第10話
もし誰にも嫌われたくないと思うのなら、一切の関わりを捨て去って部屋に閉じこもるしかない。
その言葉が描かれていたのは有名な作品であり、真実だと思った。国レベルでも争いが堪えないのに、個人レベルでの争いや嫌悪などが発生しないわけが無い。
どこかで妥協し、どこかですり合わせをし、どこかで相手に泣いてもらい、どこかで自分が泣く。どこかでは腫れ物のように触れたりはせず、どこかでは事実を無視し、どこかではそんなはずはないと希望的観測で見て、どこかでは散々言い争っている。
それでも、誰もかもが言う「平穏な世界」や「平和な時代」と言うものが、どんなに正当で論理的であれ、どんなに疑問を抱き真意を知りたがっても聞きだせず、言えない世界が来たとしたなら――それはきっと、誰もかもが敗者に成り下がった世界なのだろうと、つまらない世界なのだろうと思う。
「悪い、おっちゃん! またご飯お願いします!」
あの後ミラノが帰ってきてからは大変だった。避けるなと”強制”されて、電撃を思いっきり食らわされたからだ。痙攣と痺れで夕食の時間が終わる直前まで身動きがとれないままに説教をしこたま食らい、思考回路が半ばショートしていてその大半は霞の中に消えていった。
覚えているのはカティアが俺を庇ってくれていたであろう事と、アリアが落ち着かせようとしてくれていた事ぐらい、それとミラノが怒っている表情だろうか。
食事の後は時間のかかる風呂に入っているのだろうと踏んで厨房裏までいって何時ものように厨房の長であるおっちゃんに両手を合わせて頼み込んでいた。
しかし、何故だかおっちゃんの反応は良くない。それどころか俺を見るなり「へっ」とはき捨てた。
「――まさか、手前ぇも魔法が使えたなんてな。どうせなら無理やり言う事を聞かせてみたらどうだ」
「え……?」
俺には、おっちゃんの豹変振りが理解できなかった。心臓がバクバクしている、まるで仲間に裏切られて見捨てられるような感覚。
「な、何言ってるんだよおっちゃん……。冗談言ってるんだよな? 何か、悪いことをしたのなら謝るよ……」
「謝る? 魔法使いが、謝る? それこそ悪い冗談だ。帰りな、兄ちゃん」
そして傍に汲んであった水を被せられ、おっちゃんは厨房へと消えていった。俺は何も分からず、ただ頭が真っ白になって井戸に凭れ掛かって座り込む。膝を抱え、何が悪かったのかを考えていた。
しかし、魔法が使えたという事以外に目立つところは無く、それ以上に粗暴そうに見えて色々してくれたおっちゃんが、まるで仇を見るような表情で俺を見ていたという事実が悲しすぎて動けなくなった。
濡れた衣類が張り付き、風を受けて余計に冷え込んでいく。季節柄命には関わらないだろうと思いながら、結局の所自分の事しか考えてないのに気がついて井戸に頭を打ち付けた。
当然痛い、けれどもこの痛みは何処まで本当なのか分からない。強化された肉体だから痛みに対して幾らか耐性があるのかもしれない、そうなると本気のつもりで手加減しているようで、手加減しているようでただのパフォーマンスに思えて仕方が無かった。
「あっれ~、どしたの? 濡れたままで」
「――……、」
「なんかおやっさんも様子が変だったんだよね~、何か知ってる?」
トウカが現れ、何かを聞いてくるけれども俺には分からないとしかいえなかった。ただ、魔法が使えるって事で凄い目の仇にされてた、それぐらいしか分からないとぼやくと布地のものを頭に被せられた。
「風邪ひくよん。けど、そっか~、魔法使えたんだ~」
「――なあ、俺は何か悪いことをしたかな? それとも、魔法使いだから嫌われたのかな」
「おやっさんは魔法使いが嫌いだからね~。どうしてかは知らないけど、会う前に何かあったんだよ」
「……そっか」
俺は彼女から貰った布地を帰し、ゆっくりと歩き出した。途中の事は覚えてない、気がつけば部屋に戻っていた。体は冷たい、着替えなんて無い。このままじゃダメかと、魔法書の中に衣類の乾燥に関わる魔法があったなと、魔法書からその概念を学んで使った。
