第13話 捨て子の捨て子

 夕方に瑞歩が訪ねてくるまで、差し当たって何もすることがありませんので、リビングでテレビでも見ようかと思ったときでした。

「!・・・」

 私は自分が、作家ではないか?ということを思い出しましたので、瑞歩が到着するまでの間、小説の構想を練ることにして、職場である書斎に行って立派な机に就きました。

「・・・・・」

 ところが、いくら作家を目指す覚悟を決めたからといっても、書くべきことがセットで付いてくるというわけではありませんので、椅子に座ったまま身動きできずにフリーズしてしまいました・・・

 改めて机上の万年筆と原稿用紙を眺めていると、まさに自分が、『ここはどこ? 私は誰?』状態であることを認識し、このままではまずいということで、『ここは書斎で、あなたは作家ですよ!』と、必死に思い込もうとしましたが、「・・・」やっぱり上手く行きませんでした・・・ 

 少し迷いましたが、とりあえず目の前の現実と職場を放棄して、明日から本格的な執筆活動に入ることに決めて、原稿用紙と万年筆を机の引き出しに仕舞った時、いきなり書斎のドアが開き、

「あっ、おった!」と、ピンクの花柄の白いワンピース姿の瑞歩がとつぜん現れました。

「おはよう!」と、元気な挨拶と共に、瑞歩は書斎の中にズカズカと入ってきて、私のすぐそばで立ち止まり、

「挨拶は?」と言いましたので、私は慌てて、

「おはよう」と返すと、瑞歩は目を大きく見開いて驚いたといった表情を作り、

「びっくりした?」と訊ねてきましたので、私は素直に、

「びっくりした」と言いました。

 それにしても昨日といい、今日といい、なぜ瑞歩は勝手に上がりこんで来られるのでしょう?

「瑞歩ちゃん、この別荘の鍵を持ってるの?」と訊ねますと、瑞歩は不法侵入を悪びれた色もなく、

「持ってないけど、鍵掛かってなかったもん」と言いました。

 確かに引っ越してきたばかりなので、どのドアにも施錠することをうっかり忘れていたのですが、せめてインターフォンを鳴らすのが常識ではないかと思いました。しかし、元々ここは野間会長の別荘なので、彼女は自分の別荘だという感覚でいるのか、それとも瑞歩が社会通念上の一般常識から少しずれているということなのか、どちらにしても今現在は、私が正式な手続きを経て、この別荘の管理人となっておりますので、少し注意しようかと思ったとき、

「のどかわいた!」と瑞歩が言いましたので、私は注意する所か、

「そう、ほんだら冷蔵庫に色々あるから、キッチンに行こうか?」

 と、思わず傅かってしまいました。

「うん、行く!」と言って、瑞歩はリビングに向かって歩き出しましたので、私も続いて歩きながら、

「瑞歩ちゃん、夕方に来るって言ってなかった?」と訊ねると、

「ほんまは夕方に来るつもりやったけど、早く用事が終わったし、早くお話しがしたかったから、ダッシュで来てん!」と言いました。

 瑞歩はリビングに入ってすぐに、

「私が飲みもの持って来るから、椅子に座ってて」と言って、そのままキッチンに向かい、冷蔵庫の扉を開けて、しばらく中を見ていましたが、

「涼介叔父さん、ビール飲んでいい?」と訊ねてきました。

 私は冗談だと思い、テーブルの椅子に座りながら、

「うん、いいよ」と返事をしたのですが、瑞歩は両手に缶ビールを持って私の向かいの椅子に座り、一本を私の目の前に置いた後、

「いただきます!」と言って、本当に缶を開けて一口飲みました。

「!・・・・」

(朝からマ~ジっすか!)と少し驚きましたが、とりあえず年齢を確かめようと、

「瑞歩ちゃん、いま何歳?」と訊ねると、

「・・・」

 瑞歩は少し間を置いて、

「来年、二十歳」と言いました。

(ということは、19歳か)

 私は善良な市民として、未成年者の飲酒を警察に通報すべきかと少し迷いましたが、(まぁ、1歳足らずやからいいか)と思い、二日酔いでありましたので迎え酒ということで、目の前の缶ビールを朝っぱらから一緒に飲むことにして、缶のふたを開けました。

