第65話 VS魔導書

「おい! どういう事だ! シロがあのおっさんと一緒に消えちまったぞ!」

 シロが元々いた境界では、突如として彼女が目の前で消失した事によりクロ達が混乱に陥っていた。

「あたしにもわかんないっての! 瞬間移動の術なんて知らないし!」

「幻術なんじゃないのか!?」

 クロは文化祭の時の早見の一件を思い出す。

「それならそれでそんな感じがするんだけど、そんな感じはしないよ今は!」

 話し方からイヴも焦りを感じている事が彼にもわかった。

「じゃあ何なんだよ! あのおっさんがどっかに連れてったんだろ!? 夏みたいに地面に潜った(※第36話参照)訳でもねーし! さっきまでここにいたんだぞ!」

「だっからあたしにもわかんないって!」

「役に立たねえババアだな!」

「何ですとー!?」

「ま、まあまあクロノ君! 落ち着いて!」

 ふたりのやり取りを見兼ねた薫がとりあえず冷静さを欠いていたクロをなだめた。

「クロノ君、さっきの人……悪魔なの?」

「ああ、多分な」

「悪魔って何の事?」

 陽菜が首を傾げる。彼女と結はシロやクロの正体を知らない。

「え、えーっとそれは……」

 薫が説明に困っている中、クロはぴりりと何かを感じ取った。

「……いや……この感覚……シロだ……!」

「え?」

「もうひとつは……あのおっさんか……? 近くにいる……!」

「近くにいるったって、どこにも見えないよ」

「それだ。消えた訳じゃない。見えなくなっただけなんだ。あいつはずっとここにいる」

「……体内の電気がセンサーの役割を果たしてるってのかい?」

「……」

 イヴの問い掛けにクロは何も答えずに目を閉じた。理屈なんかどうでもいい。ただ感じればいいんだ。シロがどこにいるか……。

 感覚を研ぎ澄ませる。静電気が発生した時の様にざわざわと毛が逆立ち始めた。もう少しだ、もう少しでわかりそうだ……。

 その時、身に纏っていた電気がばちっと空気中で何かを弾いた……見えた!

「そこかああああっ!」

 誰もいない方向に彼は勢いよく拳を振るった。


 シロに向かって来ていた男は急に空中から現れた拳によって横に倒れ込んだ。突然過ぎて彼女には何が何だかわからなかった。

 だが、今目の前に現れたのが誰なのかはすぐに理解した。

「……よお」

「ク……クロ!?」

 彼はゆっくりとシロのそばに来ると、彼女の肩から腕の辺りをぽんぽんと軽く叩いていく。

「怪我はねーか? シロ」

「うん……大丈夫」

「そっか……ならよかったよ」

 シロが特に負傷していない事を確認すると、続いて彼はきょろきょろと辺りを見回し始めた。

「……何かすっげー不気味な場所だな……どこだここ?」

「こ……ここは並行世界……らしいけど……」

「並行世界? 何だそれ?」

「なっ! なぜだ!」

「ん?」

 倒れていた男が身を起こした。

「何でこっちの世界に来れるんだ! まさか俺様の術が失敗してたっていうのか!? 天才の俺様が!?」

「知らん」

 クロは指を曲げ伸ばししながら力を入れる。ばりっと塵が焦げた。

「お前をぶっ倒して元の世界に戻る」

「なぜだ……なぜなんだ……なぜこっちの世界に……ましてや魔術も使えない悪魔でもない奴が……!」

「一応確認するぞ。お前悪い悪魔か?」

 質問しながら一歩一歩クロは男に近付いていた。ひとりでぶつぶつと呟いていた彼はそれに気付き、元の調子に戻る。

「俺様が悪い悪魔かだって? そりゃ悪いに決まってるだろう! 何てったって世界を支配してやるんだからな!」

 言い終えた時にはクロはすっかり彼の目の前に来ていた。

「あ、そう」

 とクロは呟き彼の顔面に電流混じりのパンチを打つ。

「ぶへっ!」

「ちょ、ちょっと待ってクロ!」

「ふん」

 ばちり。

「ぶほっ!」

「そ、その人は操られてるだけで本当は……!」

「ほい」

 ばちり。

「げふっ!」

「聞いて!?」

「そ、そうだぞがはっ! これはこの人間の体であってぶふっ! 俺様の物ではぐへえっ!」

「え? 何?」

 ようやく何かを伝えようとしている事に気付き彼は男の服の襟元を掴んで殴るのをやめた。

「その人は人間なの! 手に持ってる本の中に潜んでた悪魔の意識が乗っ取って操ってるだけなの!」

「そうだぞガキ! だからこの体を傷付ければ結果的に……」

「知らん」

 ばちり。

「ぐはーっ!」

 ええ……? シロは口をあんぐりと開けた。

「だから何とかしてその人の中から意識を引っ張り出さなきゃいけないの!」

「なるほどねー……」

 と言いながらも、やはりクロは再び殴り続ける手を止めなかった。

「痛いっ! ……だから、何でお前はこっちの世界にあいたあっ! 来れたんだよびりびりいっ! ん……びりびり……? 電気…………電子……?」

 防御もせずにただひたすら生意気な少年がこちらの世界に侵入してこれた理由を推測していたガレインはひとつの仮説に行き着いた。

「まっ、まさか貴様! 電子を操り流動させて、こっちの世界に入り込んできたのか!?」

「だから知らんって」

 今度はアッパーカット!

