第3話 男たちの策謀

 立派な髭を蓄えた長身のイギリス人はオランダ製の花瓶を愛でながら集まった日本の若者たちへ語った。

「日本はまもなく生まれ変わります。その日に備えて、私の国でしっかり勉強してきてください」

 トーマス・グラバーは広いソファーに腰掛け直すと、まだ緊張している五人に笑いかける。

「この度は、グラバーさんの御尽力により、このような御手配まことに痛み入りまする」

「まあ、肩の力を抜いてください。そうだ、取って置きのワインがあります。皆さんの門出に開けましょう」

 長崎。

 色とりどりの花々に囲まれたグラバー邸。

 その一室で、長州藩の若き志士らは共に高級ワインを口にながら談笑した。

 貿易商として、この幕末日本にやってきていたグラバーだったが、僅かな期間で日本国内に多数の知人を作り上げていた。

 この事実ひとつ取っても、彼が一介の商社マンで無いことは想像出来るだろう。

 しかも、その多くが長州ちょうしゅう薩摩さつまといった反幕府勢力に偏っているとなれば普通警戒される。これほどの豪邸で悠々自適に暮らしていけるほど、当時の日本政府=幕府は甘くはない。何らかの処置、例えば国外追放になってもおかしくはない。

 だが、そうはならなかった。

 それどころか、長州藩の若者をスカウトするとイギリスへの留学を提案した。

 のちの初代内閣総理大臣、伊藤博文いとうひろふみもそのひとりだ。幕府に正式な許可を貰ったわけではない。不法出国だ。

 もっとも長州藩の若者たちにしてみれば、罪悪感など微塵もなかっただろう。

「外国を見たいと石頭の幕府に言っても埒があかない」

「聞けば、幕府に覚えの良い者だけを見繕ってアメリカへ渡らせたそうだ。そのうちのひとりは、あの憎むべき井伊直弼の秘蔵っ子というではないか」

「我らは古い体質の日本を壊すために留学するのだ」

 彼らは希望に燃えていた。

「帰国の際にも心配はありません。江戸にも私の知り合いは沢山います」

 グラバーは悪戯っ子のように笑った。長州の五人もつられて笑う。

「そういえば、グラバーさん。うちの高杉晋作たかすぎしんさくから聞いたのですが、土佐の脱藩だっぱん藩士にご興味がおありとか」

 伊藤博文は軽い雑談のつもりで聞いた。それまでにこやかだったグラバーの表情が硬くなったのを感じて「すみません、いらぬお節介でした」と謝った。

「いえ、大丈夫。坂本龍馬りょうまという、あなたたちと同じ若いサムライのことですね。我らの力になってくれるか、あるいは敵となるかはまだわかりません」


「先生!」

 ツキハギだらけの着物を来た痩せっぽちの若侍が目をまん丸にして叫んだ。坂本龍馬だ。

「なんだ、おめえ。俺を斬ると言ってたくせに、舌の根も乾かねえうちに今度は先生と呼ぶか」

 勝海舟かつかいしゅうは膝を叩きながら、面白くて仕方ないというふうにケラケラ笑った。笑いすぎて目に涙まで浮べた。

 約束もなく赤坂の屋敷に押し掛けたのは土佐出身の若者たちだった。門田為之助かどたためのすけ近藤長次郎こんどうちょうじろう、そして脱藩という重罪を犯していた坂本龍馬だ。

「勝海舟さん、あなたのお話しを伺いに来ました」

 玄関先で威勢良く叫ぶ若者をまるで講壇でも聞くようにニヤリと笑みで迎えてから、海舟は平然と背を向けた。

「ついてこい」

 そう言って部屋へと案内した。

 三人は呆気に取られ立ち尽くしたが、当人は気にもせずスタスタと直線の長い廊下を歩いていく。

「お待ちくだされ」

 門田の声に他のふたりも我に返って土間をあがる。武士としての礼儀を叩き込まれている三人が考えもなく刀をその場に置こうとしたのを、海舟は振り返って咎めた。

「こんな時代だ。武士たるもの、何が起こっても良いように刀を身から離すな」

 最近は尊皇攘夷を叫ぶ“いかれた”侍がやたらと刀を振り回していた。この三人もそうだろうと思っていた。おおかた誰かに「勝は開国派だ」と吹き込まれ、付け焼き刃な正義感で、この自分を斬りにやってきたのだろうと。それならばそれで相手をするつもりだった。

