第57話 男のバレンタイン

 放課後になり、帰り支度を済ませたクロは薫と共に席を立った。今日はこれからふたりでゲームセンターに遊びに行く予定なのである。

 ふとポケットに入れていた、昼休みにシロからもらったチョコを取り出す。可愛らしい水玉模様の小袋は綺麗にリボンで結ばれていた。

「……何ニヤニヤしてるの?」

 薫がからかう様に声をかけてくる。恥ずかしくなり彼はすぐに反応した。

「べっ! 別にニヤニヤしてねーよ!」

「来月ちゃんとお返ししないとね」

「ああ、そうだな……」

 そう言いながら教室から出た時、クロは誰かとぶつかり、その拍子に手に持っていた小袋を廊下に落としてしまった。

「あいた」

「おおっ、ごめんごめん」

 ぶつかった男子生徒もばらばらと抱えていた物を落とす。その顔にクロは見覚えがあった。確か隣のクラスの有栖川ありすがわとかいう奴だ。イギリス育ちの帰国子女とかいう。

「チョコで前が見えなかったんだよ、ごめんよクロノ君」

 端整な顔立ちの彼は少しも悪びれずにそんな台詞を吐く。少し変わった奴だが、悪い性格ではなさそうな事はクロも知っていた。

「いやー随分もらっちゃってねえ」

「大変だな、お前」

「全くだよ。何ならクロノ君、半分ぐらいいるかい?」

「いや、いらねー。もう間に合ってる」

 チョコを拾うのを手伝ってからふたりは彼と別れた。


「……にしても、少し腹減ったな」

 その後繁華街へ向かう途中、空腹に耐えられずにクロは再びポケットからチョコの小袋を出した。

「今食べちゃうの?」

「1、2個くらい食おうかな」

 とリボンを解こうとした時、何かに気付く。

「……ん?」

 何か変だ。何かが違う。何だ……?

 少し考えて、彼ははっとした。色だ。袋の色が違うのだ。シロからもらったのは水色の袋だった。だが今彼の手にあるのは、赤色の袋だ。

「……何でだ?」

 もう一度考え込む。時間が経つと色が変わる魔術がかけられてるとか、そんなんじゃねーよな……。

「……あ」

 有栖川とぶつかった時の事を思い出す。あの時ばらばらと彼も抱えていたたくさんのチョコを床に落としていた。その時に……。

「入れ替わっちまったのか……」

「? どうかしたの?」

「いや、間違って有栖川の奴を拾って来ちまったらしい」

「ええっ!? じゃ、じゃあ急いで交換に行かないと……!」

「……んん~~~~~~……」

 彼は眉間にしわを寄せた。たかがチョコだ。事故で入れ替わっちまった訳だし、それに今頃有栖川がどこにいるかなんて……。

 しかし、昼間のシロの顔が脳裏をよぎる。

「ああ~~~~~~~……!」

 ぐしゃぐしゃと頭を掻くと、

「悪い薫。ゲーセンはまた今度にしてくれ」

そう言って来た道を戻って行った。


 その頃シロと陽菜、それに結の三人は聖道学園大学内にあるカフェでバレンタインのプチ慰安会を開いていた。構内にある店舗は聖道学園の生徒はもちろん、一般の部外者も利用出来る様になっている。

