第2章:勇者が闇を覚えるまで

女勇者、魔術

 つい最近まで、その『勇者』は魔王を倒せば世界が平和になる、と言う考えを心の中に抱いていた。この世の中に起こる全ての穢れや悲しみは、恐ろしい魔物たちによって引き起こされたものであり、その根源を打ち砕けば、全ての人々に喜びや優しさが戻ってくるであろう。そのような夢物語が、『勇者』の振るう剣を後押しし続けていた。

 確かに、それはある一面では正しかったかもしれない。『勇者』の長い戦いによって魔物はこの世界から消え去り、やがて舞い込んだ『魔王』が滅んだと言う報告は、この世界の人々を大いに喜びで沸きたてた。町は元の活気が戻り、元の平和な日々が訪れていた。だが、その世界で全ての人がそのような感情を抱いたわけではなかった。


 戦いの中で、幾人もの人々が犠牲になった。その中には、大きな夢に向かって邁進し続け、世界に平和をもたらした『勇者』本人も含まれていた。だが、その活躍は時を経るごとに忘れ去られていった。人々は忌まわしい過去としてその犠牲を忘れ、目の前の平和に溺れるようになっていたのだ。


 だがその『勇者』は、人々の知らないところで生きていた。そして、世界の現状を目の当たりにし、さらにその裏で起きていた恐ろしく忌まわしい真相を知ったとき、一つの決意を固めた。


