レイン、呆然

 相変わらず壮大な光景だ。ただし悪い意味で。


 偵察活動を行い始めた数名のレインが、真っ先に抱いた感想であった。


 彼女が向かっているのは、自分たちが住む町のすぐ近くにあり、『魔物』の脅威を最も受けやすいであろう人間たちの町であった。手を伸ばせばあっという間にレイン・シュドーが征服することが出来る場所と言う事もあってか、その町の住民たちは非常に早い時期からダミーレインに縋り始め、彼女たちに町の防衛を任せるようになっていた。そして、次第に安全になっていくにつれ、住民たちは雑用から教育まで様々な形でダミーレインを利用し始めたのである。

 ここに限らず、あらゆる町や村で同じような動きが起きている事を、レインはこれまでの偵察の中で嫌と言うほど目と心に焼き付けてきた。その度に、相手がダミーとは言え自分と全く同じ姿形をした存在が一切文句を言わずに働き続けるのを心苦しく、そして腹立たしく感じてきた。そして、今の彼女たちの目の前に広がる光景は、それ以上の虚しさや苦しさを心ににじませるものであった。



(ここにいるのって……)

(皆あの町の……)

(ダミーなのよね……)


 使い慣れてきた光のオーラの力を使って自らの身を隠し、自分たち――正真正銘本物のレイン・シュドー以外は誰も認識できないようにしながら町へと進むレインたちの周りには、数百万人ものダミーレインがじっと立ち続けていた。全員、彼女たちが向かう件の町で日々人間たちにこき使われていたダミーレイン本人である事を、彼女たちは認識していた。以前偵察に来た時に感じた無機質なダミーのオーラと全く同じものを実感していたからである。

 大量のダミーたちが立ち続けている横では、別のダミーレインが何列も延々と歩き続けている光景が繰り広げられていた。彼女たちはあの町と別の町や村の物流を託され、朝から晩まで絶え間なく歩かされ、大小さまざまな荷物を運ぶという仕事を続けているダミーたちであった。しかし、彼女たちがどれだけ重い荷物を持っていようと、町の外でじっと立つダミーは一切手伝う仕草を見せなかった。


(まあ、当然よね……)

(あのダミーたちは人間の『命令』しか聞かない……)

(同じレインを助けるという行為も出来ないのよね……)


 町の外にずっと立っていろ、町の中に入ってくるな――そのような命令を人間たちから下されたのは間違いない、とレインたちは確信していた。人間たちに逆らうと言う考えすら出来ない哀れなダミーレインたちはその指示に従い、本当に町から追い出され、文字通り肉の壁となって『魔物』から町を守る役目を背負わされてしまったのである。

 あれだけこき使っておいて、いざ鉄壁の守りではないと分かると簡単に捨てる――そんな醜悪な心を持つ者たちが住む場所を再び偵察する事は、当然レインたちにとって深い極まりない事だった。だが、彼女たちは人間と異なり、このような汚れ仕事を引き受けるだけの勇気と覚悟が宿っていた。自分たちはどんな相手にも絶対に負けない、自らの目で世界の様子を焼き付けなければ、世界を平和に導く事などできない――心に抱いた思いを無言の頷きで確認しあったレインたちは、そっと町の中に足を踏み入れた。



 そして、そこに広がっていたのは――。 



「「「……へぇ……」」」



 ――何事も平穏無事に済んでいるかの如く、普段どおりの日常を過ごす人間たちの世界であった。



 町を歩く女性、学校で授業を受ける子供たち、様々な物を売る商人、公園で佇む老婆――町の中はダミーレインがいなかった頃と非常に似ていた。密かに侵入したレインたちがその数を増やし、町のあちこちをくまなく見回っても、少なくとも建物の外にダミーレインは1人もおらず、一見魔物=レイン・シュドーが襲来する前の状態に戻っていたかのようであった。しかし、普通に暮らしているはずの人々が放つ違和感を、彼女たちははっきりと感じ取っていた。皆どことなく動きや口調がぎくしゃくしていたりぎこちなかったり、どこか緊張感を漂わせていたのだ。


