第41話 もうひとつの遺書

 加代は病院に運び込まれてから、2時間ほどで意識を取り戻しました。目が覚めたとき、傍には陽子がいました。

 加代が秀夫と久美子のことを陽子に訊ねると、二人は司法解剖のために、県内の大学病院にいると言いました。

 そして陽子は、警察が二人の死の原因を調べるために、1ヶ月前に東京で二人と接触を持った、加代から事情を聞きたいということで、意識が戻り、話ができるようであれば、捜査に協力してほしいと、病院の別室で、警察官が待機していると言いました。 

 加代は警察の事情聴取と聞いて、真っ先に思い浮かんだのは、嘘の証言をしなければならないのでは、ということでした。

 もしも、自分が東京に行った本当の理由を、偽り無く警察に話すとするならば、美智子のことを話さなければならなくなります。

 そうなった場合、事態はどういう風に流れ、推移していくのかを必死で考えましたが、問題があまりにも大きすぎて、自分ひとりの判断では乗り切れないと思い、警察に話す前に、目の前の陽子に話すことを考えました。

 加代は陽子に、何をどう話すかを必死で考えましたが、上手くまとめることができませんでした。もし、今の混乱した頭で陽子に話し、後で取り返しのつかない事態を招いてしまうのではないか、という不安を覚えた加代は、とにかく警察には余計なことは一切話さず、知らぬ存ぜぬで通すことに決めたあと、自分の気持ちが落ち着き、冷静さを取り戻してから、陽子に美智子のことを含めた、すべてを話すことに決めて、警察官を病室に呼びました。

 しかし、加代の心配は杞憂に終わりました。警察の事情聴取といっても、あくまで形式的なもので、秀夫と久美子が争った形跡も無く、何よりも現場に残されていた秀夫の遺書の内容から、久美子は心の病を苦にした計画的な自殺とみなし、遺体を発見した秀夫は、その死を目の当たりにして、衝動的に後追い自殺をしたとみなしておりましたので、加代が東京見物に行ったということを疑うどころか、自分が東京にいる間、確かに久美子は元気が無かった、という加代の証言だけで、警察は納得した様子でした。

 おそらく警察は、二人の死亡推定時刻が20時間以上も離れていることを不審に思っていたでしょうが、野間家が地元ではあらゆる方面に、隠然たる影響力を持つ実力者であるため、二人の死を深く追求することを控えたのだと思われます。

 警察が帰ったあと、陽子は別荘に残されていた秀夫の遺書の内容を、加代に話し始めました。

 陽子の話によると、現場に残されていた、家族に宛てた秀夫の遺書には、次のようなことが書かれておりました。

 久美子を心の病にして、死に至らしめたのは自分であり、自分はその責任を取って死にますと書いたあと、自分の財産の半分は久美子の両親に、そして残りの半分を、今まで散々迷惑をかけた加代に、退職金の前渡しとして渡してほしい、と書いていたそうです。

 秀夫が遺した遺産は、現金で2千万円と、現在の貨幣価値でも相当な金額でありましたが、当時の野間家はすでに、自分たちでもいくら資産があるのか分からない、というほど巨万の富を得ておりましたので、加代の長年に渡る野間家への功労と、何よりも秀夫の遺言に従い、彼の遺産を受け取ってほしいと、加代に話しました。

 しかし加代は、自分はそのようなお金を受け取るつもりは一切無いと言ったあと、今はそういう話をしている時ではなく、一刻も早く、秀夫と久美子のそばに付いていてやりたいと言いました。

 加代と陽子が病院から帰宅したとき、すでに司法解剖が終わり、野間家に戻ってきていた、秀夫と久美子の遺体と対面した加代は、いっそのこと、自分も二人の後を追い・・・ という気持ちが生まれました。

 二人の亡骸の傍で泣き疲れたあと、加代は喪服に着替えるために自室に戻りました。すると、部屋の中央の畳の上に、自分宛に届いた秀夫の遺書がありました。

 今朝、この遺書を読んだ時は、気が動転していて、最後まで読まずに部屋から飛び出したことを思い出しながら、加代は1枚の便箋を手に取り、何が書かれているのかを確かめるために、再び読み始めました。

 そこには、美智子に宛てた遺書と同じく、白鳥町の別荘で人生を終え、美智子との関係や、子供のことを内緒にして、自分の遺産を加代が受け取り、美智子に渡してほしい、といった内容のあとに、

 次のような文章で締めくくられておりました。


『美智子が無事に子供を出産して、この先に困ったことがあったら、加代を訪ねていくようにって言うてるから、あとのことは頼む。

 最後に加代、もしも美智子が子供を連れてきて、面倒をみてほしいって言うてきたら、その時は野間家の子供としてではなく、加代の実の子供として育ててほしい。加代が一生、野間家で人生を終える必要なんかないやろう? もう十分、がんばったやんか。

 加代は俺の子供の母親として、これからはまったく違う人生を送ってほしい。 今までありがとう。秀夫』


 遺書を最後まで読み終えたとき、加代の心の中で何かが消え去り、新たに何かが生まれました。

 何が消え、何が生まれたのかを、加代はうまく説明することはできませんが、とにかくこの遺書は、陽子や節子を含めて、誰にも見せないほうがいいのではないかと感じたのです。

 なぜ、見せないほうがいいのではと感じたのか、その訳を必死で考えましたが、今の加代には答えを出すことができませんでした。

 しかし、遺書を読んで、はっきりと感じたことがありました。

 それは、自分にはまだ、秀夫が遺した美智子のお腹の中の子供を、立派に育て上げなければならない使命が残っている、という強い思いでした。

 喪服に着替えた加代は、これから自分が執るべき行動を考えて整理したあと、真実を打ち明けるために、陽子の部屋に向かいました。

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