5月(2)喧嘩の買い方

「ふざけるな? はっ! それはこっちのセリフよ! 自分の所が業績がふるわいからって、ぶっちぎりトップの二課をひがんで妬んだ上、年下女に嫌味言って鬱憤晴らししようなんてね。そんなだから、毎回ブービー賞止まりなのよっ!」

「なっ!!」

「お前っ!」

「このっ……」

 もはや怒りで顔を赤黒くさせている三人を見て、流石に晴香が美幸の腕を引っ張りつつ叫んだ。


「ちょっと美幸! 今のは流石に、謝罪するべきよ!」

「あ、そっか。ブービー賞って下から二番目の事だったっけ。間違いました。万年二位とブービー賞では大違いでしたね。申し訳ありません」

 笑顔でにこやかに謝罪した美幸に、晴香は説得を諦めて黙って額を押さえた。そしてプルプルと全身を震わせた山崎が、低い声で呻く。


「てめっ、わざと間違ったな?」

「あら~? 何の事でしょう?」

「ふっざけんな、この女!?」

「先輩、止めてください!」

「美幸!」

 ふてぶてしくしらばっくれた美幸に、山崎はとうとう我慢できなくなった。それで衆人環視の中、美幸に向かって手を振り上げる。流石に隆が止めようとし、晴香が悲鳴じみた叫びを上げたが、山崎の手がいきなり空中で止まった。


「……っ!? ててっ! 誰っ!」

「城崎っ!?」

「げっ」

 いつの間にか、山崎の背後に現れた城崎が彼の手を捕らえ、逆手に捻り上げていた。


「お前ら……、俺の部下に何をする気だ?」

 突然現れた城崎に美幸達が目を丸くする中、城崎は冷え切った声音で山崎達を恫喝した。それにたじろぎつつ、三人が負けじと言い返す。


「う、五月蝿いっ! あんたこそ引っ込んでろ!」

「この礼儀知らず女に、身の程ってのを教え、てててっ!!」

「おい、離せよっ!」

 しかし喚き立てる三人を冷笑した城崎は、山崎を勢い良く突き飛ばしながら皮肉を放った。


「はっ、礼儀知らずはどっちだ? 年下の女性に絡んだ挙げ句、暴力を振るうとはな。営業一課はそんな教育をしているのか? どっちが柏木産業の面汚しなんだか」

「何だと?」

「言わせておけば……」

「そんなろくでもない事をやってる暇が有ったら、取引先の電話番号と担当者の名前を暗記するのに時間を使え。当然百件位はソラで言えるんだろうな?」

 正論を吐いた城崎に、青木と山崎は無言になった。しかし早川は、意地悪く顔を歪めながら確認を入れる。


「へぇ? じゃあ敏腕と名高い城崎係長様は言えるんですかね?」

「当たり前だ。軽く二百は頭に入れている。それに仕事上で関係が深い企画推進部、営業部、海外事業部、法務部、経理部の全社員の顔と名前を一致させているしな」

 それを聞いた早川は、鬼の首でも取ったように大笑いした。


「ははははっ! 聞いたかよ!? どうやら企画推進部ってのは、大言壮語とはったりをかます、身の程知らずの集まりらしいな! 全員で何人居ると思ってんだよ!」

「それなら試してみたらどうだ?」

 冷静に提案してきた城崎に、早川が嬉々として横のテーブルに座っていた人物を指差した。


「おもしれぇ。じゃあサクサク答えて貰おうか。この人は誰だ?」

「営業四課の松島智弘さんだ」

「じゃあこの人は?」

「経理部の但馬希美さん」

「それならこの人は?」

「法務部の麻生忠さん」

「それならこっちは!?」

「海外事業部の野崎昌彦さん」

「…………っ!」

 途中から青木と山崎も一緒になって食堂中を行き来し、指定した人物の所属を城崎に尋ねたが、五十人を越えても城崎は誰一人間違えずに即答し、質問していた三人は流石に顔色を変えた。


