第5話 星降る夜に



 すすけた山間やまあいの小さな村で、大人の男たちにまじり、少年が黙々と畑仕事に精を出している。


 作物につく虫の増えるこの季節、臭いのきつい草をいぶして一日中その虫取りに追われるのが、この地方の農民の常だった。薬効のあるその草は、作物につく悪い虫以外にも、人々の目や喉もひどく刺す。

 丸一日、その作業が終わる頃にはもう、目や喉が腫れ上がってひどい痛みに悩まされるのだったが、それでも目を瞑ったら、すぐにもその場に倒れて眠ってしまいそうなほどにくたくたになっているのだ。


 村の男連中にまざって必死に一日じゅうその作業にいそしんでも、自分の畑でもないところで雇われとして働いているだけの自分には、たいした給金も貰えはしない。それでも、働かないわけにはいかないのだから仕方がなかった。

 家にはまだ小さな弟や妹が何人もいるし、母はこのところ体調を崩して、臥せっていることが多いからだ。

 まだ年端がいかなくて難しいだろうけれども、やっぱり自分も、給金のいい雷竜国の王国軍の兵士に志願したほうが、よほど家族に楽をさせてやれるかもしれない。近頃そう思うことも多い少年だったが、やはり、気持ちが定まらないのだった。


 王国軍に徴集されていった父が死んだという知らせがきたのは、もう一年も前の話だった。父がそれに応じたのも、妻と沢山いる子供たちを食べさせるのに、そちらの給金のほうがはるかに良かったからだと聞いている。

 王都からきたその知らせでは、父はそのとき、たまたま王宮を守る任に就いていて、そこに竜巻のようにして現れた「風竜の魔女」とかいう恐ろしい魔物に吹き飛ばされたのだという。父は、それがもとで命を落とした。

 平凡だったけれど、気の優しい父ととても仲の良かった母は、それから三日三晩、泣き明かした。そうして次第に、身体を悪くしてしまった。人というのは、気力がなくなると本当に、身体まで悪くしてしまうものなのだ。


 一日の作業がようやく終わって、近くの小川で痛む喉や目をすすいでいたら、ふと、山向こうからつづいている村の小道を歩いてくる、二人連れの旅人らしい人影に気がついた。

 国の街道にもつながっているその道に、よそ者が歩いているのは珍しいことではなかったから、少年はちらっとそちらを見ただけで、すぐにかれらへの関心をなくし、また自分の目を洗いはじめた。


 しかし。

 旅人は、なぜか自分の背後で足をとめて、こちらを見ているようだった。

 不審に思って振り向いてみて、少年はちょっとびっくりした。

 旅人はふたり連れで、一人は異様に大きな体躯をしたいかつい顔の男だった。対する一人はほっそりした小柄な女で、旅用のマントで顔を隠すようにしていたが、まあまずまず、十人並みの容姿の女に見えた。


「なに? ……なんか用かい、あんたら」


 少年は少しぶっきらぼうな調子で、手ぬぐいで顔を拭いながらそうたずねた。

 女のほうがなぜか、その言葉にびくりと身を固くしたらしかった。対する男は、うっそりした惚けた顔で、ちょっと頭をぼりぼり掻いた。


「あー。あのよ。こないだ、王国軍で死んだってえ男のことでな。俺ら、そいつのちょいとした顔なじみでよ」


(王国軍の……?)


