第10話 特別試験 ※

 さて。

 その少年との「初夜」について言うならば、別にアレクシスは彼に手出しなどはしなかった。むしろ、すぐに侍従長を呼び、一連の事情を説明して誤解を解き、すぐに彼を部屋に引き取らせた。

 と言うのもアレクシスには、当のヴァイスにも確認した上、とある考えが浮かんでいたからである。


 現在、この五大竜王国は、中つ国、雷竜国の制定した竜国暦によるならば、1030年ということになる。

 実は火竜の国にはそれ独自の火竜暦があるのだが、あまりそれに拘りすぎていると、他国の資料を取り寄せて調べた際にこちらの資料との関連性が非常に見えづらくなってしまう。そのためアレクシス本人は、自分だけで資料を扱う際には密かに、竜国暦の方を採用して考えることにしているのだ。


 そうやって調べるうちに分かったことの中に、この竜国暦上、約二百年ばかり前、この火竜の国には男娼から身を興して王の側近にまでなった、とある男の記録がある。

 彼は王の大いなる寵愛から忠臣にまでなりあがり、王の格別の計らいで高い教育を受ける栄誉をも受け、もともとの能力の高さもあって、若いながらも相当なやり手の政治家にまで成長したらしい。

 そこまではよかったのだが、彼の存在そのものが、当時の火竜国の国政を大いに乱す結果を招いたという。

 それ以降、この火竜の国においては、男娼に一定以上の地位を与えないことが火竜国法の中に組み込まれることになったのである。


 ということはつまり、ここでアレクシスがたったひと夜でもヴァイスを男娼としてねやに招き入れ、要は抱いてしまったら、そのまま彼をそれより高い役職に就ける目がなくなってしまうということだ。

 この王家にあって男娼は、せいぜいが側妾などの女たちに準じる扱いでしかない。いや、たとえ王の手がついて寵愛を受けたとしても、彼らには子を成せないわけなので、結局は女たちよりも酷い扱いになるというのが実情だった。


 王から飽きられたり、年をとったりすれば、臣下に下げ渡すのにも無理がある。かといって、閨で知りえた情報を外へ漏らすようなことは決してあってはならない。彼らは王族のそばに侍るうちに、王家のどんな内情に通じていないとも限らないからだ。

 したがって、彼らを無事に生かしてそのまま城の外に出すという選択肢はない。

 となれば、待っている未来は悲惨なものというしかなかった。

 良くて舌を抜くなど喋れなくなるような処置を施して解放するか、そうでなければ体の動かなくなるまで城で下働きとして使役し続けることになる。事実、この城にはそういうし方の下働きの者は大勢いるのだ。


 いやまあ、このヴァイスに関してだけのことであれば、アレクシスが王になってから後に、手に入れた王権でもってごり押しし、法を改定すればいいことなのかも知れない。しかし、それではいかにも先の話になってしまう上、御前会議を構成する家臣らの覚えも決してめでたくなくなるだろう。

 つまりアレクシスとしても、余計な手間は省きたかったのだ。



「そなた、俺に仕える気はあるか」

 侍従長を呼ぶ前に、アレクシスは少年にこう訊いた。

 少年はびっくりした様子だったが、やっぱりぱっと明るい顔になり、ぶんぶん首を縦に振って大喜びした。

「もちろんでございます! うれしゅうございます、殿下……!」

 しかしすぐ、彼は不安そうな顔になって、心細げに俯いた。

「あ、あのう、でも……ぼ、わたくしは、ろくに字も読めなくて、その……」


 彼の生い立ちを考えればそんなことは予測のうちだったので、アレクシスは別に驚きもしなかった。そして大股に寝室の隅まで行くと、卓上に放り出してあった歴史書の古い巻物を、無造作に少年に放ってやった。

「う、わ……」

 危なっかしい様子でそれをどうにか受け取って、少年はよろめきながら変な顔をしていた。

「あ、あのう……」

「十日だけ、時間をやる。教師をつけてやるから、それを読みこなしてみよ」

「え、……えっ?」


 それは相当に大部な歴史書で、羊皮紙もまだ綴じた形にもなっていない古い時代の、本当に古びたものだった。したがって、書かれている文言も古めかしい上、いま使用されている文字よりもはるかに読みにくいものである。

