第56話 乙女のバレンタイン(後編)
バレンタインデー当日。シロは昨日持ち帰って来たトリュフの小袋をにやにやしながら眺めていた。
渡すのは、朝以外がいいだろうね。
厨房で調理をしながらどのタイミングで渡せばいいのかイヴに相談すると、こんな答えが返ってきたのだった。
「
彼女の言葉にシロは少し考えてから答える。
「……だったら、学校で渡そうかなあ。人がいた方が何だか渡しやすそうな気もするし」
「友達もいるんだろう? 不安だったら付いてきてもらえばいいじゃないか」
「うん。そうしてみる」
昨夜のやり取りを思い返した少女は、チョコを大事に大事にカバンに仕舞った。
「おはようクロノ君」
「おう、はよー薫」
昇降口でシロと別れた直後、クロの元に薫がやってきた。いつも通りに挨拶を交わし彼は靴箱を開ける。するとそこには……。
「……何だこれ」
その中には包装紙で包まれた小さな箱が五、六個入っていた。
「……クロノ君、これはもしかしなくても……」
「もしかしなくても……?」
「チョコだよね」
「……チョコ?」
しばしの間じっと考えて、ああそうかとクロは合点した。今日はバレンタインだ。
「やっぱり、なかなか人気があるみたいだね、クロノ君」
「こんなにいらねーよ。薫、半分やるよ」
「え? それは駄目だよクロノ君! ちゃんと全部食べないと」
「……当分おやつには困らないな」
「はいシロちゃん」
一方シロは、教室に入ってしばらくすると陽菜から小さな小袋をもらった。
「シロちゃんにはその名に相応しい特製ホワイト・チョコだよ」
いわゆる友チョコという奴だ。わざわざ手作りをしてきたのだ。シロも彼女達の分を用意している。
「ありがとう……でもごめん、陽菜達には普通に売ってるのをそのまま持って来ちゃったんだけど」
「いいよいいよ、別に気を遣わなくても。シロちゃんには私達なんかよりももっと大切に渡したい人がいるんだから」
「んで? もう渡した訳?」
陽菜の隣にいた結が口を挟んだ。
「えーと……まだ。学校で渡そうと思って……」
「今から渡しに行く?」
「んーと……それはまだちょっと……心の準備が……」
「そっか……じゃあ昼休みとかは?」
「うん、そうしようかなって思ってる。それで……」
「私達にも付いてきて欲しいんでしょ?」
「! うん……」
言わずもがな、彼女達はシロの気持ちを理解していた。それだけ長い時間を共に過ごしてきたという証拠だ。
「大丈夫大丈夫。きちんと見守ってあげるから。それに、私達もクロちゃんと薫君に渡したいしねー」
「ありがとう……!」
「にょほほほ~、そうですか、昼休みですか」
その時突然甲高い声がし、誰かがにゅっと三人の間に入ってきた。シロはその声に聞き覚えがある……が、学校では決して聞く事の無い声だ。
「イ、イヴさん!?」
「どもども~」
なぜかイヴがシロ達の教室に入ってきていた。しかもばっちり聖道学園中等部の制服に身を包んでである。
「どうしてここに!? それに制服はどこから!?」
「まあまあ細かい事は置いといて。あたしもシロが無事にチョコを渡せるのかが気になってね~」
「あ、この間の
「どうも~。イヴちゃんで~っす……で、シロに秘策を教え忘れてたから、教えとこうと思ってさ」
「秘策?」
「そうそう。渡す時のちょっとした技をね……」
「?」
そして、昼休みがやってきた。
チャイムが鳴ると食事を取る前に真っ先にクロの教室へ行く事にした。陽菜と結と、それからついでにイヴもふらっと現れ付いてきてくれた。ちなみにイヴはこの時まで何をしていたのかというと、学園内をふらふらと散策したり、近辺で香林の園の宣伝をしたりしていたらしい。
幸いクロは教室で薫と弁当を食べようとしていた。ぞろぞろと友人を引き連れてやって来た彼女に彼は気付き、手を止めた。
「あれ、どうしたんだよシロ……って、何でイヴもいるんだよ」
「あ、あたしの事は気にしない気にしな~い」
「気になるわ。お前が一番」
「はいシロちゃん、それに薫君」
「ん?」
陽菜はさっと小袋に入ったチョコをふたりに渡した。
「義理~」
「お、おう……サンキュ」
「あ……ありがとう」
「私からも」
続いて結もふたりに手渡す。こうして先にふたりがチョコを渡す事によって、シロも渡しやすい空気を作るという作戦であった。
そして最後に、いよいよシロの番だ。
「ご……ごほんごほんっ」
彼女は握った手を口元に当て、わざとらしく咳をした。というかわざと咳き込むフリをした。
「わ……私も……その……」
「? 何だ? お前もくれるのか?」
「そ……その……クロが欲しいって言うんだったらその、別に、あ、あげない事も無いんだけど……」
もじもじとしながら彼女は頭の中の台詞を読んだ。その様子を女子三人は面白恥ずかしそうな目で見ている。
「え? ん~……別に、結構もらったし、そんなに欲しいかと言われればそうでもないんだけど……」
「! ……じゃ、じゃあ、いらないって事?」
「いや、いらないとは言ってねーけど。くれるんならせっかくだからもらうけど」
「はいクロノ君と薫君にも」
「! お、ありがとう」
ふたりの会話の最中にとある女子が割って入り、クロにチョコを渡してすぐに戻って行った。クラス中の男子にチョコを渡している様だ。
「! ……あの人のははすぐにもらうんだ……!」
シロは嫉妬を覚えていた。その瞳には仄かな怒りが宿っている。
「え? いやだからくれるんならもらうって……」
「別にそんなに欲しくないんだったらいいよ!」