「いやーシロちゃんは頑張ったよ」

「にしてもクロちゃん、ほんと鈍いねえ」

「そこがクロちゃんらしいんだけどね」

「何か……私、恥ずかしい所見せちゃった気がする」

 コーヒーを一口啜った後、シロは昼休みの自分を反芻していた。

「そんな事ないよ。シロちゃんは頑張ったんだから、全然恥ずかしくないよ」

「そうそう。むしろクロちゃんが恥ずかしいよ。男として恥ずかしいよ」

「そうだ! 男として恥ずかしいぞ! クロちゃん!」

「……あんまり悪く言わないでね」

 さり気なく彼をフォローするシロに友人ふたりはえ上がった。

「も~う、惚気のろけちゃって」

「早くくっつけこの野郎!」

「そう簡単に言われましても……」

 はあ、とシロが溜め息をついた時、カランカランと入り口のベルが鳴りひとりの客が入って来た。意外にもその人物はギルバートだ。

「あ……ギル」

「え? ……あ、ほんとだ。店長さんだ」

「あら? これはこれはお三方揃いで。相変わらず仲ええですな」

「今日はお店休みなの?」

「たまにはと思いまして。あ、そーいえば王女……やのうて、シエルさんは坊ちゃんにチョコ渡したんです?」

「うん。何とか。昨日はありがとう、厨房貸してくれて」

「いえいえ。ワイも姐さんから美味しいチョコもらいましたさかい、ええですよ」

「そう……よかったね……ん?」

 今の彼の発言に、シロはどこか引っ掛かる。

「……美味しかったの? イヴさんからもらったチョコ」

「ええ。普通に甘くて美味しかったですよ」

「……ん?」

 昨夜の事を思い出す。確か、成功作は自分が持ち帰って、イヴは苦い失敗作を持ち帰ったはずだ。

「……あれ……?」

 まさか、と胸の内がざわつき始める。もしかして、私が持ち帰って、今日クロに渡した物は……。

「ご、ごめん!」

 彼女はがたんと椅子を引いて立ち上がった。

「ちょ、ちょっと用事思い出したから帰るね!」


 クロはとりあえず一旦学校に戻る事にした。もしかしたら有栖川がまだ校内にいるかもしれないからだ。昇降口に入ると上履きに履き替えすぐに階段を上る。ぐるりと踊り場を回った時、誰かとまたぶつかった。

