龍馬の女〜幕末英雄群像伝より

かいしげる

第1話 没落令嬢

 楢崎ならさきりょうは泣いていた。

 面長の、どちらかと言えば整い過ぎて人形のように冷たい印象のある顔が、くしゃくしゃに崩れていた。切れ長の瞳からは大粒の涙があふれ、白く長い指で拭っても拭っても止まることがなかった。

「おりょうさんは、ほんに典型的な京女どすな」

 噂になるほどの容姿に育ちながら、二一歳の誕生日を前に父は死んだ。手塩にかけた娘の花嫁姿を、どれほどか楽しみにしていたことだろう。

 一方でおりょうは医者だった父親にそれほど愛情を感じていたわけではない。常に家族よりも患者を優先するひと。幼い頃から、そんな風に悟っていた。

 だからこそ、尊敬はしていた。

 自分も結婚するならば父のような医者の家庭に嫁ぎたいと、よく妹たちと話をした。

 父は皇族中川宮なかがわのみやの侍医であり楢崎将作しょうさくといった。

 先祖代々長州潘士の家柄であったが、曾祖父の代に除籍処分となった。以来、祖父が京都で医者を開業し、父も跡を継いだ。

 皇族の侍医であることから尊皇そんのう志士ししとの交流も多かった。そこを井伊直弼いいなおすけの家臣らに難癖をつけられた。

「将軍家に対して謀反むほんをおこそうとしている」

 壮絶な責め苦により死線をさまよい、翌年に一旦釈放されたが躰はボロボロだった。

 一年後の桜が散る季節に再び六角獄舎ろっかくごくしゃに監禁された。連行される父に泣いてすがる母を役人らは足蹴にした。

「逆らえばお前とお前の子も牢に入ってもらうぞ」

 そう言って脅した。

 母は幼い妹たちを抱きしめながら一晩中泣いた。

 父は捕らえていた多くの尊皇攘夷じょうい志士らと薄暗がりの石牢で病魔に襲われ、長い昏睡状態の末に死んだ。

 おりょうは生活力の乏しい母を不憫に感じた。

 太一郎と健吉、二人の弟は若くても男だ。すぐにでも家を出て自立するだろう。

 だが妹たちの将来はどうなってしまうのだろうか。悲観した。自分は何とかなる。けれど家族はこれでバラバラだ。

 何度も拭った瞳は真っ赤に腫れていた。

「おりょう、おまえに生け花も香道もやらせてあげることは出来なくなりました」

 母はそんな世間ズレしたことを詫びた。

 おりょうはイラついた。

「明日、食べるお米のことを心配しましょう」

 華やかだった家族が貧困層に落ちぶれるのに時間はかからなかった。家事の出来ない母を手伝っていた下男下女らは、給金がもらえなくなるとわかるや挨拶もそこそこに去っていった。

 屋敷は家具の殆どを売り払って、隙間風が吹き抜けるあばら屋のように崩壊していった。明かりの消えた薄暗い屋敷のなか、それでも行く宛のない三人は寄り添って生活するしかなかった。

 ある日、三女が家を出た。

 紀美きみは島原の舞妓まいこになるのだという。

「ほんとうに、それでいいの?」

 おりょうは何度も聞いた。

「大丈夫よ、舞妓だもの。女郎屋じょろうやに売られるわけではないわ」

 けれど、お人好しの母は大阪のヤクザものに騙された。

 とんでもない額の借金を背負うことになり、もはや生きるの死ぬのといった事態が楢崎家を襲った。

 舞子となる紀美に代わって、まだ若い次女の光枝みつえが女郎屋に売られることになった。

「冗談ではないわ、どういうことなの」

 おりょうは布団に潜ったきり出てこない母を責めたが、それでどうにかなるものではない。

 二人の弟は既に家にいない。居たとしてもヤクザ相手に立ち回りが出来るほどの剣術使いではないから、何にせよ危険なことはさせられない。

「あたしが光枝を取り返しにいく」

 おりょうは覚悟を胸に、単身で大阪へと乗り込んだ。

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