「そっちはどうだった、レイン?」

「レインと同じよ。やっぱりどこか硬いと言うか、妙に強張っていると言うか……」

「会話は普通にこなしているのに……」


 まるで、この町自体が平和な日常を題材にした演劇を繰り広げているようだ、とレインは感じた。

 そして、自分たちが思い描いた町の現状と実際の様子が合致していた事を彼女たちは改めて認識していた。ダミーレインが手も足も出ない事態が続き、打つ手も無いという状況の中で、不安に駆られた人々は正常な判断も出来ないまま、これまでずっとお世話になっていたダミーレインを頼りない存在、危険極まりない『物』とみなし、町から追い出してしまったのである。幸いダミーがいなくても人間たちは何とか日常生活を続ける事が出来ていたのだが、それでも彼らは魔物と言う大きな脅威への不安を隠しきれていなかった。

 その結果何が起きるのかを示すような出来事を、レインは目撃した。


「え、喧嘩?」

「すぐに来てくれる?レインたちの眼に焼き付けたほうが良い光景だから」

「「「「了解」」」」

 

 人々が不安そうに取り囲み、その中にこっそりと数十名のレインが混ざる中で、数名の男が揉み合いになっていた。体のあちこちに傷を負いながら罵声を浴びせ続ける彼らの言葉からは、ただ体が触れただけと言う些細な理由がこの大喧嘩の発端になった事が聞き取れた。それも肩をぶつけると言う乱暴なものではなく、ただ偶然腕に手が触れたと言う事だけで一方の男が苛立ち、執拗に攻め立てたと言うのだ。

 たかがそれだけの理由で争いが起きてしまうほど、この町の人々の心は不安と絶望に苛まれているようにレインたちは感じていた。誰も喧嘩を止めず、ただ不安そうな瞳で見つめるだけという醜態もそれを表しているようであった。

 

「「ある意味感心するわね、レイン」」

「「「どこまで堕ちるのか分からないもん」」」


 ダミーレインによって管理されていた町のみを襲わせ、人間たちがまだ残っている場所は征服しないよう魔王が厳しく制限をかけた理由を、レインたちは彼女なりに察していた。身から出た錆を押し付け合い、一切自分たちの行いを反省する事無く不安と苛立ち、絶望と怒りに包まれていく人間たちが、まるで醜さや愚かさを取り揃えた大型商店のように見えてきたからである。そこまではしないだろう、と念のために考えた想定さえも軽々とこなしてしまう人間たちの行動に、彼女たちは呆れ混じりの笑顔を見せていた。確かにこの有様では、わざわざ自分たちが乗り出すよりも勝手に滅んでいくのを眺めていた方が楽しいかもしれない、と。



「「……でも、そう言ってられないわよね」」

「「「そうよねレイン、人間は何をするか分からないから」」」

「「「「放置しておいたら、ね……」」」」


 魔王からの許可が下りない以上、現状のまま堕ちていく町を生暖かく監視するのが最善の方法だ、と認識しながらも、征服の許可が下りたときは真っ先にこの町を平和にする必要がある、とレインたちは感じていた。そして、町でたっぷり刻み込んだ記憶を他のレインに伝えるべく、自分たちの住む場所へ戻ろうとした、その時であった。



『『『……聞こえる、レイン?』』』


 この場にいる数十人とも、彼女たちと同様に他の町の偵察を行っているレインたちとも違う、別のレイン・シュドーの声が、レイン全員の心の中に響き渡ったのだ。

 その声がどこか慌てたようなものである事から、彼女たちはすぐに急を要する事態が起きたことを察した。そんなに焦って何が起こったのか、と尋ねた彼女たちが返事代わりに受け取ったのは、ここから遥か遠くにある村――ダミーレインという存在を一切拒絶し、それに抗おうとした者たちが住む場所の光景であった。そして、受け取った記憶を認識し終わった彼女たちの顔は、愕然としつつもどこか冷静さを維持し続けるものになっていた。彼女が予想していた事態が、現実のものになってしまったからである。


「「「「……ついにやっちゃったわね……」」」」

「「「嫌な予感はしてたけど……」」」


「「他のレインが別の町の偵察に行ってるけど、そっちには伝えた?」」

『『『ううん。悪いけど、レインが代わりに伝えてくれない?』』』


 偵察が終わり次第真っ先に記憶を共有しあう事になっている彼女たちの方が伝えやすいとレインたちは判断したからである。

 そして、別の自分の声が心の中から消えると同時に数十人のレインは町を抜け、大量のダミーたちがじっと立ち続ける空間の中で密かに自分の心を遠くへと飛ばし始めた。


 世界の情勢が再び大きく動き出した事を、即急に伝えるために……。

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