第62話 逃れられぬ定め

 俺の名前は守田幸信もりたゆきのぶ。年齢は36。仕事は映画監督をやっている。映像系の専門学校を卒業後、コネで映画の制作に参加。それから十年ほど助監督として経験を積み、つい三年前に監督としてデビューした。不安定ではあるが、毎年、少しずつではあるが確実に収入は増えていっていた。

 妻とは21の時に出会った。23の時に子供が出来、そのまま結婚。決して裕福ではなかったが、妻子は俺が守って、育てていかなくちゃいけない、そう思いながら映画を作り続けていた。

 29の時に妻が病気で死んだ。それからは男手一つで娘を何とか養っていった。このごろはようやく仕事が軌道に乗り始めていた。俺にとっては、この娘が唯一の宝だった。

 そして今日。今日。ああ、今日……。

 今日、そのたったひとりの大切な娘が、ああ、死んだ。死んだ。死んでしまった。死んだんだ。死んでいる。何度確かめたってそうだ。娘はぴくりとも動かない。死んだ。死んだ。娘が死んだ……死んだ。

 ………………………………………………………………………………………………死んだ。

 事故だった。仕事に疲れていてついうとうとと居眠り運転をしていたそうだ。そのまま歩道に乗り上げ、俺の隣をかすめていった。俺の隣……そうだ、その時俺の隣にいたんだ。

 どうして俺がそこを歩いていなかったんだろう。俺は何度も自分を責めた。どうして娘の左ではなく、右を歩いていなかったんだろう、と。

 その時、救急車に重体の娘と一緒に乗り込む直前に、なぜかその場に落ちていて、なぜかふと拾ってしまっていたその古臭い本から、悪魔の様な囁き声が聞こえてきた。

『娘を生き返らせたくないか』

「……え?」

『娘の死を無かったことにしたくないか』

「……どういう事だ?」

 誰もいない部屋で、俺は本に話しかけていた。

『私は魔導書だ。私の体にはいくつもの魔術が刻み込まれている』

「魔導書……?」

『そうだ。こちらに来て開いてみるといい』

 言われるがまま、俺は本を手に取り、表紙に目をやった。茶色いハードカバーで、どこの国の物かわからない字が書かれている。タイトルだろうか。俺には読めない。

 ぺらぺらとページをめくっていく。どのページにも異国の文字がびっしりと書き記されていた。

 三分の一ほどまでめくった時、とある文字列が光を放ち不気味に輝いているのがすぐにわかった。俺はついごくりと唾を飲み込む。

「……ここだけ光って……」

『さあ唱えろ。読めるはずだ』

「え……?」

 恐る恐るその文字列を凝視する。やはり見た事が無い文字に変わりはないが、なぜだろう、確かにこの文字列だけ読める……。

「……ウェ……ウェンディル……?」

『……確かに唱えたな』

「? 唱えた……? 今のがその呪文か何かなのか……?」

『明日になればわかる』

「……!?」

 の言った通り、俺が何をしたのかは翌朝になるとわかった。

 娘は、昨日の朝と同じ様に私のそばにいた。生きている。ちゃんと喋るし、ちゃんと笑う。生きている。

 時間が巻き戻されていたんだ。昨日の朝と全く同じ状況になっていた。実際日付けも昨日の物だった。だがなぜだか、昨日娘の事故現場で拾ったはずの魔導書が俺の手元にあった。

 よかった。娘は死んでいない。俺は娘にせがまれていた買い物にまた・・付き合う事にした。娘はこの日を楽しみにしていたのだ。この娘の笑顔が見れるなら俺はそれでよかった。

 だが、娘はまた死んだ。今度は通り魔に刺されて死んだ。なぜだ。俺はまた苦しんだ。リュックに入れて持ち歩いていた魔導書がまた声を出した。

『悲しむ必要は無いだろう。お前はどうすればいいか知っているはずだ』

「……!」

 俺はまた時間を巻き戻した。

 だが……何度やっても、未来は変わらなかった。何度今日を繰り返しても娘は死ぬ。買い物に出かけなくても結局結末は同じだった。それでも俺は何度も何度も今日を繰り返した。


「あそこ!」

 この日・・・は今までとは違った。事故現場に突如ふたりの女の子が現れ、俺の方を指差して見てきた。

『早く唱えろ!』

「え?」

 彼の声からは珍しく焦りが感じられた。

『私の存在がバレた! 早く術を使え! 奴らはお前を殺しに来るぞ!』

「え……?」

「あの人が悪魔? ……まさかあの人がこの事故を……?」

「う……うわあああああああああああああああああああ!」

 俺は訳もわからず必死になっていた。

「ウェンディル!」

「まずいっ!」

 女の子のひとりが俺の方に走って来る。本自体が激しく輝いていた。今までとは少し違う。

 そして、目の前が真っ白になった―――。

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