68 外面如菩薩内心如夜叉

「面白そうなことをしているね、きみたち」


 鳴子が笑いながらノノさんを振り返る。

 ノノさんは無表情。


「少し考えがありまして。柴田くんに協力してもらっていたんです」

「えっ?」


 思わず俺が聞き返すと、華子が尻の後ろで指を一本立てる。

 「秘密を守れ」って意味か。

 もう、しょーがねえなあ。


「あ、ああ、そうです」


 パンツ一丁で考えもクソもねえだろ……。

 こいつがおしっこ漏らしただけですよ、会長。


「ふむ。まあ院君のやることだから、心配はしていないがね」


 一見、信頼を寄せているような口ぶりだが、いい加減というか、興味がないんだろう。

 そういう底の冷たさが鳴子の本性だ。


「共用部を下着姿で歩くのは不適当です」


 ノノさんが冷たく言い放つ。

 この人もこの人で言葉足らずというか、事務的というか。顔つきすら機械的で親しみは感じない。このあいだ集まったとき、文化部の部長たちの口から出た印象の悪さもやむなしだ。


 華子は大人しく頭を下げた。


「確かに、おっしゃる通りです。生徒のいない時間でしたので、考えが至りませんでした。──柴田くんも気を付けてほしかったわ」

「……!?」


 ちょお!

 俺が悪いの、これ?

 俺は追いはぎされた被害者だよ?

 お前のお漏らしを掃除して、ズボン貸してやってこの仕打ち?


 とは思ったが、3人の生徒会執行役員に見つめられれば、頭を下げるしかないわけで。


「──すいませんでした」

「こうして本人も反省していますし、私からもきつく言っておきますので」


 こいつ明らかに面白がっているだろ。

 くそっ!


「次期生徒会長選挙を戦う二人がこうして友情を深めているというのは、いいことだね。──せいぜい、頑張ってくれ」


 呑気なことを言いながら、鳴子はノノさんを従えて去って行った。

 大事にならなくて済んだのは、華子の日頃の行いか、はたまた生徒会の無関心のせいなのか。


「おい!」

「なんです」

「俺を露出狂にしやがって! 早くそのズボン返せよ!」

「教室まで行けば、お返ししますよ」

「──教室までだな。わかったよっ!」


 俺は強引に華子の両肩を掴むと、ぐいと押して走り出す。


「きゃ!」


 突然のことだったので、華子はのけ反りながら短く悲鳴を上げた。


「2-Aまでこのまま奔るぞ」

「え、ええ」


 ズボンを履いた女子生徒とパンいちの男子生徒によるおかしな電車ごっこで、廊下をひた走る。

 戸惑い気味に小幅だった華子の足運びがだんだん大股になってきて、最後には二人して全力疾走だった。俺は前が見えないので華子に前方確認は任せっきりだったが、ビビりもせずよく速度を上げるもんだ。


「なかなか緊張感があってよかったですよ」


 無人の教室に着くと、息を切らせながら華子が笑みを浮かべた。──明らかに頭のおかしいやつだが、生徒会のあの二人よりはまだ人間らしい顔をする。

 一方の俺は完全に息が上がっている。帰宅部の面目躍如ってな。


「そりゃ……よかったな」

「約束通り、お返ししますね」


 華子が教室の入り口で躊躇なく脱ぎだしたので、俺はまた慌てて背中を向けた。


「おまえな、いちいち俺に嫌がらせするのやめろよ!」

「私は柴田くんに見られても、べつに構いませんけれど」

「節操ないのは嫌いなんだよ!」

「……なるほど。秘すれば花、ということですね。つぎは意外性が出るよう工夫してみます」

「そんな小難しい話をしてたっけっ!?」

「どうぞ」


 やっと返ってきたズボンに足を通して、すぐに腿のところが冷たいのに気づく。まあ、濡れた下着で履けばこうなるだろう……だよな?

 もうなにを言うのも薮蛇になりそうなんで、俺は黙ってベルトを締めた。


「はぁ……」


 ほんとさんざんだ。

 教室からロッカーを開く音がする。


「じゃ、俺は帰るぞ」

「柴田くん」


 また呼び止められた。


「……はあ。なんだよ」

「あの二人、どう見ますか?」

「あん? 付き合ってるとかそういうのなら、俺はさっぱりわからん。人間関係には疎いぞ。コミュ障ボッチだからな」

「いえ。人として」

「人として? ……あまり関わりたくない人種だな。お前と同じだ」

「そうですか」


 普段と変わらない、落ち着いた声だが。

 心なしか寂しそうに感じるのは、俺がこの食えない女に慣れてきたせいだろうか。それとも、こいつはそれを狙っているのだろうか。


「まあ。お前のほうが少しはとっつきやすい、かもな。……死ぬほど腹立つけど」

「そこのところを詳しく!」


 生き生きとした声を上げるな。


「だから少しだって! 少しマシってだけだぞ! へんな勘違いするなよ!」

「いえそうではなく、『死ぬほど腹が立つ』部分を詳細に……! 舐めまわすように……! 執拗にしつこく……!」

「そっちかよ!」


 ダメだ。やっぱり俺じゃこの変態は扱いきれない。

 手に余ってこぼれ落ちる。


「お前の底意地の悪さは『首を絞めたい』じゃなくて、『首を絞める』レベルだってさっき身をもって分かっただろ」

「底意地の悪さは、お互いさまでしょう」


 着替え終わった華子がカバンをもって教室を出てきた。


「……お前、スカートの替えとか持ってるのかよ」


 てっきりジャージに着替えてくるものだと思ってたんだが。

 綺麗にアイロンがけされたプリーツスカートを履いている。


「ええ。いろいろとあるかもしれないですからね」

「そのいろいろってのが引っかかるが……。準備のいいこった」

「期待された人物を演じるというのは、そういうものです。油断をすると失望されたり憎まれたり。わずらわしい」

「その外面の良さと性根の悪さがありゃ、あんな力を使う必要もないだろ」

「だから下らないことには使いませんよ。地位だとか名誉だとか外聞などは、まともなふりをしていればいいですから。──この力は、私が欲しいもののために使うんです」

「……俺が困り果てて、心を病んで、破滅するのを見るためか」

「憎悪に駆られて馬鹿な生徒たちを加虐するでも。憤怒とともに私の首を絞めるでも」


 濡れたように華子の目が光る。


「あなたは、私の持っていないものを持っている。卑屈で自虐的な意気地なしのくせに、傲慢で苛烈で優しい。私はそれを見たい。どういうものなのか知りたい。あなたの心がどう揺れ動くのか感じたい。情動に駆られて何を言うのか聞きたい。──柴田獅子虎ししとらの生々しさに触れたい」


 ああ。

 わかった。


 こいつは俺を解剖したいのだ。人としての相関関係ではなく、別種の生き物として興味が沸いた。残忍な執着だ。

 小さな子供が好奇心で虫の脚や羽をちぎって解体してしまうように。匂いを嗅ぐために花を手折ってバラバラにしてしまうように。

 少しは可愛げもあるのかと思ったが、とんだ勘違いだ。

 犬に言い聞かせるようなもので、はなから通じるなんて思っちゃいない。


「正直なところ。お前の言った通り、気が抜けてたわ。選挙戦なんてどうでもよかったんだよ。勝手に勝っただの負けただの騒いでりゃいいってな」

「私は……眉村さんなどよりずっといい」


 小さな舌を出すと、華子は唇を舐めた。


「あなたの遊び相手に向いている」

「──容赦しねえぞ」

「言うまでもなく」


 華子はそれはそれは優しく、微笑んだ。

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