 すると瑞歩は、

「カンパ~イ!」と言って、私の缶ビールに自分の缶ビールを軽くぶつけたあと、私から視線を逸らさずに、まっすぐ見つめたまま、缶ビールを口に運んで二口目を飲み込んだあと、

「うまっ!」と、とても無邪気な笑顔で言いました。

「!」

 瑞歩の表情と所作があまりにも可愛らしかったので、年甲斐もなくドキッとしてしまい、思わず照れを隠すためにビールを飲みました。すると瑞歩は、しばらく無言で私の顔を見つめた後、まるで私の心の内を見透かしたかのように、

「涼介叔父さん、もう顔が赤いけど、もしかしてお酒弱いの?」と訊ねてきましたので、私は少しだけうろたえてしまいましたが、

「ううん、そんなに弱くないけど、昨日の晩、飲みすぎてちょっと二日酔いやねん・・・」と取り繕ったあと、話題を変えるために、「じゃあ、そろそろ話を始めようか」と言いました。

「うん、いいよ!」と笑顔で答えたあと、瑞歩は少し真顔になり、「じゃあ、私から先に質問してもいい?」と言いましたので、私は無言で頷きました。

「それで、先に言っておくけど、私はハッセから色々と聞き出してきたから、もしも今からする質問に、涼介叔父さんがハッセと違うことを話したら、二人のうちのどっちかが嘘をついてるってことになるから、正直に答えてな!」と、瑞歩は真剣な表情で言いましたので、(なかなか手強そうやな)と思った次の瞬間でした。

「!!!」

 もしかすると瑞歩は、私がスカトロやSMといった変態作家かもしれないという、本人さえも身に覚えの無い秘事を長谷川から聞いてしまったのではないかと、一気に血の気が引きました。もしも、そのようなことを尋問されたときは、知らぬ存ぜぬで、最後まで白を切り通そうと覚悟を決めて、

「うん、分かった。正直に答えるよ・・・」と、恐る恐る嘘の宣誓をしました。

 そんな不安で、今にも張り裂けそうな私の小さな胸の内を知ってか知らずか、瑞歩は軽く深呼吸をしたあと、

「じゃあ、まず初めに、私のパパは今どこにおるん?」と、質問を開始しました。

 どう答えようかと迷いましたが、他に言いようが無かったので、

「知らん」と簡潔に答えると、瑞歩は少し眉間にしわを寄せて、

「じゃあ、涼介叔父さんは、私がパパのことを最近まで知らんかったみたいに、パパも私の存在を知らんかったと思う?」と言いましたので、あくまで想像の域を脱しないと思いながら、

「たぶん、知らんかったと思う」と答えました。

「じゃあ、ハッセが私に言ったことやねんけど、パパは半年前に、バァバから呼び出されるまで、おそらくバァバのことも知らんかったと思うって言うてたけど、それについてはどう思う?」

 私は今までの流れを振り返り、

「多分、アキちゃんは野間会長のことも知らんかったと思う」と言いました。

「ということは、パパはママが私を産んだことも知らんかったし、ママの母親がバァバってことも知らんかったっていうことやんなぁ?・・・」

 私は少し考えたあと、

「そういうことになるなぁ」と言いました。

「じゃあ、パパがなんにも知らんかったということは、涼介叔父さんも当然、なんにも知らないっていうことやろう?」

「うん、そうやな・・・ 俺は昨日まで瑞歩ちゃんの存在も知らんかったし、野間会長が女性やってことも知らんかった」

「じゃあ涼介叔父さんは、なんで事情がなんにも分かれへんのに、ここの管理人を引き受けたん?」

「・・・・」

 口で説明するよりも、瑞歩にアキちゃんから送られてきた手紙を見せたほうが早いと思いましたので、

「俺はアキちゃんから手紙が届いて、その手紙にここの管理人になってくれって書いてたから引き受けてんけど、今その手紙を持ってくるからちょっと待ってて」と言ったあと、寝室に行ってサイドテーブルの引き出しの中に置いていた手紙を持って戻り、瑞歩に手紙を渡しました。

