教育

1

「なぜ只野太郎にあのことを教えた! お前はどうしてあんなことをした!」

 島の全景を一望する室内で、高倉ケン太は怒号していた。

 洋子は身をすくめるようにしてケン太の怒りにさらされていた。

 ケン太の形相は悪鬼、そのものだった。怒りのため、手足が震えている。

 こんなことになるとは思ってもいなかった。

 洋子は暇つぶしに高倉コンツェルンの歴史を調べていた。奉公したさきの家の過去を知ることは、召し使いとして当然の義務と思っていたからである。

 そして見つけたのだ。

 ある名前を。

 高倉コンツェルンの歴史は浅い。たった十数年で町の工務店からあっという間に一国を牛耳るほどの大企業に成長した秘密は、あるひとりの人物に帰せられる。

 その人物の登場と同時に高倉工務店は成長を続け、いまではあらゆる業界にその足跡を残している。

 だがあるときを境にその人物は姿を消す。

 洋子は社内の記録をたどり、現在のその人物の現状を知り、どうしても太郎に教えたくなったのだ。

「それが正しいことだと思ったのです」

 洋子の答えにケン太は目を剥いた。

「正しいこと? どうしてお前がそんなことを判断できる? お前はただの召し使いに過ぎんのだぞ」

 はい、と洋子はうなずいた。

「しかし召し使いとはいえども、間違ったことが行われているのを見過ごすことは出来ません。あの人があんなことになっているのは、間違っています」

 ははは……、とケン太は乾いた笑い声をあげた。面白がってはみじんも思っていない、ただ笑い声をあげただけだ。その声に、洋子はぞっとなった。

「あいつは今の状態に満足している。あいつは望んで身を隠しているのだ。それを知らずになにが間違ったことだ? ん? 執事学校の教えでは、主人に逆らうことを教えているのか」

「執事学校で習いました。たとえ主人といえども、正義を裏切ることは召し使いの見過ごして良いことではないと……」

「ほほお! それが執事学校の教育か? おれは間違っているのか?」

 洋子は息を呑みこんだ。

 おおきくうなずく。

「はい、わたしはそう思います」

 ふっ、とケン太は息を吐き出した。

 いまや怒りはその表情にあらわれていない。

 かわりに触れればひやりと切れそうな冷酷そうな表情があらわれている。

 ケン太はかすかに視線を動かした。

 と、いきなり洋子の手足が数人の男の手によって掴まれていた。

 気がつかないうち、洋子の背後にほかの召し使いたちが忍び寄っていたのだ。

「離して!」

 洋子は悲鳴をあげた。

 ケン太が近寄ってくる。

 哀れむような表情が浮かんでいる。

「洋子、それはぼくの召し使いとしての範疇にはいらない。召し使いはただ主人の命令を、一から十まで忠実に実行すれば良いのだ。考えるのはぼくひとりでいい。召し使いが考えることをぼくは望まない」

 洋子はゆっくりと首をふった。

「違うわ……それは召し使いではない。ただのロボットじゃない?」

 ケン太はにやりと笑った。

「ロボット! そう、ぼくの望んでいるのはロボットのような召し使いなのさ」

「そんな、まさか……」

 洋子の目に涙があふれてきた。ケン太はいま、その正体をあらわにしたのだ。

「ぼくが君を見つけたとき、君は都会にはじめて出てきて、とても不安そうだった。だからぼくは君をメイドに雇った。ほかにだれも頼ることができないなら、ぼくにだけ全面的に頼ってくれると思ったからだ。それなのに、君はぼくを裏切ってくれた……」

 洋子の胸に恐怖がこみ上げる。いったいケン太は何を言おうとしているのか?

「洋子君。ぼくは君に理想の召し使いになってもらうため、ある教育を施そうと思う。それがすめば、君はぼくの思う、理想的な召し使いに生まれ変わることだろう」

 ケン太はポケットから一枚のハンカチを取り出した。そのハンカチにもうひとつのポケットから取り出した、ちいさなガラス瓶の中身を浸す。

 かすかな芳香が洋子の鼻腔をうつ。

 これは麻酔薬クロロフォルム

 ケン太の手が近づき、洋子の顔全体をハンカチで覆う。たちまち洋子の意識は遠ざかり、あとは闇につつまれた。

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