蒸気が身に着けているもの全てから出て、衣類が乾いたのを確認してからいっそうため息を深く吐いて、もう疲れたなと床で寝転がった。寝転がりながら魔法書を読んでいくと、頭にけたたましい音が響いた。なんだろうと思っていると視界の隅に《ステータス》という文字が明滅して、何かが俺に発生してるのかとステータスを展開した。
ステータスの画面でVITというステータスが上昇した事を教えてくれていた、それと同時にバッドステータスというものも発生しているようだ。『軽度の疲労』とかかれたものが”思考能力と判断能力の低下”とされていて、『落ち込み』と書かれたものが”行動力の低下、思考の範囲がネガティブに移行”とされている。
そんな事もわざわざ知らせてくれるのかと、自分がまるでバーチャルの世界に入り込んだかのような状態にシステムが拡張されていってるのを見て、ならバッドステータスはステータス画面じゃなくて常に視界に映ってる方が便利だろうと思っていたら、そうなった。
つまり、自分を鍛えたい時はステータスを視界隅に映せるようにしたら良いのだろうと考えながら、魔法書の一番最後あたりに”秘術”と書かれた項目があるのに気がついた。なんだろうと見てみると不老だの、不死だの、食事の必要性をなくし魔力で自分を賄う魔法だのと色々載っている。こんなものを渡して、もし俺が悪人だったりこの書物が他人に渡ったらどうするつもりなのだろうか? まあ、文字が『日本語』である以上、そうそう解読はされないだろうが。それにリスクが高い魔法を使うには恐怖が勝った。
パラパラと秘術を見ていき、初代の魔法使いはこういったものを使っていたのだろうかと考える。なるほど、魔法使いが特別視される理由もなんとなく分かりそうだ。もしかすると死亡した三人を除いて九人の幾らかは生きているかもしれない、そう考えると魔法を使える方特権階級が特別視されるのも敵視される理由もなんとなく分かる。
「戻りましたわ」
カティアの声に反応して本を閉じ、ストレージにしまうと体を起こした。詠唱の殆どを簡略化し、杖を使わなくても良く、とっさに何かを隠したり秘密にするのに向いている事を感謝した。
カティアに続いてミラノとアリアが入って来たが、彼女たちを見ていると視界がちかちかと明滅する。
「どう、反省した?」
「した、滅茶苦茶反省した。まだ痺れて、目がおかしい……」
「ほらお姉ちゃん、罰が強いと変になるって言った通りになったよ」
因果関係は分からない、もしかしたらショックとストレスが合わさって視界がチカチカしてるのかもしれない。かつて後輩の一人が似たような状態になった事がある、緊張状態の中で長期間の活動による疲弊、そして睡眠が足りないが状態が持続した結果一時的な失明状態にまで陥った。
もしかすると電撃ショックによるダメージ、肉体的な疲弊と先ほどのショックなどなどでチカチカしているのかもしれない、あまり持続されると困る。
「そうね、やりすぎたかもしれない。今日はもう休んで良いわ」
「――悪い」
「辛そうな顔をするくらいなら休みなさい。 明日も早いんだからね」
「りょう、かい――」
そのまま俺は電池が切れた人形のようにパタリと地面に転がり、上着を自分に被せて目蓋を閉ざす。しかし、明かりが落ちる時間まで長時間ある上に気を失っていたとは言え眠りに落ちていたのだから眠る事が出来ない。
けれども目を開けばチカチカして、それを見ているうちに気分が悪くなってきた。ステータスが悪化していく、バッドステータスが付与される。俺は起き上がり、平衡感覚を失いながら部屋を出た。
ミラノが何か言っていた、アリアもカティアも何か言っていたかもしれない。けれどもそのどれもが耳に入らない。
寮を出て人目につかない場所で空っぽの胃袋から胃液が逆流していった。何度も、何度も、何度も、何度も。胃袋から吐き出せる液体すら無くなってから、脳裏に浮かんだのは厨房のおっちゃんの顔、そしてその表情が家族の誰かと被った。
昔、両親か弟、妹の誰かに似たような表情をされたのだろう。それが明滅して、まるで折れた骨が肉体を傷つけて脳が焼ききれそうになっているのと似たような錯覚を覚える。
「うぁああぁぁああっっ!!!!!」
そして、それが明確に思い起こされて父親と被せていたのだと理解すると涙が溢れた。無意識のうちに、似ても似つかぬおっちゃんに父親を被せていたのだ。不器用で、優しくて、素直じゃなく、良く笑う快活な父を。
