終章

エピローグ・竜の星



『 黒き竜の王と、白き竜の姫。

  ふたりは、長い旅をした…… 』


 王都の風が、その唄を聴いている。


『 男は昼に、黒き馬。

  女は夜に、白き竜。


  ふたりはずっと、旅をした。

  何年も、何年も…… 

  太陽と月がなんどもなんども、

  山の彼方あなたへ出ては沈んだ……   』


 流しの吟遊詩人の声が、涼やかなリュートラウテの音色とともに、爽やかな新緑の風に乗って聞こえている。


 蜂蜜色の髪と碧瑪瑙あおめのうの目をした美しい水竜の姫が、黒髪と翠の瞳をもつ精悍な少年武官と恋に落ち、やがて恐ろしい呪いをうける。

 風竜の魔女と、火竜の王太子の呪詛によって引き裂かれ。

 ふたりはふたつのときにまたがって、して交われぬ身になった。


 そんな、美しくも悲しい恋と、過酷な戦いの物語。

 風竜国フリュスターンの人々は、この物語がことのほか好きなのだ。


『 昼と夜、呪いによってときを分かたれし、王と姫。

  ふたりはやがて、少年に会う。

  親を殺された少年は、姫と王とのしもべになった…… 』



「だーれが、『しもべ』だよ。まったくもう――」


 少し長めの短剣、ダガードルヒを手元で弄ぶようにしながら、緑の軍服に身を包んだ茶色い髪の青年武官は顔をしかめる。有事には、もう一本の腰の細剣、レイピアとの二刀流になるのが、いまの自分の主な闘法である。

 しかしそれも、ここ数年でやっとここまできたばかり。

 だというのに、本人の意向を無視して、その物語の中では勝手に、「しもべの少年」は随分と背の高い、はじめから武術にもすぐれていた美丈夫のように歌われてしまっているのだった。


 本当は、ただのちびで毬栗頭いがぐりあたまの山出しの坊主だったんだなどと、口が裂けても言えるものではない。物語の少年のような勇壮なものでもまったくなくて、しょっちゅうべそをかいては「そんなのだめじゃんか」と喚き散らしていただけだなんて、もちろん言えるものではなかった。

 実際、町の商家などで、酒の勢いやらで口が滑って、思わず言ってしまったこともあるのだが。


「馬鹿いうねえ!」

「ふざけんじゃないよ!」

「あんた、何様? あたしのクルト様を侮辱したら許さないから!」

「ちょっと同じ名前だからって、調子に乗るんじゃないわよ、まったく!」


 等々と、そこの親父やらおかみやら町娘などから、いわれのない雷を落とされるのが関の山なのだった。

 ちょっと美化のされすぎというのも、当の本人としては迷惑でしかないという、格好の例だろう。なんだか思い出すと涙が出そうだ。

 大体その、「あたしの」っていうのはどういう意味だ。


「あ〜あ……」


 とはいえ、今の身分には満足している。

 あれ以来、この国の王宮で、少年時代に習い覚えたこの二刀流の剣術の鍛錬を積めたことと、比較的「そのかた」に年齢が近い「兄貴分」としての立場でお仕えすることが可能だったこととで、自分はこの十年弱で、けっこうな昇進を果たすことができたのだ。

 最初はもちろん、下級兵のしかも見習いというところからはじめたのだったが、それはもともと、王とそのお妃の覚えめでたい自分のことを、周囲の少年から無闇にやっかまれないための処世術だった。


 こういうあたり、何と言ってもあの巨躯の男がちょっと指南してくれたのが大きい。

 あの時もし、うかうかとあの王からの「俺の側近になれ」という言葉に乗っかったりしていたら、今ごろ同僚、同年代の少年らからどんな嫉妬の嵐にさらされていたか、知れたものではなかった。


 ちなみにかのとぼけた巨躯の男はというと、例の女とともにこの国に戻ってきて以来、まったく表舞台には出なくなった。しかし今でも、裏ではあれやらこれやらと、あの女と共に王の仕事に携わっているらしいのだ。残念ながらクルトには、それがどういう仕事であるかまでは知らされていないけれども。


 そして女はといえば、これは男以上に表に出てくることはなくなった。

 どうやら当の男となったようなのだが、そこいらあたりの話については、男も「ガキが無粋なことを訊くんじゃねえや」と笑うだけで、一向、答えてくれる気配がない。



 と、でまた王都の商店街に出歩いていた王太子殿下が、当人と同様、平民の服に身を包んだ近衛の武官らに囲まれて、ふらふらと近くの古書の店から出てきた。武官らにも荷物を持たせた上に、自分でも両手に分厚い本を何冊も積み重ねて抱え、えっちらおっちらと歩いてくる。

