第9話 挑戦



 レオンがゲルハルトとの魔術による交信を行なって、三日が過ぎた。

 レオンの一行は、一旦、雷竜国へと戻ることにして、現在、国境へ向かう街道の途上にある。


 現風竜王ゲルハルトへ直接の魔力通信を行なうために、アネルは今回、相当の「竜の結晶」を消費してしまった。アネル自身の体力的な消耗も相当なもので、一行はしばらく、風竜の地で宿をとり、彼を休ませざるを得なかった。

 しかしそれも、彼が第一級の医術魔法官だったからこそ実現したことであって、本来なら風竜国の魔法官らによる障壁に阻害され、ゲルハルトとあのような通信を行なうこと自体、非常に難しいはずだったのだという。



◆◆◆



 それは、ようやく少し体力の戻って来たアネルと共に、雷竜国を目指して移動していた、とある夜のことだった。

 レオンに睡眠は不要だが、他の男たちはそういう訳にもいかず、基本的に夜は野宿をしたり、街で宿をとったりして休むのだ。


 いつものように、二人部屋をふたつ取り、そのうちのひとつの部屋に集まって今後の相談をしていた四名は、唐突に部屋の明かりである蝋燭の火が消えたことに驚いた。

 窓はしっかりと閉められており、風の起こるような理由がないにも関わらずだったからである。


 しかし、その理由はすぐに知れた。

 真っ暗になった部屋の中に、ぼうっと青白い光をまとった女の姿が浮かび上がったのだ。

 寝台の中にいたアネルを庇うようにしてレオンが立ち上がり、ファルコとカールも、それぞれ部屋の反対側で自分の得物に手を掛けている。


「ミカエラ……!」

「お久しぶりね、レオンハルト」

 ぎりっと殺気をみなぎらせたレオンとは対照的に、女はごくもの柔らかな仕草で、一同に対して軽く貴婦人としての礼をした。

「わざわざこちらの国に来てくださるなんて、とても嬉しいわ。でも、随分と探したのよ……?」

 ミカエラはあとの三人のことは眼中にもない様子で無造作にレオンに近づき、顔に触れられるほどの距離になった。


「今日は、ちょっとお話があって来たのよ」

 言いながら、彼女が軽く片手を上げると、部屋の中の空気が急に濃密になり、圧力を増したようになった。


「うっ、なんだ……?」

「おお……?」


 自分の長剣を抜こうとしていたカールが、驚いた声を出した。隣に立っているファルコも同様である。どうやら彼らは、体がぴくりとも動かせなくなっているようだ。

 レオンの背後にいる、アネルも同じのようだった。

 これも、どうやら風竜の魔法のひとつであるらしい。


 を手のひと振りでていよく黙らせておいて、ミカエラはレオンに向き直った。

 そして、まるで世間話でもするような調子でこう言った。


「あの女は、火竜国ニーダーブレンネンの王太子の手に落ちたわよ。もう二度と、無事な姿であなたに会うこともないでしょうね、レオンハルト」

「……!」


 場にいる皆が、慄然とした。

「なん……まさか、姫殿下のことか?」

「そのような――」

 カールとアネルが、呆然とミカエラを見つめている。

 レオンも一瞬、瞠目して沈黙したが、やがて低い声で女に訊いた。


「……それは事実か」

「あら。この場で嘘を言う意味があるのかしら」

 ミカエラの目が、嘲るようにきらりと光った。

「おあいにく様だったわね。雷竜国ドンナーシュラークの王宮に匿ってもらうまでは良かったのでしょうけれど。火竜だけのことなら、それで十分だったでしょうし。でも今回は、火竜の王太子がわたくしに、『どうしても協力してほしい』ってあんまりうるさいものだから。ちょっと、手助けをしてさしあげたのよ――」


(なに……?)


