第32話 終わりの始まり

 東京で新たな生活を始めた美智子は、しばらくは借りてきた猫のようにおとなしくしておりましたが、やはり17歳という年齢と持ち前の旺盛な好奇心から徐々に本領を発揮し始め、久美子に気を使いながらも、執筆以外に暇を持て余していた秀夫を引っ張りまわして、都内の観光名所などを巡りながら日々を過ごしていました。

 大都会は美智子の生まれ育った白鳥町と比べるまでも無く、彼女の好奇心を満たすばかりか、一日が24時間では足りないと思うほど、毎日が新たな発見と刺激に満ち溢れておりました。

 秀夫は久美子の心配をよそに、美智子にデパートで洋服を買い与えたり、レストランでテーブルマナーを教えたりしながら、実の妹のように可愛がりましたので、久美子にしてみれば、婚約者の秀夫を信じながらも、気が気でない毎日を送るようになりました。

 しかし、秀夫にしてみれば、実の妹に嫉妬するなど馬鹿げた話と思っておりましたし、何よりも美智子自身は秀夫のことを、何でも言うことを聞いてくれる大金庫のようにしか思っていなかったので、久美子が心配すればするほど、秀夫はその嫉妬心は自分に対する愛情の裏返しだと思っておりましたし、美智子はそんな不器用な考えしかできない姉を不憫に思いながらも、どこか小馬鹿にしておりました。なので、姉妹は事ある毎に対立し、時には激しく口論することもありました。

 そんな姉妹喧嘩を微笑ましく眺めながら、いつしか秀夫は、今書いている小説が完成すれば、次は美人姉妹をテーマに小説を書いてみようと思うようになりました。


 やがて土地勘を養い、久美子の嫉妬を怖れた美智子は、夜な夜な一人で新宿や六本木、渋谷などに出かけるようになり、そこで知り合った複数の男たちと遊びまわるようになったことで、彼女は人生で初めて屈辱を味わうことになりました。

 四国では通じた、その美しさに任せた神通力も、大都会の男たちにはまったく通じず、何度も危険な目に晒されては窮地を脱し、時には痛い目に遭うこともありましたが、その心は決して折れることも挫けることもなく、危険な遊びを繰り返しながらも、彼女は次第に標準語と、東京の流儀というものを身に付けていきました。

 しかし、そのような美智子の常識外れな夜遊びに久美子の堪忍袋の緒が切れてしまい、美智子を家から放り出さなければ、自らが出て行くと言い出しましたので、困った秀夫は美智子のために、中野にアパートを借りてやることになりました。

 そのようにして美智子は一人暮らしを始めたのですが、彼女は物心付いた頃から女友達とつるむことを嫌い、いつも一匹狼的な単独行動を好むことが仇となり、ある時に渋谷の女性グループとトラブルを起こしてしまい、男を使って先に手を出し、ケンカ相手の女性に重傷を負わせたということで、非があった美智子は女性グループに身柄をさらわれた挙句、多額の治療費を要求されました。

 自身で解決することができずに困り果てた美智子は、秀夫に助けを求めました。

 秀夫は美智子の将来を考慮して、警察に届けることはせずに、身柄と交換に当時としては大金の50万円を支払うことになったのですが、身柄を引き受けに行ったときに、彼は美智子の身を案じるあまりに、生まれて初めて大きな怒鳴り声を上げて、彼女を平手打ちで思いっきりひっぱたきしました。

 これまで美智子は、秀夫のことを異性として意識したことは一度も無かったのですが、彼から本気で叱られたことによって、彼女は自分自身に対する悔しさと恥ずかしさを感じながらも、いくら迷惑を掛けても暖かく迎え入れてくれる、彼の度量の大きさと愛情の深さを感じて、この時に初めて秀夫に恋心を抱きました。

 その後、いちど恋心に火がついてしまった美智子は、姉に対する背信と遠慮から、すぐに行動を起こすということは無かったのですが、秀夫に対する思いを我慢すればするほど、いつしかその思いは姉に対する狂おしいほどの嫉妬となりました。

 しかし、秀夫に大きな迷惑をかけた直後なので、しばらくは夜遊びも控えて大人しくじっと我慢しておりましたが・・・

 そんな美智子の気持ちをよそに、秀夫と久美子は予てから執筆していた小説を完成させ、出版社の新人賞の応募に投稿したあと、久美子は作品に対する手応えのようなものは感じておりませんでしたが、最後まで書き上げたことによる達成感に包まれ、婚約者の夢が叶うようにと、成功を心から祈っておりました。

 しかし、秀夫は久美子と違って、書き上げた作品に自信を持ちながらも、どこか釈然としない複雑な思いを感じておりました。

 その理由はやはり、出来上がった小説は久美子の援助の賜物であって、もしも一人で書いていたら、これほどの完成度の高い作品となっていただろうか?という思いから、まるで借りてきたふんどしで相撲をとってしまったような気がしてならず、はたして自分の実力はどれほどのものかと、疑問を抱いておりました。

 そうして秀夫は、久美子の有り余る文才に対する嫉妬からか、今度の作品は一人で書き上げると言い出し、書くべきテーマを構想通りに、対照的な性格の美人姉妹に翻弄される男の物語と決め、書斎を出入り禁止にして単独で執筆を開始しました。

 一方、美智子が悶々とした気持ちを抱えたまま2週間が経った時、とうとう秀夫への思いを抑えきれなくなった彼女は、秀夫に対して驚くべき行動に出ました。

 彼女の思考回路は短絡で過激なだけに、秀夫に対して姉との婚約を解消して、自分と結婚してほしいとストレートに迫りましたが、秀夫にしてみれば寝耳に水のような話で、奇しくも自分が書き始めた小説の内容と、実際の生活が同じような様相を呈してきたことに驚きながらも、告白された当初は美智子の話を真に受けずに聞き流し、自分が愛しているのは久美子であり、あくまでも美智子は愛する女性の妹としてしか見ることができないといって、まったく相手にしませんでした。

 美智子にしてみれば、自分から告白したことも初めてでしたが、いくら姉の婚約者とはいえ、秀夫は初めて自分になびかない男ということで、彼女の自尊心は傷つき、思い悩みましたが、その後も美智子は手を変え品を変えながら、何とか秀夫の気を引こうと必死に努力しました。

 そのうちに秀夫は、どうやら美智子は本気で自分のことを好きなのかもしれないと思い始めたとき、事態は思いがけない意外な方向に向かって動き始めました。

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