輩

 ある日の放課後、月音の元へ一人の女性がやってきた。美術部の梨田杏なした あん、彼女だ。

「先輩珍しいですねこんなとこにくるなんて、どうしました?」

「うん・・・ちょっと相談にのってもらえないかと思って・・・いいかな?」

「私でよければいくらでも!」

月音はここぞとばかりに胸を叩く。

「あのね、私お付き合いしてる人がいるの」

先輩に彼氏が! 月音は胸中穏やかでない。

「彼とは二年の時からの付き合いなんだけど、彼・・・何もしてこないんだよね」

「いや・・あのね、エッチなことをしたいとかそういうことじゃなくてね・・・」

杏先輩は焦っている。

「もしかして、私に魅力を感じてないのかなって・・・好きじゃないのかなって・・・」

「先輩はとても魅力的ですよ、それは私が保障します」

「はは・・ありがとう」

「先輩、何か心当たりとかないですか?」

「それがさっぱり・・・」

「本人に聞けばすむことなのは百も承知、でも聞くことで終わってしまうような気がして」


「分かりました。先輩、私に任せてください」

「ありがとう月音ちゃん、あなたしか頼れなくて・・・何か分かったら教えてほしい、私覚悟を決めるわ」

 あぁ、先輩に頼られている! 快感!


「と、いう事なんだけど・・・どうしたらいい?」

と俺は月音に相談された。

「おまえさ、安請け合いしちゃだめだろ、何もつかめなかったらどうすんだよ」

「なんか勢いで言っちゃって・・ハル~助けて、お願い! チューしてあげるから!」

ハルの鼻息が荒くなったのを見て月音は少し引いている。

「とにかく、やれるだけやってみるしかないだろ」

「で、彼の情報は?」

「彼の名前は杉浦隆志すぎうら たかし、杏先輩と同じ三年生、細身の長身でメガネを掛けている。帰りはもっぱら本屋に寄って帰るって先輩が言ってた」


 尾行二日目、聞いていた通り決まった本屋に寄る。そしていつも同じ本を立ち読みし帰るという流れだ。さすがに尾行はばれそうなので三日目からは本屋で張り込むことにした。しかし本屋に寄って毎日帰宅と怪しい行動は見当たらない。そこで六日目に接触を試みた。いつも通り彼がやってくるがいつもの本が無いことに気がつきがっかりしている。

「こんにちは、いつもお会いしますね」

俺は彼に声を掛けた。

「ああ、そうだね」

杉浦は少しがっかりした顔で答える。

「あれ、もしかしてお探しの本はこれですか?」

今買ってきた本を袋から開けて出してみせた。

「ああ、この本だ、立ち読みは悪いと思いつつ、ついつい通ってしまっててね。君も推理小説がすきなのかい?」

「ま、そんなとこです。よかったら、先に読みませんか?」

「え? 君が買った本じゃないか、それを見ず知らずの人に先に見せるなんて」

「俺、木谷ハル、二年生です。同じ制服、あなたは先輩ですよね?」

「ああ、俺は杉浦隆志、三年生だ」

「これでもう知り合いですよ」

俺はニコッと笑ってみせた。

「そうか、正直言うと、のどから手が出るほど続きが読みたいんだ、借りようかな」

「ええ、本も喜んでくれますよ」

「ありがとう。残りも少しなので二日後には読み終わると思う、明後日またここで返してもいいかな?」

「分かりました。では二日後、またここでお会いしましょう」


そして二日後

「ありがとう。おかげですっきりしたよ。あそこで読むのを止めたら気になって眠れないところだった」

そう言うと杉浦は本を返した。

「それで、何か聞きたいことでもあるのかな?」

突然杉浦が問いかける。

「あは、もしかして気づいてました?」

「ああ、三日目からは本屋に先にいたよね。そしてずっと後ろにいる彼女も」

「あらら・・・すでにそこから気づいてましたか・・・さすが」

「本を読ませてもらったしね、俺も君を利用したところもあるし、お礼に何でも聞いてくれ」

「では、こちらの雑誌を見ていただけますか?」

俺は手持ちの雑誌を杉浦に渡した。

 杉浦は雑誌を広げるとビックリした顔で興味津々と見ている。だんだん耳が赤くなってきた。俺が渡したのは女性の裸が載っている雑誌だ。

「君が言わんとしていることが何となくつかめたよ。僕はね、こういうの嫌いじゃない。むしろ好きだよ」

「ま、男ならだいたいの人は当然ですよね」

「君になら言ってもいいかな・・・実は不能なんだ」

「えっ? 立たないってことですか?」

「ああ、その通りだ」

「えっと・・何かきっかけとかあったんですか?」

一息入れ、ゆっくりと彼は語り始めた。


「僕が中三の時、親が受験勉強の為に家庭教師をつけてくれたんだ。高校三年生の女性だった。決して美人とはいえなかったが、器量がよく、教え方も上手でいつしか僕は恋に落ちていた」

「家庭教師の期間には限りがある。終わる前に彼女に気持ちを伝えようとした。しかし彼女がそれを察して言わせないよう避けられ続けた。僕も未熟だったんだ、それを察して止めればいいものを何度も避けられることが悔しくてね、とうとう僕は彼女を押し倒してしまった」

「彼女は何故か抵抗しない、無理やりキスをしてふと目が合う。その目には涙が溢れていたんだ。それを見たら何もできなくなってしまって。それからだ、気づいたら不能になっていた」

