第10話 禊(みそぎ)
レオンとゲルハルトは、「
レオンが松明を手にして、ゲルハルトが時おり足を滑らせたりつまずいたりするたびに手を貸している。
憎い親の仇である男だというのに、やっぱりこんな風に手助けする形になるのは、なんとも皮肉な話だった。
「……レオン。レオンハルト」
やがて、石くれの多い道が狭まり、勾配がさらにきつくなって、ゲルハルトの息が上がり始め、少し休憩したところで、レオンはそう話しかけられた。
「良いのだぞ。好きにしても」
「……は?」
何を言われたのかが分からず、レオンは怪訝な顔になる。
その顔を見て、ゲルハルトが力なく苦笑したようだった。
「先ほども申したとおりだ。余は、そなたの親の仇ではないか。今から思えば、まこと青臭い……くだらぬ私怨、妬みとそねみによる反逆であった。いくらあのムスタファに
「…………」
「あのアネルとやらいう男に救われて、他国で育ったとは聞いておるが。王族でなくなった立場では、これまで相当に苦労もしてきたのであろう。まして、例の火竜の王からの恐るべき呪いまで身に受けて――」
そうなのだった。
先日、アネルがこの王に申し出たのは、まさにこのことだったのだ。
あの時、アネルはゲルハルトに、「もしもあなた様が、まことに殿下に対して贖罪を果たしたいと申されるなら」と、このことを進言した。
つまり、レオンが身に受けている恐るべき呪いを跳ね返すためにこそ、その命を使ってくれまいかということをだ。
即ち、ゲルハルト自身が風竜神へと祈願を果たし、その命をもってレオンハルトへの加護を願い出てはくれまいかと。
結論から言えば、あの時ゲルハルトはアネルのその言葉に大いなる救いを得たかのようにして喜んだ。まさに、小躍りせんばかりだった。そしてその提案を一も二もなく
あの時、二人のそばでその話を聞いていたレオンにしてみれば、「待ってくれ」と言いたいのは山々だった。いや、事実、そう言った。しかしアネルに「どうかこればかりは。どうか、お止めにならないで頂きたい。我が命を懸けてもお願い申し上げまする」と、平身低頭、言われてしまい、もはや黙るしかなかったのだ。
そして今、自分はこの父と母の仇であり、実の叔父でもあるこの男と、その地へ向かう道で二人きりという仕儀になっている。
レオンのそんな波立つ心中を知ってか知らずか、ゲルハルトはむしろ清々したような表情で言葉を続けている。
「そなたにしてみれば、ただこの命を風竜神さまへお捧げするばかりでは、恨みが晴らせるはずもなかろう。……存分にせよ。今なら二人きりだ。殴るなり、蹴るなり、その
「…………」
その言葉を聞いて、さすがのレオンも絶句した。
そのような真似、いくら恨みが深いからといって、この自分が「では存分に」とばかり、了承するはずがない。
自分はあの火竜王、アレクシスのような男ではないのだから。
かの嗜虐の質のある王であれば、それこそ大喜びで「そういうことなら」とばかりに、この場で残忍極まりない真似を始めるのは想像に難くないけれども。
(……勘弁してくれ)
人を侮るのも、大概にしてもらいたい。
それは自分で、自分の価値を下げるに等しい行為だ。
「……ご冗談を」
仕方なく、レオンはただそう言った。
小さな岩に腰掛けて苦笑しているゲルハルトを、松明を持ったままじっと見下ろす。
壮年の域になっている国王は、軍装にマント姿という堂々とした出で立ちであるにもかかわらず、どうにもひ弱で、貧相な姿に見えた。
いくら積年の恨みの根源であるのだとしても、こんな姿の丸腰の男を相手にそんな真似をすることは、武人としての矜持が許さなかった。そこいらの盗賊風情ならいざ知らず、およそ王のもとで剣を学び、携えるに至った身としては、そのようなことは恥ずべき行為に他ならない。
(贖罪……か)
贖罪とは、何だろう。
親を奪われ、身分を奪われ、あのミカエラに至っては、恐らくはその人としての尊厳すら奪われて。
そのことを償ってもらうのだとして、いったい何が、まことの償いだと言えるのだろう。
(いや……無理だ。)
一度奪われたもの、失ったものが、元通りになることなど決してない。
奪われたもの、とりわけ人命と、人としての尊厳がもとのようになることなど、二度とないのだ。
どんなに謝罪をされてみたところで、またどれほどの物品で支払ってもらったところで、受けた傷が完全に塞がることもなければ、失われた人の命や尊厳が戻ってくるはずもない。
だから贖罪などというものは、罪を犯した当人の、心の救済のためにだけあるものなのかも知れない。
レオン自身ですら、いまここで、己が罪の重さに押しつぶされそうになりながら生きてきた、目の前の男のことを気の毒に思いたくはなかった。とことんまで苦しんで、後悔の念にのた打ち回り、血を吐くほどに慟哭すればいいのだと思ってきた。
それなのに、今、目の前にこの悄然と肩を落とした痩せた男を見ていると、どうしてもこの
そういう自分が、どうしようもなく歯がゆかった。
しかし、どうにもならなかった。
まして相手は、自分と血のつながりのある男。
かつては自分の実の父を慕い、愛してさえいてくれたはずの男なのだ。
レオンは黙って、唇を引き結び、拳を握り締めていた。
ぴちぱちと、松明の燃える音だけがする。
どのぐらい、そこでそうして沈黙していただろうか。
レオンはやがて目を上げて、岩の上に座り込んだままのゲルハルトを真っ直ぐに見直した。
そして、遂にその口を開いた。
「では、陛下。……いえ、叔父上」
「……うん」
ゲルハルトが目を上げるのを待ってから、レオンはぐっと拳を握り締めて言った。
「一発だけ、よろしいでしょうか」
「え……」
ゲルハルトは、少し驚いたように目を見開いたが、すぐにレオンの意図を察して頷くと、ゆっくりとそこから立ち上がった。
レオンは持っていた松明をそばの岩に立てかけて、叔父の目の前に立った。
静かに呼吸を整える。
ぐっと目の前のゲルハルトを見据えると、王は覚悟を決めた表情で、もう一度静かにこちらに頷いた。
レオンは拳を握り締めると、一度だけ王に向かって会釈をした。
そして一発だけ、叔父の頬を張り飛ばした。
レオンの渾身の拳を受けて、ゲルハルトはその場から二ヤルドも吹っ飛ばされて、呆気なく地面に転がった。
レオンは表情を変えないまま、王にまた軽く会釈をした。
「……ご無礼を致しました」
「い、……いや……」
レオンは何事もなかったように、王に手を貸し、立ち上がらせた。
王は唇の端を切って血を流していたけれども、どこかほっとしたような、肩の荷のおりたような顔をしていた。
「すまぬ……。いや、ありがとう……レオンハルト」
叔父が殴られた頬に手をやりながらぽつりとそう言ったのを、レオンは何とも形容のしようのない心持ちで聞いていた。
そうして、置いていた松明を取り上げると、また再び、竜の眠る地へ向かって歩き始めたのだった。
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