 今年で御年おんとし八歳になられる殿下は、その母から蜂蜜色の綺麗な金髪を、そしてその父から知的な深い翠の瞳とを受け継いでいる。


「ああ、クルト! ちょっと重いんだ、手伝ってくれ……!」

「なんだよヴェル、まーたそんなに買いこんじまって。お付きのみんなが苦労すんだろ? 『人の上に立つ人間は、下々の気持ちに敏感になれ』って、いっつもレオンに言われてんじゃん――」

「わ、……わかっているのだ。でも、どうしても、これも、これも読みたかったんだもの……!」


 王太子殿下は真っ赤な顔で、必死に上目遣いになり、まだ幼さの残る言葉遣いでクルトに言い訳をする。彼の頭は、まだやっとクルトのへそのあたりまでしかない。

 本当はこの少年はクルトがこんな言葉遣いで話をしてよい相手ではないのだけれど、王も王妃もかの王宮で、彼に対してだけはそれを許しているのだった。

 むしろかの王からは、「本物の兄のつもりで接してやってくれると有難い」と、まっすぐに頭まで下げられたという顛末まであるのだから、参ってしまう。


「なあ、いいであろう? クルト……。父様とうさま母様かあさまには、内緒にしてくれるであろう……?」

「ん〜……。しょーがねえなあ……」


 そんなことを言いながら、この可愛らしい殿下の「お願い」に、「いやだ」といい続けたことのないクルトだった。


「そんなにいっぺんに持てるわけねえだろ。ほれ、貸してみ?」

「う、うん……! ありがとう、クルト!」


 いやもうこれに関しては、「兄として、どうか厳しく指導してやってくれ」との王の言葉に大いにそむいているわけなので、クルトとしてもちょっと胸が痛むのだったが。

 だから一応、釘を刺すことは忘れない。


「けど、知らねえぜ? 殿。なんたって殿下のお父様とお母様、あの特異体質なんだから。今だってもう、空から殿下のこと、見てらっしゃるかもしれないんだしさ――」


 少年の手に一冊だけ残してその荷物を取り上げながら、ひょいと空の上を指差す。


 と。

「う、っわ……!」

 殿下の目がぎょっと見開かれ、少年は急に慌て始めた。

 次の瞬間にはもう、さっと本で自分の顔を隠し、クルトの陰に隠れている。


「ク、クルトがそんなことを言うからっ……!」

「……およ?」


 見れば、上空を悠然と舞う、巨大なふたつの姿。


 白き竜と、黒き竜。

 その二頭がゆったりと、守護するこの風竜国の上空を舞いながら、あきらかに自分たちの息子の姿を探していた。


「あっは。ダメだこりゃ。諦めな〜、ヴェル」

 にへっと笑って殿下に言えば、殿下はもう本の陰で、ちょっと半泣きになっていた。

「そ、そんなあ……」



 竜国暦、1048年。

 クルトは今年、二十歳はたちになった。

 小さな殿下は、本当の兄のようにして、こんな自分のことを慕ってくれている。

 すっかりいい娘になった妹も、そろそろ好きな男を見つけて、結婚を考える年になった。女の子の成長というのは、やたらめったら早いのだ。


「クルト、一緒に謝ってくれるであろう? クルトがそうしてくれたらきっと、父様も母様も、そんなに怒ったりなさらないもの。ねえ、クルトってば……!」

「さあって……どうしよっかなあ?」

「クルトったら……!」


 少し甘えたように懇願してくる少年の声を聞きながら、早くもこちらへ舞い降りてくるらしい二頭の竜の姿を見上げて、クルトは思い切り伸びをした。


「う〜うっと……」


 空にはうす雲がたなびいている。


 今日は、いい天気だ。

 どうやらこれから、恐ろしい雷が落ちるのは避けられないようだけれども。

 それはもちろん、わが子を心配したのだ。


「ったく、しょうがねえな。知らねえのかよ? 『可愛い子には』なんとやら、ってさ――」


 吟遊詩人の物語の、その主人公あるじであるふたりを待ちながら、

 クルトは高い空を見上げる。



 その、遠い遠い空の果て。


 あの「竜の星ドラッヘ・シュテルン」が、

 きらりと笑ったような気がした。



                           完

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