美和子

1

 門柱に近づくと、門番がちいさな小屋からこちらをじろりと睨んできた。年のころ、四十なかばの、痩せた中年男である。門番は空色の制服を身につけ、手にはまっしろな手袋をつけている。制服の襟には金モールの襟飾りがついていて、かっちりとした鍔つきの帽子を目深に被っている。

 太郎が近づくと門番は「なにか?」と身構えた。

「只野太郎と申します。真行寺男爵様のお屋敷で、召し使いとして奉公することになりました。これが案内状です」

 太郎の差し出した真行寺男爵の家紋が浮き出された便箋に書かれた案内状を見て、門番はうなずいた。

「ああ、あんたのことは聞いているよ。なんでも執事学校を卒業してきたんだそうだな」

「はい」

「あんたが来たら通すように言われている。ここをはいって、まっすぐが男爵様のお屋敷だ。こちらから知らせておくから、そのまま行けば良い」

 そう言うと門番は小屋にひっこみ、内部の機械を操作した。

 とたんに閉められていた鉄門が重々しい響きを立てたかと思うと、ゆっくりとうち開きに開き始めた。どこかでモーターが動いているらしい。ようやく太郎ひとりが通れるほど開くと、門番は手をふった。

 早く通れ、ということだろう。

 太郎はぺこりと頭を下げると、急ぎ足で門を通りすぎた。通りすぎたところでふたたびモーターの音がして、鉄門は元通りに閉まり始める。ふりかえると門番が小屋の中で受話器を手にあて、なにごとか報告している。太郎の到着を報告しているのだろう。

 太郎は屋敷への道を歩いていく。道は一面白い玉砂利で敷き詰められていた。ざく、ざく、ざくと歩くたびに足音があたりに響く。

 なるほど……この玉砂利は防犯の役にも立っているというわけか。太郎はひとり納得していた。

 道の左右はほとんど自然林とも思えるほど木々が密生している。楓、樺、ブナなどさまざまな樹木があたりを暗くしていた。

 まっすぐと言われたが、道は左右にくねくねと曲がり、なかなかあたりを見通すことはできない。

 ふいに視界がひらけ、太郎の目の前に真行寺男爵の屋敷の全貌が飛び込んできた。

 太郎は思わず立ち止まっていた。

 まさしく豪邸、といっていい。

 全体にしろっぽい灰色の大理石で出来ていて、建物全体は三階建てになっている。銅板を葺いた屋根には三角窓がならび、屋根裏部屋があることが知れる。三階建てといっても、一階部分の天井がたかく、普通の民家の五階建ては充分ありそうだ。建物は翼をひろげたようなつくりになっていて。両翼にあたる建物の真ん中に柱がたちならんだ玄関があった。

 その玄関に、ひとりの男が太郎を待っていた。

 ひどく痩せて、背が高い。太郎よりは確実に頭ふたつぶんは高いだろう。年令は多分、三十代後半から四十代前半。のっぺりとした表情のとぼしい顔に、ボタンのようなちいさな鼻がちんまりとおさまり、うすい眉毛のしたにちいさめの両目がひかっている。髪の毛をオールバックになでつけ、背筋をのばした男の姿は、そびえたつゴシック建築の印象があった。

「只野太郎だな?」

 いきなり男は口を開いた。

 太郎は「はい」と返事した。

 男は尊大にうなずき、くるりと背を見せた。

 玄関の扉を開くと、大股で歩き出す。太郎があとを追ってくると決め込んでいるようだ。太郎は男のあとについて歩き出した。

 男は長い足を急ぎ足にさっさと歩いていく。そのため太郎は追いつくため、かなり早足にならざるをえない。

 屋敷のながい廊下に男の足音が木霊した。

 かつーん、かつーん、と男の靴音はうつろに響いている。

 太郎ははじめて見る真行寺男爵の屋敷内の様子につい見とれ、男から離れがちになる。

 外観から想像したより、内部は贅を尽くしたつくりになっている。高い天井、吊り下げられたシャンデリア。足もとは複雑な模様の格子細工の材木でできていた。すべて本物の材料で築き上げられ、熟練の職人による細工であった。

