「終点──終点──。大京ステーション到着でーす……」

 車掌が汽車が終点に到着したことを告げてまわっている。

 太郎は起きだし、朝の光の中で洗面所で顔を洗い、歯を磨いた。鏡をのぞきこむと、よく眠れなかった証拠が目の充血となってあらわれていた。

 いけない、こんなんじゃ最初の奉公の日というのに……。

 太郎はあわてて目薬をさして目の充血を抑えた。

「お早う……」

 洋子がはっきりと寝不足とわかる低い声で挨拶してきた。彼女はまだ昨夜のパジャマのまま、ぼんやりとしている。

「よく眠れたかい?」

「もちろん! もう、朝までぐっすり夢も見なかったわ!」

 しかし彼女の目は真っ赤に充血しているし、目の下には隈が出来ていた。だが太郎はそのことを指摘することはやめておいた。

「着替えたほうが良いよ」

 そう声をかけると、彼女はじぶんの着ているものを見おろし「あらやだ!」とつぶやいた。おそらく、寝ぼけて自宅にいるつもりなのだろう。彼女は寝起きが悪いのだ。

 あわてて彼女は寝台にとびこみ、手早く着替えた。

 今朝の彼女は、水色のワンピースに、茶色のハイソックス。そして黒い革靴といういでたちだった。髪の毛は紫色のリボンでまとめている。あの旅行鞄にはかなりの量の着替えが収まっているにちがいなかった。

 大京市が近づくにつれ、車掌が手早く寝台を元に戻していく。ふたりは椅子に腰掛け、窓の景色を楽しんだ。

 すごい! これが大京市なのか!

 はじめて見る都会の景色に、太郎は身を乗り出すように窓の外のながめに夢中になっていた。となりで、洋子もまたおなじように眺めていた。

 ビル、ビル、ビル……。

 どこまでも四角い、コンクリートの建物が続いている。いくつもの窓ガラスに朝の光が反射して、きらきらと輝いていた。

「あっ、あれ!」

 洋子が空を指さした。

 かん、と音をたてそうな青空に、銀色の細長い葉巻型の物体が浮いている。

「飛行船だ……」

 太郎はつぶやいた。

 その通りだった。巨大な飛行船は、両側によっつのプロペラをまわし、ゆったりと上空を飛行している。飛行船の胴体には「TAKAKURA」とアルファベットの文字が書かれている。

「高倉コンツェルンの飛行船よ! すごいわあ……ね、あんた高倉コンツェルンって知っている?」

 太郎はうなずいた。扶桑国最大の財閥で、その影響力はすみずみまでおよぶ。おそらく、これから奉公することになる真行寺男爵さえ、高倉コンツェルンの前ではデパートと露天商くらいの差はあるだろう。

 と、ふたりの視界を大京ステーションのホーム屋根がおおった。飛行船は見えなくなった。

 列車は停車した。

「大京ステーション、大京ステーション、お降りのお客さまは手荷物をお忘れなく……」

 車掌の声にぞろぞろと乗客が個室から顔を出した。たいていが出張のサラリーマンか、あるいは家族連れで、太郎と洋子のようなとびきり若い客はほかにおらず、ふたりはかれらの好奇の視線にさらされていた。

 ホームに出ると頭上をステーションの天蓋がおおっている。鉄骨に組み上げられたかまぼこ形の屋根に、ガラスごしに外の日差しが降り注いでいた。

 ホームには無数の乗降客がおのおの目的に急いでいる。このような大量の人々を見たことのないふたりは、この景色だけで圧倒されていた。

「これが大京市なんだわ……」

 洋子のほほは興奮でピンクに染まっている。両手に旅行鞄を持ち、歩き出した。

 さっときびすをかえすと、太郎に背を向けた。

「洋子!」

 太郎が声をかけると洋子は背を向けたまま立ち止まった。

「さよなら!」

 短く叫んだ。彼女の背中はこみあげる決意に震えている。

「あたし、どこかのお屋敷にメイドとして奉公するまでは家には帰らないし、手紙も書かないわ。あんたも真行寺男爵のお屋敷で一生懸命働いて、いい執事になって頂戴。あたしも頑張るから」

 洋子の肩はそれ以上の太郎の呼びかけを拒否しているようだった。そのままかつかつと革靴のヒールを響かせ、人ごみに消えていく。

 洋子……、と太郎はうつろにつぶやいた。

 太郎は彼女が完全に人ごみに消えていくまで見守っていた。

 

 出口へ向かう太郎は、駅構内にある電報局に目をとめた。

 そうだ、電報を打とう!

