レインと女性議長(1)

 長い黒髪を1つに結い、健康的な色を見せる美しい肉体やたわわに実った胸を純白のビキニ衣装のみで包んだ女性、レイン・シュドー。彼女がこの場所――世界最大の建物である会議場に隣接した部屋を訪れたのは、今回が初めてでは無かった。


 かつて、彼女が『勇者』たちのリーダーとして日々魔物と戦っていた頃、その勇気と強さが称えられ、世界最大の町に招待された事があった。勿論その場所にも魔物が現れ、一時パニックに陥ったが、当時彼女と共に戦い続けていた4人の仲間と共に撃退し、そのお陰でますます人々から尊敬のまなざしを受ける事となった。

 豪華な料理や大量のお酒、そしてたくさんの祝福と盛大におもてなしをされた勇者たちは、その褒美にあやかるかのように寛ぎ、これまでの戦いの疲れを思う存分癒していた。レインも例外では無く、その祝福を存分に受け、一度はのんびりと柔らかい椅子にその身を委ねたのだが、他の皆が寝静まった後、彼女だけは静かにその場を後にし、会議場の傍にある広場で夜風を受けながらたった1人、剣の腕や筋力を維持するための鍛錬を行った。別に誰かに褒めてもらいたいと言う訳では無く、ただ毎日のように続けている事を当たり前のように行っているだけであった。

 しかし、そんな彼女の姿を偶然見て、感銘を受けた者がいた。世界中の代表者が集まる『会議』の中枢を担い、自らの意見を述べる事が出来ないと言う代償の代わりに会議の運営を司ると言う資格を持つ、女性議長である。彼女はレインに声をかけ、共に話をしないかと持ちかけた。そして、会議場に隣接した豪華な部屋に入った2人は、互いに眠気が限界に達するまで、信念や疑問、世界の未来、そして互いの心を思う存分語り合ったのである。



 あれから、随分の月日が過ぎ去ったように、レインは感じていた。


「……失礼します」


 次々と変化を遂げ、真の平和へと突き進んでいく世界を見守るかのように一切姿を変えていない彼女は、たった1人でこの部屋の扉を叩き、抑揚のない声を漏らした。例え彼女が相手だとしても、あくまでこの場所では人間たちにただ付き従うだけの存在、ダミーレインで居続けなければならない。もし『本物』がその場にいたとすれば、それこそ人間たちは自分を神様のように弄び、堕落の道へと引きずり込んでしまうのだから――そんな辛さを抱えながらも、彼女は静かに扉の向こうに立ち続けた。

 そして、くぐもった声で彼女の入室許可が下りた。間違いない、女性議長はこの部屋にいる。心の中に感じた嬉しさを柔らかい胸の中に抑えながら、レインは静かに豪華な部屋の中へと足を踏み入れた。


 先程まで暗かった空間に議長自身の手で明かりがともされると、純白のビキニ衣装を纏ったレインの目の前に、顔のあちこちにしわを宿した老年の女性の姿が見え始めた。レインの記憶にあった彼女よりもその体はやつれ、髪の色もより白くなり、そして背中を少し曲げたようなその姿勢からも以前の威厳や頼もしさが消えているように感じた。しかし、じっとビキニ衣装の美女を見つめる瞳だけは、かつてこの部屋で語り合った時と何ら変わらない、全ての真実を見通すような真剣さを残し続けていたのである。


 あくまでも『ダミー』の振りをしながら立ち続ける彼女と、その様子をずっと見つめ続ける女性議長の間に、しばしの沈黙が包んだ。レインが幾度と無く経験した、一瞬で勝負を決める魔物との戦いに非常に良く似た雰囲気が、愚かな騒乱と隔絶されたこの部屋を覆っていた。

 そして、最初に口を開いたのは――。



「……レイン・シュドーか?」

「……!」



 ――全てをその眼で見抜いていたかのような、昔と変わらぬ女性議長の聡明な言葉だった。

 その言葉を聞いて一瞬驚くそぶりを見せてしまったレインであったが、突然の出来事に慌ててしまい、開き直って全てを認めることなくダミーレインの真似を続けてしまった。あくまで自分はダミーであり、本物ではない、と。だが、既に女性議長のしわだらけの顔は嬉しさに満ち溢れようとしていた。


「……これ以上、嘘はつかなくても良い」

「議長……」


「よく、戻ってくれた……」


 ここまで言われてしまえば、流石のレインも観念せざるを得なかった。魔王に続き、レインはある意味『連敗』を喫してしまったのである。だが、日が落ちる前に経験した敗北とは異なり、レインには純粋な安心感が満ち溢れていた。そして、彼女は女性議長の言葉に甘え、ダミーレインが一度も座る事が無かった柔らかい椅子にゆっくりと腰を降ろし、机を挟んで議長と同じ高さで目線を合わせ合う事が出来た。普段は一切気恥かしさを感じず、むしろ自らの美しさをより際立たせるものだと認識していた白のビキニ衣装も、この時ばかりはまるでこの場にふさわしくないもののように感じてしまうほどだった。

 それからしばらくの間、議長の部屋の中は沈黙に包まれた。レインが幾度と無く経験した、一瞬で勝負を決める魔物との戦いに非常に良く似た雰囲気が、愚かな騒乱と隔絶されたこの部屋を覆っていた。そして先に手を出したのは――いや、先に口を開いたのはレイン・シュドーの方だった。どうして分かったのか、と自分自身が『本物』――魔王と相討ちになって命を落とした、と世界中の誰もが信じきっていたはずの正真正銘の本物である事を自ら白状しながら。

