第30話 出会い

 秀夫が入学して1週間が経ったとき、大学の同じ文学部の教室で、ある女性と運命的な出会いを果たしました。

 その女性は、秀夫の同級生の白鳥久美子しらとりくみこという娘で、偶然にも久美子は秀夫と同じ白鳥町出身で、二人は11年ぶりに再会したのですが、実際のところ相手を憶えていたのは秀夫だけで、久美子は秀夫から声をかけられたとき、彼のことをまったく憶えておりませんでした。秀夫は小学1年の途中まで過ごした、白鳥町時代の記憶をほとんど失くしておりましたが、久美子の苗字が町名と同じであったことと、何よりも彼女が幼い頃から大変美しかったので、彼は久美子のことをはっきりと憶えていたのです。

 読み方こそシロトリとシラトリの違いはあれ、久美子の苗字が町名と同じ白鳥となった経緯は、この地に古くから日本武尊を祀った白鳥神社があり、久美子の祖先が長年に渡って白鳥神社に仕えていたことから、白鳥という苗字を神官から授かったという由縁でありました。

 その後、秀夫は美しく成長した久美子に一目惚れし、積極的にアプローチを開始しました。

 秀夫は身長175センチと、当時としては高いほうでスタイルも良かったのですが、顔のほうは特別に男前という訳ではなく、端正な面立ちをしておりましたが、どちらかと言えば平凡な感じの青年でありました。しかし、久美子は秀夫に対して、今まで自分が接してきた地元の青年たちには無い、生まれ育ちの良さや、大阪で育まれた関西弁の、洗練された会話術と雰囲気に興味を抱き、二人はデートを重ねていきました。

 やがて久美子は、秀夫の持って生まれた毛並みの良さや、がさつさのない気配りと優しさ、そして何よりも読書という共通の趣味と、久美子が絵本作家を目指しているという、共通の将来の夢も手伝って、ほどなく二人は恋人同士となりました。

 しかし、二人のキャンパスライフは順風満帆とは行かず、やはり時代の大きな波に飲まれるようにして、秀夫と久美子は学生運動に巻き込まれていきました。

 政治理念や思想信条などにまったく興味がなかった秀夫と久美子にとって、学生運動とは厄介以外の何者でもなく、その活動が過激さを増すにつれて、大学が閉鎖と再開を繰り返す日々が続きました。

 やがて二人は大学と学生運動家たちに嫌気が差し、身の危険を感じたこともあって、二人は無期限の休学届けを大学に提出したあと、互いに借りていたアパートを引き払い、どうしても書斎がほしかった秀夫は、財力に物を言わせて、目白に一軒家を借りて一室を書斎とし、そこで二人の同棲生活が始まりました。


 久美子は幼い頃から絵本や童話が大好きで、アンデルセンやグリム童話、日本の昔話などを片っ端から読み漁る、とても本好きな少女でした。そして彼女は中学の頃から小説を読み始め、秀夫と違って日本の作家以外にも海外の有名な小説も好んで読んでおり、その数は優に300作を超え、中でも彼女のお気に入りの作家は、日本では川端康成と芥川龍之介、海外では『カラマーゾフの兄弟』を書いたロシアのドストエフスキー、『ジキル博士とハイド氏』を書いたイギリスのスティーヴンソンなどでした。

 秀夫は久美子から、国やジャンルを超えたそれらの名作のストーリーや感想などを聞くうちに、まるで自分が読んだかのような錯覚に陥るほど、彼女は小説という長い話を短くまとめて、説明することにも長けておりましたし、久美子は日本のことはもちろん、世界各国の国柄や人柄、風土や風習など、本から得た知識が豊富で多岐に渡り、特に日本の近世や中世ヨーロッパの歴史や文化に造詣が深く、とても19歳の若い娘とは思えないほど物知りでありました。


 二人の東京での生活が落ち着き始めた頃、相変わらず大学が再開と閉鎖を繰り返して先行きが不透明であったので、二人はその間に独学で小説を書き始めようと思い、書くべきテーマを久美子と相談した結果、秀夫の乳母であり、母や姉以上の存在である石本加代の半生を書くことにしました。

 戦後の混乱期を逞しく生き抜いた女性の物語を、まず秀夫が粗筋を書き上げ、後から久美子が参加して手直しするという手法で執筆を開始しました。

 二人で書き始めて間も無く、秀夫は久美子の中に非凡ならぬ文才が秘められていることに気付きました。

 久美子の豊富な知識から導き出されるアドバイスは的確で、文章の構成能力やストーリー展開、心理描写などが巧みできめ細かく、そこに秀夫のユーモアのセンスが加味されたことによって、小説は初めて書いた素人とは思えないほどのレベルで進んでいきました。

 秀夫にとって久美子との執筆は、彼の創作意欲や表現意欲を大いに満足させ、いつしか彼は久美子さえ傍にいてくれれば、自分は大学へなど行かなくても、作家として充分に成功できるのではないか、とさえ思うようになりました。

 そうしたこともあって秀夫は、久美子を人生のパートナーと決め、彼女に正式にプロポーズをして了解を得たあと、二人は互いの両親に結婚の許しを得るために白鳥町へ向かいました。

 いきなりの結婚宣言を聞いた両親たちは驚き、戸惑いはしましたが、特に反対する理由も無かったので、二人が大学を卒業するまで入籍をせず、子供も作らないというのであれば、正式に婚約者として認めるという条件を出し、もちろん二人は了承しました。

 しかし、かけがえの無い存在である久美子を得た秀夫が、自分の人生が何もかも順調に進み、後は作家となる夢を叶えるだけだと思った矢先、一人の女性の出現によって、二人の幸せな日々は予想もしない展開へと向かうことになりました。

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