 瑞歩は無言で手紙を読みながら、たまに首を傾げたり、頷いたり、ビールを飲んだりして、手紙を最後まで読み終えたあと、

「この手紙の内容やったら、パパは涼介叔父さんを、只単にここの管理人にするっていうだけで、私と涼介叔父さんを会わせようという気が無かったっていうことやし、もしも私が探偵を雇ってなかったら、涼介叔父さんは私のことを知るはずが無いから、こうして私らが会うことがなかったってことやんなぁ?」と言いました。

 私は瑞歩が言った言葉を、頭の中でもう一度繰り返したあと、

「そうやなぁ・・・ もしも俺と瑞歩ちゃんを会わせるつもりやったら、アキちゃんは手紙にそう書くはずやし、探偵を雇ってなかったら、こうして会うこともなかったと思う」と言いました。

 瑞歩はビールを一口飲んだあと、何かを迷っているといった不安げな表情で、

「じゃあ、話は変わるけど、パパから私のママに関する話を、どんな些細なことでも聞いたことがない?」と言いました。

 私はアキちゃんとの長い付き合いを振り返り、

「一回も聞いたことがないなぁ・・・」と言いました。

「パパとママがどこで知り合ったとか、どういう経緯で別れたのかって、まったく聞いたことがないの?」

「?・・・・」

 なぜ瑞歩は、そんな質問をするのか意味が分からなかったので、「そんなことは俺に訊ねんでも、自分で直接、お母さんに訊ねたらいいんとちゃうん?」と言いました。

 すると瑞歩は、しばらく間を置いたあと、

「私もママに訊くことができたら、自分で訊いてるけど・・・」と言って言葉を濁しました。

 ということは、もしかすると瑞歩は、母親と親子喧嘩でもしているのでしょうか?

「瑞歩ちゃんは今、お母さんと話ができひんような状況なん?」

「ううん、違う・・・ 話ができひん状況じゃなくて・・・ 私はいままで、ママと1回も会ったことがないねん・・・」

「!・・・」

 私は非常に驚きながら、

「えっ!・・・ それって、どういうこと?」と訊ねると、瑞歩は一瞬だけ私と目を合わせたあと、とても言い辛そうな困った表情で、ゆっくりと話し始めました。

「私がバァバから聞いてるのは、私のママはバァバが猛反対した男性と結婚して、私が生まれてからすぐに離婚したらしいねんけど、それが原因でママとバァバが大喧嘩して、結果的にバァバとママは親子の縁を切って、ママは私をバァバに預けて、どこに行ったのか分かれへんようになってん・・・ だから私は、ママの顔も見たことがないし、名前も知らんねん・・・」

「えっ!・・・ お母さんの顔と名前も知らんの?」

「うん・・・ 今まで何回もバァバに訊いてきたけど、けっきょく教えてくれんかった・・・」

 ということは、生前の野間会長と瑞歩の母親の間には、よほどの確執があったのだろうと思いました。

 それにしても今の話で気になるのは、アキちゃんが結婚していたということです。私は過去に何度か、アキちゃんに結婚しないのか?と訊ねたことがあるのですが、彼はその度に、

「死ぬまでに1回くらいはしようと思うけど、俺が結婚に向いてると思うか?」といった感じで、結婚に対してとても否定的な考えを示しておりましたし、何よりもアキちゃんは私と違って、どのような状況下であっても、決して嘘をつきませんので、野間会長は瑞歩に、嘘をついていたのではないでしょうか・・・

「あのなぁ、バァバは今まで一回も結婚したことが無いし、探偵がバァバと私の戸籍を調べても、ママの存在がどこにも載ってなくて・・・・ 探偵曰くは、いくらバァバとママが親子の縁を切ったとしても、戸籍上にママのことが何にも載ってないっていうことはおかしいって言われたし、私とバァバは特別養子縁組っていうことになってて、私は戸籍の上では、バァバの長女っていうことになってんねんけど、それってどう思う?」