 けれど「そこかしこで見かける下劣な連中とは違うな」とも、感じていた。だから話をしてみたいと考えたのだ。

 畳敷きの応接間に座るなり門田が口を開いた。

「我ら、話しによってはあなたを斬るかもしれないのに。そんな相手にも気遣いされるか」

 近藤長次郎も坂本龍馬も海舟をまっすぐ見据えていた。

「だったらなおのことだ。俺を、斬るか。だがな若造ども、俺は強いぜ。とりあえず話を聞け。聞きたいことは全て話してやる」

「ならばハッキリお聞かせくだされ。世に蔓延る攘夷じょういのくだらぬ空気をどう取られておいでか」

 質問が予想していたものと違った。海舟が黙ると「お聞かせくだされ」と、今度は坂本龍馬が迫る。

「ちょっと待て、おまえら何だ。なぜ、ここへ来た」

「あなたが裏で幕府の開国を潰そうとしていると、お聞き申した。天下の勝海舟ともあろうお人が、尊皇譲位派と一緒になるというならば、いっそのこと斬って捨てようと馳せ参じた次第にござる」

 門田の真剣な眼差しに笑いをこらえ、変わりに大きく溜め息をついた。

「情けねえな」

「な、なにがですか」

「おまえたち、おれのことを知らないとみえる。そうか、だから三人掛かりなら勝てると思って来たのか」

「我ら、勝海舟の噂は兼ねてより存じております。ならばこそ、そのような愚劣きわまる転向を許せぬのです!」

「それが、情けねえっていうんだッ!」

 海舟の怒声に三人は押し黙った。

「おい、そこの木偶でくぼう

 坂本龍馬を指差した。

「木偶の坊とは、いくら何でも酷い。先だって久坂玄端さんのお供でお伺いさせて頂いた坂本……」

「御託はいい。おまえ、メリケンへ行ったことはあるか」

「……ありませぬ」

 海舟はあぐらをかいている自分の膝をバンッと叩くと、三人を眼光鋭く睨みつけた。

「俺は見てきた。この目で、この躰で自由と平等の素晴らしさを体験してきた。身分に関係なく誰しもが希望する仕事へ挑戦出来る。それがたとえ大統領という、将軍職に匹敵する重役であっても、民衆の入り札で選ばれるんだ。そこには血筋がどうの、家柄がどうのといった野暮やぼな話は一切出てこねえ。すべて本人の実力が物言う世界よ。そんなメリケンの制度に感激感服して帰国してきたこの俺が、口を開けば、攘夷、攘夷としか叫べねえ馬鹿侍となんで同じ扱いを受けなきゃならねえんだあッ!」

 海舟の気迫に、三人はそれぞれをつつきあった。

「おまえが悪いのだ」

「いや、おまえが話半分で飛び出したのだろう」

「何をいうか、勝さんのところへ行こうとおぬしが……」

 海舟はそんな光景を、呆れたように眺め、ようやく誤解であると自覚した土佐の三人衆が一斉に頭を下げたので笑って許した。

「せっかく来たんだ、メリケンの話でも聞いていくか」

 海舟は、日本人だけで嵐の太平洋を横断したこと、自分が艦長として怯える水夫たちを厳しくも優しく指導し、死線を乗り越え大自然の脅威に立ち向かったことを熱く語った。

 これらは、もちろん嘘である。

 太平洋の荒海を渡ることが出来たのは同乗していたアメリカ人船員のおかげでもあり、中浜万次郎まんじろうという得意まれな才能の持ち主がいたからだ。

 サンフランシスコ入港後に日本人水夫らの不平不満を解きほぐしたのは、提督として乗船した木村摂津守喜毅せっつのかみよしたけの人徳だ。その従者である福沢諭吉ふくざわゆきちは医学の知識を生かして艦内で発生した伝染病対策で指揮を執り、船医らと一緒に病院の手配をした。

 勝海舟は艦長としてどうこう以前に、船乗りとして全く失格であった。ふてくされ、あるいは自身も躰を壊して艦長室に籠もると一切を中浜万次郎に丸投げした。アメリカ人船員が降りたあとは、怒鳴る、拗ねる、ワガママを言いたい放題だった。

 だが、嘘も方便。

 土佐三人衆は目を輝かせながら、海舟が即席で作り上げた武勇伝に聞き惚れた。

「メリケンのおなごは、どうでしたか」

 龍馬が興味津々に聞いてきた。

「おめえは、仕方のないやつだな。まあ、そうだな、日本人はモテたぜ。当たり前だ。気合いの入り方からしてメリケンの男とは違うからな。おれだって何人ものブロンド女に言い寄られた。アメリカで一緒に暮らしてくれと懇願された」

「それなのに、なぜ日本へ戻ってこられたのですか」

「馬鹿野郎。日本人が日本に戻らんでどうする。まあ、向こうに残った水夫もいたが、おれは日本でやらなきゃならんことがある。アメリカ人になるわけにはいかんのだ」

「ほお」

「日本をアメリカのような自由と平等の国にしたい。そのために、おまえら俺に協力してくれんか」

 三人衆の目が輝いた。

「はい、先生。やりましょう」

 それからしばらくして、勝海舟のもとには日本全国から多くの門下生が集まってきた。その殆どが神戸海軍操練所に入塾した。日本は正規海軍の立ち上げに向かって本格的に動きはじめたのだ。

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