喪って尚被せた父親の影に軽蔑の眼差しを向けられた、潜在的なトラウマのようなものにぶち当たって俺はおかしくなっている。
両親、両親、両親。頭がおかしくなりそうだ、けれども俺にとっての呪縛のようなこの”家族愛”と”承認欲求”が久々の他人との関わりで暴走している。
ずっと家に引きこもり、買い物をしに行く時ですら他人と関わらなかった。そうやって精神的に引きこもって、奥深くにしまいこんでいた。けれども、他人と関わり若返った中で過去を掘り起こしているうちに、両親という封じ込めたかった自分の弱点も出てきてしまった。
両親の顔が脳裏で何度もフラッシュバックする、そして行き着くのは自分の不足だった。何が足りなかったのか分からない、けれども両親に褒められるほどの何かを俺はもっていなかった。弟と妹に向けられる賞賛と喜びの表情、その傍らで俺ばかりが存在しないかのように居場所を失って行った。それが、とてつもなく苦しかった。
「ヤクモ、貴様――どうした?」
「――アルバート。どうした、こんなところに」
そしてなぜかやってきたアルバート。グリムも当然のように一緒で、彼女はなにやら荷物を持っていた。従者だから持たせているのだろうが、傍目から見たら格好悪いと思うのは俺の価値観だろう。
「なに、謝罪だけでは味気ないからな。それに、これから世話になるやも知れぬ相手に何も無いのは我の矜持が許さん」
「――アル、領地で作られた酒、持ってきた」
「酒か……」
酒と聞いて、気持ちの悪さが勝る。正直に気分が悪いと伝えると、アルバートが心配した。
「まさか、今日の頭への傷が原因か?」
「――だとしたら、ごめん」
「いや、原因は――疲労だよ。記憶喪失、突然の使い魔宣言、常識も知らず生活は昔以下、慣れない戦闘と色々、重なってね」
「……そうか、済まぬな。では酒だけ受け取って貰えぬか。これは、我なりの謝罪と感謝なのだ」
「――父上から貰った、価値のある酒だから。ホントはもがもが」
「貴様は喋りすぎなのだグリム! ではな、ちゃんと味わって飲むのだぞ!」
そう言ってグリムを引きずって去ろうとするアルバート、そんな彼を呼び止めた。そしてそのワインらしいビンをグリムに突き出す。
「――どうせなら、今飲もう」
「むう……。しかし、貴様。気分が悪いと――」
「折角持って来たんだ、それに価値がありそうだし。ここでただ貰って、一人で飲むのも味気ないしな」
「――なら、私の部屋に来る」
「そうだな。邪魔するぞ、グリムよ」
「ん、邪魔される」
「どれ、肩を貸してやる。後で帰す時にミラノに怒られては堪らんからな」
「悪い」
アルバートに肩を借り、グリムに先導してもらって部屋まで向かう。途中で様々な魔法使いにこちらを見られるがその目線は幾らか居心地の悪いものだった。たぶん、闘技場での出来事が伝聞として広まったのだろう、そして俺は何も知らない使い魔でありながら魔法を使い、ユニオン共和国の武器を使うワケの分からない人として噂されているのだろう。
けれども敵対していたはずのアルバートが肩を貸してくれている、その事実がきっと俺には良い方向へと作用するに違いない。
グリムの部屋に辿り着くが、基本的な内装はあまりミラノの部屋とは変わり無さそうだ。その代わり、動物のぬいぐるみがベッドに沢山置かれており、幾らか女性の部屋っぽくなっているなと思った。
火のついていない暖炉だが、薪はすでに組み上げられている。それをアルバートが魔法で着火し、グリムがグラスを持ってきてコルクを抜いた。
「そういや、俺たちが酒を飲んでも良いのか?」
「年齢的には問題にはなるまい、十六を過ぎれば酒は嗜めるのでな」
「――合法」
「へえ」
「して、貴様は幾つなのだ?」
「さあ? おいら記憶が無いから分からねえや」
「――どうぞ」
グリムに手渡されるグラス、それが自分とアルバートに渡されてグリムは下がってベッドに腰掛けていた。
「グリムは飲まないのか」
「――従者だから」
「いや、グリム。貴様も飲み交わすが良い。そしてヤクモよ、こやつも世話になるやも知れぬ」
「そういや、何で俺に手合わせを?」
「……まあ、貴様は知らぬであろうが我はこの国の数少ない公爵家の子でな、誰もかもが我と本音や本心で接する事はない」