「?・・・・」

 私は頭が混乱して、瑞歩が何を言っているのか上手く理解することができなかったので、とりあえず今の話で一番印象に残っている、

「その、特別養子縁組ってなに?」と訊ねました。

 すると瑞歩は、特別養子縁組とは、家庭裁判所の審判を経て、特別な事情が認められれば、戸籍上に養子ではなく、長男や長女と表記することができる、比較的に新しい制度であると説明したあと、

「私は自分がバァバの長女になってることは知ってたし、バァバの遺産相続のことで、ほかの身内と色々と揉め事があって、その身内たちが私とバァバのDNA鑑定を求めてきたから検査してもらって、その時に間違いなく私とバァバは血が繋がってるっていうことが証明されてんねんけど・・・ それにしても、なんでバァバは私を長女にしたんか分からんし、なによりも私のママっていったい誰なんやろうって疑問が残るし・・・」

「・・・・」

 なんと言えばいいのか分からなかったので、黙っていると、

「ハッセは、パパがバァバの病院に何回も来てたのは、おそらくママの居場所をバァバから聞き出そうとしてたからやって言うねんけど、それについてはどう思う?」と訊ねてきました。

 私はしばらく考えたあと、(多分・・・そうかもしれんなぁ)と思いましたが、迂闊に返事をしないほうがいいだろうと思い、

「そうやなぁ・・・」と言ったあと、肯定も否定もしませんでした。

 すると瑞歩は、私から何の答えも得ることができないと思ったのか、少し残念そうな表情を浮かべ、

「バァバが亡くなる3日前やねんけど・・・ パパは会いたくなかった私と病院で会ってしまったから、それっきり行方を晦ましてしまってん・・・・」と言いました。

 瑞歩が言った、(会いたくなかった私って、どういうこと?)と思いながら、

「ということは、アキちゃんは瑞歩ちゃんと病院で会って、そのあとで行方不明になったってことなん?」と訊ねました。

「うん、多分そうやと思う」

「でも、なんで瑞歩ちゃんは、アキちゃんが自分と会いたくなかったって、そう思うの?」

「だって、パパは半年前からバァバと会ってたのに、私のことを無視し続けてたから、私と会いたくないんやと思って・・・」

(言われてみたら、確かにその通りかも?)と思いましたが・・・

 やはりアキちゃんの性格から考えると、瑞歩と会いたくなかったのではなく、裏に余程の事情があったのだろうと思い、

「アキちゃんと会った時のことを、詳しく話してくれる?」と言いました。

 瑞歩はしばらく間を置いた後、

「うん、じゃあ初めから話すけど」と言って、ことの経緯を話し始めました。

「私がパパと初めて会ったのは、今からちょうど3ヶ月くらい前に、バァバの入院先の病院に行った時やってん。でも、その時は会ったというよりも、たまたま見かけたと言ったほうが適切なんやけど・・・ その日はもともと学校やったから、お見舞いに行く予定は無かってんけど、私が車の免許を取ったから、学校をサボって彼氏とドライブに行こうってなって、一緒にバァバの病院までドライブに行ってん。今までは、私が見舞いに行く時は、いっつもハッセに連れて行ってもらってたから、初めて何の連絡も入れんと、抜き打ちみたいな形で病院に行ってんけど・・・

 それで、車を駐車場に停めようとしたときに、彼氏が『あの人、瑞歩のお兄さん?』って言うたから、彼氏が指差した方を見たら、背の高い男の人がハッセとお話してて、それからその男の人が車に乗り込んでんけど、私は一目で、その男の人がパパって分かってん・・・そしたら、パパが車を走らせたから、私は慌てて後を追っかけてんけど、結局見失ってしまって・・・  

 それで彼氏が、急に追いかけたりして、どうしたん?って訊ねてきたから、もしかしたら私のパパかもしれないって、事情を説明してんな。それで、その時の私は、バァバの方がパパを呼び出したことを知らんかったから、パパとママが何らかの事情でバァバがもう長くないことを知って、それでパパが見舞いに来たんやと思うって彼氏に言ったあとに、いままでバァバから聞いてきたことを彼氏に全部お話ししてん・・・ 