 かれらの風体からして、なんだか妙な気はしたが、少年は「それなら俺の親父かもしんねえな」と言って、かれらを自宅の小さな小屋へ案内した。


 彼らがそこにいたのは、ほんの半刻程度のことだった。

 母は彼らが父と顔見知りだと聞いて喜んだ。そして僅かな蓄えの中から彼らをもてなし、父のことや、今の暮らしぶりなどを訥々と話しているようだった。

 母親と話をしたのは、ほとんどがその巨体をした男のほうで、女はほとんどずっと黙りこくり、じっと話を聞いていただけだった。

 「大人の話だから」と、少年は下の小さな子供らを連れてしばらく外に出ていたから、詳しい話の内容までは分からなかった。


 そのうち、二人は来た時と同様、またひっそりと出て行った。

 もう外は真っ暗な刻限だというのに、先を急ぐのだという。


 それは、客人も出て行って、狭い小屋のなかで皆でいつものように雑魚寝をしようと寝具がわりのむしろを広げたときだった。


「あー! きれい。なにこれ、にいちゃん……」


 小さな下の妹が、いつも林檎みたいに赤い頬をさらに赤くして、目をきらきらさせて何かを自分のところに持ってきた。

 妹の小さな手に握られていたのは、見たこともないような綺麗なみどりの光をはなつ、宝石のような石だった。




◆◆◆




 「竜の星ドラッヘ・シュテルン」が見下ろす山中の街道を、男と女はしばらく黙って歩いて行った。


 あの風竜宮から去ってからこっち、こんな「巡礼」と「贖罪」の旅を、ふたりはずっと続けている。

 一応は、事前に雷竜王エドヴァルトと、水竜王ミロスラフのところにも寄って、この女に以前のことの詫びを入れさせ、今回の旅についてもそれぞれから許可は得ている。

 両王はすぐさまこの「巡礼と贖罪の旅」に許可をくれたが、何故か口を揃えて「彼女の顔と名前については人々に明かさぬように」と釘を刺してきた。それはかえって、人々の心を波立たせるばかりだからと。そして、それが今後も風竜国で生きていくこの女のためでもあると。

 さすがは一国を預る賢き王ら。さすがの度量だと、男も感心したものだった。

 もちろん裏で、あの新しい風竜王やら、心優しい水竜の姫やらが、両王になにがしかを頼みこんでいたことは予想されたのだったけれども。



 もちろん、人の命を贖えるものなど、なにもない。

 ないと分かっていてそれでも、男は女に、こういう現実をちゃんと見て、知ってほしいと考えていた。


 別に、だからどう、ということではない。

 知っているか、知らないかの間には、深くて大きな違いがある。

 それを知って、これからこの女がどう生きるのか。

 それを見届けることが、とりあえずの今の自分の仕事だとも考えている。

 こればかりは、あの風竜王になったクソ真面目な男には決してできない仕事だろう。

 別にわざわざ自分が引き受ける必要もなかったことかもしれないのだが、まあそこは、「やりたい」と思ってしまったのだから仕方がない。

 これを誰か他の男にやらせるなんて、あの時のファルコはちらりと考えすらもしなかった。はっきり言えば、そんなのは「まっぴらごめん」だと思ったのだ。


 重い足取りで隣を歩く女は、今は容姿を変貌させる魔法を使っていない。

 つややかな黒髪も、陶器のような白い肌も、菫色の夢見るような瞳も扇情的な赤い唇も、いまはみんな、自分に晒してくれている。


 この一年ばかり、水竜国と雷竜国を旅しながら、さきほどのような「遺族」のところを、こうしていくつも回ってきた。

 わざわざ「あんたの夫を、父を、恋人を殺したのはこの女だ」などと宣言することはしなかったけれども、彼らの喪失の悲しみを、理不尽な殺人者への尽きせぬ恨みをこの女が知る事は、どうしたって必要だと思ったからだ。


 それぞれに、それぞれの家族の事情があった。

 それらひとつひとつを知るにつけ、ミカエラはどんどん口数が少なくなっていった。


 だがこれは、どうあっても、この女がしっかりと理解し、胸に刻んで、これからを生きていく必要のあることだった。


 いっときの激情に任せて罪を犯す。

 それは、まことに一瞬のことだ。

 しかし、たったそれだけのことで、いかに多くのものが破壊されるか。

 多くの人々を泣かせることになるのか。

 それで起きたことと、その結果を抱えて生きてゆく者の人生は、そこからもずっと続くのだから。


 それが分かっているからこそ、あの新しき風竜王は、あの王位奪還劇の中、もはや愚直といってもいいほどに「無血であること」に拘ったのだ。

 この女から身も世もなく愛されているあの男をわざわざ褒めたくはないのだが、そこだけは一応ファルコも、一目置いてやっても構わないかなという気がするぐらいだ。

 しかしそれも、あの二十数年まえの事件があって、彼がやむなくに下り、九年前からは姫とともに山野に放浪の旅をして、その中で市井の庶民の生活や、その心情を理解してこそ培われてきたものだと思えば、いかにも皮肉な話ではあるのだったが。


