第4話 運命の出会い

 とある晩に、グラバー邸を訪ねたのはひとりの薩摩藩士だった。

「軍艦の件ではたいへんお世話になり申した」

 西郷隆盛である。

 恰幅のよい躰をゆすりながら、グラバーの勧めに応じてソファーに腰掛ける。手伝いの日本女性が紅茶を入れるあいだ、ふたりは黙ってそれを見守った。部屋から下がる姿を目で追いかけたあと、西郷のほうから口を開いた。

「うちの若い衆を上海まで連れて行って頂いたそうで、ありがとうございます」

「いえ、ちょうど商用がありました。それに、薩摩藩は私どもにとって大切なお得意さまです。気にしないでください」

 グラバーが紅茶に口をつけると、西郷もそれに倣った。どこかで虫の声が聞こえている。

「軍艦をあと一隻ほど欲しいとおもうちょります。あと鉄砲を二千挺」

 西郷の言葉にいちいち頷くグラバーだが、紅茶をテーブルに置き、しばし天井を見上げながら黙り込む。やがて呟いた。

「幕府の目が厳しくなっている」

 西郷が「はい」とだけ答えると、グラバーは視線を戻してかぶりを振った。

「わたしの代役が必要かもしれない」

「代役?」

「いや、わたし自身の代役といったことではなく、このグラバー商会の代わりに取り引きを行う日本の会社が必要だ。心当たりはありませんか」

「そう、急に聞かれましても。そもそも日本では、武器の売買は幕府以外に出来ないことになっとるでごわす」

「ええ、わかっています」

 その返事に西郷は感づいた。肩をゆすりながら笑う。

「グラバーさんも、人が悪い。なるほど、あの男のことですな。わしに言わせますか」

 グラバーも、ククッと笑った。

「まだ決めてはいませんよ。一度会ってみて、そのうえで話をしたいと考えています」


 楢崎龍が京都の有名旅館『寺田屋』で奉公するようになって、ずいぶんと時間が過ぎた。

 最近では「子供の時分からここで下女をやっていたのではないか」と、客たちのあいだで噂になるほど仕事にも慣れてきた。相変わらず不器用な妹の光枝の失敗を庇いながら、それでも優しい主人からは何かと気にかけてもらっていた。

 ある日暮れのことだ。

「おりょうさん、元気にやってるかね」

 久しぶりに、西村松兵衛が顔を見せた。長旅のわりには疲れも見せず、さして日焼けもしていなかったが、そんなことを訝しむ余裕もなく懐かしさで涙が流れた。

「おいおい、泣く奴があるかい」

 二階の一室に腰を下ろした松兵衛は笑いながら、おりょうの肩に優しく手をふれた。

 だが、その目は険しかった。何かを思い詰めたような表情だ。

 ようやく違和感を覚えたおりょうが首を傾げて見上げると、その純真な黒い瞳を恐れるように松兵衛は慌てて手を離した。

「最近はどうだね」

 誤魔化すように世間話が口をついて出た。おりょうは暮らし向きを尋ねられたと思った。

「松兵衛さんのおかげで、妹とも仲良く暮らせています」

 気恥ずかしい男女の隙間を埋めるように、松兵衛は懐からゆっくりと時間をかけてキセルを取り出した。それを見たおりょうが、どこからともなく小枝を持ち出したので聞いた。

「なんだい、そりゃ」

「あら、ご存じありませんか。マツチという西洋の火打ち石です。薩摩のお武家さまがお泊まりにいらしたとき、話が弾んで客間に長居をしてしまったのだけど、そのときに分けて頂いたの」

 舶来物はくらいものを扱うこともある松兵衛だ。当然マツチのことは知っていた。

 けれど、そんな高価なものをおりょうが持っていることに驚いたのだ。もっとも、薩摩と聞いて「ははあ、なるほど」と納得もした。

 ……グラバーさんは、おれのことも信用してないのか。ちげえねえ、これは天下に仇なそうってとんでもない大仕事だ。それを任せるに足る女かどうか、薩摩のあの人が直接見に来たってことか。

 おりょうは火打ち石の欠片にマツチを一擦りして火をつけた。

「ささ、どうぞ」

 言われるままに、松兵衛はキセルに火を移す。おりょうの態度は押しつけがましくもなく、自然に、手慣れた感じだった。このまま旅館の女将さんになるも一考と考えた。とてもお嬢様育ちとは思えないその物腰に、けれど松兵衛は心を決めたように口を開いた。

