第8話 風竜王と火竜王


「あ、あああ……陛下……、陛下ああああっ!」


 竜の結界に守られたその広場に、ヴァイスの絶叫が響き渡った。

 斬り飛ばされた右腕をおさえるようにして、アレクシスが地面に膝をつき、痛みを堪えて奥歯を噛み締めている。


 レオンはアレクシスから数歩離れた場所に立ち、しばし剣をおろして、それを静かに見やっていた。


「……勝負あったな。納得したか、火竜王」


 その声も、ごくごく落ち着いたものに過ぎない。

 それは今の今まで、この場で凄まじい戦いを繰り広げていた人物だとは到底思われないほどだった。

 が、アレクシスはそんなレオンをぎろりと睨み上げると、額に玉の汗を浮かべながらも不敵に笑った。


「馬鹿か貴様は。こんなもの、勝ったうちには入らんぞ」

「…………」

 レオンが無言でアレクシスを見下ろす。その目に一瞬、暗いものが宿った。どうやら彼にも、次のアレクシスの台詞は予想済みらしかった。

 アレクシスが、食いしばった歯の間から言う。

「だから貴様は甘ちゃんなんだ。何度同じてつを踏む気だ? 本気で勝ちを宣言するなら、俺の息の根を止めてからにしろ」

「陛下っ……!」

 しかし、ヴァイスが転がるようにしてやってきて、レオンからアレクシスを庇うようにして座り込んだ。その胸には、いましがた斬りとばされたばかりのアレクシスの右腕が抱きしめられている。


「おやめください! お願いです。もう、勝負はつきましてございます! もう……もう、これ以上のことは。どうか、どうか……!」

 ヴァイスは必死に自分の背後にアレクシスを隠すようにしながら、首を横に振り続け、レオンに懇願した。

「どうか、伏してお願い申し上げます、レオンハルト陛下! どうかどうか、この場はお慈悲を賜りたく。どうしてもわが陛下のお命をとおっしゃるのでしたら、どうか、このわたくしをお斬りください……!」

 それはもう、喉から血の出るような叫びだった。

 彼の背後で、アレクシスがはっとした。

「馬鹿もん! 貴様、何を言う……!」


 が、ヴァイスはそれには目もくれないで、ひたすらレオンを拝み倒していた。


「もちろん、わたくしごときの命で贖えるものなど何もございませんでしょう。ですがどうか、ここはそれでこらえていただきたいのです。お願いです、どうかお願いです、レオンハルト陛下……風竜王さまっ……!」