 その言葉を聞いた女性議長は、どこか安心したように大きく息を吐いたのち、レインを驚かせる言葉を述べた。その証拠は自身の目の前にある、と。それはすなわち、魔王から習得した漆黒のオーラを用いた魔術まで使った変装が、何の力も無いごく普通の人間である議長にあっけなく見抜かれてしまったという事である。だが、レインの方もすぐその理由を察した。ここに至るまで、議長本人に一度もばれないように進めようとした思考と同時に、議長に本物のレイン・シュドーとして最後のお礼に向かいたい、と言う思いも同時に頭の中に抱いていたからである。そして彼女は、観念したような笑顔を見せる事にした。


「……ごめんなさい。やっぱり、ばれちゃいますよね」

「いや、謝らなくてもよい。こうやって戻って来ただけでも、私はとても嬉しいからな」

「ありがとうございます……」


 そして、レインは敢えてこのような質問をした。今、世界で何が起きているのか、と。まだこの時点では、彼女は自分が既に女性議長から尊敬を受けるような『勇者』とはかけ離れた存在になっていると感じていた。他の人間ならそのまますべてを明かして絶望させるという事も楽しめるのだが、今回ばかりは例外だった。この女性議長には、決して自らの秘密を明かしてはならない、と考えていたのである。だからこそ、レインは議長の眼差しを騙すため、慎重に表情や言葉を選びながら嘘をついたのだ。


「……私は、この場所に戻ってくるまで何が起きたのか分かりません。どうか、議長の言葉で……」


 このような行動を行った一番の目的は、議長自身の言葉から自分の起こした行為をどう見るか教えてほしい、と言う思いからだった。愚かなほとんどの人間たちが見る、偽りの平和とそれを打ち破る混乱ではなく、そこから一線を画せざるを得ない立場にいる彼女の目で見た物事を知りたかったのだ。そして、そんな彼女の言葉を受け取るかのように、議長は静かに口を開いた。その表情には、明らかに屈辱感や悔しさが滲み出ていた。


「……レイン・シュドー。まず私は、貴方に謝罪をしなければならない」

「え……?」

「貴方たち『勇者』が創りあげた平和を、我々は誤った形で受け取ってしまった」


 その結果、この世界は既に取り返しの付かない段階にまで崩壊してしまっている、と議長は語った。レイン・シュドーたちが活躍していた頃の人間は、魔物と言う恐怖に怯えながらもまだ未来を必死に捕まえようとする意志に満ち溢れ、勇者と言う心の支えを自分たちでより強固なものにしていこう、と努力していた、と思い出話を語る様な口調で。

 だが、勇者たちが勝利を収めたと言う報告があり、彼らを祝福で迎えてからというもの、ずっと紡がれていた緊張の糸は解れるどころか必要ないと捨てられたかのように、人々は堕落しきってしまった――捨て台詞のような言葉を吐きながら、彼女は深く溜息をついた。世界で最も重要な立場にいるが故に、議会の動きに干渉できない自分自身の力の限界を感じ、それでも自分の役目を放棄するわけにも行かず、堕落の一途をたどる世界を止める事は出来なかった、と言う懺悔の言葉と共に。

 そして――。


「……私も、その中の1人だ。所詮、私も力も無ければ能も無い者に違いないからな」

「そんな……議長がそのような事を……」

「言うなんて信じられないだろう?希望を持たなければならない立場にいる存在が。だが、貴方の前なら言える」


 ――不思議と『本物』のレイン・シュドーの前ならば、全ての心境を語る事が出来る、と女性議長は告げた。

 今までずっと心の奥底に閉じ込めていた、この世界を覆う自分以外の人間たちに抱き続けた憎悪と呆れ、そして哀れみの思いを吐き続ける議長を、そこまで追い詰める元凶となったレイン・シュドーは黙って静かに聞いていた。だが、彼女には不思議と自らの行いへの後悔や反省の念は宿らなかった。いや、女性議長自身がそのような思いを宿らせないように念を押させたのかもしれない。もしレインが生きていたとしても、やがて人間たちはこのような堕落の一途をたどることになっただろう、と断言したからである。その証拠こそ、ダミーレインと言うレイン・シュドーを模した紛い物の扱いだ、と。


「……ダミーレイン……」

「知っているのか、レイン?」

「……一応は……でも、あまり思い出したくは……」


 その言葉には二重の思いが込められていた。既にダミーレインの事は十分承知しているし、自分自身がもしかしたらそのダミーレインからレイン・シュドーになった張本人かもしれない、と言う思いと、女性議長にこれ以上嫌な思いを語らせたくないという心配りである。


 そして、レインは改めて女性議長が経験し続けた人間と言う存在の愚かさ、哀れさ、醜さ、そして虚しさを噛みしめ、大きくため息をついた。それと同時に、彼女の口から自然に謝罪の言葉が漏れた。レインが否定し続けていたはずの『勇者』としての使命――人間を魔物から守り抜くという任務を果たせないまま戻ってきてしまった事を謝る、と言う形で。

 しかし、そんな彼女の言葉を気にしないと言わんばかりに顔を横に振った女性議長の方が、今度はレインに質問をした。突然自分の元に死んだはずの勇者が戻ってくるという事は、何かしら深い理由があるはず。ならば、今度はこちらが心の底から吐き出す感情を聞く番になりたい、と。その言葉を聞いてしばらく考えた後、レインは覚悟を決めた。他の人間たちとは逆に、女性議長には最後にこの世界の『真実』を伝える必要がある、と感じたからである。


 そして――。


「……分かりました。これでおあいこにしましょう」

「……取引成立だな、レイン・シュドー」


「……では、まず最初に伝えたい事があります。

 この私、レイン・シュドーとライラ・ハリーナは、『人間』の手で全てを奪われました」

「……何?」


 ――レイン・シュドーは、5人の『勇者』の真実を全て伝え始めた……。

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