「僕には現在彼女がいる。彼女の事は大好きだ、もしかしたら彼女に触れることで治るかもしれない。しかし、彼女を傷つけることになるかもしれない・・・怖いんだ」


「そんな事があったんですか、心というのは複雑ですね・・・」

何とも複雑なことを聞いてしまった。


「それからすぐ家庭教師を辞めてしまった。僕は彼女の仕事まで奪ってしまったんだ。決して裕福とは言えない家庭であることも知っていながら、それなのに僕は・・・」

「好きな人を押し倒し、無理やり唇を奪い、しかも仕事まで奪い・・・俺はとんでもないことを」

杉浦は頭を抱えている。

「それから怖くて彼女の家の近くを避けるようになってしまってね、あれ以来どうしているのか・・・謝りたい気持ちと、仕事を奪ってしまった罪悪感と・・・」


「俺に任せてみませんか? ここまで聞いたんですから、何か力になれるかもしれません」

「そうだね・・・君なら不思議と信用できる気がする」

 俺は杉浦先輩から彼女の名前と住所を聞いた。明日にでも行ってみようと思う。



 翌日、学校帰り彼女の家の前に来てみた。ちなみに月音は自宅待機にさせてある。するとそれらしき女性が玄関から出てきた。

「じゃ帰るね、お母さん。また明日寄るから」

 彼女はそう言ってドアを閉める。背中には二~三歳くらいの赤子をおぶっている。俺は早速声を掛けてみた。

「あの~突然すみません」

「はい、なんでしょう?」

「あなたは素子もとこさんでいらっしゃいますか?」

「はい、そうですが・・・どちら様ですか?」

「俺は木谷って言います。杉浦隆志の友人です」

「っ! 隆志君の・・・」

「歩きながらでいいのでお話を聞いても宜しいでしょうか?」

「いいわ、隆志君のお友達なら歓迎よ」

「ありがとうございます」

そして、ゆっくりと素子さんの歩みに合わせて歩き出した。


「そっか・・・あれからもう三年くらい経つのね・・・あの時ね、私妊娠していたの、親にも内緒で」

「隆志君が私に思いを寄せていたのは知っていたわ、でもそれには答えられない。本当ならきちんと彼に話すべきだった。それなのに私は察してもらえるようにはぐらかしてしまったの、はっきり彼に言うのが嫌だったから・・・私もね、彼の気持ちがうれしくて・・・あは、こんな事いっちゃだめよね、すでに決めた人がいるのに」


「答えたくても答えられない、時が違えば選んでいたかもしれない。何となく俺にも分かる気がします」

 ああ、俺も15年前そうだった。そしていまでもそのままだ・・・。


「そう言ってもらえると救われるわ。隆志君は元気にしてるかしら?」

「はい、推理小説が好きで、よく本屋で会います。彼女もいるみたいです。ただ、あなたに対して罪悪感を抱いているようです」

「そっか、私もなかなか行く勇気がなくて」

彼女は何故か笑顔で答えている。

「隆志君に伝えてもらえるかな?」

「はい、喜んで」

ー「あの時の涙は、決して悲しい涙ではありません。あなたには大切な気持ちをいただきました。私は今とても幸せです。隆志君も彼女とお幸せに」ー

「そう伝えてくれるとうれしいわ」

「分かりました。必ず伝えます。彼もきっと笑顔になれるはずです」

「今日は突然すみませんでした。ありがとうございます」

 俺は深く頭をさげた。素子さんは屈託の無い笑顔で手を振ってくれている。きっと杉浦先輩も心が晴れるんじゃないか、そう思いながら帰路についた。


 後日、俺は本屋の前で杉浦先輩と会う。

「先輩、彼女と運よく会うことができました。そして伝言を預かりました」

 杉浦先輩は緊張とうれしさと半々のような表情をし、ツバを飲み込んでいる。無理も無い。

「素子さんは子供をおんぶしていました。二歳ちょっとくらいのお子さんです。そして素子さんからの伝言です」

ー「あの時の涙は、決して悲しい涙ではありません。あなたには大切な気持ちをいただきました。私は今とても幸せです。隆志君も彼女とお幸せに」ー

 それを聞いた杉浦先輩は感極まり両手で顔を覆ってしまう。その指の間から涙が零れ落ちている。

「先輩、彼女も揺れていた。後は先輩なら分かるはずです」

「ああ・・・ありがとう木谷君、君に話して間違いはなかった」

 彼女が流した涙はきっと、受け入れることができない悔しさや葛藤、そして、彼が今流している涙は彼女に対する感謝の涙。そう俺は考えていた。


「杏先輩の事、それとなくお願いしますね」

「ああ、もちろんだ。俺達の事で振り回してしまい本当に申し訳ない」

 少ない言葉から、彼は全てを察してくれる。さすが推理物が好きなだけある。皆がこうならどれだけ楽なことか。

 この問題は時間の経過が何とかしてくれるはずだ。俺は月音の顔を潰さすに済んだ事に胸をなでおろしていた。


 梨田杏の相談事は全て終わった。しかしこれをどう月音に伝えるべきか俺は悩んでいた。

「ねえハル、結局どうなったのか教えてよ、聞けなきゃ報告できないじゃない」

「ん~~かなり個人的な情報が入り組んでいてね、どう伝えたら良いものか」

「とりあえず、全ては解決に向かうと俺は思う。ただ・・・」

「ただ何よ」

「ん~とね、杉浦先輩はちょっとしたトラウマがあって、心の傷とでも言えばいいのか」

「でも、それが解決したから後は時間の問題なんだ」

「何か分かりにくい言い方ね」

「とにかく、杉浦先輩の気がかりが消え、あとは時間の経過で快方に向かうと思われます。気長に待ってあげてください。 と、伝えておけばいんじゃないかな? 彼も嫌いじゃないって言ってたし・・・」

「何が嫌いじゃないって?」

「あああ、なんでもない」

「そっ、分かった。そう伝えておくね、ありがとハル」

 そう言って月音はほっぺにチューをしてくれた。俺はあぐらのまま横にふにゃっと倒れる。

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