 ふと気づくと、女の足が止まっていた。

 ファルコはひょいと背後を振り向く。


「……なんだあ? どうした」

「…………」


 女は無言で、自分たちを照らしている頭上の月と、北に輝く「竜の星ドラッヘ・シュテルン」を見上げるようにしていた。

 月明かりに、ぞくりとするほど女の肌が白く見えた。


「……いいのかしら」


 ぽつりと小さな声がして、ファルコはそちらに向き直った。

「何だって?」


「わたくし……、生きていても、いいのかしら……」


 ファルコはしばらく沈黙して、旅装用のマントを羽織ってぽつねんと立ち尽くしている女の小さな影をじっと見ていた。

 が、やがてぐいと足を出すと、一気に女のそばに近づいた。

 背の低い女の顔を覗き込むようにして、ちょっと腰をかがめる。


「……あのな。ふざけんじゃねえぞ」

「え……」

「これでおめえが死んでみろ。俺ぁ何のために、お前にここまで付き合ったんだっつの」

「…………」


 ミカエラが、マントの襟のところをぎゅっと握って沈黙した。

 ファルコは女の顔を真正面から見据えて言い募る。


「あいつらの顔、お前が殺した奴らの家族、お前にちゃんと見せるためじゃねえかよ。そんで、お前がこれから先、そいつらのことをちゃあんと覚えとくためだろうが。出来るもんなら、ちょっとした償いのぐらいはするためによ。……死んで、それが出来んのかよ」


 ファルコの声は低かったが、相手を恫喝するようなものではなかった。

 しかしそれでも、相手の胸にはずっしりとこたえているようだった。

 ミカエラは言葉をなくして、じっとファルコを見返した。


「いいか悪いかなんて知らねえよ。んなこた、どっかの誰かが勝手に決めりゃあいいだろ。っつうか、言わせとけ。……けど、俺ぁ許さねえからな」


 男の太い指で胸の辺りを指し示され、ミカエラは黙って悄然と俯いた。

 ファルコはひとつ溜め息をつくと、ぐいと上体を起こして後ろを向いた。


「これで死ぬってえのは、つまり、『逃げる』ってこったろうが。けど、おめえにられた奴らはその時、逃げることもできなかったんじゃねえのかよ。おめえばっかり、土壇場で舌だして逃げるなんざ許さねえ。そいつらなら、そう言うとは思わねえか?」

「…………」

「やらかしちまったことは、死ぬまでに持っとくしかねえのよ。どんなにきつくても、逃げんじゃねえ。その重さもなんもかも、全部持って生きるしかねえんだ。……それが、おめえのやっちまったことなんだからよ」

 言いながら、ファルコはその大きな拳で、我が胸を叩くようにした。

 しかし、そうしてしまってから急に、つい熱くなった自分自身にうんざりした。


(ちっ……。らしくねえ)


 そこらの若造ではあるまいし、自分は何をこんな所で語っているのか。

 ファルコは面倒くさそうに、ばりばり頭を掻いて腰に手を当てた。

 それで、急にこんなことをうそぶいた。


「大体よ。んなことされたら、俺の『仕事』がなくなるじゃねえか」


 それはまあ事実だった。

 一応あの「クソ真面目王」からは、この女の「お目付け役」として、国庫から折々に給金も出されている身なのである。

 と、急に女が顔を上げたようだった。


「仕事、だからなの……?」

「お?」

「わたくしにこんなにしてくれるのは……」

 言いかけて、しかし女は口をつぐんだ。

「いえ。……いいの。そうよね」

 そうして、すたすたと歩き出すと、ファルコを追い越してそのまま先へと歩き出した。


(……は? 何だってんだよ――)


 早足に夜の街道をゆく女のあとを、ファルコは悠然とした足取りで追いかけた。歩幅がまったく違うので、それでも置いていかれることはない。


 空には月と、降るように撒き散らされた星ばかり。

 周囲は山間部を抜けて、そろそろ丘陵地帯に入っている。この女はともかくも、自分には食事も睡眠も必要なわけなので、野宿をするための焚き火などする場所も物色しなくてはならなかった。


