第40話 近くて遠い

 この夏シロには新たな目標が出来た。クロと手を繋ぐ。そうすれば彼女の「好き」という気持ちが彼に伝わりやすくなるはず。

「よし……私は……私はやるぞ……!」

 二学期が始まって間も無いある日の朝、彼女は目標達成に向けて動き始めた。

 朝起きてまず初めにクロと接するのは朝食。二学期に入って心機一転の彼女はもう朝っぱらから動き出すのだ……!

 名付けて「物を手渡す時にちゃっかり手を触れちゃおう作戦」。

 手繋ぎ入門者のシロにとっていきなり手を繋ごうとするのはハードルが高い。したがってまずは少しだけ手を触れて、徐々に徐々に慣れていこうというのが本作戦の主旨である。もちろん、そのまま手を繋げればそれに越したことはない。いつもシロが先にキッチンに行き、食器を準備する。それをクロに手渡す際にちょびっとだけ触れちゃえ。

 しかし、現実はいつも思う様にいかない! なぜかこの日に限って珍しくクロが先に準備を始めていたのだ! むむ、まさかクロも二学期に入って心機一転したっていうの……!? 悲しい事に食事はもうすっかり食卓に並んでいた。いや、まだチャンスはある! ご飯だ! ご飯をよそう時に……!

 チン! という甲高い音が鳴った。

「お、焼けたぞ」

 今日はパンの日だった!

 くっ……このまま何も手を出せずに終わってしまうのか……?

 いや! 私はまだ諦めない! 二学期の私は今までとは違うんだ!

 シロは冷蔵庫から牛乳を取り出す。彼女が身長が伸びる様にと毎朝飲んでいるものだ。それをコップに注ぐ。そしてそれを。

「はいクロ、牛乳」

 ごく自然にクロに手渡すのである!

「え?」

 彼は戸惑っていた。

「……俺あんまり好きじゃないって知ってるよな?」

 そうなのだ。だからこの牛乳はシロしか飲んでいない。しかし。

「駄目だよ好き嫌いは。毎日じゃなくていいから、たまーに飲んでみたら? 嫌いじゃないんでしょ?」

「まあ嫌いじゃないけど……何だよ急に。お前俺の母親かよ……フィリィに変な事吹き込まれたのか?」

「違うよ。何となく」

「……わかったよ」

 クロは了承した。やった! これで牛乳をクロに手渡せる。

「じゃあ、はい」

 彼女はコップを改めて差し出した。

「おう」

 クロの手が近付いてくる……もう少し……もう少し……来た! クロの手がコップを掴んだ。ここからが勝負だ。手を離す時にさりげなくクロノ手に触れなければ。さりげなく。さりげなくだ。

「……!」

「……? 早く離せよ……」

 シロは緊張からまだコップをしっかりと握っていた。しかもふるふると震えながら。

「……お前、飲ませたいのか飲ませたくないのか、どっちなんだよ」

「だ、黙ってて! 今集中してるんだから!」

「は、はい……!」

 鬼気迫る表情でクロを圧倒する。

 さりげなく……さりげなく……!

 ゆっくりと手を離し始め、さりげなく(?)クロの手に触れる。作戦成功!

 しかし。

 触れた瞬間びりっとした痛みがシロの指に走った。

「ひゃっ!」

「! 何だ!?」

 クロが心配した様子を見せる。

「あ、大丈夫! 電流がびりっときただけだから」

「……そうか……って、またか……お前、帯電体質? って俺が言えないけど。他の奴は全然問題無いんだけどなー」

「あ、はは……そうかもね……」

 もう! せっかく触れられたのに! 電流でそれどころじゃなかったじゃない!

 訂正。作戦は一応失敗。

 しかし、私は諦めない!


 作戦その二。体温調べでちゃっかり触れちゃおう作戦。

 ふたりは制服に着替え家を出て、通学路を歩いていた。

「そういえば」

 夏服の袖から伸びたシロの腕を見てクロが話を切り出した。

「お前のそのタトゥー、何なんだ?」

「え? これ?」

 シロの右腕には二の腕の部分に守護の印が刻まれている。魔王家に代々遺伝する不思議な紋章。この印がある限り、彼女はいつでも母なる魔界の大地の加護と共にある。

「これは守護の印って言って、魔王家の一族の肌に代々現れる紋章なの」

「紋章……ふーん……」

 そうだ。私には大地の加護がある。だから今度こそ上手くいく!

 作戦その二、体温調べでちゃっかり触れちゃおう作戦、始動!

「ア、アーソーイエバナンカチョットクラクラスルナー」

 あからさまに片言な言葉遣いでシロは喋り始めた。本人はもちろん気付いていない。

「え? 大丈夫か?」

 そしてクロも気付いていない。

「モ、モシカシタラネツガアルノカモナー」

 彼女は自分の額に手を当てる。

「ウッワナニコレチョウアツイ! 100℃クライアルンジャナイノ!?」

「ひゃっ100℃……? 大丈夫か……?」

「チョットカクニンサセテ」

 さりげなくシロは体温を確認しようとクロの額に手をやる。こ、今度は指先だけじゃなくてて、掌でしっかり触っちゃう……!

 ぺたり、と掌を彼の額に押し付ける。やった!

 しかし。

 またしてもびりりとした痛みがシロを襲う。しかも先ほどよりも強い。

「いたっ!」

 慌てて手を離した。

「大丈夫か!?」

「う、うん……」

 もう、また私の邪魔をして……!

