6月(1)対人スキルの向上
まだ仕事量が少なく業務範囲も狭い美幸は、定時で仕事を終えて残業する周囲の者達に、先に上がる旨の挨拶をした。そして帰り支度をしてフロアを離れ、一階に降りて社屋ビルから歩き出した所で、背後から駆け寄る足音に続いて、軽く肩を叩かれる。
「藤宮、おつかれ」
「あ、田村君。お疲れ様。最近、帰りに良く会うわね」
「それは、まあ……、俺達一年目だし? それほど込み入った仕事とかもまだ任されてないから、定時で上がる事の方が多いしな」
「それはそうね」
同期の隆の話に軽く頷き、最寄り駅に並んで歩き出すと、隆が何やら改まった口調で、話しかけてきた。
「なあ、藤宮」
「何?」
「その……、今度の日曜、何か予定とかあるのか?」
「特に予定は無いけど?」
「それなら、一緒にどこか行かないか?」
嬉々として提案した隆だったが、美幸は歩みを止めずに素っ気なく答えた。
「どこかって?」
「藤宮が好きな所で構わないぞ? 映画でもショッピングでも遊園地でも。どこでも付き合うから」
満面の笑顔で言い募った隆だったが、そこで美幸が足を止め、如何にも不思議そうに相手を見上げた。
「どうして田村君と一緒に、どこかに行かなくちゃいけないの?」
その表情を見た隆は、僅かに焦りながら方向修正しようとした。
「は? いや、どうしてって、その……。あ、二人っきりで出掛けるのが嫌なのか? それなら桑原と堀川にも声をかけるから、皆で楽しく」
「予定は無いけど、する事はあるの。だからまた今度ね」
にっこり微笑みつつ断りを入れて再び歩き出した美幸を、隆は一瞬遅れて、慌てて追い掛けた。
「あのさ、同じフレーズでこれまで何回か断られてるんだけど、ひょっとして付き合ってる男とか居るわけ?」
「そんな人はいないけど?」
「だったら!」
思わず声を荒げた隆だったが、美幸は如何にも当然と言った口調で話を続ける。
「だって、休日は仕事で役立つスキルを探したり、柏木課長の横に立ってもおかしくない程度に、女を磨くのに忙しいのよね~」
上機嫌にそんな事を口にした美幸に、隆は溜め息を吐いてから思わず呻いた。
「藤宮、お前ひょっとして、結婚願望が無いわけ?」
「勿論、有るわよ?」
「あるのかよ!?」
「当たり前でしょ? ウェディングドレスは女の夢よ、失礼しちゃうわね。枯れたり終わってたり残念な女みたいな言い方、しないでくれる?」
てっきり恋愛思考とは無縁だと思っていた美幸の発言に、隆は目を見開いて驚き、次いで疑問を呈した。
「じゃあだったら何でいつも仕事優先で、口を開けば『柏木課長は凄い最高』の一点張りなんだよ。他の女達も言ってたぞ? 『普通は男の話で盛り上がるのに藤宮さんって変』って。誰が見てもおかしいんだよ!」
「はぁ? だから何がおかしいの? だって課長以上に仕事ができて格好良い男の人は皆無だもの。そんな男に関して、何をどう盛り上がれっていうの?」
情け容赦ない美幸のぶった切り方にたじろぎながらも、隆は話の方向性を変えてみる事にした。
「……っ。確かに柏木課長が有能なのは認めるし、並みの男じゃ敵わないのは認めるけどさ。俺達若いんだから、そこまで理想を追求しないで、普通もうちょっと日々の生活での異性との出会いとかときめきとかを期待したり、大切にしたりする方が良いんじゃないかと」
「要するに、男女交際に興味を持つのが普通、って言いたいわけ?」
そこで美幸が口を挟み、自分が言いたい内容を口にしてきた為、隆は喜色満面で力強く頷いた。
「そう、まさにそれだよ! 藤宮はお嬢様学校の出身でそういうのには疎いかもしれないけど、社会人になった以上は付き合いも広がるし、後々変な男に引っかからない為にも、まず手近な人間で男女間の付き合い方ってのを勉強するべきじゃ無いかと」
「取り敢えず、色々なタイプの男の人は見て来たけど?」
「は? な、なんで?」
「大学時代、合コンしまくってたから」
「はい?」
淡々と美幸が口にした内容に、隆は顔を引き攣らせたが、美幸はすこぶる真面目に、その理由を説明した。
「だって在学中からできる、入社後の人間関係の構築と、人物鑑定眼を養うのと、マネジメント技量を高める方法として、あれ以上の物は無いと思ったから。あれで本当に凄い労力を使って、経験値を上げたわね」
しみじみとそんな事を言った美幸に、隆が半ば呆然としながら問い掛けた。
「……何で?」
「だって、世間ずれしてない先輩や同級生を、変な男に引き合わせたり出来ないけど、ある程度数をこなすとなったら、あちこちに声をかけて人を集めなくちゃならないし。同じ様な所ばかりで開くとマンネリ化するから、次々新しい会場を開拓して趣向を凝らしたりもしたし」
「えっと……、要するに、合コンを仕切りまくっていたのか?」
「そうよ。一年の時は様子見で出まくって、二年からは仕切ってたの。最初のうちは義兄達にお願いして、信用できる相手を集めて貰ったんだけど、少ししてからは参加者の伝手で、若手の有望株を芋づる式に集めたの。女性の方は同級生や先輩後輩で選りすぐったし、纏まったカップルは六十三組よ。そのうち、もう二十九組が結婚したわ。桜花女学院大では『藤宮さんに頼めば、将来有望な方と結婚できる』って、かなり有名だったんだから」
そう言って美幸が胸を張ると、隆は思わず正直な感想を漏らした。
「仕切りババァも真っ青だな」
それに美幸が、真顔で答えた。