 ヴァイスはもう、涙ながらの懇願になっている。

 レオンは少し、焦眉のまま、そんな二人を見下ろしていた。

 が、やがて持っていた「黒竜の剣」の刀身を、ぴたりとヴァイスの首筋に当てた。


「……それが、そなたの望みとあらば」


 白き竜は、そっとそんなレオンを見たようだったが、何も言わないようである。


「待て、貴様っ……!」


 アレクシスが、かっとその竜眼を見開いたが、レオンは綺麗に無視してのけた。

「まあ、是非もない。恨むなら強情な主人殿あるじどのをこそ恨め。大事な臣下の命と、己が下らん矜持とを、正しくはかりにかけることもできぬ主人あるじをな――」

 レオンは静かな声でヴァイスに言った。その実、その言葉を背後にいる男に聞かせているのは明白だった。

 アレクシスが、ぎりっと歯噛みをする。


「ええいっ……!」

 腕の痛みを堪え、前にはいつくばるようにしているヴァイスの体を押しのけて、アレクシスは前に出た。


「わかったわ、このクソ下僕いぬが。負けだ、負けだ! この勝負、俺の負け。それでいいんだろう。文句あるまい!」

 ヴァイスがびっくりして、己があるじの顔を見上げた。

「で、……ですが、陛下……!」

「やかましい! お前はちょっと黙っていろ」


 主人あるじからほとんど殺意の籠もったような眼光で睨み返されて、思わずヴァイスも黙りこんだ。

 アレクシスが、改めてレオンを睨みつける。


「が、返す以上はそれより先の、わが領土への手出し等々は無用に願うぞ。それだけは、この場ではっきりとうけがってもらおう。よろしいか、

「……無論のことだ」


 レオンは、静かにそう言って頷いた。

 アレクシスがにやりと片頬をあげる。


「よかろう。それならば、こちらも何も否やはなし。先ほどの約束も、間違いなく履行する」


 それを聞いて、レオンもふ、とわずかに笑った。


「それは重畳。……傷み入るぞ、火竜王」


 そのまま、静かに剣を引く。素早く後ろにさがった彼を見て、アレクシスが「けっ」と言うように舌打ちをした。

 ヴァイスはヴァイスで、ただもうひたすら地面に頭をこすりつけるようにしている。


「あ、……ありがとうございます! 風竜王さま……!」

 そうしてすぐに振り向くと、アレクシスの手当てにかかった。

「陛下。すぐに止血を。少しですが、ここに『水竜の結晶』も持っております。大した効果はありませぬが、治癒の魔法を掛けますので――」


 が、ヴァイスがそう言いかけたとき、白き竜がすいとその首をこちらに伸ばした。

 ぎょっとして見上げると、優しく潤んだようなその碧い瞳が、こちらを見下ろして「大丈夫ですよ」と言ったように見えた。

 そうして次の瞬間には、竜がふうっとやさしい魔力の吐息を吹きかけていた。


(あ……)


 ヴァイスはすぐに理解した。

 この感覚は、自分が「治癒」の魔法を用いるときと同じ波長を感じさせるものだ。それは優しく、温かく、そしてとても爽やかなもの。

 そして、ヴァイスが用いるものよりも、はるかに強力なものであるのがすぐに分かった。


《アレクシスの腕を、もとの場所に》


 たおやかで優しい思念にそう促されて、ヴァイスはもう何も考えず、言われた通りにした。持っていたアレクシスの右腕を、彼の腕のところに添わせるようにする。

 すると途端に、薄青く輝く光がそこを覆って、きらきらと温かな魔力の渦を生み出した。魔力の光は帯のようなものになり、まるで包帯を巻くときのようにしてアレクシスの腕に巻きつくと、一段と強く青白い光を発してから、鱗粉のようにぱっと散って見えなくなった。

 あとにはもう、何事もなかったかのようにして、アレクシスの腕が再生していた。軍装の袖の部分はちぎれたままなので、そこから生身の腕が突き出している。


「陛下……!」


 まるでなにもなかったかのように、その指や手首などを動かしてみせるアレクシスを見て、ヴァイスはもう感極まって、そこに手を添え、どっと涙を溢れさせた。それから顔を覆って、もう嗚咽をこらえられなくなる。


「よ、ようございました……よう……」

 アレクシスはちょっと呆れて、目の前ですすり泣く臣下をじろっと見た。

「泣くな。……お前もいい年だろうが」

 そうして、これまでと寸分違わぬわが腕を見て、ちょっと苦笑した。

「まったく……。お節介も大概にしろ」


 「お前らはこれだから」、と皮肉満載の声でそう言いながらも、アレクシスはさほど不機嫌ではないようだった。





「それではもろもろ、よろしく頼む」


 最後にそれだけ言うと、レオンがまたその姿を黒い竜のものに変えた。

「分かっている。これでも一応、国王だ。王に二言はないから安心しろ。細かい事はまた後日、このヴァイスと詰めるがいい」

 そして、まるで犬でも追うようにして、竜たちに向かってつながったばかりの手をひらひらと、面倒くさげに振って見せた。

「さっさと戻れ。貴様らのなりは目立ちすぎるわ、鬱陶しい――」


《…………》


 竜たちのが、ふと苦笑したように、ふわりと柔らかいものになった。

 そして、彼らは互いの顔を見合わせるようにすると、風鳴りの音もさせないで羽ばたいて、すっと広場から舞い上がった。


 アレクシスは、ここで初めて、まっすぐに白き竜のほうを見やった。

 竜のほうでも、その美しい碧瑪瑙色あおめのういろの瞳で、そっとこちらを見たようだった。



(……アルベルティーナ)



 かつて、狂おしいほどに求めた女。

 どうにかして手に入れようと、相当な無茶もやらかした。


 しかし。

 不思議と今、彼女の姿を目にしても、心に乱れる何かはなかった。


 ……いや、わかっている。

 わざわざ口には出さないが、もう自分には分かっているのだ。

 自分が真に欲していたのが、彼女自身ではなかったのだという、そのことは。


「……まあ、好きにやれ」


 アレクシスは、悠然と翼を広げ、去ろうとしている白き竜に、最後に皮肉な言葉を投げた。


「それにしても……えらいに惚れたな、水竜の姫」


 白き竜は、少し不思議そうに首を傾けたようだったが、すぐに黒き竜と目を合わせ、見るからに仲睦まじいひとつがいのようにして、さあっと夜空に舞い上がっていった。


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