伍文目 見えたのはきっと幻影で

 東京に住み始めてから一ヶ月。仕事にも馴染んできて、職場の先輩達とよく話したりご飯に行ったりするようになった。新聞配達をする日々の、束の間の休息。毎日、朝の二時と夕方二時に集合しては、必要な数だけチラシを新聞に組み込んだり、整頓してからバイクに乗せて出発する。大久保通りと山手通りが交差するこの場所は、出発時刻でも走っていく車が多い。

「さてと…… 今日も事故無く頑張ろう」

 そう呟いてヘルメットを被り、エンジンをかけてバイクに跨がる。気持ちを切り替え、仕事開始だ。三百、いやそれ以上ある配達件数。それをすべて覚え、今では順路帳というものが無くても配達できるまでになった。もちろん覚えるのは大変だったし、昼と夜では街の姿も違って見えるため、間違えることもあった。だけど、徐々に間違いを減らしていき、今では間違えることなど月に二、三度あるか無いかというくらいまでになった。

 まだ日差しが暑い、夕方の配達時間。今日も終わったら、本を読んだり絵を描いたりしたいな。そんなことを考えながら、残りを配っていた。


キキー ドン!


 身体に走る衝撃と、耳に残るブレーキ音。僕は目の前に出てきた車に反応できず、ぶつかった。幸いなのか宙に投げ出されることはなく、横に倒れたくらいだった。バイクは前輪が駄目になりその場から全く動かないほど壊れ、辺りには夕刊の新聞が飛び散っていた。所長に電話して、現場に到着するのを待った。そのあとは病院に検査するために行き、夕刊は代理の人が配ってくれたという。

 諸々のことが終わり、部屋に帰って布団に寝転がる。翔太と裕人さんの二人の名前が、スカイプのメッセージ欄に並ぶ。一応二人には、事故にあったことを伝えておこう。簡単な文章を送り、スマホを閉じる。少し時間が経ち、急にスカイプの呼び出し音が鳴り出した。

「誰だろう?」

 画面を点けて確認すると、相手は裕人さんだった。呼び出しに応え、通話を繋げる。

「どうしたんですか、裕人さん」

「事故にあったって来たから、心配になって……」

「大丈夫ですよ。幸い、大した怪我じゃなかったですし」

「そっか、なら良かったよ。怖かっただろうに」

 怖かった。その言葉を聞いた僕の頬には、緊張の糸が切れたのか涙が流れた。そのあとは、栓が外れたかのように溢れた。

「まこちゃん?」

「怖かったです…… 凄く、怖かった…… 死んじゃうのかと思った……」

 やっと認識できた恐怖と今話せていることの安堵で、もう涙が止まらなかった。打ち所がわるかったら、二度と会えなくなる。そんな危険と背中合わせだったことを、改めて確認した。

「お疲れさま、まこちゃん。明日、お休みなら慰めに行くんだけどな」

「明日…… 休みです…」

「それじゃあ、明日行くね。今日はもうおや

すみ」

「おやすみなさい……」

 僕は裕人さん別れを告げ、布団に潜り眠りに入った。

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