第21話 調査報告書

 神から与えられた能力だとは思いませんが、人間というのは長い進化の過程で、他の動物には見られない、『泣く』という特別な行為を手に入れた動物なので、泣きたい時に泣きたいだけ泣く、ということが、心理的にも生理的にもプラスに作用するという事を、瑞歩が身を以って示してくれました。

 瑞歩は大泣きした翌日から、精神的に成長したというべきか、とてもリラックスした状態が続いていて、それが何気ない仕草や態度にも表れて、ネックとなっていた言葉遣いもすこし改善されてきたのではないかと感じましたので、おそらく彼女は成熟した女性へと移り行く、過渡期を迎えたのかもしれません。

 瑞歩は大学が夏休みに入った翌日に、今週末から女友達と一緒に、北海道へ1泊2日のグルメ旅行に出かけると突然言いだしまして、旅行前日の本日、朝から旅の準備におおわらわにしておりましたが、夕方になってようやく準備を終えて、リビングのソファーに座ってテレビを見ていた私の隣にやって来ました。

「涼介、ほんまに明日から留守にするけど大丈夫?」

「朝から何回、おんなじこと訊くねん! もう5回目やぞ!」と、私が反抗的な口答えをした場合、以前ですと、

『朝から何回、おんなじこと訊こうが、私が質問するたんびに答えたらいいねん! だから、大丈夫なん? どうなん? どっち?!』という感じだったのですが、今回は、

「えっ? もう5回も訊いてる? それで、ほんまに大丈夫なん?」

 というように、まるで涙と一緒に毒気と勝気を流し出してしまったようでありました。

「ほんまに大丈夫やから、ゆっくり旅行に行っておいで」と言いつつ、私は明日の夜、鬼のいぬ間に命の洗濯ということで、神戸の三宮のキャバクラへ、3ヶ月ぶりに出かけることになっておりますので、頭の中が馴染みのキャバ嬢でいっぱいでありました。

「そう、じゃあ行ってくるけど・・・ 今日は買い物行ってないし、冷蔵庫も空っぽやから、今から晩御飯食べに行こう」ということで、私たちは有馬温泉駅の裏手にある居酒屋まで歩いていき、座敷の席に通されまして、二人ともビールを注文して、私が品書きを見ながら、まずは刺身から注文しようと思ったとき、

「涼介、お酒飲む前に、見てもらいたいのがあるねん」と言って、瑞歩はバッグから折りたたまれた白い紙を取り出し、「これ、昨日届いた探偵からの調査報告書」と言いました。

「調査報告書?」と言いながら受け取ると、

「そう。料理は私が適当に頼んでおくから、涼介は先に全部読んで、それから意見を聞かせて」と瑞歩が言いましたので、小さく頷いて中身を読み始めました。 

 探偵からの調査報告書は、A4サイズの用紙2枚にまとめられていて、1枚目を読み終えたのですが、1枚目にはアキちゃんの追跡調査と、瑞歩の母親の実態解明と、愛子の追跡調査の経過報告が記載されておりました。しかし、どの調査も特に新しい情報などもなく、引き続き鋭意調査を行います、という報告であったのですが、2枚目の報告書を読み始めてすぐに、

「!!!」

 とても驚いてしまい、すべて読み終わったあとに、2枚目だけをもう一度初めから読み返しました。

 2枚目の報告書に書かれていたことを簡単に説明しますと、私がアキちゃんと愛子から亡くなったと聞かされていた、二人の育ての親である女性が今も健在で、今回のアキちゃんの失踪に深くかかわっている可能性が高い、という内容でした。

 詳しくは、調査員は瑞歩から、アキちゃんと愛子の育ての親は亡くなったと聞いていたのですが、調査が進むに連れて、その女性は存命していることが判明いたしました、という前置きのあと、二人の育ての親の苗字は福山ではなく、その女性の名前は石本加代いしもとかよということが判明しましたとなっておりました。

 そして、あくまで石本加代は調査の対象外人物であるため、詳しく調査を行っていないので断定はできませんが、アキちゃんが失踪した時期を同じくして、石本加代も一人暮らしをしていた島根県の浜田市から姿を消して、現在も行方不明となっており、二人の失踪が何らかの形で関連している可能性が非常に高いと思われるので、今後は石本加代を、調査の対象人物に付加されますか?という内容でありました。

