木戸であった。

 太郎は目を瞠った。

 木戸はなぜかケン太に対しうやうやしく頭を下げ、言葉をかけた。

「お車の用意ができております」

 うん、とケン太は当然のようにうなずいた。

 目を丸くしている太郎と美和子にたいし、ケン太は肩をすくめた。

「言い忘れた! じつはこの木戸君は近ごろぼくの召し使いとなって奉公することになったのだよ」

「木戸さん!」

 太郎は叫んだ。

 木戸はにやりと笑った。

「何を驚いている。わたしにふさわしい主人は高倉ケン太さまひとりだ。召し使いはじぶんの実力を認めてくれる主人を選ぶ権利を与えられているからな」

 太郎の顔色は変わっていた。美和子はかれの表情を見て戸惑いを見せた。

 いまの太郎はいままで彼女が見たことのない表情を見せている。

 只野太郎は怒りに身を震わせていたのだ。めったに見せることのない、太郎のむきだしの感情であった。

 ふふん、と木戸はそんな太郎を見て冷笑した。

「馬鹿なやつだ。そんなに感情をあらわにするやつがいるか! 執事はつねに冷静であれ……執事学校の教えではないのかね」

 ふっと太郎は息を吐き出した。その顔色は平常にもどっている。

「その通りです。執事はつねに冷静でなくてはなりませんね。木戸さん、あなたの選んだケン太さんが、あなたにふさわしいご主人であることをぼくも願っていますよ」

 無言で太郎と木戸は視線を交し合った。目に見えない火花が散っているようだった。

 先に目をそらしたのは木戸だった。

「では、わたしは車でお待ちいたしておりますから……」

 つぶやくと背を向け、出て行った。ケン太はそんなふたりの様子を面白そうに見ていたが、出口へと向かった。

 妹の杏奈は立ち止まっている。

 ケン太は彼女を見た。

「どうした、帰らないのか?」

「ちょっと、美和子さんにお話しがあるの。お兄さま、それまで待っていただけるかしら?」

 ふむ、とケン太は肩をすくめた。

「まあいい、お前も美和子さんとは女学院で通った仲だからな。なにか話があるのだろう。車で待っているからな」

 そう言うとさっさと部屋を出て行った。

 残された杏奈はゆっくりと美和子に近づいた。わざとらしく差し押さえ状が貼られた家具に指をすべらせる。

「この家具も、そこの本棚の本も、みな美和子さんのものではなくなったというわけね。破産というのはみじめなものよね……」

 彼女の言葉に美和子は顔を上げた。

「なにが仰りたいの?」

 ふ……と杏奈の口の端に笑みが浮かぶ。

「あなた、まだお兄さまに未練があるのね」

 美和子の頬に赤みがさした。

「どういう意味?」

「考えさせてください、なんて言ったけど、あなたトーナメントに出場するつもりでしょ? そう顔に書いているわ!」

 杏奈の言葉に美和子は頬をおさえた。やっぱりね、と杏奈は皮肉に笑った。

「そしてトーナメントで優勝して、お兄さまと結婚するつもりなんだわ。そうすれば賞金はあなたが自分のちからで勝ち取ったことになるし、お兄さまと一緒になれば高倉コンツェルンの財産もじぶんのものになるものね。考えたものよね!」

 美和子の拳がわなわなと震えていた。

「そんな……そんなこと考えていないわ! だいいち、トーナメントのことも今日はじめて知ったし、高倉家の財産なんてそんなこと……」

 杏奈はあざけるような表情になった。

「どうかしらね? でも、あたしがそうはさせないからね! スケバンの称号はあなたに渡さない!」

 美和子はぽかん、とした表情になった。なにかとんでもない勘違いを、杏奈はしているようだと太郎も思った。

「あたしもトーナメントに出場します! そしてあなたを打ち負かして見せます!」

 杏奈は宣言した。

「あなたが……?」

 美和子はあっけにとられた、といった表情になっていた。

 ぼうぜんとなっている美和子を尻目に、杏奈はふん、と顎を上げるとさっさと部屋を出て行った。

 残された美和子は太郎を見つめた。

「どういうことでしょう? 杏奈さんは、なにか誤解していらっしゃるようね」

 そうですね、と太郎は同意した。

 それにしても、美和子はトーナメントに出場するつもりだろうか?

 

「あたしトーナメントに出るつもりです」

 ケン太と妹の杏奈が帰ると、美和子はきっぱりと太郎に宣告した。

「そして優勝して、その賞金で真行寺家を再興するわ! よろしくてね」

 はい、と太郎は頭を下げた。

 最初からこうなるのではないか、と思っていた。美和子の返事に、太郎は微笑していた。太郎の微笑に、美和子は首をかしげた。

「どうしたの、太郎さん。嬉しそうね」

「いえ、お嬢さまこそ、なんだか生き生きなさっておいでです」

 ま! と、美和子はじぶんの顔を手で押さえた。

「あたし、そんな顔をしているかしら? トーナメントに出場するということは、喧嘩をしなくてはならないのよ。あたし、喧嘩したがっているように見える?」

 いいえ、と太郎は首を横にした。喧嘩ではない。これは仕合なのだ。美和子はじぶんでは気づかない、格闘家としての本能が目覚めかけているのだ。太郎の見たところ、美和子は格闘家としての才能は抜群である。その才能が彼女にトーナメントへの出場を決意させたのだろう。

「お嬢さま。わたくしもお供させていただきます」

「あなたも?」

「はい、筆頭執事として、お嬢さまにご不便をおかけすることはできませんから」

「でも、トーナメントということは、危険がともなうのではないかしら。あたしはいいけど、あなたは……」

 とても喧嘩が出来るようには見えない、と言っているような目で美和子は太郎を見た。太郎は大丈夫ですと言いたい気持ちをぐっとこらえた。

 美和子は知らないのだ。

 太郎は執事教育の一環として、格闘技の訓練を受けている。それが役立つときがきた! 自分の身を守るだけではなく、もしかしたら美和子の身も守ることになるかもしれない、と太郎は考えていた。

「わたくしも、島へお供いたします。よろしいですね」

 押して重ねる太郎に、美和子は圧倒されたようにうなずいていた。

 島への出発に一週間の準備期間がある。

 その間に、太郎はあることをひとつやりとげておこうと思っていた。

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