 こんな世界は、決して『平和』とは言えない。

 だから、自分の手で、今度こそ世界に真の平和をもたらしてみせる。

 悲しみも憎しみも無い、美しい世界を創り出してみせる、と。


 そして、かつて『勇者』だった存在、女剣士『レイン・シュドー』は、魔王に手を貸すことを決めたのである。


~~~~~~~~~~


 人間は、一つの目標が生まれるとそこへ向かって邁進するようになる。未来が見えず、目標も定まらないままもがき続けるよりも、自分が将来どのようなものを創り出すか、どのような存在になりたいかを思い描くだけで、効率や進行の度合いが格段によくなるのである。

 それは、地下に広がる魔王の根城に住むレイン・シュドーも同様だった。


「ふぅ……」


 一つに束ねた黒い髪に、程良く健康的な褐色の肌、そして風船のような大きな胸や美しい腰つきなどを申し訳程度に包み込む純白のビキニ風衣装。今日の鍛錬を終えたレインは、その体全体に大粒の汗をにじませていた。

 魔王に囚われの身となってからずっと彼女は、魔王から与えられた巨大な石造りの闘技場を用いて自らの剣術を磨き続けていた。しかし、その頃と比べて今は格段にその練習にも気合が入るようになっていた。以前のような現実逃避ではなく、平和な世界を作るためと言うしっかりとした目標が、彼女を動かしているのかもしれない。


 そして、全く同じ志を持ち、全く同じ汗を流す存在が、この闘技場の休憩室で彼女を待っていた。


「お疲れ様!」


「お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」お疲れ!」……



 小さな休憩室は、100人分のレイン・シュドーの熱気によって包まれていた。


 たっぷり体を動かした分、彼女のビキニ風の衣装は汗でたっぷりと湿っている。素材が素材なら、このまま中身も見えそうな格好である。とは言え、さすがにこのまま同じビキニを着続けているわけにも行かない。彼女は他の99人の自分たちと共に、新たに用意されていた純白のビキニ風の衣装への着替えを始めていた。

 勿論、彼女たちの顔は恥ずかしさを示すように頬が赤くなっていた。だが、それ以上に頬を染めていたのは、全く同じ姿の自分自身が、生まれたばかりの姿でいると言う嬉しさだったに違いない。褐色に焼けた健康的な肌と豊かな胸、むっちりとした太もも、整った腹、そして綺麗に整えられたポニーテールの髪を持つ、全く同じ姿の女性たちが、女剣士レイン・シュドーの周りを取り囲んでいるのである。


「あぁ、レインってやっぱり綺麗よね……」

「本当、そうよね、レイン……」

「ずっと見ていても飽きないよね……」


 『レイン』、もしくは『レイン・シュドー』と言う名前の響きが、彼女にとってはとても心地良く、そして心を惑わせる言葉に聞こえた。


「うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」うふふ、レイン♪」……


 とは言え、今は自分以外の99人の自分自身とあまり長く触れ合う時間ではない。レインは続々と新たな純白のビキニを身につけ始めた。とは言えその様子もまた、彼女にとっては今日の鍛錬のご褒美のように感じられていたが。

 裸の状態とあまり変わらないかもしれないであろう、真っ白なビキニ風の衣装をレインの全員が身に付け、周りに広がる姿に再び嬉しそうな表情を見せていた時、休憩所の中に黒づくめの仮面の存在、『魔王』が入って来た。


「終わったか……」


 大胆に露出をしているレインとは正反対の全身を黒で包んだ衣装の魔王。しかし、共に暮らす中でレインは、その黒尽くめの服に包まれた胸が、自分自身と同じくらいの膨らみを見せていることに気がついた。その理由を自分たちの好きに考えろと魔王に言われたレインは、その言葉に従うことにした。自分たちの休憩所兼着替え場所に魔王が入ってきてもレインが気にしない理由の1つには、こういう訳があるのだ。

 そしてもう1つ、現在のレインと魔王の関係が、今の状況を造り出した理由となっていた。 


「他の貴様らと合流する。ついてこい」


 相変わらずの上から目線な口調に対し、真実を知る前のレインは少々皮肉交じりの感情を宿していた。だが、今の彼女は違った。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「了解!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


 争いのない、誰もが笑顔で過ごせる真の平和な世界を作る事が、今のレインの目標である。それを達成するためには、かつて彼女と対峙していた魔物を操り、強大な力で人々の生活を脅かし続けていた『魔王』と手を組む事も辞さなかった。それどころか、今の彼女にとっては、『魔王』は貴重な協力者であったのだ。


 そしてその一環として、彼女は『魔王』の持つ凄まじい魔術の一端を身につけようと必死に努力を続けていた。


「はあっ!!」「はあっ!!」「はあっ!!」「はあっ!!」「はあっ!!」「はあっ!!」「はあっ!!」「はあっ!!」……

 

 自らの根城である地下の空間に魔王が創り上げた『闘技場』の数は、一つだけでは無かった。魔王の持つ黒いオーラを駆使した魔術を用いれば、一つ願うだけで、何十何百、荘厳な石造りの建物を地下の巨大な空間に数限りなく作りだす事が出来るのだ。

 必死の形相でレインは手に入れようとしていた、あらゆるものを支配するであろう全知全能の力である。


 闘技場の観客席には、別の闘技場で剣術の特訓を終え、先に到着していた100人のレインが、魔王に連れられて到着した100人のレインを待っていた。石で出来た長椅子の上を埋め尽くす女性は皆、褐色の肌にお揃いの純白のビキニを身につけ、むっちりとした健康的な体や風船のような大きな胸の谷間を露出させていた。

 そして、その衣装は彼女が見守る先で魔術の鍛錬を続けている、もう100人のレインも同様であった。

 

 彼女たちは皆、体中に汗を流しながら、目の前にあるレンガで作られた的を射ぬこうと努力していたのである。魔王から教わった、掌から放つ黒いオーラを用いた魔術『射撃(イ=ヌーク)』を使って。


 女勇者レイン・シュドーは、これまでずっと魔術を用いる事が出来なかった。剣を操ることにかけては誰の追随も許さなかった一方、彼女はずっと仲間たちが操る魔術や光のオーラに支えられていたのである。しかし、今その仲間たちは様々な形で彼女の元を離れ、仲間として会うことは二度と出来ない状況になっている。あの時魔王に負けた最大の要因が、ここにあった。

 だからこそ、その欠点を自ら克服し、『魔王』の持つ力を身につけたい。そう彼女は魔王に進言したのだ。


 意外にも、魔王はそれをあっさりと了承してくれた。拍子抜けしたレインの方が、一体どういう吹き回しなのかと尋ねる程であったが、魔王はその真意を伝える事は無かった。自分に勝てる訳が無い、だから教える、と言う言葉は口に出したのだが。

 引っ掛かる所はあったが、あの凄まじい力を教えてもらえう機会を、彼女は逃さなかった。今のレインは、後ろ盾となっている『魔王』を除けば一人ぼっち。だからこそ、平和な世界を築くためには自分自身により強大な力が必要であると考えていたのだ。それも、今まで人間が備えたことが無かったであろうほどの、世界を揺るがすほどの力を。


「はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」はぁ……」…


 ただ、その段階に至るまでは相当の精神力や集中力が必要になっているようだった。

 魔術に関しては本当に素人の彼女に対し、『魔王』によって簡単なノウハウは教えられたものの、実行に移すとなるとやはり高い壁が待ち受けているようだった。ただ、今の彼女には『平和な世界』と言う目標がある。それを目指し、目の前の自分が必死に努力している様子を、200人のレインは手に汗を握りながらじっと見つめていた。


 そして、再び闘技場の中央に立つ100人のビキニ姿の女性が掌に気合を込め、目の前のレンガの的に向けた、その時だった。


「はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」はあっ!!」…


 100個の声と共に、100個のレンガの的が一斉に音を立てて崩れ落ちた。そして、その跡には、100人のレイン・シュドーが初めて放った魔術の跡が色濃く残っていた。魔王の全身――腕や脚、そして恐らく大きな胸――を包み込む漆黒の闇と全く同じ、どす黒いオーラの跡が……。

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