トーリスの復活

「はぁ……やれやれ……全く……」


 自らに疑いの目をかけてきた女性議長を逆に言いくるめ、世界各地の代表者が集まる会議を実質的に思い通りに動かせるようになった老婆の軍師――いや、老婆の姿を模した魔物軍師ゴンノーであったが、部屋の中で議長を追い詰めた時の笑顔は、長い廊下を歩く間のうちに少しづつ消えていった。その代わりに、非常に強い信念を持っていた彼女に対する苛立ちや疲れのような表情を見せ始めた。廊下の左右にずらりと並ぶビキニ衣装の美女が一斉に夜の挨拶をしても、それに応えないままゴンノーは廊下を進み続けたのである。


 そして、その心持ちはゴンノーが別の部屋に入り、老婆の姿からトカゲ頭の魔物に戻った後も同様だった。


「そうか……議長の疑いは晴れたんだね……」

『ええ、何とか晴れましたよぉ♪』


 ゴンノーの言葉に応対していたのは、大量のビキニ衣装の美女・ダミーレインに取り囲まれながらベッドの中で静かに佇む1人の男であった。軍師と共に実質世界の手綱を握る事に成功した最後の勇者、トーリス・キルメンである。だが、もう彼には『勇者』としての覇気は一切感じられなかった。ダミーレインが魔物に負けたという報告があってからというもの、彼はずっとこの部屋に篭りダミーレインの世話を受け続けていたのである。当然、ゴンノーに近づけた腕は以前よりも柔らかく太くなっていた。


 そんな情けない様相を見せるトーリスでも、目の前にいる魔物が精神的に疲れているのはすぐに分かった。

 既に自分で現状を考える力を失い、ただ世の流れに身を任せ続けるだけになっている町や村の代表者とは異なり、あの女性議長は今もなお自らの考えをはっきり持ち、心の奥底で強い信念を抱き続ける叡智の持ち主である――両者とも、彼女に対してそのような評価を与えていた。そんな彼女にはっきりと疑われれば、それを解決するのが困難なのも当然だろう、とトーリスは自らの考えを述べた。



「あの議長を説き伏せたなんて、君は相当凄い策略家だよ……」

『貴方にそう褒められるとは思いませんでしたよぉ……』


 そしてゴンノーは、当事者ならば貴方も一緒に同行し議長と対談すべきだった、とトーリスに告げた。それは単なる忠告ではなく、所詮今の彼の体力や精神で議長に勝てるはずも無い、と言う皮肉も混じっていた。だが、意外と彼はその内なる意味をあっさりと見抜き、そして肯定した。ここ最近は侵攻が少しづつ止まり、こう着状態になり始めている魔物とダミーレインの戦いであるが、最早自分の入る隙は無い、と彼は自らの力の無さを認めたのである。

 かつて世界中の人々を魅了していた『勇者』の面影は、だいぶ消えていたように見えた。



「……やれやれ……」

 


 そんな彼に飛んできたのは、ゴンノーからの脅しのような質問であった。

 このまま貴方は、ずっとこの部屋の中で大量のビキニ衣装の美女に囲まれ、一生を過ごす気でいるのか、と。



「……な、何を言っているんだ、ゴンノー……」

『私はずぅぅぅぅぅぅぅっと、トーリス殿に対して言いたい事があったのです……』



 貴方は、本当に『勇者』なのか。


 その言葉を聞いた途端、トーリスの目の色が明らかに変わった。ずっと言われたくなかった事を告げられた際に見せる色である事を、既にゴンノーは承知していた。そしてその上で、さらにゴンノーは彼にこれまで思っていた言葉を次々に投げかけた。確かに自分自身もトーリスも、女性議長の持つ勇敢さや叡智には負けるかもしれない。だが、『勇者』と言う肩書きはそれを上回るだけの力がある事を、既に知っているはずだ、と。

 トーリス・キルメンは、これまで自らが『勇者』である立場を利用して数多くの富や名誉を得てきた。レイン・シュドーを犠牲にして魔王を一度倒した時――真実は全く異なるが――以降、その価値はますます高まり、何もしなくても彼はどんどん人々から尊敬され、持て囃されるようになっていたのである。



『その価値を、トーリス殿は捨てるつもりなんですかぁ?いやぁ勿体無いですねぇ♪』



 まるで挑発するようなゴンノーの言葉であったが、トーリスは首を横に振りその言葉を否定しようとした。

 かつて魔王が蘇った時、トーリスは人々から毎日のように批判を受けてきた。自分達の活躍を全て無かったことに考える心無い連中が、彼ら『勇者』を見放さんかのごとく散々文句を言ってきたのである。あの頃の自信に溢れていたトーリスたちはそれを軽く受け流そうとはしていたが、やはり内心強い苛立ちや不快感を抱かずにはいられなかった。今まさに同じような状況が起きようとしている、いや既に起きているに決まっている、とトーリスは怯えながら断言したのである。