 そしたら彼氏がすごく興味持っちゃって、そういう事情やったら、こっちが下手に動いたら、パパとママに会えなくなる可能性が高いから、俺に全部任せとけって言うて、二人で色んなことを想定して、打ち合わせをしてから病室に向かってん・・・

 それで、病院の中に入った時に、たまたま私が知ってる看護士さんがおって、その時に私がパッとひらめいて、私のパパがお見舞いに来ましたか?って、かまをかけて訊ねてんな。そしたらその看護士さんは、いっつもお見舞いに来てるのは、私のパパじゃなくて、お兄さんやと思ってたって言ったあとに、さきほど帰られましたよって言うたから、これは間違いなくパパやって核心を持ってん。

 それで、二人で病室に行って、バァバもハッセもすごく驚いてたけど、私はハッセに、誰かお見舞いに来た?って訊ねてんな。そんだらハッセは、誰もお見舞いに来ていませんよって言うたから、私はハッセが嘘をついてることが分かって、その場で二人を問い詰めようとしたけど、彼氏に無理やり病室から連れ出されて・・・

 私は彼氏にどうしたらいい?って訊いたら、俺が真相を全部暴いてやるって言い出して、契約してる探偵がいて、何でも調査できるからって、その探偵を紹介してくれてん」と言ったところで、私は瑞歩の彼氏が何者なのかが気になり、

「ちょっと待って」と言って、話を中断させて、「あのさぁ、さっきから話聞いてたら、瑞歩ちゃんの彼氏って、真相を暴くとか、探偵と契約してるとか言うてるけど、いったい何者なん?」と訊ねると、

「ただの金持ちのアホボンやから、気にせんとって!」と言って、瑞歩は続きを話し始めました。

「それで次の日から、探偵が調査を開始してんけど、パパはバァバが入院した直後から、2日に一回のペースでお見舞いに来てることが分かって、私は学校をサボって朝から病院に行って、何回も陰からパパを見てたんやけど、どうしても声を掛けることができんくて・・・・ それから1ヶ月が経って、バァバの容態が急変して、もう2、3日って先生に言われて・・・

 私はバァバが亡くなったら、パパにもママにも会えなくなると思ったから、彼氏に連絡してん。そしたら彼氏が、パパに話しかけるのを手伝ってあげるっていうことになって、一緒に病院でパパを待ち伏せして、それでその時にパパと初めてお話ししてんけど・・・ 

 私は彼氏と一緒に、パパは何で私のことを無視するの?とか、何でママはバァバに会いに来ないの?とか、色々話しかけてんけど、パパは私が何を言っても、ずっと黙ったまんまで・・・」と言った後、瑞歩は急に黙り込んでしまいましたので、私はどうしたのだろうと思っていると、彼女はビールの酔いなのか、少し頬を赤くして、「そしたらパパは、いきなり私のことを抱きしめて、今は何も話すことができんから、もう少し時間が欲しいって言って、私がびっくりしてる間に、どっかに行ってしまって、それっきり行方不明になってしまってん・・・」と言いました。

 私は少し驚きながら、

「アキちゃんに、いきなり抱きしめられたん?」と訊ねると、瑞歩は小さく頷きました。

 おそらく瑞歩は、ビールの酔いではなく、抱きしめられたときのことを思い出しての照れで、顔を赤らめたのかもしれません。

(アキちゃんらしいなぁ)と思いましたが、話の腰を折ってはいけないので、何も言わずに話しの続きを聞くことにしました。 

「それから私は、ハッセを問い詰めたけど、ハッセは私のパパって知らなかったって、嘘ばっかりつくし・・・ バァバにも訊ねたけど、その時はほとんど意識がなくて、何も聞けずにバァバは亡くなってしまってん」と言ったあと、瑞歩は残りのビールを全て一気に飲み干し、椅子から立ち上がって冷蔵庫に行き、自ら新しいビールを持って再び椅子に座るなり、またもビールを一口飲みました。