「あの時の七人もか」
「あの時の七人もだ。むしろ、あの時の我の周りにいた奴等こそ一番酷い佞臣よ。
我のやる事なす事全てを褒め挙げる、そのくせ汚点は見て見ぬふりよ」
「――いつも、私が大変」
「貴様の食事を蹴り上げた時もこ奴は我を叱ったのでな、一番信じている」
そう言ってグリムのことを褒め上げるアルバート、たぶん口調も尊大に見せかけながらその実良い奴なのかもしれない。グリムも俺のことをいきなり攻撃したが、彼女なりに忠臣であろうとした結果なのだろう。アルバートは主人として色々し、その結果悪いところがあればグリムが諌める。そのグリムの言葉を素直に聞く、良い関係だと思った。
グリムも自分の分を準備した。注いだ量が少ないのは遠慮なのか、それともアルコールに弱い事を自覚しているからか。そのグラスにアルバートは「もう幾らか注いではどうだ」と言うがグリムは「――これがちょうど良い」と言った。
そして乾杯とグラスを掲げ、それぞれに一息で無作法じゃない程度に飲む。吐き気が催したが、それでも先ほどじゃないと上を向いてゲフリとゲップをしたかのように誤魔化した。
「もしかして、俺なら偽る事無くぶつかって来てくれるから手合わせ相手にと言ったのか?」
「ん? あぁ、うむ。そうだな。――我はあのような戦い方は知らぬ、そして貴様は強かった。
我はヴァレリオ家の名に恥じぬ男になるためにも、強くならねばならぬのだ」
「――私も、強くなる。ヴァレリオ家も、アルも、守る」
なんか、一気に知り合いと付き合い方の方向性が増えすぎて怖くなってきた。ミラノ・アリア・カティアの主従組。ヒュウガ・ミナセのツアル皇国フランク組。アルバート・グリムの貴族組。そしておっちゃんとトウカの非魔砲使い組。
今はまだ良いけれども、もしかしたら将来的に陣営とか派閥とかも考えなきゃいけない時もあるかもしれない。そんな時は来ないで欲しい、平穏に生きていきたいから。
黙って二口目に入るが、あっさりとグラスが空になる。そしてグリムが黙ってビンを手にする。言外に「――要る?」と言っているようだったので、お願いして注いで貰った。
「なあ、一つ聞いても良いか?」
「俺に答えられる事なら」
「貴様は、本当に過去の英雄とかでは無いのだな?」
「それは断じて違うって言える。大層なことをしていたような感覚は無いし、むしろ親に顔向けできない生き方しかしてないな……」
「――まさか罪人ではないだろうな」
「罪人ではないよ。ただ、一度は、国の為に働いていたような……そんな感じ」
国の為に働いたと、恥ずかしくて言い切れない。言い切ろうとしても、結局の所自分本位な志願理由だったという事実が邪魔をする。幾つかの略章を思い出すが、そんなモノは過去の栄光だった。
「アルバート、俺もお願いをして良いか?」
「む、何だ我に頼み事とは」
「本当に、俺は何も分からないんだ。世界の事も分からない、けれどもモンスターが活動を活発にしている事から戦いはいつかはあると思ってる。
それまでに、多くを知らないと死ぬかもしれない」
「モンスターか……。アレは王を喪ってなお領域を守り続ける我等の敵だな。
その討伐とかつて我等人種(ひとしゅ)の領域を回復することが夢だ」
「――けど、うまくいってない」
「なあに、我等がここを卒業し我が家へ戻った時には父上に言って残らず駆逐してやるとも」
「――モンスター倒すと、領地が助かる」
モンスターがどれくらい強いのか分からないけれども、未だに争っているという事実と八百年という時間の経過を考えれば相当なものなのだろうと予想できる。
――或いは、人類同士で盛大な足の引っ張り合いをしているかだ――
「しかし、あの人数差で戦えたのであれば両親共に誇るのではないか?」
「――強いと、立派」
「いや、俺の両親は俺が強くなったって所を見せる前に死んだから。誇るも、何も」
「……そうか、それはすまぬ事を聞いた」
「過ぎた事だよ。さあ、飲もう。俺は酒が好きなんだ、酒を飲みながら誰かと話すのはもっと好きだ。
俺のお願いって言うのは、何も知らないからいろいろ教えて欲しいということだけ」
「それ位であれば、できる限りの助力はしてみせるとも。それでは飲もう。グリム、酒を注げ」
