第五部 翻弄佞臣逆賊
ごきげんよう、崔浩である。
運命に翻弄されたもの、尻馬に乗ったもの、抗ったもの。
うむ、ドラマであるな。
・翻弄
別名きたみや・じゅんである。激動の人生を歩んでいるので、恐らくタイムスリップ者である。ちなみに後世の北魏には
前涼は
まあ、恐らく二十一世紀日本に帰ったのであろうがな。
東晋朝の近衛隊長。元帝そっくりの筆跡で字が書けるだとか、
五胡十六国で初めて完結した小説が慕容沖であることから分かる通り、この手の志を果たせず斃れた人物が、非常に作者の好物なのである。
この人ひとりの武名がずば抜けている印象があるのが前涼である。押し寄せてくる後趙の大軍を何度も跳ね返す大武功を上げている、が、大武功を妬むのは人の世の常なのか、讒言に遭い、君主に疎まれ、殺された。その後前涼の衰運が加速していくのを見ると、本当にご冗談でしょうと言うくらい美しき物語ができあがっているよう思う。
慕容皝の息子の一人である。前燕という国の末路はどうしても
自分がこれまで読んできた概説本では「声がデカいモブ」扱いであり、それが非常に許せぬと言う、完全に私怨で紹介する。どう考えても東晋の対前秦防衛線、またポスト淝水の北部戦線を守った名将なのだが、概説本ではだいたい「いったん苻堅に帰順したものの淝水の戦いで「苻堅は死んだぞ!」と叫び、情勢を一変させた人」としか書かれておらぬ。一芸職人か。鶏鳴狗盗か。割と語りたいところの多い武将であるが、まぁ別の機会に譲ろう。
東晋と北魏にはしばしば人材の流動が起こっていた。それを象徴するような人物である。先祖は
劉裕周りではもっとも激動の人生を送ったのでは、と思われる。無論かの時代の人物は何れもが時代の荒波に翻弄され通しなのであるが。桓玄の専横甚だしき折には桓玄の幕下におり、桓玄敗走の段に至り桓玄を見切り、劉裕の幕佐入り。と思えば益州を統治していた親族が謀反にあって殺され、その討伐に赴こうとしたところにバカの内応で足を引っ張られ立ち往生。その辺りを解決して劉裕のライバル(笑)劉毅の属僚となれば劉毅が謀反。再度益州討伐の軍が編成されれば外され(たぶん無茶すると思われたのだろう)、後秦戦では後軍所属。こうして来歴を眺めてみると活躍したいシチュエーションで微妙に要職から外されている。劉裕の息子の参謀として長安に駐屯していたところに赫連勃勃の襲撃を受け、捕えられて夏入り、やがては北魏へ。そして北魏で一気に花開く。今回改めてそのキャリアを眺めてみたのだが、この人は微妙に劉裕政権下では大事にされていない。桓玄討伐起義に関わっていない、という部分が微妙に足を引っ張っているよう思う。後々の戦績を見てみれば明らかに暁勇と呼ぶべき武将であるにもかかわらず、である。劉裕にとって桓玄討伐の業績と言うのは、一種の呪いのようなものにすら思えてならぬし、そりゃ毛修之も喜んで活躍できる国に行くわ、という印象である。
元々は東晋の皇族。司馬休之の親戚であったため、当たり前のように劉裕に目をつけられていた。そこでかれも司馬氏宗族を糾合、抵抗を試みるも、結局は司馬休之の敗北を受け、北魏に走る。その魏の地では大いに活躍し、のちの北斉にまで到る家門として栄えた。以上の都合によりかれの物語は美しくなければならず、劉裕が差し向けてきた暗殺者をもてなして感服させ、服属なさしめた、と言うエピソードが魏書に載っている。しかし実態は到底信用のおけぬ小者である、と評さざるを得ぬ。我の下したこの評価は資治通鑑にてご確認頂けますので読んでね☆
※作者注:崔浩先生ご自身が漢族の名族だったもんだから、同じく名族の司馬氏に幅きかせられるのがムカついてたんじゃないでしょうか。資治通鑑で
・佞臣
姪と娘を司馬炎に嫁がせている。その内姪が恵帝
後先考えず八王の乱の引き金を引いた人。確たるビジョンを描き朝政を握っていた
後趙の誇る狂人。
さてここまで散々マエフリを入れてきた。この人のためである。「燕を継いだ」「文武両道に長け」「割といい性格をしているくさい」
前秦崩壊辺りでにわかに存在感を増す武将。ポスト淝水情勢引っ掻き回し担当の
孝武帝の甥。東晋末をどどめ色に染め上げた、天才的佞臣。五斗米道の乱も
・逆賊
割と呂布冉閔枠である。西晋、前涼、成漢、趙漢を股にかけて暴れ回った。強力無双の人であり、史書の記述を読むとモンスターとしか思えぬ活躍を見せている。ただし士卒らへの慰撫は十全になしており、配下からは大いに慕われていた。そんなかれは西晋司馬摸の部将として登場した段階では忠烈の士という出で立ちであったが、その後の混迷に巻き込まれていく内に荒んだのか、劉曜に謁見しようとしたらシカトされた、と言う理由で盛大に略奪行為を働き、遁走している。おい。無論劉曜は激怒である。追撃した。そうしたら追撃隊が盛大に殺された。更に激怒である。そこへぽっと現れた平先という武将が、ふらりと陳安に一騎討ちを挑み、倒してしまう。えっ。なおその後の平先の事蹟はよく分からぬ。関羽を倒した馬忠のような人物であるな。
王敦の乱鎮圧に大功を挙げたが、その頃実権を握っていた
一言で言うと面白い人、である。晋秦燕の三国鼎立がなっていたころ、人々は当然
奸雄枠を彼のために設けても良かったのやも知れぬが、まぁ良い。改めてこの場にて紹介しておこう。概説では説明の煩を避けるため、
苻堅の従兄弟。叔父の
東晋末期に起こった大規模反乱「五斗米道の乱」の首謀者。元気にぶっ殺しまくるマンであった孫恩に対し、盧循はそれを諫め、抑える役回りでいたそうである。実際のところ、孫恩時代は中央軍のチョロい相手には連戦連勝、しかしいざ
西燕国初代皇帝(笑)である。確かに前燕のラストエンペラー
桓温の息子。簒奪を為そうとして果たせなかった父の志を果たした。ただし父親ほど体制を盤石にしない中での強行であったため、半年もせぬうちに劉裕によるクーデターを喰らい、没落した。それにしても、宋書を読むと必要以上に劉裕の桓玄打倒が重要な皇統継承ファクターとして示されている。その割にあっさり桓玄が滅ぼされているので、桓玄を悪の大物に据えるには物凄く違和感がある。まぁ別に「劉裕様が強すぎたので仕方がないんです☆」でも構わぬのだが。
以上である。
次部にては、そろそろ我についても語っておこうか。
では、また。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます