第64話 魔導書の陰謀

 シロは男が発動した魔術に巻き込まれ、見知らぬ土地に立っていた。空は薄暗く、何も無い荒れ果てた場所。いや、何も無い訳ではない。瓦礫やコンクリートの塊がそこら中に散らばっている。かつて確実にこの場所に何かがあった事は確かだ。

「こ……ここは……?」

 辺りに人はひとりもいない。ただごおごおと風が吹きすさぶ音だけが聞こえる。

「同じだよ。さっきまで俺達がいた場所とな」

 男は彼女から数十メートル離れた場所に立っていた。邪悪な笑みを浮かべ、シロの顔を見据えていた。

「同じ場所……? どういう事……?」

「少し座標を変えただけだ」

「座標……?」

「並行世界という物を知っているか? 枝分かれしている分岐した世界だ」

「パラレル・ワールド……ですよね。靴を履く時に右足から履く自分と、左足から履く自分が存在する」

「そうだ」

「ここがそのパラレル・ワールドのひとつだとでも……?」

「その通り。この様子だと、この世界じゃ少なくともこの一帯の人間は滅んでいる様だな」

 並行世界。様々な事象から作られていく、世界の様々な可能性。今シロ達がいるこの退廃した世界も、その内のひとつ。これまで暮らしていた物とはほとんど別の世界といってもいい雰囲気だ。

 並行世界は決して見る事は出来ないと言われている。だが、この男は魔術によって彼女を連れて来たと言うのだ。

「ここで私をどうするつもり?」

「どうするだと? 俺様の邪魔をしようとしてるんだ。殺すに決まってるだろう。もうひとりのガキは損ねたが」

 殺すという言葉を躊躇無く使う彼に、シロは恐怖を覚えた。ああ、この人は……多分悪い人だ。

「それから……」

「それから……?」

「何より、俺様が凄いという事を見せ付けたかったのだよ! はーっはっはっはっ!」

 急に彼は大仰に笑い出した。

「……は?」

「貴様、悪魔の王女か」

「……そうです。あなたは何者ですか」

「俺様は天才だ。魔界中の誰よりも魔力に溢れ、術に長ける。世界の全てを掌握すべき男……! ガレイン様だ!」

「ガレイン……?」

「ガレインだと言ってるだろう! 言葉に気を付けろ!」

「あなたこそ、王女に対してその話し方は無いんじゃなくって?」

「知らん! 魔王家など糞食らえだ! 世界は力がある者が支配すればいい! 俺様には魔王家をも超える力がある!」

「……聞きたい事があります。あなたの目的は何ですか。なぜ同じ時間を何度も繰り返したの」

「完全復活を果たすためだ」

「完全復活?」

「そうだ。俺様は1000年前、本の中に封印された。だが5ヶ月前……だったかな? 運よく時空の歪みに巻き込まれてこの境界に流されてきた……あれは多分自然発生ではなく、誰かが人為的に歪めたんだと思うが……それから俺様は、ずっと復活の機会を狙っていたんだ」

「本? ……まさか」

 シロは視線を男の顔からその手に持たれている本へと移す。まさか私が今話しているのは、この男の人ではなくて、あの本……? 本に封じられていた意識が、この人の意識を乗っ取っているとでもいうの……?

「そのためには大きなエネルギーが必要だった。存在していない体を存在させるのだ。そこで天才的な俺様は考えた。時間を操作した時のエネルギーを利用してやろうと。俺ひとりでは魔術を使う事は出来なかった。だから人間の体を依り代にして利用した」

「……じゃあやっぱり、その体は今あなたが操っていると……!」

「そうだ。こいつ・・・は娘を亡くした。それを利用してやったんだよ」

「何度も何度も巻き戻しを……まさか、その娘さんを殺したのも……」

「いや? 俺様はこいつの娘は一度たりとも殺してないぞ? 運命なんて物があるのかは知らんが、こいつの娘の死は全て偶然だった。いや、必然かもしれんが。俺様に迫ろうとしていたお前達は殺そうとしたがな」

「! やはりあなたの仕業だったのね……あの事故は」

 先ほどの電車の事故を彼女は思い出した。シロとイヴだけではなく、クロや陽菜達、それに関係の無い人々までがあの事故で怖い思いをした。その事を考えると、彼女は攻撃的意思を宿して拳を握った。

「もうひとつお尋ねします……完全復活を果たして、あなたは何をするのですか」

「世界の支配」

 彼はシロの質問に少しの間も置かずに答える。それを聞いた途端にシロのオーラが爆発的に高まった。

 この人はやっぱり……悪だ!

 瞬時に翼を広げて彼女は男に飛び掛かった。しかし振り上げた拳はいとも簡単に受け止められてしまう。

「いい動きだ。幼くてもやはり王家か」

「……お褒め下さりありがとうございます!」

 今度は左手を下から突き上げる。だが……。

「いいのか? この体は俺様の物ではないのだぞ?」

「!」

 彼のこの言葉でシロはぴたりと動きを止めざるを得なかった。

「……これだから子供は」

「……うぐっ!」

 腹部に蹴りを受けると、シロはそのまま真っ直ぐ後方に飛ばされた。

「知ってるぞ? 貴様、あの白髪の天使のガキに恋心を抱いてるんだろう?」

「! ……どうしてそれを……!」

「さっきこっちの世界に引きずり込むのと同時に貴様の心を読み取った」

「……!」

 シロの怒りがますます強くなった。心の一番奥の方に隠してある、大切な気持ちを……こんな卑しい者に容易たやすく読み取られた事が屈辱的だった。恥ずかしくてしょうがない。

「なぜ明日を望む?」

「……え?」

「俺様に立ち向かって来る貴様らを感じて、純粋に疑問を持ったんだよ。貴様がその思いを伝えたとする。だけど結果は貴様の期待に反する事だって大いにありるだろう。いや、そっちの方が可能性としては大きいかもしれない。ならなぜ未来を所望する? 貴様も思っていただろう。この時間が永遠に続けばいいと。ならそれでいいんじゃないのか? 絶望するかもしれない未来なんて来なくてもいい。そうは思わないのか」

「……それは……」

「なぜそうまでして未来にこだわる。今が楽しいんだろう? それでいいんじゃないか? 楽しい時間なら永遠に続けばいい」

「……確かにあなたの言う通りかもしれない。私が勇気を出して告白したって、きっと理想通りにならない可能性だって十分ある。その時は、きっと、きっとすっごく悲しくなって、たくさんたくさん涙を流して……声がれるまで泣くんだと思う。それでも……希望だってあるでしょう」

「……それがたとえ1%だったとしたら?」

「それでも! 1%でも、希望は存在してくれてるんでしょう? だったら私は、その1%の景色が見てみたいの。それに、これから先その1%が10%にも20%にも……もしかしたらひゃ、100%にまで膨れ上がる事だってあるかもしれない!」

「0%になる可能性もある」

「うるさい! 何より私、まだ好きな人に好きって気持ち伝えてないもの! この気持ちは伝えなきゃいけない! 絶望したって、伝える事が私にとって大切なの! 大人にだってなりたい。お母様みたいな、素敵な女性になりたい。だから私は未来が欲しい……明日が欲しい!」

「……その気持ちは俺様にはよくわからん……」

 彼はふるふると首を左右に振る。

「まあいい。どうせ貴様には未来なんて無い。もうすぐここで死ぬんだからな」

「……っ!」

 どうする。シロは考えた。今目の前の人間の男の体にはガレインという悪魔の意識が入り込んでいるだけだ。このまま攻撃を与えてもいいが、結果的に男の体を傷付ける事になってしまう。

 何とかして意識を引っ張り出さないといけない……!

 でもどうすればいいのだろう。そんな術、私は知らない。イヴさんがいてくれたら何とかなったかもしれないけど……!

 今この場には、この世界にはシロたったひとりしかいない。誰も助けてくれない。考えろ。考えるんだ。私ひとりで戦うんだ。

「今度はこちらから行くぞ! 王女ぉ!」

 ……来るっ!

「ごばふうっ!!」

「……え?」

 彼が走り始めたその時、電流を纏った小さな拳が横から鉄槌のごとくその頬に打ち付けられた。ばちりと音を立て、男は体勢を崩し倒れ込んだ。

「……よお」

 聞き慣れた淡泊な声と共に銀髪の少年が、彼女の愛しい愛しい彼が、その眼前にふわりと舞い降りた。

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