 太郎は急ぎ足で電報局にはいると、小姓村の山田氏へ一通の電報を打った。洋子が大京市まで一緒であったことを報せるためである。まずはこれで安心だ。あとは山田氏がどう動くか判らないが、一応の責任は果たしたといっていいのではないだろうか? 詳しいことは母親への手紙で報せることにしよう。

 

 大京駅を出ると、まぶしい日差しがアスファルトの路面に踊っている。小姓村を出たときは雪雲が重くたれこめていたのを思えば、ずいぶんと季節が違う。あらためてじぶんの故郷が北国にあることを太郎は思った。

 それに人!

 なんという沢山の人だろう。

 目の届く限り、さまざまな服装をした男女が、じぶんだけの目的を胸に足早に行き交っている。

 自動車のクラクション、エンジン音。その騒音に混じって、店先からは客をよびこむ店員の声、音楽がやかましい。それらの音とひかりに、太郎はくらくらとなっていた。

 太郎はビルの壁に一枚のポスターが貼られているのに気づいた。ポスターには海原が描かれ、波の向こうにひとつの島が浮かんでいる。しかしふつうの島ではない。しらっちゃけた崖の上に、廃墟のようなビル郡がごつごつとしたシルエットを見せている。暗く、どんよりとした雲を背景に、その島はどこか不気味な印象をはなっていた。

 その島にかぶさるように真っ赤な色である文句が書き連なれていた。それは──

 

  番長島トーナメント

今年も開催決定!

参加者募集中!

  お問い合わせは「高倉コンツェルン事務局」へ

 

 と、あった。

 ほかに優勝者への賞金が書かれている。その金額はまさに天文学的で、いったいこれはなんだろうと太郎は首をひねった。トーナメントというからには、なにかの勝敗をあらそうのだろうが……。

「おい、お前もトーナメントに出るのか?」

 いきなり背後から声がかかり、太郎の肩にだれかの手がおかれた。

 えっ、とふりかえると視線の先に、まさに見上げるほどの巨体をほこるひとりの男が太郎の顔をすごい顔つきで睨んでいる。

 太い眉、ぎょろりとした鋭い眼光。その顔には無数の古傷が交錯している。男はぼろぼろになった古い学生服を身につけていた。とはいえ、学生には見えない。頭にはいったい何年洗っていないかわからないほど汚れた学生帽を被っている。足もとはこれまた真っ黒に汚れた下駄を履いていた。

 男はぐい、と太郎の肩を引くとじぶんが前に出てポスターに見入った。その唇がゆがんで、笑いの形をつくった。ぐふぐふぐふ……というような奇妙な笑い声をたてる。まるで洞窟の向こうから聞こえてきそうな、低い笑い声だ。男はふたたび、太郎をじろりと睨んだ。

「どうなんだ、このトーナメントに出るつもりで見ていたのか?」

 い、いいえと太郎は首をふった。

 ふん、と男は肩をすくめた。はじめから太郎が参加するとは思ってもいなかったようである。たんに、聞いてみたかっただけのようだ。と、いきなり腕をあげ、男はポスターをいきなりべりべりと壁から引き毟ってしまった。それをくるくると丸めると、胸のボタンを開けて中へねじこむ。

 ひとつ肩をゆすり、男は歩き去った。その場にいた通行人にくらべ、頭ひとつかふたつは飛びぬけているかれの背中は、まるで海上で波をかき分け進む船のようだった。がらがらと、下駄が歩道の敷石でやかましい音をたてている。それを見送った太郎はひとつ頭をふっていまの出来事を記憶からふりはらった。

 ともかく真行寺男爵の屋敷に急がねば……。

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