第十章 凱歌

第1話 戴冠の儀



「で、殿下……! 一大事にございます……!」


 風竜国フリュスターンの王太子、ブルクハルトは、その朝、突然あらわれた珍客によって叩き起こされることになった。

 奥の宮にある彼の寝室に転がり込むようにして駆け込んできた召し使いは、もう口をぱくぱくさせて、なかなか用件を口にすることができなかったほどだった。


「いったい、なんでございますの……?」

 寝台の隣から眠たげな声でそう言ったのは、あの宰相ムスタファの孫娘である、わが妃である。

「いや、いい。お前はまだ寝ていればよいぞ」


 ブルクハルトはそう言って、器量よしというほどでもないが、平凡でもまずまず見目もよくて気立ても優しい妻の額に口づけを落として寝台を離れた。

 そろそろ三十のよわいを数える王太子は、自分程度の男には、このぐらいの平凡な女がちょうどいいことを知っている。とはいえ、その背後にいるあの抜け目のない老人のことだけは、気がかりでならなかったが。


「お、お庭に、レ、レレ、レオンハルトが参っていると――」

「なに……?」


 父、ゲルハルトは、先日、「先王の子レオンハルト」と名乗る若者との会談のため、北方の辺境へと手勢を連れて出かけたところだったはずである。

 しかし、ようようその者が気を落ち着けてした報告を聞いてみれば、この王宮の中庭に、さきほど忽然とその名を名乗る男が出現したというのだった。

 それも、父の連れて行ったムスタファとその手勢も共に連れてである。

 そのほかにも、黄土色の軍装をした雷竜国の手勢と、黒色の軍装の土竜国の手勢、それに、紺のマントに金属鎧姿の見目麗しい姫がいるのだということだった。


 ブルクハルトは、父に似た鈍色にびいろの髪をお付きの者に素早く整えさせ、王族のための軍装に身を包み、まずは急いで自分の執務室へ向かった。その執務机の中、鍵のかかる引き出しの中に入れていた、父からの書簡を取るためだった。

 それは、もし父の身になにかがあったのならば、すぐにもそれを開いて読むようにと命じられているものだった。

 その時の父の表情を思い出して、ブルクハルトは今さらのように、また胸騒ぎを覚えるのだった。


(もしや……。いや、まさか――)


 そんな事をさまざまに思い巡らしながら、大股に廊下をゆき、侍従や武官らに案内されるままに王宮の中庭へと急ぐ。

 そこは、王家の様々な催しや行事の際にも使われる場で、王族の皆が立つバルコニーに出れば眼下に広い謁見の場としての庭が設えられている場所なのだった。

 そこまで出てみて、ブルクハルトは目をみはった。


 謁見の中庭には、濃い緑の軍装に身を包んだ兵士たちが二手に分かれて整列している。双方とも、わが国の国旗を掲げた勇壮な将兵らだ。

 そしてその傍らに、黒の軍装、黄土色の軍装の、隣国の兵士らの一団もいた。

 片側にいる友軍らしき隊列の先頭に、長い黒髪の精悍な青年が立っている。

 彼の背後には、彼と同じ色の軍装の将軍らしき男や兵士らが居並んで、戒めた状態の太った老人の綱を引いて立たせていた。ムスタファだった。そばにもう一人、別の男も捕らえられているようだ。


 声をなくして見つめているうちに、眼下の黒髪の青年がこちらに会釈をしたようだった。

「ブルクハルト王太子殿下。お初にお目にかかります。レオンハルトと申します」

「レ、……レオンハルト……?」


 まさか、という思いと共に、ブルクハルトは「やはり、来るべき時が来たのか」という思いを禁じえなかった。

 もしも、先王の子、レオンハルトが存命なのであるならば、当然、この王権はその男に返上すべきものなのだ。それは以前から、父ゲルハルトにそう教えられて来たことだった。

 ただ問題は、そこにいるムスタファと、その一派の貴族連中がそれをどう捉えるのかということだった。父ゲルハルトも、長年の間、ずっとただそのことのみを気に病んできたようだったからである。


「ということは、そなたが先王、ヴェルンハルト公の遺児、レオンハルトだというのだな?」

「は。左様にございます」


 青年は、年に似合わぬ恬淡てんたんとした性格らしい。その年齢にしては珍しいほど、とくに自我や自意識をことさらにひけらかしたり、自分の力を誇示するような、尊大な風は一切見えなかった。しかし、ブルクハルトはだからこそ、なにかこの青年から空恐ろしいような印象を受けた。

