レイン、侵攻(1)

 大きな壁だ。本当に、人間の愚かさのように大きな『壁』だ。



 レイン・シュドーが目的地にたどり着いて目にした光景を見て、心の中に浮かんだ率直な感想である。



 今の彼女の姿は、純白のビキニ衣装を見せ付ける美人剣士とは異なるものになっていた。健康的な肌や長い髪はそのままに、古く穴の開いた布を身に纏った、貧乏な女性の姿に変貌していたのだ。それに、自分自身の姿をはっきりと相手から見られないように、漆黒のオーラで体全体を薄く包んでいる。自分や魔王以外、誰も今の彼女が世界を救った女勇者、レイン・シュドーと見抜かれないため、レインは様々な対策を行っていたのである。

 人間の町や村に来訪し、そこに住む者たちの愚かさをたっぷりと観察した後、そこをレインだけが住む平和な場所へと作り変える――普段どおりの征服活動なのだが、今回は魔王から受けた忠告を受け入れ、彼女は念を入れて自分自身の偽装を行っていた、と言う訳である。


(……多分ばれないかな……ううん、油断しちゃ駄目……)


 今、レインが訪れようとしていたのは、巨大な『壁』の中に広がっているであろう人間たちの『町』だった。

 魔王が復活し、世界中の町や村を魔物が襲い、次々に人間たちの平和が脅かされる中、立ち向かう勇気や気力を失ったこの町の人々は、巨大な『壁』で町を覆ってその中に篭り続けていた。当然ながら、レインの目には多数の兵士が壁を警備している様子がはっきりと映し出されていた。

 その様子を見て、彼女は改めて認識した。この町は世界を平和にするのではなく、自分たちだけ魔物たちの脅威から逃げようとする、愚かな者たちしかいない場所なのだろう、と。


 そして、その考えは正しかった。


「申し訳ないが、この先には『通行証』が必要なのだ」

「町の人たちや一部の商人にしか与えられていない訳でな」

「……そう、ですか……」


 町の中に入ろうとしたレイン――いや、貧乏な女性は兵士たちに止められ、町の中に入ることが出来なかったのだ。

 商業で栄えていたにも関わらず、魔物の影響を恐れたこの町の住民たちは『通行証』なるものを作り、それが無い者は町の中に入れないよう独断で条例を決めていたのである。他の村に大きな影響力を持つ商業の町だからこそ出来た荒業であるが、そのせいで多くの人々が困っていると言う実態を、レインは察する事が出来た。


「失礼だが、君が『魔物』では無いと言う証明はどこにもない」


 やけに丁寧な口調で詳細を語る兵士たちの様子は、この計画に反対する者が多かった事や、彼自身も内心『壁』作りに反対していることを、まざまざと示していたのである。


(……ふふ、壁が出来たお陰で随分『平和』に近づいたようね♪)


 レインは心の中で、彼らに対しての皮肉を思いっきり吐いた。


 そんな中、彼女の動きを止めた兵士たちは何かを話し始め、この『貧乏な女性』に少し待って欲しい、と告げた。そして、兵士たちは新たにもう1人の男性を引き連れて戻ってきた。自分はこの『町』を守る兵士たちの隊長格だ、とその男は丁寧に自己紹介を行った。

 そこまで大事になるとは思っていなかったレインは少し動揺の色を見せてしまったが、幸い隊長格の男の対応も非常に紳士的なものであった。『貧乏な女性』に化けたレインが言った偽りの願い――村の人のための食糧や飲み物、一般物資などが欲しい、と言う願望を全て叶え、さらに彼女を目的地まで道案内させるお供までつけてくれる、と告げたのだ。


 町の中に入ることは叶わなかったものの予想外の展開になった事に心の中で驚いたレインだが、次第に新たな策を考えはじめた。


「今回は特例です。今後、このような危ない真似は慎んでいただきたい」

「ご、ごめんなさい……」


 頬を赤らめながら上目で謝った時、レインははっきりと兵士たちが自分を見て顔を赤らめたのを確認した。そして、一瞬彼らの方を向いた時、レインは誰にも気づかれないよう彼らに漆黒のオーラを目線で送り込んだ。非常に微量のため目視する事すら出来ないほどだが、それだけでもこの町に終焉をもたらすには十分な量であった。