 レオンは奥歯を噛み締め、ぎりっと拳を固めた。


「貴様っ……!」


 この女の言う通りだった。

 相手が火竜国だけのことならば、雷竜王エドヴァルトを頼るだけでも十分に守りになるはずだったのだが。このミカエラがアレクシスに全面的に協力するとなれば、さすがに話は別だった。


 八年前はああいうことになったのだったが、あれ以来、この二人はさほど結託することもなく、それぞれ別々に活動することが多かった。

 もともと、彼らの利害はさほど一致するわけでもない。ミカエラはレオンを欲し、アレクシスはニーナを欲しているものの、ミカエラはともすればニーナを害そうとするきらいがあるし、アレクシスもどうかすればレオンを殺しかねない男だからだ。


 また、もともと風竜国、火竜国としても、互いに決して良好な関係にはない。むしろ、あまり深く関わって国内の情報を与えすぎたり弱みを握られたりすれば、将来的に足元をすくわれる恐れさえある。急に手を携えるといっても限度があるのだ。


 まして、この気まぐれでむらっ気の多いミカエラの方からその気になってアレクシスに連絡をとらなければ、二人が手を組むきっかけを掴むこと自体が難しいはずだった。

 アレクシスの側から彼女に連絡を取るためには、なにか強力な魔法職の技術と魔術体系が必要になるはずだ。それも、火竜のものではない魔法が。

 そして今までのところ、火竜にそんな技術があるという情報は入っていなかった。

 そのために、レオンたちも今回、この二人がすぐさま結託する可能性をあまり考慮することなく、ニーナを雷竜国に預ける選択をしたのだったが。


 すべては、あとの祭りである。

 火竜の魔法は攻撃力については非常に優れた魔法体系ではあるが、反面、移動手段や通信手段といった点には弱さがあるのだ。アレクシスも重々、そのあたりは理解しているということなのだろう。


「あらあら。怖い目をしないでちょうだい」

 ミカエラは上機嫌な微笑みを浮かべたまま、またずい、と一歩レオンに近づいた。

「もう、八年も経ったというのにね。あの男、よほどあの泥棒猫にご執心らしいのよ。いったいどこがいいのだか、わたくしにはまったく分からないのだけれど」

「…………」


 眉間に厳しい皺を立てているレオンを見ながら、女は両手を後ろに組んでゆらゆらと上体を揺らすようにした。


「そういえば、あの女を攫うとき、貴方たちに同行していた、あの小さな坊やも一緒についてきてしまったの。今頃は、火竜で一緒にいたぶられていることでしょう」


(……!)


 それを聞いて、レオンの中の嫌な予感がさらに増幅された。


(それは……まずい)


 そうだった。

 もしも、捕まったのがニーナ一人であったなら、まだ助かる望みはあったのだが。

 水竜と雷竜の守護をその身に受けて、彼女は白き竜に変化へんげすることができる。たとえ理性を失うことがあるとしても、あの巨大な竜の姿にさえなってしまえば、彼女の力は本来、「竜の眷属」を軽く凌駕するものなのだ。

 しかし、そばにあの小さな少年がいるとなると。


(姫殿下は……おそらく、変化へんげすることを躊躇われる――)


 あの姿になって、もしも完全に理性を失えば、彼女はそばにいるクルト少年をそうとは知らずに殺してしまいかねない。ニーナがそんな選択をするとは思えなかった。


「アレクシスも、今回は相当に本気のようよ。前の馬車よりも数倍守りの堅い、あの女専用の『おり』まで作って、取り篭める準備をしていたらしいから。わたくしが連れ去る時、あの坊やも一緒についてきてしまったものだから、仕方なくそのまま放り込んできたのだけれど――」