「・・・・」

 報告書を読み終えたとき、いつの間にか目の前にビールといくつかの料理が並んでおりました。

 私は頭の中が、『でも?』と『なんで?』という言葉に占領されていて、非常に混乱しておりましたので、瑞歩と話をする前に、まずは気持ちを落ち着かせようと二人でグラスを合わせて乾杯したあと、瑞歩に何から話そうかと考えました。

 しかし、なぜ苗字が福山ではなく石本なのか?という事と、なぜ石本加代は生きているのか?という事実を冷静に考えると、まったく逆の、『なぜアキちゃんと愛子の苗字は石本ではなく、福山なのか?』と、『なぜ石本加代は死んだことになっていたのか?』という疑問にたどり着きますので、実際に調査を行った探偵に、直接訊ねてみないことには詳しい状況が分かりませんが、もしかするとアキちゃんと愛子は、育ての親は亡くなったと、私に嘘をついていたのかもしれないと思った瞬間、

「!!!」

 私はアキちゃんと愛子の二人に騙され続け、裏切られたのではないかと思いましたので、

「瑞歩、この探偵社の人と、今から電話で話できるか?」と訊ねると、瑞歩はとても悲しそうな顔をして、

「探偵は24時間、いつでも連絡できるようになってるけど、もしかしたら探偵に電話して、石本加代は本当に生きてるんですか?って、確認するつもりやろう?」と言いました。

「うん・・・ そうやなぁ・・・ 俺は確認するなぁ」

「それはもう、私が昨日の夜に、実際に調査した探偵に電話で直接確認したよ・・・

 探偵の話やと、石本加代は別に隠れて生活してたわけじゃないし、何よりもパパは定期的に島根に行って、石本加代と会ってたみたいやから、なんで死んでることになってたんですか?って、逆に探偵から質問されてしまって・・・ 

 私は涼介から、育ての親はパパと愛子叔母さんが高校生のときに亡くなったって聞いてたから、なんで?って思って・・・・

 だから私、昨日と今日でずっと考えて、悩んでてんやんか・・・ もし、この報告書を涼介が見て、私と同じように探偵に確認したら、涼介はパパと愛子叔母さんに騙されてたというか・・・ 嘘をつかれてたってことが分かってしまうから、ほんまは涼介に黙っとこうと思ったけど・・・ 

 でも・・・やっぱり私、パパたちがなにをしてるのか分からんし、なんでみんな、涼介と私に嘘をつくんやろうと思ったら、急に怖くなって・・・ 涼介に黙ったまんまなんかできんくて・・・」

「・・・・・」

 私は瑞歩に、何と言えばいいのか何も思いつかなかったので黙っていると、瑞歩はとても不安そうな表情で私を見つめながら、

「涼介・・・ 顔色悪いけど、大丈夫?」と訊ねてきましたが、私は瑞歩の問いには答えず、

「瑞歩、もう探偵を使って調査するのは止めよう」と言いました。

「えっ?・・・ 急に、なんで?」

「あのな、もしかしたら今回のアキちゃんの失踪は、俺らが思ってるよりも、もっと複雑で深刻な気がするし、何よりもめちゃくちゃ嫌な感じがして気持ち悪いし、本音を言うたら、俺も怖い・・・」

「・・・・・」

 瑞歩はしばらく間を置いたあと、

「やっぱり、涼介も怖いと思う?」と言いました。

「思うなぁ・・・ なんか俺は、アキちゃんと愛子に騙され続けて裏切られたと思うし、蓋を開けてみたら、とんでもないのが出てきそうな気がして、これ以上は首を突っ込まんほうがいいと思うし、何よりも俺と瑞歩の手に負えるような気が、まったくせぇへん」

「・・・・・」

 瑞歩はまた、しばらく黙り込みました。私は瑞歩が何も言う意思がないことを確認して、

「俺らはこの時点で、もう一切関わりあわんとこう。分かったか?」と言いました。

「・・・・・・」

 瑞歩は無言で小さく頷いたように見えましたので、私はそれ以上、彼女の意思を確認しませんでした。

 その後、私は瑞歩と何を話したのか憶えておらず、自分が居酒屋で何を食べたのかも憶えておらず、気が付いたときには、エアコンで冷蔵庫のように冷えた寝室に戻っておりました。

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