最後の事件 ~卒業式

実験結果

「これより、第四十九回卒業証書授与式を始めます」


 もう一刻の猶予もなかったのだ。天照宛南先輩が卒業する前に、どうしても胸の裡を伝えておきたかった。けれども無為に時は過ぎ、三月吉日。私立煉獄学園高等部は卒業式当日を迎えてしまった。

 この校舎で先輩と会えるのも、今日で最後だろう。短かった。図書館で肩を叩かれて以来、色々あったがあっという間の数ヶ月だった。


「開式の辞に先立ちまして、卒業生が入場いたします。全員、起立!」


 司会進行を務める生徒会役員の拡声された音声が、会場である体育館の四隅に反響する。パイプ椅子を軋ませ、生徒や保護者らの立ち上がる物音がそれに続いた。


「在校生は中央を向いて、拍手でお迎えください」


 厳粛な雰囲気の中、旅立ちを予感させる伴奏が流れ、通路に出る横手の通用口から制服姿の男子学生が並んで入ってきた。鳴り響く拍手に伴奏が掻き消される。

 卒業生は次々に入場してくるが、一様に戸惑いの表情を浮かべているのが気になった。どうしたのだろう。リハーサルと伴奏が違うとか? その程度で狼狽えるとは思えないが。

 先輩の姿を探す。

 いた。通用口付近で、他の男子生徒に混じり今正に入場したばかりのようだ。すぐに見つかったのは、掃き溜めの鶴みたく先輩の美しさが際立っているからか。

 いや、どうもそれだけではなさそうだ。よく見ると比率がおかしい。卒業生の男女比が。ここは男子校かと見紛うほどの、入場する列のむさ苦しさ。

 確認できる女子生徒は先輩ただ独り。先輩以外の女生徒が、いつまで経っても会場に入ってこない。

 異変に気づいた人々がざわつき始め、さざなみのように伝播していく。困惑を露わにした卒業生の中で、紅一点の先輩は朗らかな微笑さえ浮かべていた。


「えっと……少々お待ちください」


 只ならぬ異変に堪らずアナウンスが入る。

 女子はどうした、と厚い胸板で礼服をパンパンにした体育教師が問いかけたが、答えられる男子生徒は皆無だ。無理もない。彼ら自身、女子生徒の不在の理由に思い当たることがないのだろうから。


「神隠しに遭ったのだ」


 そう答えたのは、我らが名探偵その人だった。


「なんだと?」

「これぞ大事件である。そして大事件以外の何物でもない。神隠しの謎、名探偵たるこのわたしが解決せねばなるまい!」


 独り気を吐く先輩を見つめる体育教師の眼は、知らない外国語を話す異国人を見るときのそれに近かった。

 先輩は教師を押しのけ、前方のステージ空間に眼をやった。ステージ上は左右から引かれた濃紺の緞帳どんちょうで閉ざされ、その奥を窺い知ることはできない。上部に掲げられた墨文字の〈第四十九回卒業式〉が、風に煽られ揺れているふうに見える。


「ふん、つまらん」先輩は不満げに長い髪を掻き上げ、「。有能すぎる名探偵も辛いものだな」


 そう嘯くと、在校生の集団に視線を転じて、家来ども、来い! と大声で呼ばわった。


「はいですのっ」

「怒鳴らないでもとっくに来てるっての」


 すかさず現れ出た第二の家来・犬飼宵子と、どこに潜んでいたのか第三の家来・化け猫が先輩の許に詰め寄った。

 あ、そうか俺もか。ぼんやり見ている場合じゃなかった。


「遅い。パシリなのだから真っ先に駆けつけて然るべきであろうが」


 俺が謝るのも聞かず、先輩は壇上を指し示して傍らの少女に、


「行方不明の女生徒はあそこにいる。真犯人も一緒だ。一撃射かけて緒戦の嚆矢とせよ」

「畏まりですのっ」


 式典の日でも狩りの準備は万端だった。ゴーグルを嵌め弓を取り出し、掛け声に乗せて矢を放つ。

 ヘロヘロと緩やかに飛ぶ矢は、かぶら代わりの氷塊により口笛のような音響を発しつつ、程なく緞帳の中心部に打ち当たった。そのまま生地を巻き込み瞬時に凍らせ、緞帳の大部分を割り飛ばす。


「犬飼、お前学校に何持ち込んでるんだ!」


 体育教師の怒声を掻き消すように、ステージ下の一同が口々にどよめいた。


「ご開帳ご開帳、なんてね」


 所狭しと壇上にひしめき合うブレザー姿の女子生徒たち。先輩以外の卒業生女子一同が集結しているのは、いちいち顔を確かめずともその人数でおおよそ見当はつく。

 そしてその中心……方形の黒い演台の上に、黄金色の兜を被った白衣の美女が立っていた。胸にはやはりあの短剣が。


「あ、あいつ!」


 化け猫が総毛を逆立てて吼えた。


「ニャトラン、知ってるんですのっ」

「あの白衣は間違いねえ。だ」

「まあっ!」口許を押さえる少女。「ではではっあの人が賽銭泥棒の元凶なのですねっ」

「な、なんだね君たちは。予定にないぞ、こんな趣向」


 舞台脇に控えていた理事長が、群がる女子生徒を見上げて頓狂とんきょうな声を上げた。生身の理事長を拝見するのは久方ぶりだが、どうしても不自然なまでにフッサフサの頭部に眼が行ってしまう。