「なにをしている? ぼやぼやするな!」

 遅れがちな太郎に、男はいらいらしたように叱声をあげた。太郎は無言で足を速めた。

 どのくらい歩いたろうか、ようやく男は立ち止まった。

 ひとつの扉の前で、男は一礼するとその向こうに声をかけた。

「だんな様、木戸でございます」

 扉の向こうで「うん」という返事が聞こえてきた。老人の、かすれ声だった。

 どうやら男は木戸という名前らしい。

 木戸は長い腕をあげると扉を押し開いた。

 あたたかな空気が扉の向こうから押し寄せてくる。

 部屋には暖炉があり、オレンジ色の炎がゆらめいていた。部屋の壁はクリーム色に統一されていて、オレンジ色の絨毯に、白いカーテンと全体に明るめの配色がなされている。窓際にはどっしりとしたテーブルがおかれ、窓ガラスを背にひとりの老人がなにか書き物をしているところだった。老人が座っているのは車椅子だった。どうやら老人は足が悪いようだ。

 これがおそらく真行寺男爵、そのひとだろう。肌も髪の毛も、まるで漂泊したように白い。さらに身につけているガウンはあかるい灰色のため、白っぽい印象が全体をしめていた。

 男爵はしばらくペンをはしらせていたが、やがて顔を上げた。皺の多い顔をほころばせる。眼鏡を調節すると、太郎の顔を見つめた。

「ああ、君が只野太郎君だね」

 さっと太郎は跪き、頭を下げた。学校で習った高貴な人への礼である。

 うん、うんと老人はうなずいた。

「きみのお父上の五郎君はじつに優秀な執事だった。いまでも憶えているが、きみを見ているとかれを思い出すよ」

 男爵は軽く手をあげ、太郎に合図した。立ってよし、ということだ。太郎はゆっくりと立ち上がった。

 太郎はかすかに頭を下げた。

 召し使いは無用なおしゃべりはしてはならないと教えられている。その教えに忠実にしたがっているのだ。

 慣れているのか、老人は太郎が返事をしないのを気にせず話をつづけた。

「すまんが、すこし待ってくれたまえ。なにしろサインしなくてはならん書類が多すぎる。わしは引退した身なのだが、それでもこうしてわしのサインが必要な書類が、毎週山になって届けられるんだよ。まったく、いつになったら楽になるやら……」

 ぶつぶつとつぶやきながら男爵はペンを走らせる。静かな室内に、男爵のペンの音だけがかすかに響いていた。

 ようやくすべてのサインを終え、男爵は顔を上げ両手を組み合わせて太郎を見つめた。

「さて、ようやく君が来てくれて、わしの屋敷で奉公することになるんだが……誓いのことは承知しているかね?」

 太郎は一歩前へ進み出た。

「はい、召し使いとしてだんな様にお仕えするため、誓いをたてたいと思います。お許しいただけば、でございますが」

「そうか。しかしその誓いはわしにではなく、娘の美和子にしてもらいたい。わしはこの年令だ。しかし美和子は君と同じくらいの年頃──召し使いとしての誓いをするには丁度良いと思わないか?」

 太郎はうなずいた。

 誓いとは「忠誠の誓い」のことである。

 召し使いは奉公にはいった屋敷の主人とそれを交わさなければならない。それは主人によって解消されるまで、召し使いを一生の間拘束する厳正なものだ。誓いを交わした主人に対し、召し使いは忠誠を尽くす。それが召し使いの理想とされているからだ。

 男爵は片手を挙げ、木戸を差し招いた。

 さっと木戸は長い足を動かしてすばやく男爵の車椅子の背後にまわった。車椅子のもち手を掴み、動かす。

「娘はたぶん、道場にいるはずだ。そうだな、木戸?」

 木戸はうなずき、返事をした。

「はい、お嬢さまはそちらにいらっしゃるはずでございます」

 よろしい、案内してくれと男爵は命じ、木戸は車椅子を廊下へと押し出した。

 ついてこい、というように木戸はかるく頭をふる。太郎はあとを追いかけ、扉を閉めた。男爵の言う、道場とはなんだろう?

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