「――ん、分かった」
そうやって俺たちは酒を飲み、雑談をしながら時間を過ごしていた。ビンが空きになるとアルバートが「数本もってこい」とグリムに言い、更に酒の追加が来た。
「おっまえ、どんだけ酒持ってるんだよ」
「ふっ、我ほどになると献上品が多くてな――」
「――父親が、仲の良い人と飲むようにと送ってくれてる」
「なぜ言うのだ貴様は!?」
「そういや、グリムは従者なんだっけ」
「――ぶいっ、従者」
何がぶいで、どうして誇らしげなのかは分からない。けれども、たぶん代々そう言った家系なのかもしれない。そこらへんを聞いてみたくて、従者とはどういうものかを聞いてみた。
「従者か? グリムの――ヴォルフェンシュタイン家は遠い昔から我等の家系に仕えていてな、降りかかる火の粉を払い支えるのが仕事だ」
「――お爺ちゃんも、お父さんもそうだった。私も、従者」
「共に生き、共に戦いを潜り抜け、領地の発展の為に尽くしてきたのだ。我等も同じようにしてゆくだろう」
それが、たぶん昔から続いてきたのだろう。それが彼らなりの埃であり、伝統であり、使命なのかもしれない。かつての人々もそうだったのだろう、俺のいた世界でも。誇りや伝統を大事にし、そのために戦い続けてきたのかもしれない。同じ国の中で、或いは国の外へ向かって。
「……貴様には、そう言うのは良く分からぬか」
「――そうだな、俺には誇りとかそう言うのはないや」
「そのうち、何か見つかるだろうさ。それほどの強さがあれば、最悪傭兵課業でもしていけば良い。
なんなら兵卒の斡旋くらいはしてやらんでもないがな」
「――ウチ、来る。腕の立つ護衛、有用」
そこまで言われて、俺は心がささくれ立った。つい今日(こんにち)の、昼を越す前までは敵対していた関係だったはずだ。にも拘らず、いきなり友好的で俺はどうしようもない、むしろ心苦しい。
「なんで、そんなに良くしようとするんだ?」
「む?」
「だって、お前は俺のことを明らかに嫌っていただろう? ミラノの件で、俺のことを邪魔で排除しようとしてたんじゃないのか?
グリムもそうだ。俺はあの手合わせでお前の守るべき相手を打ち倒そうとしていたんだぞ。そんな奴に、何で二人とも、こんな……」
「別に、個人規模での諍い等そうそう珍しくあるまい。それに、我は確かに貴様を疎ましいと思った。だが、疎ましいと思うのとは別にその力量は――悔しいがな――認めざるを得まい。
我が家訓にある、優れる者は認めよ、教えを請うに値するなら頭を垂れ膝を突く事を厭うなとな。――かつてのアルバート家は、ヴォルフェンシュタイン家の助けがなければ今は無かったといわれている。
我の事情は、我の事情だ。しかし家訓は我の事情を押し通すほど軽くはないのでな」
「――アル、成長した?」
「ぐ、ぬっ……。我は日々成長しておるわ、たわけ!」
「――けど、暇って、言ってた。誰も、相対(あいたい)してくれないって、酔ってたの、知ってる」
「な、何故それを――。い、いや。今はそう言う場合ではないか。
……我は立派にならねばならぬのでな。いつまでも親の威光で好き勝手しているだの、兄等(けいら)に比べられるのも御免被りたいのだ」
その言葉は、たぶん着飾った態度や尊大な物言いの中で一番アルバートの本質に近いところから吐き出された台詞なのだろう。グリムが俺の服のすそを引いた。
「――アル、三男。だから継承権、殆どない。長男と次男、優秀。だからこの学校で、いつも居心地悪そう」
「……我が長兄(ちょうけい)と次兄(じけい)はな、それぞれがそれぞれに優秀すぎたのだ。
故に我はこの学校で追い越そうと頑張って居るのだが、どの人物も本気で我と争う事はしない。
本気を出せば我と互角に戦えるような奴等も、我が家名と長兄と次兄を知るが故に逃れる。
貴様ぐらいだ、正面切って『何とかなるだろう』と戦いを挑んだのは」
「……そっか」
アルバートの言葉を聞いて、俺はこの二人を信じたくなった。二人の兄に比べられる三男、成長し認められたいと願う奴を無碍に出来るはずがない。俺自身がそうなのだから。
だから更に酒を飲み干し、一度だけ吐きかけて飲み込むと一気に酔いが回ってくる。
「もう、一杯」
「お、おぉ。飲みたいのは分かるが、少しは抑えぬか?」
「――全部飲み干してやる。父親に親しい仲間のためにと言われた酒を”俺が”飲んで台無しにするんだ。……その支払いは高くつくよな」
そう言って俺がにやりと笑うと、少しばかりポカンとしたアルバートは直ぐに高笑いをしてから自身もまた酒を煽った。俺なりに”いい訳”を作ることでアルバートに対する負い目を誤魔化すやり方だ。
決して褒められたやり方ではないだろうが、そこにはアルバートも触れなかった。
「ふ、面白い。そのような物言い――いや、このような関係は初めてだ。だが、そう言ったからには我を退屈させるな」
「責任持って、自分が知ってる範囲で教えますよ、っととと」
「――どうぞ」
グリムに酒を注がれる、アルバートも酒を注がれる。二度目の乾杯を叫んで一息に二人でグビグビ飲んだ。その飲みっぷりにアルバートがにやりと笑って二人のデッドレースが始まる。
開けたビンが机を占拠し、しまいにはグラスに注ぐのも面倒だと俺がビンに直接口を付け出すとアルバートもビンを受け取って同じように飲み始める。
そうやって騒いでいると昔を思い出した。駐屯地の営内生活、消灯時間を過ぎた頃合に同じ部屋になった同期と共にこっそり飲んでいた時期を。駐屯地当直に中隊長が上番したのを知らず、ばれかけて後日班長から問いただされて罰を受けた記憶も懐かしい。
中隊長、上級先任曹長、小隊長とその次級者の半長靴磨きを毎日させられた。一緒に飲んでいた先輩と同期、後輩含めて全員だった為に『懲罰営内班』と暫く揶揄されてやかましいわと突っ込んでいた記憶もある。
決して、楽しいばかりでも立派なばかりでもなかった自衛隊生活の中でも、小さな楽しさや幸せが確かにあったかもしれない。二十数名の同期、八名の同じ中隊配属、シブ食では酒を飲んでゲラゲラして、訓練では阿呆みたいに走ってぶっ倒れてみたり。
――何というか、学生時代の延長みたいな記憶しかなかった。そして何でそんな事を思い出しているのかと思えば、単純な話飲み過ぎて大分酔っていただけだ。アルバートは既に酔いつぶれて机に突っ伏してほぼ眠っていた、俺は意識がボンヤリしていて目蓋を閉ざしたら眠ってしまいそうなほどにぐらぐらしている。
「――帰る?」
「一人で、帰れる。アルバート、どうする?」
「――ん、連れてく」
「手伝いはいる?」
「――いい、私の仕事だから」
そう言ったグリムに対して俺は「そっか」とだけ言った。余計な世話で彼女の仕事を奪うわけにはいかない、部屋をふらりと後にした直後に俺は人とぶつかってしまった。
「とと、すまない」
「いえ、こちらも急いでいたものですから――って、貴方は」
エレオノーラとか言う、リョウの婚約者の良いとこのお姫様とぶつかってしまった。こうやって言葉をマトモにかけられるのは初めてかもしれない、なんというかアルバートに近い『上に立つもの』を感じさせる凛とした声だ。しっかりしていて、リョウと何故婚約しているのか分からないくらい――若干、似合わない。
「今日(こんにち)の戦い、拝見させていただきました。
人数差がありながらも諦めず、追い詰めたその戦いぶりは賞賛に値します」
「あぁ、いえ。その――有難うございます」
「――しかし、その態度は頂けませんわね。
強いのであればもっと堂々としなさい、でなければ侮られるだけです」
「いえ、自分はこちらの事が何も分からぬ、過去も曖昧でして。
故に立場の違いも、こちらでの常識も、国の事も何も分からないのでどのような態度を取るべきなのか、分からないのです」
「――まるでリョーみたいな事を言いますのね。あと、あまり”あの武器”は使わない方が良いですわね」
「それは何故でしょうか」
「技術漏洩を疑って、我が国から手がかかるからです。それでは」
そう言ってエレオノーラは去って行った、好感度というシステムを全く感じられないほど”他人”であったが、むしろリョウやミラノ、アルバート達が俺に対して譲歩しまくってくれているのだろうかと考えると、油断しちゃいけないなと思った。
これからどんな人と関わるのか分からないし、戦い方に関しての教義も整理できていない。腕時計を見れば消灯の時間まで一時間だ、建物の明かりを魔法で一括管理しているとか聞いたが、そのシステムはまだ理解できていない。
しかし、酒気帯びで帰れば何を言われるか分からない、かといって戻らないのもそれはそれで問題になりそうだ。どうしようかと考えていると背後から肩を叩かれる。
「よっ」
「……ヒュウガ、か」
「な~んか酔ってるみたいだな? ミラノ――は御堅いから違うか、誰かに飲まされたのか? 水は要るか?」
「水は、いい。それよりも、どうした女子寮で」
「いや、姫様が俺を鍛えようとしてたんだよ。
俺、これでもリョウの護衛を勤めててさ、もしリョウとエレオノーラ様が結婚したら俺も召し上げるってんで、今のままじゃ不甲斐無いと言われてね」
「……複雑怪奇だなぁ」
そうやって笑っていると「お前も、情けないところを見せるとミラノに怒られるぞ」と言われてしまったが、そもそも強さというのは結果論でしかなくて過程の話ではない。英雄とは他の人よりも優れて勇敢なわけではない、ただ五分程度長く勇敢でいられるだけだという言葉の通りだと思う。
事実、考え無しだと馬鹿にされ、考えすぎれば動けなくなる。けれども運の良さとかを省けば、戦いなどになった場合一番生き延びるのは臆病に近いくらい慎重で、けれどもその中で打開する為に行動する人々の”一握りの人”が英雄と呼ばれるのだろう。それと同じ理論で、強い人というのは”一握り”なんだと思う。力量でも、技術でも、経験でもない。ほんの少しだけ、勇敢な人。
「明かりが落ちてから出歩いてるのを見つかると怒られるから、早めに戻って寝たほうが良いぞ。それじゃ、また明日」
「また、明日……」
また明日、その言葉を実際に言われたのはどれくらい久しぶりな事だろうか。その背中を見送っていると、やはり過度の飲酒が祟って吐き気がしてきた。急いで外まで出て吐き散らかし、落ち着くまで待とうとしていたら消灯時間を過ぎてしまった。
明かりが落ちるまでに戻る、そんな事すら守れないなんてなと自己嫌悪と自嘲で笑いが浮かんだ。けれども、きっと俺は上手くいくことを恐れているのか、それか失敗する自分を望んでいるのかもしれない。
成功を恐れるモノは、己の失敗を望んでいる。そんな言葉があるように、きっと俺も駄目な自分のほうが居心地が良いのだろう。ミラノに怒られ、カティアに呆れられ、アリアにため息を吐かせる。”そんな駄目な自分である事”に、もしかしたら安堵しているのかもしれない。あるいは、成功することで期待や羨望を向けられるのが怖いとか。
――それも、その通りかもしれない。他人に期待されるほど出来た人間じゃない、期待されればされるほどにそれが重責に思えてくる。そんな風に感じたのは、いつごろだったか……
「こ~ら、寝る時間に入ってるのに出てるのは誰だ~?」
「あ……」
地面に座り込み、膝を抱えて両目を閉ざしながら落ち着こうとしているのか現実逃避をしようとしているのか分からない俺に明かりがボンヤリと当てられた。何事だろうかとみれば、アルバートを吹き飛ばした若い教師である。
彼女はランタンを手に持ち、俺の事を見ていた。俺は気分の悪さと気持ちの悪さで参ってはいるもののなんとか、言葉を紡ぐ。
「自分は、ミラノの使い魔になった、ヤクモです。少々、気分が悪く、動けなくて……」
「あ~、君か~。噂は聞いてるけど、どうしたの?」
「その、飲酒のし過ぎです」
「飲酒のし過ぎって、情けないわね~」
「はは、自分でも良く分かってます。情けない、男です」
そう言って再び頭を垂れて頭の中でグルグルと駆け巡るアルコールとの戦いに入る。目を閉ざしていると眠ってしまいそうだ、だからと動けば吐きそうだ。頭は動くのに体だけがいう事を聞いてくれない、外だから寒い風が俺を冷やしていく、風邪を引いてしまいそうだ。
そんな俺の頭に、何かが乗っかってきた。そしてその手がゆっくりと動いて、俺を撫でているのだと理解するのにそう時間はかからない。
「――そうやって、自分を卑下するのは好きじゃないな~」
「いえ、卑下するに足るヒトです……。自分は、他所から来て、何も分からないのを記憶が無いからだと偽って、自分を守る嘘で自分を庇って、他人の好意を餌に安寧を得てるんです。
嫌われたくないのに、期待されて失敗して失望されるのも嫌で、けどそんな自分である事をどこかで望んでる自分も居るんです」
「ふ~ん、そんな自分が嫌なんだ」
「……はい」
酔った勢いで、”教師”という立場に甘えた。むしろ、高校時代の俺も教師に泣きながら相談した事がある。それを考えると、俺という人間は誰かに甘えたり、頼ったりはせずには居られない存在なのかもしれない。
だが、そんな俺の事を撫でる手は止まる事無く、更に何度か撫でられた。
「そっか、色々有るんだね。というか、有ったんだ」
「――……、」
「けど、良いんじゃないかな。聖人なんてそうそうなれないし、聖人になりたいのなら教会にでも行く事を勧めるけど。
私だって、若いから色々言われるし、それでも他人に話したくない汚点とか過去とかも有って……それでも、生きたいから頑張ってるんだ。
君にはそういうの、無いかな?」
「分かんないです。――俺、両親を大分昔に亡くして、それで何をしたら良いのか分かんなくて……」
「君もそうなんだ。私も両親を亡くしてね、優れた身分でもなかったから死ぬか生きるかしかなかったのよね。
けど、私を拾ってくれた人が居て、その人のおかげで今の私があるの。魔法の才能が有ったから、世界を旅して色々学んで、早いうちから自立できたから良かったけど――
たぶん、君も今はどうして良いか分からないって段階なのかもしれないね」
「はい」
「そう言うときは、とりあえずで良いから生きてみたら良いんじゃないかな。それで、やりたいと思う事をやってみて、それが生きがいになれば良いと思う。
君の場合は、まず主人を説得しないといけないだろうけどね~」
とりあえず生きてみる、その中でやりたいと思った事をやってみたら良い――。そう言われて、自分のしたいことってなんだろうかと考えて、前の俺はやりたいことをしていたのだろうかと考え込んでしまう。
朝の六時に起きて、シャワーを浴びて朝食をつくり、買出しに行くならいくし、行かないならずっとパソコンに張り付いている。特になにかするわけでもなく、動画を見たりゲームをしたり読書をしたりしながら時間が過ぎていくに任せた。
そして夜になり、眠る。それだけの生活に、何かあっただろうか? 冷静になって思い返せば、たぶん学生時代と自衛隊時代の自分が一番輝いていたはずだ。勉強は弟に比較されようとも、笑って楽しく話せる仲間や友人がたくさん居た。自衛隊の時は、兎にも角にも遣り甲斐で言えば比較できるものはそうそう無かった。
「さて、話はこれくらいにしよっか。もうお休みの時間だし、明日があるからね。
立てる?」
「……すみません、手を借りても良いですか?」
「いいよ、お安い御用だよ」
俺は膝に頭をつけたまま、片手を力なく挙げた。その手を掴まれ、一息に立ち上げられた。足の裏に地面を感じながら顔を上げる、この人は俺の事を片手で引き起こしたらしい。その膂力などにボンヤリと驚いていると、そのまま肩を借りることにまでなった。
「言い訳なら一緒にしてあげるから、ゆっくり休みなさい」
「なんでそんなに良くしてくれるんですか……?」
「教師だから、かな。それに、私も人に助けられたから今があるように、誰かの助けになれたら嬉しいじゃない?」
「――そうですね」
そんな言葉を聞いて、やはり昔を思い出す。
『誰かの役に立てるなら、例え一部の人が批難してきても良いじゃないっスか』
あの言葉に俺はなんて返しただろうか。肯定か、否定か、それともどちらでもなかったか――。そもそも、やりがいを感じていたのならば俺には自衛隊という組織の行動の中に何らかの自分なりの魅力を感じていたはずなんだ。
「――この子、外で……」
「――クモ、ヤクモ――」
「気分悪――……たから」
考え込んでいて、周囲の情報が遮断されていく。そして頭の回転に巻き込まれていくアルコールによって身体がいう事をきかなくなっていく。歯車に異物が挟まったかのように、徐々に思考もその回転を落として止まっていく。
そのままどこまでが覚醒で、どこまでが無意識なのかも分からないままに思考が肉体から乖離したままに漂い続け、そのままフツリと漂う自分の意識すら溶けて消えた。
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