 突然、目の前でミカエラが立ち止まってこちらを振り向いた。

「もういいのよ? ファルコ」

 長い睫に覆われた菫色の瞳が、きらきら光りながらこちらを睨むようにしている。

 ファルコは片眉をあげた。

「……は? 何がだよ」


「別にわたくし、逃げたりしないわ。これからだって、ちゃんとあの人たちのところへ行って、できるだけの償いことだってする。……人を無闇に傷つけたりもしない。自分の身は、ちゃんと自分で守れるんだし。だから、あなたはもう彼のところへ帰っていいわ」

「あ? ちょっと待てって――」

「もう『お目付け役』なんてしなくていいって言ってるのよ!」


 いきなりそう叫ぶと、ミカエラがぐっとこちらに手を伸ばした。


「なんだったら今すぐにでも、王宮に跳ばしてあげるわ」

「おい! 急になに言ってんだよ」

「帰りなさいよ! こんなに長い間、こんな女につき合わせて悪かったわよ。のもとに帰って、しっかりあっちでもっと役に立つような『いい仕事』をして、手柄を立てればいいじゃない。別にわたくしは止めないわよ」

「やめろっつうの!」

 ファルコは突き出されている女の腕をぐっと掴んで、無理やりに引きおろした。


「触らないでよっ……!」

 女は金切り声をあげて、ファルコの腕をふりほどいた。そのまま、背後へとびすさる。

「……こんな手に、触らないでよ……」

 その声が、ひどく乱れて震えていた。

「…………」

 ファルコは黙って、自分の手を握り締めて俯いている女を見下ろした。


「まあた、アレか? 『汚れてる』だの、『きれい』だのって――」


 勿論それは、彼女の過去のことだけではないはずだった。

 ミカエラはすでに自覚している。彼女の手が、罪なき者らの血にすっかり汚れているのだということをだ。

 それはある意味で成長だし、進歩でもあるとは思うのだが。


「…………」

 ミカエラが唇を噛み締めてそっぽを向く。


(しょうがねえな――)


 ファルコは振り払われた手をちょっとぶらぶらさせながら天を仰いだ。

 なんで自分は、こんな女のお守りなんぞを好きこのんでやっているのだろう。

 こんな調子でこの一年、なんだかんだと振り回されっぱなしだった。

 勿論、指一本触れてはいない。 

 というか、それらしい雰囲気にすらなったこともなかった。

 宿の部屋は別々だし、こうしてやむなく野宿をするときにも、十分に離れて寝るように、ファルコのほうで気をつけてきた。

 それは勿論、自分も一応、男だからだ。


 そこまで考えて吐息をつくと、ファルコはまた、すっ呆けた顔にもどって言った。

「あのよ〜。俺を、何だと思ってんのよ」

「…………」

「これでも、あっちやこっちでイロイロと、人には言えねえ仕事もしてきた男だぜ? あのレオンだって、姫サン守ってあっちやこっちで、やむなく殺した野郎はいるはずだしよ。なんもかんも、ただ綺麗なやつなんてどこにもいねえっつうの――」

 それでも女は、まだ震える自分の肩を自分で抱きしめるようにして目線をよこそうとしなかった。

「俺なんか、アレよ。十分、『小汚こぎたねえ』よ? 餓鬼の頃から、生きるためにゃあ、色んなことしなきゃなんなかったしよ。……別にお前のこと、あれやらこれやら、責めるほどの男じゃねえわ。安心しろや」

「…………」


 それではじめて、ミカエラの目が恐る恐るこちらを見た。

 ファルコは自分の無精髭の生えた顎をちょっと撫でて、にかっと笑った。


「……だからよ。もう、いいんじゃね?」

「……え?」


 何を言われたのか分からないという顔の女に、ファルコはにこにこ笑ってやった。


 いや、「にこにこ」と言うよりは、「にやにや」か。

 なにしろ、やっと巡ってきたのだ。

 この台詞を言う機会が。


 ずっと、言おう言おうと思いながら、

 とうとうここまで引きずってしまった、その台詞を。



「俺のものになんな。……な? ミカエラ」


「…………」


 そうして、菫色の綺麗な宝石みたいなふたつのものから、ぽろぽろ零れだし、止まらなくなったものを見つめて、心の中でひそかに拳を握った。


 月の綺麗な晩だった。

 月と「竜の星ドラッヘ・シュテルン」だけが、そんな二人を見つめていた。

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