39 告白と告白
どうしたらいいのか。
どうなっているのか。
戸惑いながら、俺は和を見た。
眉根を寄せ、苦しそうだった。
眼鏡の下の深緑の瞳が憂いを帯びている。
「わたし、トラ先輩のことをなにも知らないです」
「え……?」
「心配症かと思ったら妙に大胆だったり、優しいと思ったら強引だったり、ほんと分からない……」
「いや、だって。……ほら、そんな俺たいした人間じゃないし。コミュ障で、ボッチで、ヘタレで、性格悪くて────このまんまだって」
「バニャちゃんや男衾先輩の反応を見ていれば、バカな私でもわかります。先輩はなにか隠して、無理してますよね? どうして?」
「なぜって……それは。最近いろいろと心境の変化があったっていうか……」
「────私のせい、ですよね。それとも空気の読めない私の思い込みなんでしょうか」
「……」
「図書室で出会ったとき、先輩は私を放っておいてもよかったはずなのに、戻ってきてくれましたよね。出ていこうとしたのに戻ってきて、なんておせっかいな人なんだろうって思いながら、でも嬉しかった…‥。
先輩は私にとって、いつも『なんで?』『どうして?』ばっかりです。聞こうとしても、笑ってごまかすから気になるじゃないですか。和って呼ばれて嬉しくなって……でも、もっと欲張りになって……。それがトラ先輩の狙いだったら、私はうまく踊らされてるのかな……」
「いや……俺はそんな器用じゃない……」
「本当かな」
上目遣いで和が俺を覗く。
「なにも出ないって……」
「イジメられてるのを知っても話しかけてくれて、私のことをもっと分かりたいって言ってくれて。お昼を食べようって。それであんな事に巻き込まれて──。もし先輩がつらい思いをしているなら、なにもできなくても。邪魔でも。嫌われたって……私も一緒にいたい」
快速電車がホームを抜けていく。
四角い光がなんども和の顔を照らしていった。
和の言葉は俺にとって有頂天になりそうなぐらい嬉しかったが、同時に身を切るように苦しかった。
エレクトラの話をして、理解してもらえるか。
エレクトラとの会話とか証拠はあるから、不可能ではないだろう。
俺がどういう有様なのか。
和なら信じてくれるかもしれない。
なぜ俺はそれをしなければならないのか。
ここまでくれば分かってくれるだろう。
でも、和があの事件の原因だと。
人を傷つけるより、自分が傷つくことを選んだこの子がそれを知ってしまったら。
自分の心の底にある、暗い願望を認めさせることになる。
それは、したくない。
「……どうして無茶をしてるのかは、今は言えない。でも、いつか絶対に話すから待ってほしい」
「……わかりました」
「それと……たぶん変に思ってるのはわかってるけど……俺の家のことな」
「……」
「隠すほどの秘密もなにもない。うちって父子家庭でさ。──母さんは俺が小さい頃、殺されたんだ」
目を見開いた和は、ゆっくり頷いた。
「──母さんが死んでから親父はおかしくなっちゃって、世界がもうすぐ滅亡するって信じ込んでる」
これまで沢山の人が、自分の問いかけで俺に母親の死を告白させた気まずさを、謝罪や同情の言葉でごまかそうとしてきたのを見た。
「ごめんなさい」「そんなつもりじゃなかった」「悪い」「無理に言わなくてもいいから」「傷つけるつもりはなかった」「かわいそうに」「辛かったでしょう」「がんばって」「あ……」「嫌なことを思い出させてごめん」「悲しいでしょう」「聞いてごめん」「いつか乗り越えられるから」「ひどいね」「世の中が悪い」「警察が悪い」「犯人は」「悲しかったでしょう」「ご冥福を」「お母さんの分も頑張らないと」「きっと見てる」「大変だったんだね」「どうしてそんなことに」「苦労してるのね」「負けないで」「強く生きて」
小さい頃から俺は意地の悪い心で、それを侮蔑してきた。
お前らには、なにも分かりはしない。
この痛みを分かるはずがない。
意味のない言葉で、くだらない好奇心で踏み込んでくるんじゃねえ。
何かを言われれば、疑った。
無関心こそが、嘘偽りのない唯一の真実だ。
だから仲良くする価値なんてない。心を許しても意味なんてない。
でも、和はなにも言わなかった
コミュ障のミジンコだから、そんな器用にできなかったのか。言葉が見つからなかったのか。
いや、違う。
和が言葉を大切にするから。
自分の言葉でなにが起こるか、いつも考えて悩んでしまうから。
