レイン、翌朝

「……きて、起きてよ、レイン」

「……ん、んっ……」


 木漏れ日が差し込む大樹の傍で、自分を起こす声を聞きながらレインは目覚めた。


 昨晩からずっと変装を解かず、ぼろきれを纏った貧乏な旅人のままであった彼女は少々無理な体勢で寝ていたようで、体が少し痛くなっていた。だが、その痛み以上に、彼女の心は驚きに包まれた。ぐっすりと眠っていた彼女を起こしたのは、昨日まで道案内をしていた屈強な女性兵士ではなく――。



「おはよう、レイン♪」



 ――変装を解いた状態、1つに結った黒い長髪と、健康的な肌を大胆に露出する純白のビキニ衣装を纏った、レイン・シュドー本人だったからである。

 女性兵士はどこへ行ったのか、と眠気があっという間に吹き飛んでしまった彼女だが、目の前のレインに額を当てられ、昨晩からの記憶を流し込まれたことでこの事態を思い出すことが出来た。


 『壁』を作りその中で篭る町を去った彼女は、女性兵士が監視する中、こっそりと別の場所――レイン・シュドーを崇める町を訪れたレイン本人と連絡を取り合い、互いの記憶を交換し合っていた。

 向こうの町はこちらと対照的に開放的で、困っている人もすぐに受け入れる包容力を持っていた一方、住民は心の中に歪んだレイン・シュドーの面影を持ち、それに縋るかのように生きていた。しかも、彼らがずっと崇め、救いを求め続けているのはレインだけで、彼女と共に散っていったと人々が信じているはずの勇者、ライラ・ハリーナの事は、完全に忘れ去られようとしていたのだ。『壁』の中に誰も入れない、と言う姿勢を無理やりとり、人々の反対を押し切って強引に魔物から身を守るとしているあの町と大して変わらない、愚かな人間たちだ、とレインは考え、そっと苦笑いをした。


 そして連絡が終わった後、眠気に包まれ始めたレインは、自分の意識が無くなる前にこっそりと漆黒のオーラを放ち、女性兵士を包み込んだ。魔物から皆を守るために強くなるしかなかった、と未来に悲観する彼女を救いたいと考え、彼女をレイン・シュドーに変貌させようとしたのだ。その結果が、今朝レインを起こしたもう1人のレインだった、と言う訳である。ただしレイン本人は寝ぼけ眼の状態でオーラを放っていたため、このことをすっかり忘れていたらしい。


「もう、レインったら♪」

「ごめんごめん、油断しちゃ駄目よね」


 笑顔で謝りながら貧乏な旅人の変装を解き、一つに結った黒い長髪に純白のビキニ衣装という元の姿に戻ったレインは、自分たちの周りの空間を囲むオーラに気がついた。

 この一帯は村も町も無く、木々が点々とする以外は全て草原に覆われているのだが、自分より先に起きたレイン・シュドーは決して油断せず、自らの魔術の力で周りに半球状の障壁を作り出していた。この『壁』を潜り抜けたり内部を見る事が出来るのは、漆黒のオーラを操るレイン・シュドーと魔王、そして彼らが生み出した魔物だけである。


 用意が早い、と別の自分を褒めた彼女は、傍にあった木の様子も昨日と異なる事に気がついた。日が沈み始める中で見た時も大きかったが、今の木はその何倍もの幹の大きさに膨れ上がり、枝の数も凄まじく多くなっていたのだ。まるで外部から無理やり活性化され、過剰に大きくなったような姿である。この木に何が起こったのか、そこに実る数十個の実で、レインは気づく事が出来た。どれも人間が1人うずくまる事が出来るほどに大きく、そして内部にはレインに似た影が静かに眠り続けていたのである。


「流石レインね、この木も『レイン・ツリー』にしちゃうなんて♪」

「せっかく私を泊めてくれたんだから、これくらいお礼をしないと」

「それもそうね♪」


 女性兵士と置き換わったレイン・シュドーは、大樹にも漆黒のオーラを浴びせ、永遠の命と強靭な体を与える代わりに、ビキニ衣装の女剣士を無限に作り出す生きた工場『レイン・ツリー』に変えさせたのである。

 そして、2人のレインが見守る中、殻を破るように数十個の実の中から――。


「おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」…


 ――2人と全く同じ姿形、同じ記憶、そして同じ笑顔を持つ、数十人のレイン・シュドーが生まれた。


 今や、レイン・シュドーにとって『漆黒のオーラ』は意識せずとも自由自在に使える代物になっていた。

 人々を救うために勇者として戦っていた頃は、このような魔術の力が使えるとは微塵も思っておらず、それどころか苦手意識すら持っていた。剣を片手にすれば無敵の強さで戦える自分が、それと相反するような力である魔術など到底使用できるはずは無い、と勝手に決め付けていたのだ。しかし、勇者の名誉を脱ぎ捨て、魔王と共に世界を平和にするために奮闘するようになった今、レインの魔術の腕は、無から美味しい朝食を作り出す事など文字通り朝飯前になっていた。


「いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」いただきまーす♪」…


 再び新しい実が成りはじめた大樹の傍で仲良くご飯を食べながら、レインたちはこれからの予定を話し合った。

 まずはここと同じ状態、レイン・シュドーで埋め尽くされているであろう『壁』の町へ瞬間移動で向かう事になったのだが、その際にこの大樹も一緒に持ってく、と言う事が決まり始めた。確かにこのまま放置しておいても、生まれ続けるレイン・シュドーによって上手く空間が調節されるし、一気に何十人も生まれるので寂しくなるという事は無いだろう。ただ、広い草原の中にぽつんと一箇所だけ半球状の巨大な物体が置いてあるというのはあまりにも怪しすぎるし不用心すぎる、とレインは考えた。油断をしないように、と言う心構えの元、彼女は一旦この場所を自分たちの領域から解除する事にしたのである。


 もし今度この場所を訪れるときは、周りを取り囲む草原も含めて全ての植物を、永遠にレイン・シュドーを生産する『レイン・プラント』にしよう、と決めながら。


「ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」ごちそうさまー」…


 朝食を食べ終え、体を動かしたり剣を振ったり、漆黒のオーラをまとって空を飛んだりしながら各自で運動をした後、数十人のレインたちは再び大樹の下に集まった。

 そして彼女たちが同時に目を瞑った瞬間、彼女たちの体と大樹『レイン・ツリー』は一斉にこの場所から姿を消し、巨大な半球状の空間も一瞬で消失した。後に残ったのは、何事も無かったかのように風に吹かれる草原だけだった。




 一方、レインたちが再び眼を開けると、そこには先程とは全く異なる風景が映し出されていた。

 

「あ、レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」レイン!」…


 自分たちの何十何百、いや何千倍もの数で自分たちを迎え入れた、『壁』の中の住民と入れ替わったレイン・シュドーの大群と――。


「……ほう、戻ってきたか」


 ――漆黒の衣装に身を纏い、無表情の仮面で顔を覆う、魔王の姿である……。 

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