「ちょいと理事長さん、もう忘れちゃったの? あたしこの学校の元教師なんだけど」


 元教師……あの女性ひと、ここに教師として赴任していたのか。


「え? そ、そう言われると、かなり前に会ったような」

「じ、神宮寺じんぐうじ先生じゃないですか!」体育教師が狼狽気味に叫んだ。「二年前に突然行方不明になった、生物教師の」


 そうか、あのことか……俺の拙い記憶が奇跡的に引っかかった。

 〈学園七不思議〉を調査していた折、入手した情報の中にあったものだ。二年前、行方不明になった女性教師。のみならず、それを話したときの尋常ならざる先輩の反応も芋蔓式に思い出した。


「ちょいと野暮用がありまして、二年ほど失踪しておりました」女性は軽くお辞儀をして、「でもって、本日はそのを報告しに戻ってまいりました」

「実験、結果?」

「ええ。元々生物教師ですから」


 そう言って中指で眼鏡のブリッジを上げ、凄惨な笑みを口許に湛えた。

 俺はぞっとした。あんなに壮絶な笑顔は見たことがない。人外の微笑だった。


「なるほど。それでうちの女生徒をに仕立て上げたのか」


 他愛ない口調で先輩が言った。


「鬼だと?」


 人々のざわめきが今一度大きくなる。金切り声を上げる在校生も一人や二人ではなかった。

 壇上に立つ女生徒たちは、全員が額にあの角を生やしていた。いや、以前見たものより数段鋭利で針のように細い。だが角であることに変わりはない。

 悪夢の再来だった。


「それはそうと、


 先輩が悔しげに息を吐く。なんのことだ?


「ああ、チョコ型の爆弾ね」

「相変わらずタフなことだ」

「あんな子供騙しには引っかからないって。河川敷に放り棄てたらどっかーんだもん。結構過激なことしてくれるね」


 チョコ型の爆弾。

 学校を休んでまで先輩が渡したのは、バレンタインの本命チョコなんかじゃなくて、攻撃用の爆弾だったのか!

 俺の煩悶は爆風を喰らったが如く吹き飛んだ。


「意趣返しってわけでもないけど、今日はこの娘たちもいることだし、暴れさせてもらうからね。ちょいと覚悟したほうがいいかもよ」


 先輩は無言で俺から剣を抜いた。引き抜く瞬間、これまで感じたことのない振動を肩口に感じた。のだ。いつでも不敵で不遜に構えていた、あの先輩の手が。


「覚悟するのは貴様のほうだ」


 そんな様子をおくびにも出さず息巻く先輩。

 なんだそれは、模造刀か? だよな? そうだよな? という体育教師の慌てぶりを気にも留めず、先輩は続ける。


「鬼の攻略法は心得ている。何度やろうが同じこと。額の角を切り取るまで」

「それが違うんだな」立てた指をチッチッと振りつつ女性は、「最初の〈鬼化計画〉は、言うなればプロトタイプ。〈魔術師の記憶〉だけじゃあ色々無理があったんだね。まだまだ完成には程遠かったけど、一年三百六十五日の中でも一番鬼に相応しい日ってことで、試運転も兼ねていっちょやったるか! って感じで。節分のあれは完全見切り発車だったんだよ」

「見切り発車であの騒ぎか」

「そうそう。で、いざ実戦投入してみると、やっぱり〈鬼化粒子〉の精度はイマイチだわ、建物に入ると届かなくなっちゃうわで課題も多くて。だけど今は違う。〈無謬の聖杯〉の霊波で粒子を増幅させてるから、鬼化の効果はほぼ完璧。微調整やメンテも簡単になったし、至れり尽くせりだね。前の持ち主よりよっぽど使いこなせてるんじゃないかな」


 と、被っている兜の表面を指で叩いてみせた。


「あの兜がっ噂に聞く聖杯なんですのっ?」

「らしいけど、なんか形が違うような」


 サイズやデザインがだいぶ変わっている気がする。円卓家の長男氏は丼型の器をそのまま逆さにして乗せていたが、女性のほうは本物の兜のようで実に様になっている。


「ちょいと改良したんだ。本当はネックレスかブレスレットにしたかったんだけど、時間なくてね」

「鬼化はほぼ完璧と言ったな」先輩が剣先を遠方にいる女性の周辺へ泳がせた。鬼と化した同級生たちを切っ先で舐め回すかのように。「つまり弱点を補強したわけか」

「弱点って額の角のこと? だとすれば逆だよ」

「逆?」

「そうそう。角は細く弱くしたんだ。攻撃されれば大ダメージ。斬られでもしたら即死」

「……即死って、じゃあ、あそこの連中に攻撃しちまったら」


 化け猫さえもが言葉を詰まらせた。先輩の奥歯を噛み締める音がここまで聞こえてきた。


「そのほうが面白いでしょ」事もなげに女性は言った。「これが男子だったら、君も割かし平気で息の根止めちゃいそうだしね。宛南ちゃん、君はになれる逸材なんだ。人としての情なんて棄ててしまえばいい。あたしがその手助けをしてあげる」

「神になんぞ断じてならぬ。なって堪るか!」


 先輩は声を荒げたが、対する女性は駄々っ子に接する親のような慈しみの表情で、


「変わってないな君は。昔からそうだ。自分の力を誇示したがるくせに、己がうちに潜んでいるもっと凄い力は絶対認めようとしない。まだおそれているの?」

「違う、そうではない! わたしは」


 額を押さえ、わなわなと戦き出す先輩に俺は急いで駆け寄った。


「先輩、しっかりしてください!」

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