6月(2)経験値の差
その日、退社時間になって本社ビルを出た所で、美幸は声をかけられた。
「藤宮さん、お疲れ様」
「係長、お疲れ様です。今日は随分帰りが早いですね」
いつも残業している姿を見ながら帰宅していた美幸が僅かに驚いた表情を見せると、城崎は美幸と並んで歩きながら苦笑混じりに話し出した。
「まあ、偶には。それより今度の土日、どちらかここに一緒に行かないか?」
さり気なくポケットから取り出された、都内某有名アミューズメントパークの1日フリーパス券を見せられた美幸は、ちょっと驚いて目を見開いたものの、冷静に問い返した。
「どうして、係長と私で行くんですか?」
思わず足を止め、色々な意味を込めて胡乱げな視線を向けた美幸だったが、城崎は苦笑してそれをしまい込んでから、美幸を促して再び歩き出した。
「藤宮、午後にした企画書の話、覚えているだろう?」
「勿論です」
「この不景気真っ只中、新規販路を開拓するのは容易ではないと分かっているよな?」
「理解しています」
美幸は(何でそんな分かりきっている事を、一々聞かれるのかしら?)と、多少イラッとしながら大人しく答えたが、ここで唐突に城崎が話題を変えてきた。
「そこで問題。家計も緊縮財政、節約術真っ盛りの昨今の傾向として、支出項目の中で意外に減っていない項目は何だ?」
「え?」
「取り敢えず、思い付いたまま言ってみろ」
虚をつかれて絶句した美幸だったが、城崎に淡々と促され、焦りながらも考え始めた。
「そ、そうですね……、やはり住居費とか光熱費とかは減らし難いと思いますが」
「それは固定支出だからな。それに『意外に減っていない』の表現とは、微妙にずれるぞ?」
城崎からの指摘を受け、真剣さを増した顔で美幸が確認を入れる。
「と言うことは、減りそうなのに、意外に減らない、という項目ですよね」
「ああ、それを踏まえるとどうだ?」
「うぅ~ん、食費? 教育費? 保険料とかも見直せば、減らす事は可能だけど、何となく……」
歩きながら益々思考の迷路に嵌り込んでしまった美幸だったが、それを見た城崎が静かに答えを口にした。
「所謂、遊興費の類だな」
しかしそれを聞いた美幸は、反射的に城崎の袖を掴んで、盛大に異論を唱える。
「ええ? どうしてですか!? 要はレジャーや趣味に費やすお金ですよね? だったら真っ先に切り詰める所じゃ無いんですか!?」
「誰しもがそう思うだろうから、『意外に減らない項目』と言った」
「それは分かりますが、それを挙げた理由が分かりません!」
力一杯否定した美幸を見下ろしながら、城崎はそこですこぶる冷静に解説を始めた。
「良く考えてみろ。普段節約しているからそ余計に、偶には楽しく遊んで現実を忘れたいと思ったり、普段ギスギスピリピリした生活を送っているからこそ、プライベートでは癒やしを求められると思わないか?」
「はあ……、まあ、それはそうかもしれませんが」
城崎の指摘にも一理あると思い曖昧に頷いた美幸に、城崎は具体例を提示した。
「外食を減らして食費を浮かした分、レジャーの類やコスメとかメディアの通信費とかに充てているとかの話は、聞かないか?」
「あ、それは社内でも良く聞きます! 正直、どうしてそんな事をするのか、理解に苦しみますが」
眉をしかめて同意した美幸に、城崎は小さく笑って話を続けた。
「だろう? まあ人によってつぎ込む物に違いはあれど、他人には一見無駄だと思われる事でも、本人には必要不可欠な物や事柄があるって事だ」
「なるほど。人それぞれの価値観は違いますしね」
「ああ。だから昼間課長が言った様に、所謂無駄と思う物の中にもビジネスチャンスは潜んでいるんだ。せっかくの休日なんだし、どうせならこういう所で気分転換しつつ、発想も転換させて商売になる物がないか考えてみないか?」
そう言われた途端、難しい顔で考え込んでいた美幸は、目を輝かせて城崎に礼を述べた。
「なるほど、それでご親切に、まだ良く分かっていない私を勉強させる為に、声をかけて下さったんですね? ありがとうございます、係長」
「いや、そんな大仰なものでは」
「でも、私と二人で出掛けたりして、総務部の仲原理彩さんと気まずくなったりしませんか?」
深々と頭を下げた美幸が体を起こし、小首を傾げつつ幾分心配そうに問い掛けてきた内容に、城崎の笑顔が引き攣った。
「どうしてここで、その名前が出てくるのかな?」
「付き合ってるんですよね?」
サクッと指摘されて、城崎は片手で顔を覆いながら現状を告げた。
「……彼女とは四月に別れて、今はフリーだから心配要らない」
「そうなんですか? じゃあ他のお友達とかは? 秘書課の夏江香織さんとか、受付の真柄実穂さんとか、経理の戸越美奈さんとか元カノですよね?」
更なる美幸の女性遍歴の暴露に、城崎は頭痛を覚えた。
「……だから、何で知ってるんだ」
「常に社内外の情報収集は怠っていませんから。あ、でもやっぱり元カノに声をかけるのは、気まずかったんですか? それならこの際、係長を密かに狙ってる先輩達を紹介しますよ?」
親切心百%で申し出た美幸に、城崎が疲れた様に首を振る。
「悪いけど……、そういう女と行ったら仕事にならないから」
「それもそうか。じゃあ、気の合う男友達とかとは行かないんですか?」
思い付いたまま美幸が尋ねてみたが、城崎は今度こそ項垂れて、ボソッと低い声で呟いた。
「男と二人で、こういう所に行きたくは無い……」
「愚問でした。申し訳ありません」
美幸にも自分がつまらない事を言った事に気がついた為、神妙に頭を下げた。すると城崎が直前の話題を打ち消す様に、小さく笑いながら話を戻す。
「いや、いい。それでどうかな?」
そう促されて、美幸は満面の笑みで頷いた。
「分かりました、それでは遠慮無く一緒に行かせて頂きます。チケット代はお支払いしますね?」
「あ、いや、それは……」
「何か?」
何故か言いよどんだ城崎に美幸が怪訝な顔をすると、城崎は何か含む様な表情で美幸の支払いを拒んだ。
「これは……、取引先から貰った物だから、代金は気にしなくて良いから」
「そうなんですか? 随分豪勢ですね」
「そうだな」
そこで城崎がホッとしたのも束の間、美幸が名案を思い付いた様に顔を明るくした。
「じゃあせっかく誘って頂いたんですから、お食事代位私が出しますね? そうしましょう、それが良いわ」
「え?」
「じゃあ係長、日時は改めて連絡し合いましょう。お疲れ様でした!」
「ああ、お疲れ」
些か呆然として挨拶を返した城崎をその場に置き去りにし、美幸は駅構内に走り込んで行った。
(よぉぉっし、頑張るわよ! まず二課のホープになる、第一歩だわ!)
入社してから約三ヶ月。社内の隠れた軋轢もなんのその、美幸の企画推進部二課の生活は、未だに順風満帆の様だった。
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