「なに……!?」

 その言葉の意味するところを即座に悟って、レオンは思わず声を上げた。


 まずい。

 この女の言う通り、「火竜の結晶」によって作られた監獄が現実に存在するのだとして、そこに普通の人間の子供であるクルトまで入れられたのだとすれば。

 クルトの身体は、その凄まじい魔力によって、あっという間に蝕まれよう。

 さらに厳しくなったレオンの眼光からその内面を正確に読み取って、ミカエラの笑みは深くなった。


「……そう。分かるわよね? あの子がきっと、あの女を頷かせるいいになる……」

「…………」

「いいえ、もうとっくに頷いているかも知れないわ。あの女がアレクシスに『自分を貴方様の女にしてくださいませ』と、跪いて懇願する姿が目に浮かぶようよ。……いい気味だわ。せいぜい、あの意味のない矜持と清らかさを打ち砕かれるがいいのよ。そうすれば、少しは下々の女の気持ちもわかるようになるでしょうしね――」


 レオンはじっと、女の言葉を聞きながら相手を睨みつけているだけである。

 ミカエラがふっと、妖艶な瞳で彼を見つめながら吐息で笑った。


「どうするの? レオン。もしかしたらもう、今頃はあの女、あの男のしとねに侍っているかも知れなくてよ? ……いいえ、あの坊やの命を盾に取られたら、遅かれ早かれ、そうなるでしょう。そうならざるを得ないわ。そうでしょう?」

「…………」

「目の前で、あの坊やを拷問でもされてごらんなさい。あのお綺麗なお姫様が、そんなことに耐えられるはずがないですもの。あの坊やが目の前で、爪を剥がされたり、生皮を剥がれたり、耳や鼻や指を落とされたりするのを、あのお姫様が黙って見ていられると思う……?」

「……やめろ」


 レオンは吐き捨てるようにそう言ったが、ミカエラには何も聞こえなかったと同じのようだった。

 それどころか、その声音にはさらに嘲りの色が濃くなった。


「そうよ。無理よ。……だからもう、あの女は、とっくにあの王太子のものになってるわ。今頃は、さぞやあの王太子の前で無様な姿をさらして、可愛がってもらっていることでしょうよ……!」

「やめろッ……!」


 レオンは遂にそう叫んだ。

 が、ミカエラはむしろ、それより大きな声で叫ぶようにして言い募った。


「今頃は、さんざんに嬲られて、身も心もすっかり汚されてるわ! もう、まともにものも考えられないくらいにね! ……ああ、それどころか、もうとっくに臣下に下げ渡されているかも知れなくてよ。それで最後は、囚人の男たちに与えられるところまで落とされるがいいのよ!」


 もはや、レオンでなくとも聞くに堪えない言葉が、延々と紡がれている。

 それは、アネルやカールは勿論のことだったが、端で聞いているファルコでさえ、ちょっと顔を顰めるほどのものだった。


「いろんな男に汚されて、身も心もさぞや乱れることでしょう。次に会った時には、もうあの女は、あなたのよく知っている、お美しくて気高いだけのお姫様ではなくなってるわ。……いい気味よ。ほんとうに、いい気味だわ……!」


 ミカエラの声は、もうほとんど絶叫に近い。

 それでも宿の者らが不審に思って駆けつけてきたりしないのは、恐らくそれも、彼女の魔法によって外には音が漏れないように封じられているからであるらしかった。

 目を爛々と光らせるようにしながら、乱れた息を整え、やっとひと息つくようにして、ミカエラは顔に落ちかかった黒髪をゆっくりとかき上げてレオンに尋ねた。


「……あなたは、それでも愛せるの? レオンハルト」

「…………」

 レオンは無言である。

 しかし、自分の胸あたりまでしかないミカエラをまっすぐに見下ろしたまま、微動だにせずに唇を真一文字に引き結んでいた。

 両の拳も、体の横で握り締められたままである。

 ミカエラがさらに畳み掛けた。


「そんな穢れきった女を、貴方はそれでも愛せるの……?」


 不思議なことに、くっきりと真ん中に竜の虹彩を浮かべた女の瞳からは、まるで何かに挑みかかるような、強い光が放たれていた。

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