「どうした。もう終わりか?」

「五月蝿いっ!! じゃあこの人はっ!」

 そう叫びながら勢い良く早川が指差した人物を見て、城崎は最早憐れむ視線を向けた。


「お前な……、その人は、総務部庶務課長の森末さんだ。……お久しぶりです、森末課長」

 そう言って如才なく頭を下げて挨拶した城崎に、森末が笑って頷く。


「ああ、暫くぶりだね、城崎君。相変わらず冴え渡っているな」

 そして早川に向き直った城崎は、容赦なくとどめを刺した。


「日頃そんなに接する事がない部署とは言え、部課長クラス以上の方の名前と顔位は、全員分頭に叩き込んでおくんだな。これ以上恥の上塗りをする前に、とっとと失せろ」

「……っ」

「おい」

「ああ……」

 これ以上絡んでも無意味だと理解した三人は、悔しそうに顔を歪めながらスゴスゴと元の席へと戻って行った。それを見送った美幸が、上機嫌で城崎に声をかける。


「とっても格好良かったです、係長!」

 しかし城崎は、そんな褒め言葉に感激した素振りなど見せず、先程に負けない冷たい口調で問い質してきた。


「藤宮さん? 俺の警告を覚えているか? 忘れてしまったのなら、思い出させてやっても良いが……。それでも思い出せないなら、配置転換だな」

 それを聞いた美幸は、瞬時に(営業一課とは事を構えない)と言われたのを思い出し、真っ青になって弁解した。


「おおお覚えていますっ! でもあれはっ! 向こうから絡んで来たので、不可抗力でっ!」

 涙目で必死に訴える美幸を見て、城崎は小さく溜め息を吐く。


「前振りの君のあれもどうかとは思うが……、まあ、今回は大目にみようか。以後気を付けるように。それから……」

「な、何でしょうか?」

 びくびくしながら美幸がお伺いを立てると、城崎は僅かに身体を屈め、美幸の耳元で囁いた。


「報復する気なら、今回の様にあからさまに表には出さない事。かつスマートに、二課の不利にならない方法で遂行する。以上だ」

「……はぁ」

 思わず生返事をした美幸を、体勢を戻した城崎が目を眇めて見下ろした。それで美幸はピクッと弾かれたように直立不動の姿勢になり、力強く宣言する。


「はいっ! 以後、重々気を付けます!」

「良し。騒がせて悪かったね。ゆっくり食べてくれ」

「いえ」

「お気遣いなく」

 美幸に対して重々しく頷いてから、城崎が同席していた総司達に穏やかに笑いかけ、その場から立ち去った。それと同時に緊張が一気に解れた三人が、思わず声を漏らす。


「はぁ……、あれが二課の城崎係長? 実物を初めて見たけど、噂通りすんげぇ迫力」

「流石、柏木課長の下で、うるさ方を向こうに回してやってるだけあるわねぇ……。東成大首席卒業の噂は本当みたい」

「不味い。戻ったら、絶対先輩達にどやされる」

 一人頭を抱えた隆に対し、総司と晴香が同情する視線を向けた。


「頑張れ、隆」

「お疲れ」

 しかし美幸はその流れに同調せず、何やら一人でブツブツ呟く。


「うぅ~、やっぱり消化不良。一発殴らせたら正当防衛が成り立つから、ボコボコにしてやるつもりだったのに、係長が割り込んで来ちゃったから」

「美幸ったら、そんな事を考えていたの?」

「怖すぎる奴……」

 呆れた表情を隠そうともしない同僚達の視線を一身に浴びた美幸だったが、ここで勢い良く立ち上がった。


「よし! 係長の意見を踏まえた、良い方法を思い付いた! ごめん、用事が出来たからこれ食べて! それじゃあねっ!」

 そう言うやいなや美幸は止める間もなく走り去って行き、周りは唖然として見送った。


「あ、ちょっと美幸!」

「……相変わらず、思い付いたら即実行だな」

「ある意味羨ましいわ。でもこれ、どうしよう?」

 美幸が半分程残していったハヤシライスのトレーを見下ろしながら晴香が困惑顔で告げると、反対側に座っていた隆が嬉々としてそれに手を伸ばす。


「あ、俺食べるから」

「そう? じゃあお願い」

「おう」

 そうして皿に乗っているスプーンに手を伸ばした隆に、晴香がさり気なく問い掛けた。


「ひょっとして、『このスプーンで食べたら間接キスだ~』とか、痛過ぎる事を考えていない?」

 晴香がそう口にした途端隆はビシッと固まり、慌てて手にしたスプーンをトレーに置いて立ち上がる。


「かっ、考えてるわけないだろっ! 新しいスプーンを貰って来る!」

「あらそう、変な事言ってごめんなさいね」

「全く、変な事言うなよ!」

 そうして怒っている口調で文句を言いつつ、食器が揃えてある方に歩き出した隆の背中に、総司と晴香は生温かい視線を向けた。


「馬鹿だな」

「馬鹿よね」

 ある意味美幸以上に、この同期二人に心配されている隆だった。

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