(飲むペースが速いな)と思いましたが、注意をせずに、

「それからどうしたん?」と訊ねました。

「それで、探偵が愛子叔母さんと涼介叔父さんの存在を知って、所在が分かってる涼介叔父さんの尾行が始まってんけど、それから探偵がいろんなことを調べだして、私のママが誰で、どこにいるのかとか、涼介叔父さんは真面目に仕事もせんと、朝から晩までパチンコばっかりしてるパチプロやとか・・・」

 ということは、つまり瑞歩は、長谷川から私が変態作家の可能性が高い、ということは聞いていないのだろうと思い、ほっと胸を撫で下ろしたあと、(それが打ち子というお仕事の、本来あるべき正しい姿なのですよ!)と、説明しようかと思いましたが、話がややこしくなりますし、変態作家とパチプロを比べるまでもなく、定職に就かないろくでなしのままでいいや!と、開き直ろうと決めたとき、瑞歩は少しだけ表情を曇らせて、

「それと、こんなこと訊いていいのか分かれへんねんけど・・・・ 涼介叔父さんと愛子叔母さんって、今はどういう関係なん?」と訊ねてきました。

「えっ!・・・ どういう関係って、どういうこと?」

「今回のことで、連絡の取り合いとかしてないの?」

「いや・・・ 連絡は取ってないというか、俺は愛子と離婚してから一回も会ってないし、連絡先も知らんねん・・・」

「じゃあやっぱり、愛子叔母さんは行方不明になってんの?・・・」

「・・・・」 

 どう答えていいのか分からなかったので黙っていると、

「探偵の調査で分かったことやねんけど、愛子叔母さんは離婚した5年前から、涼介叔父さんと一緒に住んでた場所に住民票を残したまんまで、今も移してないらしいねんけど」と瑞歩が言いました。

「!・・・」

 ということは、愛子はこの5年間、いったいどこでどういう生活をしていたのだろうと思いながら、

「じゃあ、愛子のことも探偵に捜さしてんの?」と訊ねました。

「うん・・・ 愛子叔母さんも探偵に捜してもらってるけど、今のところは何の手掛かりも無しって感じ・・・」

 やはり、愛子はプロが調べても手掛かりひとつ残さず、完璧に姿を消したということなので、私は愛子の失踪は、決して自分に非があったわけでは無いと思いながらも、なぜか自責の念に駆られるという、とても複雑な思いがしました。しかし、それにしても愛子はいったい、今どこで何をしているのでしょう?・・・

「それで、これも探偵の調査で分かったことやねんけど、パパと愛子叔母さんの両親って、行方不明というか・・・探偵がいくら調べても、両親のことが全く分かれへんっていうことなんやけど、涼介叔父さんは何か知ってる?」

「それは行方不明じゃなくて、アキちゃんと愛子の両親は、二人が小さいときに亡くなってるから、探偵がなんぼ調べても、死んだ人間がどこにおるかは分かれへんはずやわ」

 瑞歩は非常に驚いたといった表情で、

「えっ!・・・パパと愛子叔母さんの両親って、二人とも亡くなってるの?」と言いました。

「うん、そうやで。俺がアキちゃんと愛子から聞いた話は、二人が1歳と2歳のときに、両親が交通事故で亡くなって、母方の身内で福山っていう伯母さんが結婚してなくて、子供もおれへんかったから二人を引き取ってんけどな、でもその伯母さんは、もともと病弱やったらしくて、アキちゃんと愛子が高校生のときに病気で亡くなって、それからは二人で暮らしてきたって聞いてん」

 瑞歩は私の話を聞いたあと、

「パパと愛子叔母さん、かわいそう」と言って、悲しみの表情を浮かべました。

 その後、瑞歩は無言のまま何かを考えている、といった様子でしたので、おそらく私に対する質問が終わったのだろうと思い、私は瑞歩が雇った探偵が、どこまで調べているのかが気になりましたので、調査の進捗状況を訊ねてみました。

「その、調査報告のことなんやけど・・・」と瑞歩は言ったあと、少し小難しそうな顔で、「現時点で分かってることは、いま涼介叔父さんに全部お話ししたと思うけど・・・ でも、報告書に書いてたことで、ひとつだけ気になることがあって、それを今から涼介叔父さんに訊きたいねん・・・」と言いました。

