第39話 心中

 なぜ、このような事態になってしまったのか、当事者の二人が亡くなった今となっては、判明している事実を元に推測するしかありませんが、秀夫と久美子に何が起こり、どのような経緯で死に至ったのか・・・ 

 二人は24日の朝に、東京から白鳥町にいる久美子の両親の元に向かったはずなのですが・・・

 久美子の両親は、24日に二人が帰ってくる事はおろか、二人が破局したことすら知らなかったので、彼女は加代と話し合って決めた婚約解消の内容を、両親には事前に何も話していませんでした。

 そして、なぜか二人は親元へは向かわず、同じ白鳥町の、海が見える小高い丘の上にある野間家の別荘に行き、二人はそれぞれ違う方法で自殺しました。

 警察の現場検証と捜査の結果、二人はそれぞれ自らの意思で自殺したことが判明したのですが、二人の死亡推定時刻が20時間もの開きがあったことから、以下のような流れであったと推察されます。

 二人は親元へ向かう前に、野間家が所有する白鳥町の別荘で、最後の夜を過ごそうと思ったのか、現場に残されていた、秀夫がスーパーで購入した食品類は、その日の夜の分と、翌朝の分という品数であったので、おそらく秀夫が食材の買出しに出かけている間に、久美子は遺書を認め、目白の自宅近くの薬局で購入したと思われる睡眠薬(警察は後に、久美子が自ら薬局で睡眠薬を購入したことを確認)を200錠近く飲んで自殺し、スーパーで買い物をして戻ったとき、無惨に変わり果てた久美子を発見した秀夫は、久美子の遺体を布団に横たえ、彼女が認めた遺書を読んだあと、死に追いやった罪を償うために、自らも命を絶とうと決意したと思われます。

 しかし、秀夫はすぐに行動を起こさず、彼は自分の死後のことを冷静に考えて、現実的な問題の対処と処置を施すために、美智子と加代に宛てた遺書を認め、彼が書いた小説とともに、翌日の朝に郵便局に持ち込み、美智子と加代に速達で出したあと、今度は白鳥町の家族に宛てた遺書を現場に書き残し、自らのズボンのベルトを居間の梁に結び、首を吊って久美子の後追い自殺をしたと思われます。

 以上のような事象から勘案すると、久美子は衝動的な自殺ではなく、初めから死ぬつもりであったことが推察されますが、秀夫のズボンのポケットの中には、帰りの電車の切符が入っておりましたので、おそらく彼自身は、初めから死ぬつもりでは無かったかと思われます。

 後に行われた検死の結果、久美子はクリスマスイブの12月24日の夕方から夜の間に、大量の睡眠薬を服用したことによって中毒死し、そしてその翌日、奇しくも秀夫は、心酔していた三島由紀夫が自殺した、1970年11月25日から1ヶ月後の、12月25日のクリスマスの朝から昼の間に、首を吊って自殺しました。

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