「いてっ!」

「うわっ!」

 何と奇跡的にその相手は有栖川だったのである。こんな偶然があっていいのか。

「有栖川!」

「や、やあクロノ君。よくぶつかるね」

 今度は彼はチョコをひとつも落としていない。

「お前……あのチョコどうしたんだ?」

「え?」

「あんなにたくさんあったじゃねーか。あれどうしたんだよ」

「ああ、リュックの中に入ってるよ。だいぶ減ったからね」

「ちょっと見せろ!」

「え?」

 強引にクロは彼のリュックサックを開けて中身を漁り始めた。

「これでもねー……これも違う」

「ちょ、ちょっと、何するのさクロノ君!」

「俺がもらった奴とお前がもらった奴が多分さっきぶつかった時に入れ替わったんだよ。これが元々お前がもらった奴だ」

 そう言って水玉模様の入った赤い小袋を彼に見せる。

「これの色違いがあるはずなんだよ」

「それ……あるかなあ」

「だからあるはずなんだって!」

「いや、もしかしたらもう無いかも」

「え? どういう事だよ」

「言っただろ? だいぶ減ったって。さっきまで適当に配ってたんだよ。ようやく軽くなったからこれから帰ろうとしてたんだ。ま、と言ってもリュックはパンパンだけどね」

「何だよそれ……とにかく全部見せろ!」

 踊り場にチョコを広げてひとつひとつ確認していく。が、クロの手元にある様な小袋は見付からない。

「どうやらもう誰かにあげちゃったみたいだね」

「誰だ! 誰にやったんだ」

「そう言われても……ん~と……あ! 思い出した!」

「誰だよ」

「さっきみたいな小袋だよねえ……確か君のクラスの……及川おいかわ君だったかな、野球部の」

「及川……あいつか!」

 クロは頭にひとりの生徒の顔を思い浮かべる。

「及川はもう帰ったのか?」

「いや、これから部活だって言ってたよ。多分球場にいるんじゃないかな」

「わかった! サンキュな!」

 軽く礼を述べると彼は踵を返して階段を下りて行った。

「おーい! 片付けるの手伝ってくれよ!」


「これはこれは、怪しい展開になってきたねえ」

 中等部の野球場へと走る最中、突然イヴがひょいと横から現れた。もちろん制服姿のままだ。

「イヴ!? お前まだそんなかっこでぶらぶらしてんのかよ! その年じゃもうキツいぞ!」

「シロが一生懸命作ったチョコを、あんたがどんな顔して食べるのかと思ってね」

「それが今俺の手元にねーんだよ」

「知ってるよ。ずーっとけてたから♡」

「お前……趣味りーな」

「てへっ☆」

 彼女は舌を出してウインクをぱちり。

「ほらほら、急がないと大事な大事なチョコが他の男に食べられちゃうかもよ?」

「るっせーな! だから急いでんだろうが!」

「おやおや、見せ付けてくれるねえ」

「……っ! だ~~~~~っ! うるせー!」

 頬を赤らめてからクロは速度を上げた。

 やっと野球場の入口に着いた時、たまたまシロも向かいから走って来ていた。

「! シロ?」

「あ! クロ! よかった! まだ学校にいたんだ! あ、あのねクロ、お昼に渡したチョコ……もしかしてもう食べた?」

「ギクリ! ……ま、まだだけど?」

「よかった! あのねクロ、あのチョコなんだけど……むがもごっ!」

 何かを言いかけていた彼女の口をイヴが塞ぐ。

「も……もぐもごむがむぎっ!?」

 イヴは彼女の耳元で何かをひそひそと話していた。

「? 悪いけどちょっと球場に用があんだ」

 そんなふたりに構っていられずに、クロは球場へと入っていく。

「むがむぐむごもぎぎっ!!」

「あんた、気付いたの?」

 シロの口を覆う指を少し緩めてイヴは尋ねた。

「ぷはっ! う、うん……さっきギルに会って」

「ギルの奴……余計な事を。あんた、食べちゃ駄目なんて言っちゃ駄目だよ♡」

「どうして? クロが……」

「馬鹿。言ったろ? 技術は関係無いって。味はどうあれあんたが作った物をあいつが食べる事に意味があるんだよ」

「……で、でも……」

「……なーんてね~! あたしは単に、あいつがどういう反応をするのか見たいだけなのにゃ~♪」

 シロから手を離すと彼女もクロの後を追い球場へ入る。

「にやりと八重歯を覗かす時は~、イヴちゃん何か企んでるの合図~♪」

「あっ! イヴさん!」

 シロも続いた。


 球場の中でクロはすぐに及川を見付けた。今からまさにシロのチョコを食べようとしていたのである。

「! 及川! 早まるなあっ!」

「? え?」

 袋からトリュフをひとつ摘まんでいた彼はクロに気が付く。しかし、その手は確実に口へと持って行かれていた。

「それは俺のチョコだああああああああああああああああああああああっ!」

「うわっ!」

 ヘッド・スライディングさながらに彼に飛び込むクロ。そのままぶつかるとふたり一緒に地面に倒れ込んだ。

「あっ!」

 及川の手に持たれていた物も小袋の中身も、チョコは全てぼとぼととグラウンドに落ちる。

「いってー……何すんだよクロノ」

「わっ、りー……その、お前が有栖川からもらったチョコは俺のなんだ。俺がもらった奴と入れ替わっちまって」

「ならそう言えよー」

「わっ……悪い」

 及川はパタパタと土を払いながら立ち上がる。

「その……代わりにこれやるからよ」

 クロは元々有栖川がもらっていたマーブル模様の小袋を彼に差し出した。

「おっ、サンキュー……けど、チョコ全部落ちちまったぞ」

「あ、ああ……」

「とりあえず、適当に片付けたらぱぱっと出てってくれ。これからグラウンド慣らすからさ。何かしんねーけど、今日はやたらと荒れてんだよ」

「……わかった」

 言い残すと彼は他の部員の元へと歩いて行った。

「……」

 クロはグラウンドに散らばっていたトリュフに目をやる。見事に全て土まみれだ。

「……」

「クロ!」

 そこにシロ達も息を切らしながらやって来る。

「あ……」

 状況を理解したのか、シロは無言になった。

「……」

 黙り込んだままクロは歩き出すと、近くに落ちている小さな塊をひとつ拾う。そして。

 ぱくり、とそれを口の中に運んだ。

「ああっ! ちょ、ちょっとクロ、何してるの!?」

 戸惑う彼女に見向きもせず、彼はそれをもぐもぐと噛み続けた……やはり、変な味だ……正直、不味い。しかし、しかしそんな事、シロに対して言う気持ちにはなれなかった。

「……クロ……それ、チョコじゃなくて、ただの土の塊だよ……」

「ぶーーーーーーっ!」

 どうりで土の味しかしない訳だ。いや、土なんて食べた事など無いが。想像だが。ちゃんと整備しとけよ! 彼が吹き出す様子を見てイヴは腹を抱えてけらけらと笑っている。

 仕切り直す様にクロはもう一度身をかがめて今度こそ本物のトリュフを拾い上げる。だが土まみれなのに変わりはない。

「ああ、だから駄目だって……!」

 気にせずぱくり。

「ああ……お、お腹壊しちゃうよ……!」

「……いや、普通に甘いぞ、これ」

「え?」


 必死に堪えるか、とイヴは観察していた。意外と男だねえ、あんたも。

 だけど、あたしでさえ我慢出来なかった不味さだ……いずれボロが出るだろう。その時、クロはどんな表情をするのか……!

 しかし、そんな仕草など少しも見せずに食べ終えると、彼は二個目をまた摘まんで口に入れた……あ、あれ? そんなに頑張ってんの?

「だから、これ普通に甘くて美味うめえって」

「むっ、無理しないでいいよ……!」

「無理してねーよ」

「……」

 見た感じ、本当に美味しく味わっている様に見える。彼女は冷静に分析をした。その結果。

 ……まさか、土の味があの苦さを打ち消し、かつ甘さを加えている……?

 という結論に達した。

 土で汚れた甘い味のチョコを嗜むクロ。そしてそれをあうあうと見つめながらも、どこか嬉しそうな顔をするシロ。これって結局……。

 けっ!!! あたしは見せ付けられてるだけかい!!! 心の中で舌打ちをする。

 だが、そんなふたりを見ていて、あたしにもこんな時期があったのかね、と過去を懐かしむ。あたしと、何度もあたしの名前を呼んでくれた、あいつにも、ルルゥにも、こんな時間があったのかな……。

 って、なーにをセンチになっちゃってんのかね、イヴちゃんは。

 彼女の嘲笑は晩冬の風に乗り何処いずこかへと流れて行った。

 こうして、シロとクロの少しだけ騒がしかったバレンタインは、幕を閉じたのであった。

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