「いいよ。その報告書で何が気になったん?」と私が言うと、瑞歩は大真面目な顔で、

「私のパパって・・・ 変態なん?」と、いきなり妙な質問をしてきました。

「!・・・」

 私は自分が一番気にしていた、『変態』というキーワードを耳にして非常に驚きましたが、瑞歩は間違いなく私ではなくアキちゃんのことを変態呼ばわりしましたので、いったいどういうことだろうと思い、なんと答えようかと迷いました。

 おそらく瑞歩は、自分がいきなり抱きしめられたので変態だと思ったのかもしれません。

「それって、調査報告書に、アキちゃんが変態やって書いてたん?」

「ううん、違う。書いてたというか・・・ パパは失踪する前に、最近テレビによく出てくる、ミツコっていうおねぇキャラのおっさんの家に、3日連続で泊まってた可能性があるって、調査報告書に書いてたから・・・」と言いましたので、私は少し大きな声で、

「ミツコって、あのデブのオカマのこと?」と、訊ね返しました。

「そう・・・ 確認は取れてないけど、おそらくミツコの家に泊まってたと思うって書いてた」 

 ミツコといえば、強面で歯に衣着せぬ辛口のコメントが人気となり、今やテレビで見かけない日が無いほどの、超人気なオカマタレントです。

 確かに私が知る限りのアキちゃんは、基本的に動物愛護精神に富んだ立派な御仁なので、おそらく来る者を拒まず、というストライクゾーンも、常人には理解できないほど広いと思われます。

 しかし、いくら好事家なアキちゃんといえども、ニューハーフならともかく、オカマの超~デブにまで手を伸ばさないだろうと思い、「それは、たぶん調査が間違ってんのと違う?」と言うと、瑞歩は肯定も否定もせず、何も言葉を発しませんでした。

 その後、2本目のビールを飲み干した瑞歩は、またも自ら3本目を取りに行き、戻ってきていきなり私に訊ねたことが、

「愛子叔母さんって、きれいやった?」という質問でした。

「!・・・・」

(嫌な展開やなぁ)と思いましたが、不必要な嘘をつく訳にはいきませんので、

「愛子はすごくきれいやったし、瑞歩ちゃんと良く似てるよ」と言いました。

「じゃあ、なんで離婚したん?」と、瑞歩は予想通りの質問をしてきましたので、私はどう答えようかと迷いましたが、正直に話したら質問攻めに遭いそうな気がしましたので、無視しようかと思ったとき、瑞歩は少し声色を変えて、

「私と、ろっちがきれい?」と、まるで舌がもつれたような艶かしい声を出しました。

 私は瑞歩と話をしながら、なるべく彼女の顔を見ずに話していたのですが、(酔うとんか?)と思いながら瑞歩の顔を確認すると、「!・・・」思わずドキッとするほど、とても19歳とは思えない、とても色っぽい表情をしており、明らかに酔っていることが分かりました。

「なぁ、なんで離婚したん?」と、瑞歩がまた同じ質問をしてきましたので、私はその質問には答えず、

「瑞歩ちゃん、もしかしたら酔ってるやろう?」と訊ねると、

「もしかせんでも・・・ ちょっと酔ってる・・・」と、瑞歩は素直に答えました。

 これ以上、瑞歩にビールを与えまいと決めて、酔っている相手と建設的な話はできないので、

「じゃあ、もしかせんでも酔ってるんやったら、話はここで終わりにしよか」と言ったあと、これ以上瑞歩が酔っ払って、管を巻きだしても困りますので、とりあえず家に帰すことにしました。

 瑞歩はここまで、何で来たのかと訊ねてみると、

「タクシーで来た」と言いましたので、(やっぱり金持ちは違うなぁ)と思いました。

 幸い私は、ビールを半分も飲んでいなかったので、場合によっては時間を空けて、車で送っていこうと思い、

「瑞歩ちゃん、もうそろそろ家に帰ったほうがいいで」と言いましたが、瑞歩は不機嫌丸出しの顔で、

「なんで、もう帰すんよ!」と言いました。

 私は瑞歩の問いを無視して、

「長谷川さんに聞いたけど、野間会長の家って、確か芦屋やろう? タクシーで来たんやったら、俺が車で送ってやろうか?」と言うと、瑞歩はリビングに掛けられた時計を見たあと、

