第10話 不穏


 僕達は、未来を夢見ることに幸せを感じていた。

 だけど、僕に、未来はあるのだろうか…

 とてつもない不安の塊が、時々、僕を襲ってくる。


 海人とひまわりは、毎日の昼休みのデートを重ね、日に日に二人の生活も落ち着いてきた。民宿は繁忙期を迎え、たまに、ひまわりも厨房の手伝いに入ることがあった。サチに言わせると、ひまわりの料理の腕前はプロ並みだそうだ。

 海人は、ひまわりが楽しそうに料理をしている姿を見ると、母を思い出した。

 僕の母も、少ない材料を工夫して、ご馳走にしてくれるほどの料理好きだった。戦時中の貧しい生活の中で、料理をする時の母の笑顔は、僕達兄妹の心の支えだった。

 大体の客が夕飯を済ませ、部屋へ戻ったところを見計らって、サチと海人は、遅い夕食をとった。


「今日、ひまわりちゃんから少し話を聞いたよ。

 海人さんは、突然この時代にやってきたって言ってたけど、それは本当かい?」


 海人は、驚いてむせてしまった。


「大丈夫だよ。

 私は変な目で見たりはしないし、それはそれで納得いくかもしれないから…」


 サチは、また、海人の事を凝視している。


「サチさん、本当に僕の言うことを信じてくれますか?

 僕は、自分の身に起きたこの出来事を、人に話す勇気が今でも持てないんです。

 だって、僕だって、わけが分からずに苦しんでいるから…」


 海人は、これからこの時代を生きていくのなら、この事実は隠すべきではないかと、最近、そう思っていた。


「海人君が話したくなければ、無理して話さなくてもいいんだよ。

 話したくなったら、いつでもおいで。

 私はそういうことがあっても不思議じゃないと思ってる。

 だけど、ここへ来たことで、あなたの魂は救われてるんだよ。

 それだけは、言っておくね」


 ◇◇


 ひまわりは、海人の一連の出来事をサチに話したことを、少し後悔していた。

 海人はこの時代の人間ではなく、70年前を生きていた人間だと…

 サチは驚いた様子もなく、じっと一点を見つめていた。ひまわりは、海人を救ってくれたこのサチに、真実を知ってほしいと思っていた。海人には、知り合いも保護者の代わりになる人もいない。何かあった時に、海人の力になってもらいたかった。でも、それは余計なお世話だったのかもしれない。


「その話が本当だとすれば、海人君がこの先どうなるのか、私にも見当がつかない。私は、この世の中は、不思議な事だらけだと思ってはいるけれど、時代を超えてきた人間を見るのは初めてだよ」


 サチは、淡々と話しながら、でも、サチの中の第六感は、妙に納得していた。


「初めて海人君を見た時に、なんだか懐かしい気持ちがしたのは、そのせいかな…

 海人君とも、少し話してみるよ。

 あと、ひまわりちゃん…

 彼が、突然この時代に来たのなら、また、突然いなくなることだって大いにあることを、覚悟してなきゃだめだよ。そうならないことを祈るしかないけどね」


 ひまわりと海人が、今では口にしなくなった憂いに満ちた真実が、また動き始めた。それでも、ひまわりは、海人を愛するこの気持ちを信じていた。

 全く別の時代を生きていた二人が、ある日突然、出逢い、恋に落ちた。たとえ神様であっても、この二人を引き裂くことなんてできない。

 海人は、私に会うためにここへやって来たと言ってくれた。

 私は、何があっても海人から離れない。

 私も海人に出逢うために、きっと、この世に生まれてきたのだから。


 ◇◇


 ここ最近、海人は、朝方に起こる頭痛に悩まされていた。日に日に強くなっているような気がして、朝になるのが憂鬱だった。

 お盆が過ぎ、海水浴に来る人々も、めっきり少なくなっていた。民宿も、所々に空き部屋が増えている。

 海人は朝の仕事を終え、サチと朝食をとった後、頭痛薬をもらって飲んだ。


「疲れがたまっているんだよ。今日は、仕事は休んでいいから」


 サチは、海人を心配してそう言った。

 海人は午前の仕事を急いで済ませ、部屋に戻り横になった。いままでどんなに忙しくても、食べ物にありつけなくても、頭痛がすることは一度もなかった。この不快な痛みは、海人自身を不安にさせた。

 目を閉じ、ゆっくりと浅い眠りにつき始めた頃、海人はもう夢の中にいた。


 辺りは怒号が響いていた。

 木々のない灰色の痩せた大地が続いている戦場に、海人はいた。

 色のない空、色のない海。そして、その場所で海人は必死に戦っていた。


 アメリカ兵に見つからないように土地のくぼみに屈んで、海人は、仲間と攻撃のタイミングを待っていた。すると、前方で待ちきれずに飛び出した仲間が、撃たれて倒れた。まだ、死んでいない。そう思った海人は、かがみながら前進し、負傷兵の肩を持ち、仲間の待つくぼみに向かって走り出した。

