大京女学院で、太郎に話しかけてきた小姓村の執事学校を卒業したメイドである。

 いまは中国服を身にまとい、髪の毛はきっちりとまとめているから印象は変わっているが、確かに彼女であった。

 執事の重要な役目として、人の顔と名前を覚えるというのがある。来客にきちんと応対するには、顔と名前を覚えているというのが必要な能力であるからだ。覆面からわずかにのぞいた彼女の目元から、太郎ははやくから正体を察していた。しかし彼女の目的がわからず、黙っていたのである。

「どういうことだい? なぜこのトーナメントに参加したんだ?」

 ちっちっ、と千賀子は舌打ちをした。

「慌てない、慌てない! あたしは執事協会から派遣されてきたんだ」

 執事協会……。

 意外な名前を聞かされ、太郎は驚いた。

「そう、あんたが執事協会である依頼をしたから、あたしがここに送り込まれた、というわけ。トーナメントの最終日に残れるほどの戦闘能力を持っている召し使いは数が限られる。小姓村の、執事防衛術を学んでいるあたしにそのお役目が回ってきたというわけよ」

 そうか、と太郎は納得した。

「大変だったんだから! トーナメントに残るためには戦いに勝ち残っている必要があるし、あんたのお大事の美和子さんを負かすわけにはいかない。上手に負けてあげるには、結構演技力がいるんだからね!」

 肩をすくめると太郎に顔を近づけた。

「ね、あんたはここにいないで、お嬢さまについてあげて! あたしはあたしで、執事協会の仕事をすませなきゃならないの。こっちはひとりでやれるから」

 太郎はうなずいた。

 言われてみればその通りだ。

「わかった。よろしく頼む」

 うん、とうなずき千賀子は階段を上がっていった。それを見送り、太郎は踵を返した。

 

 コロシアムに戻った途端、太郎めがけてだれかが猛烈に走り寄ってきた。

「た、助けて……!」

 長い顔をさらに長くし、さっきの男が恐怖の表情をいっぱいにして駆け寄ってくる。

 男はあわてて太郎の背後にかくれた。

 その後からがらがらと下駄の音を響かせ、勝が走ってくる。

 顔に憤怒の表情をうかべ、勝は太郎に気付くと足を止めた。

「野郎! さっさと勝負しやがれ」

 これは太郎の背後に隠れている男へ向けて言ったのである。男は太郎の肩を掴んだ手にちからをこめ、ぶるぶると震えているだけで動こうとしない。

「そこの勝又勝の対戦相手! どうした、棄権するつもりなのか?」

 ケン太はステージから叫んだ。

 その声に、男はほっと安堵の表情を浮かべた。

「そ、そうだ! 棄権だ! おれ、棄権するよ……な、それがいい!」

 震える両手で胸のバッジをひきむしり、勝にむけて差し出す。

「な、おれのバッジは全部やる! だから、勘弁してくれ!」

 勝の握りこぶしがぶるぶると震えだした。

「なにおぅ……そんなこと許せねえ! 男らしく勝負しやがれ! いやだったら、この場で叩きのめしてやるぞ!」

「い、いやだあ……」

 男は泣き顔になった。ひょろ長い身体を思い切り縮め、太郎の背後に隠れる。勝はずかずかと近づくと、腕を伸ばし背後に隠れた男の襟首を掴んで引き寄せた。

「やめて……やめてくれ……」

 ずるずると男は勝に引きずられるようにしてコロシアムの中央へと引っ立てられていく。

 

「お待ちなさい!」

 しん、と静まりかえった中、美和子の声がその場を切り裂いた。

 ぎくり、と勝が立ち止まる。

「いま、なんつった?」

 つぶやく。

 美和子はじっと勝を見つめた。

「そのかたは嫌がっています。これは弱いものいじめではないですか?」

 勝の顔が真赤に染まった。痛いところをつかれた、といった表情だ。

「お、おれが、おれが弱いものいじめ……だとう?」

 男は一縷の望みをいだき、美和子を見つめた。

「それじゃなにか? おめぇが、こいつの替わりにおれと勝負する、ってのか?」

 美和子はうなずいた。

「あなたが望むなら、そういたしましょう」

 勝の顔が喜色にそまった。

「そうこなくちゃな! おい!」

 と、ケン太のほうを見上げ叫んだ。

「文句ねえな? いまここで、おれがこの女と勝負しても」

 ケン太はコロシアムを見おろし、うなずいた。

「いいだろう、変則ではあるが、認めよう」

 勝は男の襟首を掴んだ手を離し、拳を手の平に打ち付けた。男はこれ幸いと、よたよたとした足取りで逃げ出していく。

 勝はもう男のことなど忘れたように背を伸ばすと、ぼきぼきと指の関節をならし、ごきごきと音を立て首をまわす。勝負の予感に張り切っている。

「こい! 美和子! おめぇと勝負だ!」

 美和子はうなずき、勝とともにコロシアムの中央へと進んだ。

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