一つ一つを軽く扱えない。
だから人と話すのに覚悟が必要で、勇気がいるのだ。それを振り絞って、和はいま俺と話してくれている。
「──親父は仕事も辞めちまって、世界滅亡に備えて必死に物を集めてる。バカみたいだろ。俺にも誰も信用するな、生き残るためになんでもしろって言い続けてきた。──猫缶だって食え、そのへんの草や動物で食えるものは覚えろってさ……」
でも俺は、和まで試してしまったんだろうか。
無意識に、意地悪く。
いつものごとく狡猾な罠を張って。
そうじゃない。
和には、分かってほしかった。
悲しみとか同情じゃなくて、俺という人間が何者なのかを。どこから来たのかを。
欲深いのは俺のほうだ。
「俺は弱いから、どうしていいか分からなかったけど、親父の言うことを信じないとって思った。そうしないと、親父は……一人になっちまうから」
俺は自販機でコーヒーとミルクティーを買った。
もう冷たい飲み物がうまい季節だ。
ミルクティーを和に渡した。
「──でも、夜になるたび親父はうなされて、目を覚ますと大声を上げて暴れる。それが耐えきれなくなって、VRMMORPGを始めた。ヘッドマウントを被ってりゃ、声や壁を殴る音をごまかせるからさ。
男衾は、ああいうやつだからなにも聞いてこなかったし、俺がしばらく近寄らなくなって、中学でまた話しかけるようになっても変わらなかった。……あいつのこだわらない性格を、俺は利用したんだ。自分の心細さをごまかすために。だから、なんとなくだったけど男衾と同じ高校に入ったのも、そんな理由なのかも。──俺が隠してたのって、たったそれだけのことなんだ」
紅茶の缶が落ちた。
和が抱きついてきたので、俺は尻餅をつくように後ろのベンチに座ってしまった。
和は俺の膝に馬乗りになる。
「や、和……!」
目の前に和の柔らかそうな首筋が見えた。
髪から、いい匂いがする……。
こ、この体勢はちょっと……ヤバい。
いや……かなりヤバい!
心配症かと思ったら妙に大胆だったり、優しいと思ったら強引だったり?
それは和のことだろ!
「お、おち、落ち着け。これ、ぜったいヘンに思われるから!」
「いまさら悪目立ちしてる先輩と私じゃないですか」
和の息が耳にかかって、鳥肌が立つ。
「そ、それとこれとは、違うってか、ダメだって! 事案だよ、事案!」
「しーっ」
和は俺の首に腕を回して、身体を預けるようにぎゅっと抱きしめてくる。
ブラウスのしたの下着と、その向こうにある胸の柔らかい感触が伝わってきた。
あえて今まで言わなかったけど、和けっこう胸あるんだよな……。
いやダメだダメだ!
これ意識すると……俺のが和のお尻に……って、スカートすら敷いていないから、柔らかい太ももやお尻が直に俺のモモに当たってるわけだが!
和が頬ずりしてくる。
柔らかくて、さらさらで、温かい。
華奢で透けるように白いうなじには、金色のうぶ毛が生えている。
ずっとこうしていたくなる心地よさ。
人をダメにするクッションどころじゃない。
和から伝わる重みや匂いや音や感触や熱、すべてが愛おしくなる。
「先輩……大好き……」
耳元に口づけするように、和がささやいた。
疑い深くて意地悪い俺の理性さえ、一発で粉砕された。
俺はいままで行き場を失って右往左往していた両腕を、和の背中に回した。
そして強く抱きしめる……はずが。
「きゃ!?」
「うわ!」
手に持っていた缶コーヒーをぶちまけてしまった。
ああああああ!
すっかり忘れてた!!!
いや、忘れるか普通、自分の手、おい!?
「あ……!」
和が冷たさにビックリして飛び上がり、後ろに倒れそうになる。
俺は慌ててそれを支えようとするが、二人してそのままベンチから落ちてしまった。
なんとか両腕と両膝をついて、和の頭を守る。
和は俺の首に腕を絡めたままだった。
勢いよく腕を振ったせいで、被害は大きかった。
和の髪が濡れて、雫になっている。肩にも思いっきりかかってるし……。
俺も顔がびっしょびしょ。
「……ふふっ」
ぶるぶるして踏ん張る俺の必死な顔を見て、和は吹き出した。
さらに俺の顔からコーヒーの滴がメガネにぽたぽた落ちるのがおかしかったのか、和は爆笑しだした。
「和、危ないって……」
俺が和の身体を助け起こしてベンチに座らせても、しばらく和は笑っていた。
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