 ともあれ、王太子は一応は呼吸を整え、まずは訊ねた。


「父、ゲルハルトはどうしたのか。そなたに会うため、北の辺境へと向かったということだったが」

 レオンハルトと名乗る男は、少し躊躇ったようだったが、淡々と答えた。

「はい。ゲルハルト陛下におかれましては、かの『風竜の山』なる神域においてご自身の命をもって『祈願の儀式』を行なわれ、ご崩御なさいましてございます――」


「おお……」

「なんと――」


 ブルクハルトの背後についてきていた武官や上級文官たちが、驚愕の声をあげる。


(やはり……そういうことか――)


 ブルクハルトは唇を噛むと、その後しばし、黒髪、翠の瞳のその青年の口から語られるその後の顛末についてじっと耳を傾けた。




◆◆◆




 そこから間もなく、レオンはテオフィルスやヤーコブ翁、ニーナらとともに王宮内の応接室へと通された。クルトとカールも一応、ヤーコブやニーナのあとからついてそこへ一緒に入れてもらえた。

 ムスタファと暗殺者の男はそのまま投獄されたようだった。


 クルトには、大人の話そのものは難しいところもあってよくわからなかった。

 しかし、ゲルハルトの息子だというブルクハルトが、自分の父から渡されていたという書簡の封をみなの前で切り、その内容を時折り目頭を押さえながら読みあげるのを、ただじっと聞いていた。


 ゲルハルトは、ここに至るまでの顛末を、彼なりにそこに告白していた。

 かつて兄王とその一家に対して犯した己が罪と、それを唆した奸臣についても触れている。しかし、それはこの場だけでの秘密にすべきであるならそうしてもよいと書いているようだった。

 そしてなにより、あらゆることは、次代の王、レオンハルトの意向に従うようにと。


 やがて、ブルクハルトとレオンハルトとの間でその話がまとまったらしいのを見届けると、ニーナはそっと、ヤーコブ老人にだけは耳打ちをして、クルトとカールを連れてその部屋から外へ出た。

 その瞬間から、三人の姿は周囲の衛兵らの目には見えなくなっているらしかった。

 それも、竜の魔法であるようだ。


 クルトは「どうして」とは訊かなかった。

 多分、いまここに、ニーナはいてはいけないのだ。

 レオンがあのミカエラを妻にすると言っている以上、ニーナがここにいてはかえって迷惑になるばかりだろう。


 ニーナは城の中の高い場所を探し、広いバルコニーを見つけると、すぐに竜の姿にもどった。そうしてそのままカールとクルトを背に乗せて飛び立った。翼の音など、こそりともさせなかった。

 そうしてあっという間に上昇すると、ニーナははるか西の国を目指して、その地から飛び去って行ったのだった。




◆◆◆




 翌月、<風待ち月>。

 風竜国の王都、その王宮の中にあって、新王の戴冠の儀が、ごく厳かに行なわれた。


 さほど派手に行なわないのは、新たな王の気風にもよるものだったかもしれない。

 ともかくも、集まった臣民は、なによりレオンハルトの、その父と酷似した相貌と威風とに驚かされた。

 そしてその言葉を聞くに及んで、歓呼をもって彼を迎えた。


 仰々しく長ったらしい式と、臣民を前にしての挨拶の最後に、レオンハルト王はただ、にこっと笑ってこう言われた。


斯様かような若輩であい済まん。……どうか、以降、よろしく頼む」


 戴冠の儀式の場はしばし、水を打ったように静かだった。

 どこか遠く、宮殿の中庭で、ぴいぴいと鳥たちの声がするばかりだった。

 居並ぶ将軍、高級文官、そして集められた貴族たちは、しばらくは声もなく、この威風堂々たる青年の姿を見つめていた。


 やがて。


 誰からともなく、唸るような声がその場にあふれ始め、やがてそれが、天に轟くような大音声に変わっていった。

 護衛兵らはめいめい、己が得物を天へ突き上げ、ある者は互いの肩を叩きあい、ある者は両手を天に何度も振り上げ、拳を突き上げる者もいた。


「陛下!」

「レオンハルト陛下!」

「ご即位、万歳!」

「おめでとうござります……!」

「万歳、万歳……!」


 それは、「黒竜の王レオンハルト」の誕生だった。


 その後に行なわれた王都内を練り歩く新王お披露目の行幸では、その行列をひと目見ようと、王都の人々のみならず各地からの臣民が大勢集まって、王都の目抜き通りは蜂の巣をつついたような大騒ぎになったものだった。

 喜びのときを告げる臣民の声が、明るくなりはじめた空にむかって湧き立っている。

 晴れ渡った青空には、訪れた夏の季節を告げるように、意気軒昂に真っ白な雲が渦巻いて、楽しげに踊っていた。


 馬上で黒髪と黒いマントを流した精悍な姿の青年王は、大喜びで手をふってくる街の人々に時折り手を振り返したりなどしながら悠然とき過ぎた。

 しかし、そうはしながらも、何故かふとした拍子に表情を曇らせては、ちらりとはるか西方の、遠い空を見やる様子でいらっしゃったものだった。

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