「おりょうさん、あんたに折り入って頼みがあるんだ」


 それから、しばらくの時間が流れた。

 おりょうは日々の仕事を忙しくこなしていた。そんなある日のこと、新撰組しんせんぐみ近藤勇こんどういさみが訊ねてきた。お目当てはおりょうだった。

「元気にやっとるな」

「はい、おかげさまで」

 近藤はおりょうに部屋のふすまを閉めさせると、「こっちへ」と手招きした。京都一の美女は新撰組の局長きょくちょうにしなだれかかるや、すぐに囁いた。

「町では随分なことをしたのですね。噂はうちの店まで聞こえてきました」

「そうか。だが、これも天下の為。心配するな、おまえがいるこの店では無茶はせん」

 おりょうは両手を近藤の背に回す。

「広い背中。沢山のものが、この背に乗っているんですね」

「ところで、どうだ。最近の倒幕とうばく派は」

「……来てません」

「薩摩の有名人が来店しておったと聞いたぞ」

「ああ、だいぶ前の話どす。最近はめっきり。近藤さんが目を光らせているから、寺田屋の商売あがったりどす」

「ガハハ」

 近藤勇は大声で笑った。

 そんな日々を、おりょうは手紙に書いて会津の松平容保に送っていた。もともと中川宮の侍医だった父との縁で会津藩から声をかけてきたのだ。父が死んだあと、この寺田屋に勤めていることを知って遣いの者がやってきた。

「今さら、うちにどうしろとおっしゃる」

 最初はぶっきらぼうに対応していたおりょうは、幕府との繋がりが出来るかもしれないと聞くと態度が変わった。

「お手紙を差し上げるだけなら」

 松平容保は喜んだ。倒幕派の大物を取り押さえれば幕閣にあげてもらえるかもしれない。そんな夢を、ひとりの京女に託した。けれど、おりょうは、そんな単純な女ではなかった。

「父は幕府に殺されたのだ」

 その恨みは忘れたことなどない。

 また、しばらくの時間が流れた。

 松兵衛の話などすっかり忘れた頃、あの男がやってきた。

「今夜は世話になるぜよ」

 土佐訛りでやたらと背の高い男と、もうひとり、おそらく長州藩士だろう若い侍が一緒の部屋へ入った。

 おりょうが酒を持っていくと、「えらいべっぴんがおる」と土佐なまりの男がはやし立てたが、それ以降は「呼ぶまで来なくていい」と部屋を追い出された。

「土佐訛りの男が坂本龍馬、それと長州の三吉慎蔵みよししんぞう

 得意の話術で名前を聞き出したものの、その目的まではわからなかった。何にせよ、知らせにいかねばならない。

「坂本龍馬っちゅう男が来たら、とにかく付きまとって情報を取って欲しい。こんなこと、おりょうさんに頼むのは心苦しいのだが、出来ればその男と……」

 松兵衛はとんでもないことを頼みにきた。

 けれど、おりょうにしてみれば好都合だった。彼女の頭のなかで、ある想いが駆け巡った。

「松平の幕府側と西村さんの倒幕派。正反対の勢力から同じ頼まれごと。けれど幕府は父の仇だ。坂本龍馬を利用して出し抜いてやる」

 その晩。丑三つ時。

 約束したとおりに、幕府の役人がやってきた。まるで戦にでもいくかのような仰々しい格好に、おりょうはおかしくなって笑った。

「おい、女。脱藩藩士はどの部屋だ」

 風呂場の窓から外を眺めていたおりょうに、その重武装の役人は仏頂面で声をかけてきた。

「女が入浴してるときにのぞき込むやなんて、いやらしいお人や」

「ば、ばかを申すな。とにかく、裏口を教えろ」

「玄関から入ったほうが早いどすえ。階段をあがって真っ直ぐ。正面がその人の部屋」

 そう聞いた役人はすぐに寺田屋の正面玄関へ突入した。おりょうは、風呂を飛び出すと、肩から薄手の着物を羽織っただけの姿で客間へ駆けた。

「龍馬さん、役人が来ます!」

 寝入っていた龍馬と、三吉慎蔵は叫び声に飛び起きた。おりょうが暗い部屋のふすまをあけて月明かりを入れる。階段を駆け上がってきた役人へ向けて龍馬は拳銃を撃った。撃鉄が硝煙をあげるたびに、役人らは次々と階下へ死に堕ちてく。おりょうは、それを冷めた目で見つめていた。

「おのれ、坂本龍馬!」

 長刀の刃が龍馬の手の甲を削いだ。持っていた拳銃が血で真っ赤に染まる。おりょうは龍馬の袖を引っ張り「こっち」と店の外へ連れ出した。

「おい、女。おまえ、素っ裸やないか」

「こんなときに、何を気にしてますのや」

 おりょうと龍馬は裏の材木置き場へ隠れた。役人たちは、見当違いの方向へと追いかけていき、夜の闇間に見えなくなった。

 龍馬の筋肉質の腕を抱き締めながら、ハッと我に返ったおりょうは顔を見上げて言った。

「怪我は大丈夫どすか」

 唯一羽織っている薄手の着物を引き裂き、それを包帯代わりに巻いた。

「おまえ、すごい女やな」

「女も強くないと生きていけない時代ですえ」

「……お、おう。そうか。そうだな」

 寺田屋の納屋に隠れていた三吉慎蔵が息をあげながら追いついてくると、龍馬はおりょうと別れて摩藩の御用邸へと逃げ込んだ。

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