「それじゃ、行きますよ」

「分かりました……ありがとうございます」


 大きな『壁』を眺めつつ、丁寧にお辞儀をしながら、レインは笑顔を見せた。滅び行く者たちに向けた哀れみが含まれていた事に気づいた者は幸い誰一人としていなかった。


~~~~~~~~~~~~~


 レインが化けた女性を案内してくれる事になったのは、『壁』を守る兵士たちとは別に呼ばれた女性兵士だった。

 屈強な男性たちに混ざって活躍しているだけあって、彼女もかなりの肉体の持ち主であった。草むらに囲まれて延々と続く道を歩く間も、レインの目には何度も筋肉に満ちた彼女の腕や脚が服の中から何度も浮き上がるのが見えた。自分がもし魔術を使わずたった1人で素手のみを使って挑めば、もしかしたら負けるしれない、と思うほどだった。逆に言うと、そういう事態にならない限り絶対に負けることは無いという事にもなるが。


「かなり鍛えていらっしゃるんですね」


 自分の気持ちを率直に述べて褒めたレインに対し、その女性兵士は感謝の言葉を返したが、それに続いてそこまで鍛えた事を悔やんでもいる、と語った。もし世界があのまま平和なまま、勇者たちが魔王を倒し、そのまま復活しないままなら、自分がここまで強くなる事は無かっただろう、と。

 昔の世の中は、誰かを守るために強くなる、と言う前向きな志向でも十分生きていけた。それを実践し、世界各地の魔物を次々と蹴散らしてくれる勇者と言う存在がいたからである。だが、今の勇者は何をやっても後手後手になり、魔物をいくら倒しても結局は魔王の思いのまま、町や村が乗っ取られてしまう。そんな今の世の中では、少しでも強くならなければ誰かを、そして自分自身を守る事も出来ない――女性兵士は自らの心情を露呈し、そしてすぐ顔を真っ赤にして自らの無礼を謝った。


「いえ、大丈夫です……今の世の中、暗い事が多いですから……」

「貴方の村も、魔物たちのせいで困窮しているんですよね」

「ええ……」


 気の休まる日が無い辛い状況の中でこうやって誰かと心の底から話せる機会すらなかったのか、女性兵士はレインの『嘘』を完全に信じきっていた。レインの高度な魔術もその理由だったかもしれないが、念を入れて防御を固めた甲斐があった、と彼女は心の中でそっと微笑み、そしてこの哀れな兵士に同情した。この女性兵士には、強くなる事しか生きていく意味が無い状況にまで追い詰められているように感じたからである。


 彼女の話に耳を傾けながら、レインは女性兵士に1つ探りを入れてみた。ここまで鍛え上げた肉体や精神力があるのなら、魔物でも十分に倒せるのではないか、と。それにあの町には頑丈な『壁』があるから、魔物から襲われることなんて決して無いだろう、と敢えて褒めてみたのである。

 返ってきたのは、予想通りの悲観的な言葉だった。

 

「……正直に言って、『壁』があっても魔物を防げるなんていう人、少ないです」

「え……どうしてですか?」

「はっきり言っちゃいますけど、『壁』を作るなんて言い出したのはあの町の偉い連中なんです。神のご加護なんかより物理的な防御の方が効果があるって」


 やはり反対意見は多かったのだろうか、と尋ねたレイン――いや、『貧乏な女性』の言葉に、悲しい目をしながら女性兵士は頷いた。そして、立場上意見を述べる事は許されていないが、正直自分も反対だった、と語った。その場しのぎの方法で、勇者をも欺く恐ろしい魔物たちを防げるはずは無いだろう、と。


「……でも、それしかないという実情も分かる気がします」

「そうですか?私は貴方なら魔物を倒せそうに見えてしまうんです……」


「……ありがとうございます。何だか、貴方と話していると気が楽になりますね」


 そして、先程の様々な本音は絶対に内緒にして欲しい、と語った。兵士と言う立場上、私情を挟む訳にはいかないのだ。


 様々な話をしているうち、いつの間にか東の方角の山は暗闇に包まれ始めていた。


 暗い中で歩き続けているのは危険だ、という事で、女性兵士は近くにあった大きな木の傍で一泊する事を提案した。目的地の村――とレイン・シュドーが告げたでたらめな場所――までかなり遠く、最悪野宿をする可能性もある事を考慮し、この女性兵士は様々な装備を背中に背負ってきたのである。彼女の判断の良さに感謝の言葉を投げながら、レインは心の中で彼女を哀れに思った。

 確かに、この女性兵士が嫌でも強くならなければならない原因を作ったのは、魔物の正体であるレイン・シュドー自身かもしれない。だが、根本的な原因を探れば、レインを裏切り、人々に大きな嘘をついた勇者たちであろう。彼らの言動に人々は左右された末にこうやって多くの場所が混迷を極めているのだから。ただ、誰もその言葉を疑わなかった事もまた、女性兵士を強くさせてしまった要因だろう、とレインは考えた。もう『今』の彼女には、元の平和な暮らしに戻る保障はないだろう、と。


「……寝なくて、大丈夫なんですか?」

「ええ、私は兵士ですので。貴方を守るという任務があります」

「ご迷惑かけてすいません……」


 心配せずに休んで欲しい、と優しい言葉を投げかけられたレイン――が変装した『貧乏な女性』は、暗闇の中静かに目を閉じた。しかし、彼女もまた眠る事はしなかった。目を瞑りながら、魔術の力でこっそり遠くの場所へ自らの思考を送り続けていたのだ。

 そして少したった後、レインの心の中に別の『レイン』の声が響き始めた。今回の作戦で、別の場所へ侵攻を行っていたレイン・シュドーである。彼女の方も無事作戦が終了し、宿屋に泊まって結果を待つという状況になったと言う。


『良かったわね、レイン♪』

『ありがとう、レイン。それで、そっちの状況はどうなってるの?』


『うん……説明すると長くなっちゃうし、魔術で記憶を送信するわね』

『じゃ、私もそうしようかな。確認しておいてねー』  

 

 了解、と心の中で呟いた瞬間、レインの脳裏に別の記憶がどっと流れ込んだ。最初は記憶がバラバラに分解されて散らばる妙な心地を味わったものの、次第にそれらが整理されていく中、彼女はそっと苦笑いをした。

 レインの中に、別のレインが味わった嬉しくも複雑な体験が染みんでいったからである……。

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