「もうすぐ彼氏が迎えに来るから、送ってくれんでもいい!」と言ったあと、「それより、お話しは終わりって・・・ 私はまだ大事なことをお話ししてないのに!」と言いました。

(良かった、彼氏が迎えに来るんやったら飲もう!)と思い、ビールを一口飲んで、「大事な話って、どんな話?」と訊ねました。 

「あのなぁ、考えたらパパって、私が生まれたときは知らんかったかもしれんけど、この前は確実に私から逃げて、結果的に私を捨てたから、私はパパに捨てられた捨て子やんかぁ・・・ 

 それに、私のママって、バァバに親子の縁を切られて、見捨てられた捨て子やんかぁ?・・・ それで、ママは私を産んですぐに私を捨てたから、結果的に私はパパと、捨て子のママに捨てられた子供ってことで、それって私は、捨て子の捨て子ってことになるの?」

 確かに瑞歩の言う通り、どのような理由があるにせよ、先日はアキちゃんが自らの意思で瑞歩の前から姿を消し、母親は瑞歩を産んだ後に野間会長から見捨てられ、結果的に彼女を預けて行方不明となりましたので、

「そうやなぁ・・・・ 捨て子の捨て子ってことになるかもしれんなぁ・・・」と言いました。

 すると瑞歩は、

「私って、かわいそうやなぁ・・・」と小声でぽつりと言ったあと、またも缶ビールをグビグビとのどに流し込みました。

 瑞歩の複雑にならざるをえない心境を考えて、なにか慰めの言葉をかけようと思い、

「あのな、なんて言うたらええんか分からんけど、とりあえずアキちゃんは瑞歩ちゃんに、時間が欲しいって言うたんやから、アキちゃんは絶対に嘘はつけへんし、約束は必ず守る人やから、今はアキちゃんの言葉を信じて、とにかく待ってみようや」と言いました。

 瑞歩は素直に、

「うん」と言って、小さく頷きました。

 私は瑞歩の不安や疑問を、少しでも解消できたと思いましたので、話しができて良かったと思う反面、アキちゃんはいったい、このような可愛い娘を置いて、どこで何をしているのだろうと思ったとき、瑞歩は急に酔いが回りはじめたのか、明らかに呂律の回らないといった感じで、

「あのさぁ、 最後に大事なお話しがあるねんけど」と言いました。

 何の話だろうと思って待っていると、

「私なぁ、涼介叔父さんって呼ぶのん、すんごく言いにくいし抵抗があるから、今から涼のおっちゃんって呼んでいい?」と言いましたので、(それが、最後の大事な話かい!)と、強烈に思ったあと、

「涼のおっちゃんって、嫌や!」と、拒否権を行使しました。

「じゃあ、涼介って呼ぶ!」

「なんで、いきなり呼び捨てやねん!」

「じゃあ、涼介も瑞歩って、呼び捨てにしいよ!」

 瑞歩から涼介と呼び捨てにされると、どうも愛子から呼びかけられているような気がして、不思議な思いがしました。そして、どういう訳か、こうして年齢の離れた瑞歩から呼び捨てにされても、不快な思いや腹を立てることもありませんし、自分でも不思議と違和感や抵抗を覚えませんでした。やはり、二人が似ているからそう感じるのかと思ったとき、瑞歩の携帯電話が鳴りました。

 瑞歩は電話に出ると、

「もう着いた? じゃあ、今から行くから待っといて!」と言って電話を切ったあと、椅子から立ち上がったときに、少しふらつきましたので、

「大丈夫か?」と声をかけると、瑞歩は大丈夫と言って歩き出し、リビングの入り口に差し掛かったときに振り向いて、私の目をまっすぐ見つめながら、

「涼介、バイバ~イ!」と言って、リビングから出て行きました。

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