 逆に言えば、これが読みこなせるのであれば、現在の公文書でもすらすらと読むことができるということでもあった。


「十日後に、俺の前でそれを読み上げさせる。それでお前の処遇を決めよう」

「しょ、しょぐう……」

 そこでアレクシスはにやりと笑い、少年に自分の頭を指さして見せた。

「要は、どちらにするかをな。俺にで仕えるか、それともで仕えるか、ということだ――」

 言ってみると、なにやら身も蓋もなかった。

「あ、あのっ……!」

 そこでいきなり、ヴァイスはぴょこんと顔を上げてそう訊ねてきた。王族の言葉を遮るようにして話すなど、やはり不敬なことではあるのだが、それがいかにも庶民的で気楽に思え、アレクシスは不快には思わなかった。

「なんだ」

「えっと、その……。ど、どちらのほうが、殿下のお役に立てますか……?」

「…………」

「あと、その……どっちのほうが、長く、殿下のお傍にいられるでしょうか……」


(こいつ……)


 アレクシスはちょっと唖然として、そう訊いてきた少年の顔を見返してしまった。

 こんなことを訊ねられたのは、こちらも生まれて初めてだった。


 彼がこの質問をしたその瞬間、彼の未来は、もう決まったと言えたのかもしれない。

 が、ともかくもアレクシスは質問に答えてやった。


「少しは自分で考えろ。閨に呼べる年齢の限りなど、高が知れていようが――」


 呆れた調子で返されたその言葉を聞いて、ヴァイスの表情がはっと変わった。おどおどしっぱなしだった今までとは違い、彼の背中に一本筋が通ったようにも見えた。

「は、……はい……!」

 少年は、叫ぶようにそう答え、きゅっと唇を噛み締めて、渡された巻物をしっかりと胸に抱きしめていた。


 そして、やがてやってきた侍従長の男とともに、少し名残惜しそうな顔でこちらを振り返りながらも、静かに退室していった。



◆◆◆



 結論から言えば、ヴァイスの成績はアレクシスの予想をはるかに越えた。

 少年はたった十日でその難解な古代文字を読みこなせるようになったばかりか、与えたその古い歴史書をそらんじるまでになり、それもただ覚えるだけでなく、アレクシスが与えるその内容に関する質問にまで、ことごとく明快に答えてみせてくれたのだ。

 彼を教えた教師たちも彼の才能を絶賛した。その中にいた歴史学者の一人は、彼を自分の後継者として貰いうけることができないかと、かなりの時間と熱意をもってアレクシスに交渉してきたほどだった。それほど、彼は非凡な少年だったのである。

 しかし、気の毒だったがその教師の希望が叶えられることはなかった。

 それがアレクシスの望むところでなかったのは勿論だったが、誰よりヴァイス本人が、それを肯うけがわなかったからである。


「わたくしは、アレクシス王太子殿下の御許おんもとにお仕え申し上げたいのです」


 たった十日間だというのに、なにか顔つきすら変わった美貌の少年は、爽やかな白金髪をなびかせてにこやかに笑いながらそう言い放ったのだ。


 彼が一体、なにを根拠にここまで自分に入れ込んでくれるのかは、実はアレクシス自身にすらさっぱり分からなかった。アレクシスにしてみれば、自分で言うのもどうかとは思うのだが、こんな性根のねじくれた、魂胆のくらい主君など、普通なら願い下げだろうと思うのだったが。

 が、ともかくも、本人の希望がそうであってくれたのは幸いだった。

 もしもそうでなかったなら、彼を指南した教師らの誰かれに、ヴァイスはとうに助手かなにかとしてっ攫われていたのに違いない。つまりは彼の才能が、それほどにきらめく、輝かしいものだったということだ。


 アレクシスはその場で自分にくみする貴族の一人を呼んで、少年を書類上、その家の養子に迎えさせ、文官としてのそれなりの地位を与えて、以降、常に自分の身近に置くことにした。


 これにより、晴れてアレクシスは本当の意味での「側近」を得た。

 彼こそ後に、火竜王アレクシスの類稀たぐいまれなる側近として歴史書に名を刻まれることになる、若き宰相ヴァイス公の幼き日の姿だったのである。



 そして。

 その年、竜国暦1030年の夏。


 アレクシスは二個師団、約三万の大軍をもって、隣国クヴェルレーゲンとの国境線を越えた。


 すなわちこれが、火竜王ゴットフリートの治世中に行なわれた、第三次クヴェルレーゲン侵攻だったのである。


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