気付けば彼女の声には熱がこもっていた。
「? じゃあいいよ」
「何でよ!」
「どっちだよ!」
感情的になるシロ……これは果たして演技なのか、三人にはよくわからなくなっていた。。
イヴがシロに与えた秘策。その名も「ツンツン作戦」! 普段とは全く正反対の、ツンツンした雰囲気でクロに迫る事によって、彼の意表を突きドキドキさせちゃおうぜ的な作戦である。実は単にそういうシロをイヴが見たかっただけなのであるが。
彼女は素直な故、イヴの要望通りにツンツンしたキャラを演じていた。だが思い
「わっ……私はその……別にクロにもらってなんて欲しくはないんだから……!」
いや、まだ演じている。やはり彼女は真面目だ。真面目になりきっている。
「じゃあいいじゃん」
「でっ、でもどうしてもっていうんならあげなくもないんだからね!」
「だから無理に寄越せとは言わねーよ」
「……む~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
思った通りの展開にならずにシロは少しご立腹の様だった。それでもなおキャラを演じようとする彼女はやはり素直だ。
「イ……イヴちゃん……こ……これはこれでもう少し見ておきたいけどちょっとシロちゃんが可哀想だよ……!」
陽菜が必死に笑いを抑えながら小声でイヴに話しかける。健気に頑張るシロ。彼女の大好物である。
「そ、そうだね……助け船を出してやるか」
そう言ってイヴはシロとクロの間にぴょんと入り陽気な声を出す。
「あれ~? でもクロ、チョコまだ欲しいとか言ってたよね~」
「は? 言ってねえよ」
「言ってたよねぇ~……?」
そしてシロには見えない角度でクロに手の甲を見せる。「つべこべ言わずに言え! しばくぞ!」と書かれていた。
「……!? な、何だよ一体……あ、ああそういやそうだった。もう一個くらいホシーカナー」
彼の言葉の最後は誰が聞いても棒読みにしか聞こえなかった。
「だってさーシロ」
「……ほ、本当? ほんとに欲しいの?」
しかしそれを聞いたシロの表情は和らぐ。素が出ている様だ。
「え? いやほんとは」
「ねっ、欲しいんだよねクロ(ギラリ)!」
「あ、ああホシーホシー」
何なんだよ一体……今度はいきなり睨み付けられ、クロは訳がわからなかった。
「じゃ、じゃあ……」
シロはやっと渡せるとポケットから小袋を取り出した。ここで最終奥義発動である。
「べっ……別にクロのために作った訳じゃないんだからね! ツンッ!」
完璧だ。完璧に台本通りだ。イヴが仕込んだ通りの台詞であった。最後の擬音までわざわざ声に出している。
「……ッ!」
彼女が精一杯つんとしたのを見て陽菜と結、それにイヴは思わず顔を見合わせた。
グッ、グッドだよグッド! イヴちゃん! ああ、鼻血出そう。
……しかし、やはりこの少年である。
「いやだから俺のために作った訳でもないのを無理して俺に渡さなくていいって」
「ッ! カチンッ!」
クロのこの一言が引き金となったのか、何かが外れた音が鳴り響いた様な気がして、シロの可愛さに興奮していた女子三人は背筋が一瞬で凍り付いたのがわかった。
「……………………!」
流れる沈黙。誰も言葉を発さない。
「……なっ……何よ……!」
そして崩れる様にシロが言の葉を落とした。
「つっ……作ったのに……! 一生懸命作ったのに……! どうして受け取ってくれないの……!」
彼女の顔はみるみる曇り始める。それを察してクロの表情も変わった。
「え……だって、それは他の奴に……」
「ちっ、違うもん! ほ、ほんとはクロのために作ったんだもん!」
「! ……じゃ、じゃあ何でさっきは……!」
「は、恥ずかしかったんだもん! 一生懸命、何回も何回も失敗して、時間かけて作って……! そ、それなのに受け取ってもらえなかったらどうしようとか……!」
彼女の本音が飛び出した。ただ単にキャラを演じていた訳ではなかった様である。その姿には色々と悩んだ彼女の心が潜んでいたのだ。
「……あー……」
クロはぽりぽりと頭を掻く。
「……初めっから素直に言えよ……ったく、らしくない事しやがって……」
そうしてシロの手に持たれているトリュフ入りの小袋をぐいっと取り上げ、大事そうに机の上に置いた。
「ありがとな」
「……さ、さあ行こうかシロちゃん。渡したい物は渡したし」
「……う、うん……」
場の空気を取り直す様な陽菜に促され、シロは自分の教室へと戻って行った。
「……おいババア」
「ギクリ」
三人が出て行った後、自分も立ち去ろうとひっそりと歩き出したイヴをクロは呼び止める。
「どうせお前が変な事吹き込んだんだろ?」
「……否定する気は無いね」
彼女はくるりと振り返った。
「まあ、ちょっとやらせすぎちゃったかなーって気はするけど、目的は達成したし。あたしはこれから謝るとしても、チョコを受け取ったからにはあんたもこれからやるべき事があるだろ?」
「……お前に言われなくてもわかってるっつーの」
「……ったくあんた達は、見てるこっちが恥ずかしいっての」
八重歯を覗かせて彼女も廊下へと出て行った……ったく、若いってのはいいもんだね、ほんと。
そして、イヴだけが知っている秘密。
シロがクロに渡したトリュフは奇跡的な苦みを持つ失敗作だという事。
あたしはまだ、見届けなくっちゃいけないね……。
反省したのかしていないのか、彼女は足取り軽く廊下を駆けて行った。
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