第58話 シロが産まれた日

 会議の間では今日も議論が交わされていた。議題は「ベルノーク半島東部の廃鉱山の活用について」である。かつて栄えたその鉱山からは金が大量に採掘され、魔界中に流通していた。その大きな役割から、ベルノーク半島を抱える一国ではなく、王家の所轄として管理、保護されていたのだ。だがその金もついに底を突き、二十年ほど前に閉山し、そのまま放置されてしまっていた。

「……」

 王子アレクサンドは腕を組み、落ち着きが無い様子で床を足でコツコツと鳴らしていた。この頃の彼はまだ太ってはおらず、スマートな印象を与えられた。

「アレクサンド様……アレクサンド様」

「え?」

 名前を何度か呼ばれているのに気づき彼はやっと返事をする。

「アレクサンド様はどの様にお考えでしょうか」

「そんなの、フラワー・ガーデンに決まってるだろう!」

「……なるほど、山を開いて、庭園を造ろうという訳ですね」

「え? 山?」

「馬鹿者!」

 隣に座っていた父が彼の頭をばちんと叩く。

「会議に集中せいと言っとるだろう!」

「痛いなーお父様」

 親子のやり取りを見ていた出席者達は失笑する。事情を理解できていなかったひとりの男がそばにいたサバスにこそこそと尋ねた。

「あのー……アレクサンド様は一体どうなさったのですか?」

「……お前は何も知らないのか? 今日は何の日だ。それでも王家に仕える者か」

「……あ!」

 サバスの言葉を聞き、彼はようやく理解した。今日が何の日なのかを。

「公私をわきまえろと何度も言っておるだろう! 全く、大切な会議中にお前は娘と行きたい場所など考えおって!」

「す、すみません……」

 父の説教にアレクサンドはしぶしぶといった感じで謝る。が、顔はまだどこか上の空だ。

「……さて……すまなかったな、愚息が迷惑をかけて。では、会議に戻るぞ」

 魔王が仕切り直そうとした、その時、扉がバタンと開かれ使用人が会議室に駆け込んできた。

「ア、アレクサンド様あっ! おっ、おっ、おっ、おおおおおおおおおおお生まれになりましたあっ!!」

「! ほ……本当かいっ!?」

 アレクサンドが立ち上がるよりも先に魔王がダン! と腰を上げ(とても七十代の動きには見えなかった)、ぐるりと急旋回すると脱兎のごとく廊下へと走り去る。慌てて彼も後を追った。

「アレックス!」

「な、何だいお父様……!」

「ワシも行くからな! フラワー・ガーデン! それまでは何が何でも死なんからな!」


「ティア!」

 病室に到着したふたりは声を揃えて彼女の名を叫んだ。魔王子妃、ティアラ・エリシアは上半身だけ起こしてベッドに座っていた。

 今日は魔界中が待望していた、王子と王子妃の子供の出産予定日だった。

「あなた、お義父とう様」

「おお!」

 魔王は義娘ぎじょうの腕に大事そうに抱かれている小さな赤ん坊を見て思わず嬉しい声を上げる。

「こっ……これが……この子が……!」

 彼女の元へ近付くと、ゆっくりと赤ん坊を預かり、落とさない様に慎重に慎重に抱え上げた。

「この子が……! ワシの孫か……!」

「ああっ! お父様ずるい! 私が真っ先に抱こうと思ってたのに!」

「ワシはお前のおじいちゃんだぞ~、クロ」

 文句を言う息子を尻目に父は構わず孫に話しかけていた。すると赤ん坊の顔がだんだんと歪んでいき……。

「おぎゃあああああああああああああああっ!」

 泣き始めてしまった。戸惑う祖父。

「ああ! 泣いてしまった!」

「お父様の顔が怖いんだよ!」

「何じゃと!?」

「あらあら、せっかく大人しくなったばかりなのに」

「ほ~ら、お父さんだよ~。しわしわの魔獣みたいなおじいちゃんは怖かったでちゅね~」

「お前、実の父に何て事を……!」

 アレクサンドは強引に父の手から娘を奪い取りあやしはじめるが、機嫌はなかなか直らない。

「こっちにちょうだい」

 見兼ねたティアラが手を伸ばしたので、彼は仕方なく赤ん坊を妻へと返した。

「ほ~ら、お母さんですよ。怖かったね~」

 不思議な事に、母の声を聞くと赤ん坊はすぐに泣き止んだ。何か、不公平だ、と男ふたりは思う。

「……やっぱりお母さんの腕の中が一番落ち着くのかな」

「もう、そんな悲しそうな顔しないでよ。あなたの腕でだって落ち着いてもらわないと困るんですからね」

 ティアラの声は力強かった。これが母の顔なのか、とアレクサンドは感じる。彼女の腕の方が自分の腕よりもずっと細いのに、何倍も大きく、頼もしく見える。彼女は今母になっているのだ。それに比べて自分はどうだろう。しっかりと、父になれるのだろうか。

「これからふたりで育てていくんですから」

「ワ……ワシは?」

「! あ、す、すみませんお義父様! もちろん、お義父様もご一緒にですよ!」

「それにしても、君にそっくりだなあ、クロエは」

「あら、目元はあなたにそっくりよ」

「そ、そうかなあ……」

 彼がしげしげと娘の顔を眺めていると、突然ティアラが申し訳無さそうな声を出した。

「あ……そういえば、名前なんだけど……」

「何だい? クロエじゃ駄目かい?」

「ううん。クロエも可愛い名前だと思うんだけど、やっぱりシエル……というのはどうかしら」

「シエル?」

「ええ。昔本で見たの。境界の言葉みたいで、空っていう意味があるんだって」

「空か……大地、じゃなくて?」

 魔界には「命地一体」という言葉がある。悪魔は大地より生まれ、大地によって育てられ、そして大地に還っていく。大地は悪魔にとって特別な存在なのだ。

「ええ。私達は大地に育てられ、守られているわ。だからこの娘は、降りかかる災厄から、民を……大切な人達を守れる様に……空みたいに、優しく包み込んであげられる様に……だから、シエル

「……素敵な名前だ」

 産まれたばかりの娘の顔を覗き込み、アレクサンドは声をかけた。

「これからよろしくね、シロ」



 ああ、ティア。

 私達の娘は、これほど立派に、大きく、強く、たくましく、そして優しく育ってくれたよ。


 君も、そこから見えているかい?

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