「全て柏木産業に入社してから、人間関係でオロオロする事が無い様に励んでいたのよ。だから別に恋人なんかいなくても、男の人達から人付き合いが悪いとか、無愛想とか、話が合わないとか言われた事は無いもの」
「確かに営業一課以外では、お前社内中で好かれまくっているよな」
そう言って重い溜め息を吐いた隆に、美幸は明るく笑って言ってのけた。
「田村君、見当違いなおせっかい焼いてないで、気になる人がいるなら、さっさと口説いた方が良いわよ? それじゃあね!」
「あ、おい! まだ話は終わって無いぞ!」
いつの間にか駅の改札口まで来ていた二人だが、ここで美幸はあっさりと別れの言葉を告げて、自動改札を通って元気に走り去って行った。慌てて追い掛けた隆だったが、人並みに阻まれて忽ち美幸の姿を見失ってしまう。
そして同じ駅を利用している為、実は社屋ビルから少し距離を取って二人の後ろを歩いていた総司と晴香が、走り去っていく二人を見送ってから、微妙な顔を見合わせた。
「……ねえ」
「何だ?」
「見なかった事にしてあげた方が良いかしら?」
真顔で確認を入れた晴香に、総司は小さく溜め息を吐いた。
「そうだな、色々な意味で不憫な奴。相手が悪過ぎる……」
そんなやり取りがあってから約半月後、美幸は仕事中に真澄から声をかけられた。
「藤宮さん、ちょっと良いかしら」
「はい!」
忽ち嬉々として机の前に走り寄った美幸に、真澄は笑顔で口を開いた。
「藤宮さんはまだ入社して三ヶ月だから、ちょっと早いかとも思うけど……。新しい仕事をやってみて貰おうかと思っているの」
「何でしょうか?」
「企画案を出してみてくれるかしら」
「企画案、ですか?」
嬉しそうに顔を緩めたのも束の間、美幸は怪訝な表情をその顔に浮かべた。すると真澄が顔付きを改めて説明を加える。
「正式な企画書作成の、前段階と考えて貰えば良いわ。詳しい説明の前に……、企画推進部のそもそもの成り立ちと言うか、設立の目的は理解しているかしら?」
「一応は。専門的に事業範囲が特化した営業部や海外事業を専門に扱う海外事業部とは違う、自由な発送で新規顧客や販売形態を開拓していく為に、作られたと聞いています」
「その通りよ。なおかつ事業自体も速やかに進める為に、営業出身者に拘らず、色々な人材を集めているの。ある程度課の中だけで、自己完結して進められるようにね」
「はい」
所属している課員達の前歴を素早く思い返し、美幸は素直に頷いた。ここで真澄が、本来の話題に戻す。
「それで……、ここの所属員には、毎月最低一枚の企画書提出が義務づけられているの。自分の得意分野に関して、勿論それに拘らず常に自由な発想で、新規顧客獲得に繋がる様に自分が売り込みたい、または有ったら購入したい思う物について、論述形式で作成するのよ」
「自由な発想……、ですか」
あまり漠然とし過ぎていてさすがに美幸が戸惑うと、真澄は一瞬考え込んでから幾つかの具体例を上げた。
「そうね、例えば……、これまで出された物だと、『使用後のオムツの経時的変化と臭気改善アイテム』とか、『磁気に弱いカード類の保護フィルムの売り込み先検討』とか、『ダイエット効果を増幅させる調味料の利用法』とか色々あるんだけど。あそこの書棚にこれまでの物が纏めてあるから、時間が有ったら目を通してみて」
指し示された方向に視線を動かしながら、美幸は思わず意外そうに呟く。
「はぁ……、そういう物でも良いんですか」
「さっき説明した物は、ちゃんと条件に合致していて、市場に出回っていない商品やシステムに当たりをつけて、うちで取り扱ったり仲介を始めた物ばかりよ?」
「そうなんですか」
一瞬疑問に思ったものの、真澄に再度説明を受け、今度は美幸の顔に驚きの色が混ざった。それに真澄が力強く頷いてみせる。
「そう。ビジネスチャンスは無限に、どんな所にでも有るものよ。寧ろ机にかじりついて考えた物の方が、箸にも棒にもかからない事が多いわ」
「分かりました。自由な発想で考えてみます」
「その意気よ。企画書は書式が決まっているけど、企画案は思い付いた事を手書きでも良いの。それを私に見せてから、有望な物についてだけ書く様に指示するわ。それなら無闇に書いて、時間を浪費するより良いでしょう?」
「なるほど、そうですね」
感心した様に頷いた美幸に、真澄はここで苦笑混じりに断りを入れた。
「勿論、藤宮さんは入ったばかりだから、企画書を書いて貰ってもすぐに売り込み出来るとは思えないけど、商機を逃さない目を養う事と、商品の分析能力を構築する上で、今から練習するつもりで書いてみて? 高須さんも書いた企画書が初めて会議上に出たのが一年後だし、気楽にね」
「何事も経験って事ですね」
「そういう事」
そこで真澄は城崎に声をかけた。
「何か分からない事が有ったら、城崎さんに聞いて頂戴。彼は平均月三件は企画書を提出していて、営業実績に結び付いた事例もうちでトップだから。城崎さん、お願いね?」
「分かりました」
「宜しくお願いします」
課長席の方に顔を向けて応じた城崎に、美幸が深々と頭を下げる。
(うふふ……、これはビジネスチャンスに繋がる第一歩よね。頑張らなきゃ!)
美幸はそんな闘志も新たに、今後一層頑張る事を心の中で誓ったのだった。
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