魔王とトカゲ頭
レイン・シュドーの大群が消え、静寂に包まれようとしていた、かつての勇者『フレム・ダンガク』の屋敷。
だが、そこに魔王は再びやって来た。
「……ふう……」
人間に対して『宣戦布告』をするためには、もう少し準備が必要であった。ただ、その準備にはレイン・シュドーは必要なかった。人々が恐れる「魔物」の大ボスである魔王がたった1人でこの場に戻ってきたのはそういう理由である。
魔王が自らの掌を大広間にかざした瞬間、そこから発せられた漆黒のオーラがあっという間にいくつかの形に変貌した。1つは体中から血を流して無残に横たわる男性の死体、それ以外は灰色の硬い肌に包まれ、巨大な牙とギラリと光る3つの目玉を持つ『魔物』である。
これらの魔物には本物の命ではなく『仮初の命』が与えられている。元はこの大広間に散らばっていた皿の欠片である彼らには、食べ物を載せる役割を持つ皿のように、新しい食べ物――栄養満点、柔らかくてとても美味しい人肉を求めると言う行動をさせるだけで十分だったからである。人間と全く同じ姿、いや人間そのものであるレイン・シュドーが襲撃した、と伝えるよりも、勇者が異形の『魔物』に襲われて命を落とした、と言う光景を見せ付けた方が、偽りの平和を楽しむ人間たちの肝をたっぷり震え上がらせ、魔王からの『宣戦布告』だと嫌でも認識してしまうことを、魔王は把握していたのだ。
これらの魔物に与えられた目的は、『勇者』の死体が転がる凄惨な現場――つい先程魔王が創り出した嘘の現場だが――を見せつけた後、調査に訪れた人間を1人だけ残して命を奪う事にある。たった1人だけ生き残った、と言う危機的な状況をわざと作り出す事で、他の人間たちに魔物や魔王がまだ生きている事、そして勇者たちが無力である事を思い知らせようと言うのだ。ただ、目的が終わった後もそのままこの皿の魔物が暴れまわってしまうと、人間たちの逆襲に遭ってしまう可能性もあるし、何よりせっかく創造した手下が消えてしまうのは勿体無い――そんな事を考えたのかどうかは定かではないが、魔王は目の前でうろつきまわる魔物たちを呼び寄せ、掌から何かを与えた。
「よく噛んで食べろ……じっくりと味わいながら……」
どれだけ凶悪な存在でも、それを遥かに凌ぐ力を持つ存在を前にすると大人しくなってしまうものである。皿の魔物たちは魔王から与えられた食べ物を素直に受け取り、美味しそうに食べた。それは、白と黒が入り混じった小さな錠剤――様々な生物を『レイン・シュドー』に変えてしまう薬と同じ成分が含まれているものであった。任務が終わった後で、この薬の効果が発揮されるようになっているのだ。勿論その時は三度魔王がここに戻り、魔物が変じた存在を回収する流れである。
今の魔王にとっては、様々な物体を個性豊かな魔物に変えるよりも、何でもこなすビキニ衣装の部下の方が好みだったのかもしれない。
仮初の命に従い、大広間で獲物を求めてうろつき回る皿の魔物を静かに眺めていた魔王が、突然何かに気づいた。気配を感じたのは、どこまでも続く長い廊下の先だ。魔物たちも同じようにその方向を睨み付け、今にも飛び掛ろうとしたのだが、すぐにその行動は魔王によって制止され、彼らは自らの役割を忠実にこなす事となった。
やがて、魔王の目の前に、気配の正体が静かに現れ始めた。
人間のようなシルエットをしたその存在は、魔王に良く似た漆黒のオーラや黒ずんだマントを身につけ、背丈もまた魔王と同じぐらいであった。だが、その姿形は魔王どころか『人間』とも異なるものであった。顔はトカゲの頭蓋骨、頭に生えた角は鹿のように鋭く、体は光沢の無い銀色で包まれた頑丈な鎧に覆われ、そしてマントからはたくさんの骨で構成された長い尻尾まで生やしていたのである。
完全に姿を現したその存在と魔王は、静かに互いを見つめ合った。言葉を一切発さず、身振り手振りも全く行わない代わりに、体を包み込む漆黒のオーラが互いの体から延々と現れ続け、辺りを暗闇に包み込んでいった。人間の力や知識だけでこのやり取りを理解するのは、よほど魔術を身につけたものでない限り不可能であろう。いや、そもそも『漆黒のオーラ』を完全に理解できる人間は存在しないのである。
やがて、互いの対話が済んだ事を示すように、漆黒のオーラは次第に消え、屋敷の中には元の明るさが戻っていた。
先に体が動いたのは魔王であった。黒い手袋に包まれた左手の上に、レインたちから没収したはずの巨大な肉の塊――60000000000000人ものレイン・シュドーを創造する事が出来る凄まじい力を秘めた物体を取り出し、トカゲ頭の存在に見せ付けた。そして、相手がそれを認識したと見た魔王は、手持ち無沙汰になった右手をおもむろに顔に近づけ――。
「……ふん」
「ほぉ……♪」
――静かに、無表情の仮面を外した。
魔王の『仮面』の中身を知る者は、この世界で2名しかいない。
魔王本人と、目の前にいる『トカゲ頭』である……。
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