「とりあえず一旦帰るか?」

「え? 何で?」

「何でって……熱あるんだろ?」

「え? ……あーそういえばすっかり治っちゃったあはは!」

「はあ……?」

 またしても作戦失敗。

 その時誰かがクロの名を呼んだ。

「クロノ君」

「? おう、早見」

 ふたりの後ろにいたのはどうやらクロのクラスメイトの様だった。

「また学校で」

「ああ」

 あいさつだけ交わして早見という少年はふたりの先を歩いていく。別れ際、にこりとシロに微笑みかけてきた。爽やかな笑顔だ。クロとは大違い。

「あいつ、今月いっぱいで転校しちまうんだ」

「そうなんだ……」

 彼の言葉に返事をしたこの時、シロの心の中にもやもやとしたものが立ち込めてきていたのだが、彼女はそれに気付かぬふりをしてやり過ごした。


「はあ……」

「元気無いねえシロちゃん」

 休み時間にシロは溜め息を漏らしていると、陽菜が声をかけてきた。

「その……なかなか上手くいかなくて……」

「もしかしてクロちゃん?」

「うん……」

「なかなか手を繋げないんだね」

「そう……」

 いや、というか触れる事は出来るのだがその度に彼の体内の電気が反応する。私別に冬になっても静電気なんて感じないんだけど……。

「だったら、とっておきの決め技を教えてあげるよ」

「?」


「クロー!」

 その日の夜。彼女は陽菜から教えてもらった作戦を実行すべく三度目の行動を起こした。

「腕相撲しよー!」

「はあっ!?」

 クロは目を丸くして返す。

「おまっ……! 何でいきなり腕相撲!?」

「いやー実は最近鍛えてて……」

「そうなの!?」

「だからちょっと腕試し。ね、しよ?」

 もちろん嘘である。これこそが陽菜に伝授された、腕相撲でちゃっかりどころかしっかりがっつり手をにぎにぎしちゃえ作戦であった。

「……? まあいいけど……」

 不審がりながらも彼はテーブルに肘を突く。

「……!」

 きゃあ~きゃあ~! シロは興奮し始めた。ク、クロが自分から待ち構えてる! 手を握ってくれと待ち構えている! 顔が火照るのを感じた。

「よ、よ~し、ま、負けないよ……!」

 なんて、初めから勝てない事くらいわかってるけど。これでしっかりがっつり手を握れば、クロは少しはドキドキしてくれるに違いない。今度こそ……!

 彼女は指を動かす。しっかり掴むための準備運動だ。

「さ、さあ! ばっちこーい!」

 クロと向かい合って肘を突く。ふたりの手が少しずつ近付いていく。

 そしてついに、ぎゅっと握り合った。もう離さないとばかりにシロは指と指を絡ませた。胸の中で心臓が飛び跳ねているのを感じた。

 きゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!

 だが。

 やはり鋭い痛みがシロを襲うのだ。今までで一番の痛み。それは確実に掌から伝ってきている。

「きゃっ!!」

 耐え切れる訳もなく彼女はぱっと手をほどいた。

「……もしかして、またか……?」

「……う、うん……」

 シロは再び心のもやもやを感知した。気のせいではなく、事実として受け止めざるを得ない様強いられていた。

「っかしいなー。別に薫は今日何ともなかったけど。まさか悪魔に対して勝手に反応する、とかじゃねーよな」

「……そんな訳ないじゃん」

 彼女は声を落として言った。そうではないのだ。

「だよなー。そんなの聞いた事ねーし」

「……私、ちょっと出てくるね」

「え?」

 立ち上がると、シロは一度も振り返らぬままのそのそと玄関に向かい外へと出て行った。


 特に行く当てもなく、彼女はとぼとぼと夜道を徘徊していた。ついさっきまでの高揚感は一瞬にして消え失せていた。

 現実が事実を受け止めざるを得ない様強いていた。

「……私、触れられないんだね。好きな人に、指一本」

 今日の三度の体験を思い返してシロは強く思った。彼女がクロに触れようとする度に、その体に電流の様な痛みが走る。クロは自分の体が悪魔に反応しているなんて言っていたが、そうではない。きっとそうではない。

「私の体がクロを受け入れないんだ……」

 推測だが、なぜか根拠も無い自信があった。まるでずうっと前から運命付けられているかの様な。

 そうだ。これは運命なのだ。

 別に手なんか繋げなくても、私がもっと頑張って告白すればいいだけだ。それに生活していくには何不自由無い。でも、それでも。

「……辛いなあ」

 彼女は立ち止まり、住宅の塀に手を着ける。

「辛いよ」

 視界がぼんやりしてきた。気付かぬ内に涙が出ていたのだ。確かに不自由は無い。事実これまで不自由無く生活してきた。しかし、好きな人と手を繋げないという小さな事実が、この時の恋する少女にとっては何よりも大きな障害としてその前に立ちはだかっていたのだ。

「……ううっ、うう……!」

 シロは泣いた。外であるにも関わらず、人目も気にせず声を出して泣いた。この涙が私を包む残酷な運命を流し落としてくれればいいのに。そう思った。

「どうしたんだい」

 すると急に声をかけられた。まさかクロが心配して……と一瞬考えたが、全く違う声だった。

 振り向くとそこには今朝会った、あの少年の姿があった。クロのクラスメイトの、今月いっぱいで転校しちゃう……。

 早見リンクがそこにいた。

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