 その時、頭上に飛行機が見えた。真上からミサイルを撃ち落とされた。


 そして、海人達は、動くことはなかった。


 海人は、自分のうなり声で目が覚めた。

 目覚めたその時、海人は、気づいてしまった。


 きっと、僕は、あの時、死んだのだと…


 ◇◇


 ひまわりは、いつもの時刻に民宿に着いた。

 海人は、いつも民宿の玄関先でひまわりを待ってくれているのだが、今日はその姿はなかった。ひまわりは、少し不安を覚えながら、早足で海人の部屋へ向かった。

 部屋に入ると、布団の上に青ざめて座っている海人が見えた。


「どうしたの? 顔が真っ青だけど、大丈夫?」


 ひまわりは海人に寄り添い、額に手を当て熱がないか調べた。

 すると、海人はぶっきらぼうに、ひまわりの手を振り払った。


「ちょっと、疲れただけ。大丈夫だから…」


 海人は険しい表情を浮かべたまま、そう言った。

 ひまわりは、麦茶をコップに注ぎ、海人に手渡した。海人はそれを飲むことすら忘れているかのように、コップの中を呆然と見つめている。


「海人さん?」


 ひまわりは、抜け殻のようにしか見えない海人が心配になり、大きな声で呼んだ。


「あ、ごめん、今日は、体調が悪いんだ…」


 海人は持っていたコップをひまわりに渡し、タオルケットを顔までかぶると、眠るふりをした。

 今日の海人は、まるで別人のようだった。海人の身に何が起きたのか、海人の姿は、明らかに何かに怯えている。

 ひまわりは、持ってきたお弁当をちゃぶ台の上に置いた。


「海人さん、具合がよくなったら、食べてね」


 ひまわりが静かにそう言うと、海人は、急に起き上がった。


「本当にごめん… 明日には、必ず元気になるから… 

 今日は、本当にごめん…」


 海人に何があったのだろう。

 ひまわりは底知れぬ不安を感じながら、笑顔で「分かった」と言って、部屋を出た。


 ◇◇


 僕は、もう先は長くないと、不思議と自覚していた。

 この激しい頭痛は、きっと、あの時の痛みなのだろう。


 ひまわりは海人の身を案じながら、家に帰って行った。海人は、ひまわりに何を話していいか、何を話すべきか全く見当もつかなかった。海人が、今、感じているこの胸騒ぎは、きっと、ひまわりの心を一撃で傷つけてしまうだろう。

 海人は横になりながら、悔しくて、悲しくて、声を殺して泣いた。


 その日の夜に、海人は藁にもすがる思いで、サチに相談した。

 僕は、太平洋戦争時下の硫黄島で戦っている時にこの時代へやって来たことや、どのように時間を超えたのか、あっという間の出来事で何も覚えていないこと、そして、ひまわりはその時にその場所にいて、今の僕達は、愛し合っていることを伝えた。


 サチは、海人の話を聞きながら泣いた。


「サチさん? どうして泣くんですか?」


 海人は、サチの涙に不思議と癒されていた。


「私は、その戦争の頃は、まだ小さい子供だったけど、あの時の悲惨な日本はよく覚えている。

 今の平和な日本があるのは、あなたのような若者が、頑張ってくれたおかげだよ」


 海人はその言葉を聞いた時、やはり自分は、あの時代で人生を全うしなければならないのだと、頭の片隅で思った。


「サチさん、僕は、たぶん、この時代に来る直前に、ミサイルに撃たれて死んでしまったんだと思うんです。

 この原因不明の頭痛は、きっと、その時の痛みのような気がして…」


 海人は自分で言いながら、また、さらに、大きな不安に襲われていた。


「海人君、よく、聞くんだよ。

 私の言うことは、ただの気休めにしかならないかもしれないけど、この先の事は、誰にも分からないんだ。だって、あなたがこの時代へ来た時だって、突然の出来事だったんだから。だけど、自分でそういう予感がするのであれば、何かしら、ひまわりちゃんには伝えておいた方がいいかもしれない。


 でも、まだまだ、ここで働いてもらわないと、給料だって払えないからね。

 実際、今、海人君は、私の目の前で生きている。

 私が喋っているのは幽霊かい? そうじゃないだろ?」


 サチはそう言うと、笑いながら、海人の肩をたたいた。


「おまえさんは、今、生きてるんだ。 それだけで、十分」


 今、生きている…

 僕の人生は、この新しい時代で動き出しているのだろうか…





























































































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