「ぎゃぶうっ!」

 男はまた倒れ込んだ。

 クロの言う通り、彼自身はどういう理屈で並行世界に来れたのかは理解していない。人体を構成する原子の中には必ず電子が含まれる。彼は無意識の内にその極小単位で自身の体を動かしてきた、というのがガレインが導き出した答えだった。

「今のは脳が揺れたんじゃねーのか? 意識ってのはつまり脳に潜んでんだろ? あ、でもこうする方がえーかな」

 クロは男が手放した本を拾う。

「なっ! それは俺様の本体! 本だけに!」

「つまんね」

 びりっ! とページを一枚破った。

「あいたあっ!」

「とりゃ」

 びりっ!

「ぐへえっ!」

「こちょこちょこちょこちょ……」

「ぎゃははははははは! く、くすぐったい! ……って何さらすんじゃ!」

「……ええ……?」

 ふたりの戦いを遠目に見ていたシロは脱力するしかなかった。あれえ、あの人もしかして、お馬鹿さん……?

「ああもうしぶてーな。ならばこれはどうだ!」

 ぱたん! と強い力でクロは本を閉じた。

「うっぎゃあ! も、もうちょっと優しく……!」

 と男が悲鳴を上げている間にすぐに彼はまたその前に迫り、頭を両手で掴む。

「直にやるぞおら」

「う、ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴあああああああああああららららららあらら!」

 男の体ががくがくと揺れ始めた。

「ク、クロ!?」

「低周波で極力脳だけ揺らす。リスキーだろうけど、これが一番直接効くんじゃねーのかな」

 男の目はしだいに虚ろになっていき、やがて完全に白目を剥いた。口からは泡をぶくぶくと吐き出していた。

「あああああああがぼああああごぼお……おああ……あア……アアアアアアアアアアアアアッ!」

 狂気じみた叫び声と共にどす黒い煙の様な物が彼の体から噴出する。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 悲鳴によって世界が崩れていく様に、空間がぐらりと歪む。

「きゃっ!」

「なっ、何だ!?」

 景色が次々と切り替わっていく。大理石で造られた神殿、のどかな田園風景、遥か下を川が流れる断崖……様々な風景が、人が、空間に映る。

「何だこれ!?」

「世界が歪んでる……!? 空間が色々な時代、色々な世界をさまよってる……もしかしたらこの術、まだ不安定だったのかも!」

「!?」

 また世界が移ろい、ふたりの目には三人の子供達の映像が飛び込んできた。

「……イ、イヴ!? それに……」

 そこにはなぜかイヴの姿。そしてその後ろにいるふたりもまた、同い年ほどに見える。ひとりは黒髪の少女、そしてもうひとりは銀髪の少年。その少年の顔にクロは少し見覚えがあった。

「……! こいつは……!」

 ごくん、とすぐに世界が切り替わる。

「きゃああっ! ねえクロ! 私達元の境界に戻れるのかな!?」

「だっ……だから知らねーって!」

 時間と空間の流れの中を目まぐるしく漂っていき、一分ほどを体感した後ふたりを包む全てが戦いの前までいた病院のそばに戻ってきた。

「……かっ、帰って来た!」

「シロちゃあん!」

「わっ!」

 息つく間もなく今度は何かがシロの体をぎゅっと縛る……柔らかいこの感触は……。

「陽菜!?」

「びっくりしたよおっ! 急に消えちゃって! もう会えないのかと思ったよおっ!」

 彼女は泣いていた。鼻をすする音がシロの耳元で聞こえる。友達を悲しませてしまった。王女として情けない。

「ご、ごめんね、ごめんね陽菜……」

 安心させようと背中をぽんぽんと叩いてあげた。

「感動の再会……はもう少し後になりそうだよ」

 イヴの声で一同は空を見た。先ほど男から発せられた黒い煙がもくもくと広がり、ある一点で膨らみ始めた。

「はああっ!」

 唸り声がして空が暗転する。つい今まで太陽が昇っていたのに、いつの間にか星が見え、半分に欠けた月が輝いていた。

「今度は何よ!?」

「きゅ、急に夜になった!? あれ? さっきまで昼じゃなかったっけ!?」

 結と薫が叫ぶ。

「野郎……」

 クロは空に浮かぶローブを纏った男の姿を見た。

「ふふ……はーっはっはっはっはっは! 俺様、完全、復活!!」

 茶色い肌に黒い瞳。背中まで伸びる癖のついた長い髪。そして、闇にはためく大きな翼。あれが、ガレイン……!

「術は不安定だったが、今の時空漂流で莫大なエネルギーを取り込めた! 弱々しい人間の体などもういらん!」

「もうっ、何なの!? さっきから訳がわかんないよ!」

 陽菜はまたシロの肩に顔をうずめた。彼女の体を、心を包む恐怖……それは確実に、この街に、世界に広がり始めていた。

「ごめん、ごめん……ごめんね、陽菜。ごめんね、みんな……」

「……どうしてシロちゃんが謝るの?」

「私に少なからず関係があるから……だから……だから、私が行かなくちゃ」

「も、もう急にいなくなっちゃうのはやだよ!」

「……行くって、今度はどこに……それに、あんたその羽……」

「決まってるでしょ」

 戸惑う友人に、王女は決意の籠った眼差しで答え、出来るだけ不安を払拭してあげられる様にいつも通りの顔で微笑んだ。

「戦いにだよ」

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