「1人であの連中の元に戻れるわけ無いだろ……もう信用は丸潰れだよ!?何をやっても終わりなんだ……」

『……言うのもあれですが、だからと言ってこの世界から命ごと逃げ出すことも……』

「それも出来ない……そんな事をしたら魔物……いや、レイン・シュドーの思いのままだ!奴はこうやって僕を殺そうとしているんだ!!そうに決まってる!!」


 悲鳴のような声をあげながら怯えるトーリスを、左右にいるダミーレインがゆっくりと慰め始めた。その柔らかく心地良い胸を彼の柔らかいが醜い肌に近づけ、私達がついている限り心配は無い、だからゆっくりと時を待つように、と彼の心を癒すのにうってつけの言葉を次々に投げかけたのである。それを受け入れるかのように、次第にトーリスの顔にも笑顔が戻り始めてきた。


 だがその最中、突然ゴンノーはダミーレインたちに対し、一旦トーリスから離れるよう告げた。両者の命令には絶対に逆らえないと言う意志が刻まれている事もあり、ダミーたちはトーリスを慰める命令とゴンノーから与えられた命令どちらに従うべきか一瞬戸惑う仕草を見せた。しかし、最終的に彼女たちが従ったのは、魔物軍師ゴンノーの方だった。


 一体何のつもりだ、と当然不快感を見せるトーリスであったが、返ってきたのは思いもよらぬ言葉だった。



『……トーリス殿、これは真剣な話です。よくお聞き下さい』

「え、いやその……わ、分かったよ……」


 トカゲの頭蓋骨のような異形の顔を近づけられれば、心が弱っているトーリスが逆らう心などすぐに消え失せてしまうものだった。

 そして、ゴンノーが告げた言葉は、さらに彼を驚かせた。当然だろう、この魔物軍師は本格的に『魔王』へ向けて総攻撃を掛ける計画を本格的に練り始めていたのだから。しかもこれまでのような長期戦ではなく、大量の戦力を一気に投入する短期間の殲滅戦をかけようとしていたのだ。


「ほ、本気かゴンノー!?今だってダミーレインの力では魔物に対して……」

『いえ、その件についてもしっかり踏まえています』


 前述の通り、ここ最近魔物による人間世界への侵略行為は以前よりも少なくなり、ダミーレインとの戦いもこう着状態に陥っていた。だがそれは決してこちら側が有利になったというわけではなく、むしろ魔物やその背後にいる魔王側による策略だろう、とゴンノーは考えていた。相手側が何を考えているか、どのような理由で圧倒的に有利だった戦いの手を緩めているのかは分からないが、下手すれば裏でさらに強大な戦力を蓄え、一斉に人間達に攻撃を仕掛ける可能性がある、と推測していたのである。



『ただ、逆に言えばそれは魔王側の慢心かもしれません』

「慢心……?」

『先程トーリス殿が申したでしょう?ダミーレインの力は魔物に及ばない、って』



 そこをこちらので突けば、まず勝利は確実である――ゴンノーは真剣ながらも自信満々に告げた。

 魔王やレインに勝つ事が出来る、という言葉は、ずっと彼らの影に怯え続けるトーリスにとってはどんな優しい言葉や柔らかい胸よりも『甘い』響きであった。いったいどんな秘策なのか、作戦はいつ実行に移すのか、早口でまくし立て始めた彼の姿は、以前の地震と嘘偽りに満ちていた『勇者』だった頃そっくりであった。

 慌てて彼を抑えたゴンノーは、ダミーレインの大量生産同様に今回の作戦も念には念を入れるために時間を費やす必要がある、秘策についてもその中で準備を行わなければならない機密事項だ、と説明した。そしてその上で、トーリスにある覚悟を決めてもらいたい、と告げた。



『……恐らく、相手は途轍もない戦力で挑んでくることになるでしょう。それこそダミーレインを全部合わせてようやく勝てるぐらいの数で、ねぇ』

「……つまり、ここにいる皆も含めた全てのダミーを、戦場に出すつもりなんだね?」

『ええ。幾らでも代わりは出せますが、やはりここはトーリス殿を含めた全ての人々に覚悟を決めて頂かないと、と思いまして……』



 ずっと彼を温かく見守り続けてきたダミーレインを戦場に送り出さなければならない――つい先程までのトーリスならば、その事実を受け入れられずベッドの中に潜り込んでしまっただろう。だが、今の彼は違った。魔王を完全に倒すチャンスが巡ってきたとなれば、ここで篭っているわけにはいかない、と考えを変えていたのだ。この作戦が上手くいけば、ゴンノーも告げた地位も名誉も富も全てが戻り、そして自分は世界で誰も逆らうものがいない絶対の存在になる事が出来る――そのような皮算用を立てた彼は、自らの中に失われていた元気を取り戻してくれたゴンノーに感謝を告げた。骨のような手を何度も何度も握りながら。



『と、トーリス殿……それでは、計画の方は……?』

「ああ、心配ないよ……僕の方も時間はかかるけど、出来る限り協力する。魔王とレインを今度こそ消し去るためにね」

『それはありがたいです……ぐふふぅ♪』

 

 ゴンノーの不気味な笑い声につられるかのように、トーリスも笑顔を取り戻し始めた。やがて訪れる勝利を前祝いするかのように、彼もまた一緒に笑い始めた。そして2人は、部屋の壁や天井までびっしりと埋め尽くす純白のビキニ衣装の美女達も、一緒に笑うように命令した。両者にとって明るい未来が訪れる事を、皆で祝おうと考えたのである。


 トーリスとゴンノー、2人同時に出た命令に、ダミーレインは迷うこと無く反応を示す事ができた……。


『うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』うふふふふ……♪』…

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